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終章 安寧 穏やかなる日常へ

巧の捨て身の呼びかけによって、自信を取り戻した千早。

帰ろう二人の日常へ……。

「先輩、どういうことですか?」

 樟葉は片付けの手を進めながら隣で作業をする誠司郎に問う。

「何がだ?」

「神ヶ丘さんを見逃した理由です。その……私としては嬉しくもあるんですけど、確証がありません。らしくない判断です」

 樟葉が何とも言えない表情で問いかけていた。

「追矢の最終試練」

 誠司郎が短く発する。

「え?」

「修行を終えたら鬼狩り候補はな、半覚醒を身に着け試練を受ける。敢えて人の血肉の一部を食らい半覚醒を維持する。しばらく時を置き、更に最終覚醒まで発展させて……自在に戻り自在に開く者が追矢だ」

「それって……」

 樟葉は今回の事件を改めて検証する。

 展望台の事件……楠木巧は誰に何を喰われたのか?

 喰ったのは誰だったのか? それから期間をおいて今日……最終覚醒したのは誰で、戻ってきたのは誰なのか。

 自然覚醒では本来起こりえない流れ。

「アレは戻って来た。閉じきって戻り過ぎた例ではあるがな。もう進めん」

『最終試練でさえ、開ききって堕ちる者すら居る……そもそも自然覚醒では半覚醒期間も存在しないはずだが』

 時系列を整理すれば、千早には十日前後の半覚醒期間が存在していた。

『最初の時点で血肉を口にしてさえ踏みとどまれた精神性……それこそが最大の理由だな』

 僅かに視線を動かし、巧、千早、神奈の三人を視界に納める。

「ならば、もはや狩るべき相手ではない」

 その眼差しは真っ直ぐで、見守るようでもあった。

「そう……なんですか」

 樟葉も短く答える。

 そして、樟葉も高校生三人に視線を向ける。

「良かった……」

 瞳を潤ませて小さく呟いた。

 ふと、視線の向こうにある千早がへたりと座り込み巧がその傍で寄り添う。

 その光景を微笑ましく眺めていると、一人……神奈がこちらに向かって歩いてくるのに気づく。

「天見さん?」

 スタスタと樟葉達……いや、誠司郎に向かって歩いてきていた。

「ねぇ、本当にもう千早を狙わないの?」

 まっすぐに何の探りもなく直球で問いただしていた。

「あんなに鬼を殺そうとしていたのに」

「今回に関していえば、俺に確信がある事態だからな。事が起こらん限り俺から何かをするということは無い」

「……千早はどうなるの?」

 不安げな声。今回は落ち着いた。しかし、それが確実なのかなど、この少女にはわからない。

 誠司郎は顎に手を当てて少し思案を見せた。

「……特殊な状況のみを前提に鬼としての衝動や暴力性、膂力を失った例はあるにはある」

「それって、もう千早は大丈夫って事?」

 神奈が顔上げまっすぐに誠司郎を見る。

「分からん」

 静かにかぶりを振る。

「は?」

「例はあっても、その後は知らんからな」

 にべもない答えだった。

「いや、後調査とか」

 それでも食い下がる。

「少なくとも追矢にその記録はないな」

「……何よそれ、役に立たないわね」

「否定はせん。そもそも目的が違う」

 神奈にかまわず作業を続けていく。

 ふと神奈は首をかしげる。

「……ねぇ、あんたってさ……もしかして優しいの?」

「?」

 誠司郎は何を言われているのか分からない様子で首をかしげる。

「あー、いや、ごめん。私が悪かったわ」

「意味が分からんな」

「その、ね。仕事で狩ってるんじゃないって気がして……聞いたことにもちゃんと答えてくれるし……あの時、ここから離れたのって、私に千早の姿を見せないようにってことだったんじゃないかなって」

 神奈は少し言葉を探す。

「何より、さっきの……千早の事、ちゃんと見てくれてたんだって」

「俺は俺のすべき判断をしただけだ」

 誠司郎の答えに神奈は盛大に肩を落としてため息をつく。

「あーもう、疲れるなぁ。もう一個だけ聞きたいの。あんたが千早を見逃してくれたのって、他になんかあるんじゃないの?」

「他に……? か。そうだな」

 腰の小太刀に軽く手を触れどこか遠くを見る。

「俺も見たくなっただけだ、あり得たかも知れない明日を、な」

 神奈と樟葉は、思わず目を見開いていた。

「あんたってそんな風に笑うのね」

 神奈が苦笑いを浮かべる。

「笑う? 俺がか?」

「えぇ、微笑ってました。そんな柔らかい顔初めて見ましたよ」

 戸惑う誠司郎を樟葉が困ったような笑顔で見ていた。

「なんだかんだで争う理由が無くなったでいいんだよね?」

 神奈が肩をすくめると、樟葉も破顔する。

「はい、改めて正式に話はさせていただきますね」

「もし、次に会うときはこの無愛想男に愛嬌ってもんを仕込んできてよね」

「もう無茶言わないでくださいよ……それは私が切に願ってるんですから」

 途中までしていた苦笑いから真顔になり、キュッ目元を押さえていた。

「あ、うん……何かごめん」

「?」

「ま、いいわ。今度はもうちょっと用事以外のことしゃべりなさいよね。鉄面皮」

 そう言って神奈は振り返って巧たちの方へと駆けていった。

「良い子達でしたね」

 その姿を樟葉が穏やかに微笑んで見守っていた。

「そう言えば」

「何ですか?」

「天見神奈に詫びるべきことは……無くなったのだったな」

 誠司郎が誰ともなしに独白していた。

「そうか」

 彼が彼女達の姿を見る眼はどこか優しげだった。


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


 あの事件……あわや千早に物理的に美味しく頂かれ大惨事となりかけたあの日。

 ……結果として俺が千早にむしゃぶりついてしまった土曜日から1日空けて月曜日。

 土曜の晩から日曜は病院に放り込まれててんやわんやだった。

 まぁ、肩に引き続き首まで大怪我したのだから大事なのは大事なわけで。

 命に別状は無いものの、経過観察は確定となった。

 千早は神奈ともども専門病院へ連れて行かれたが、何事もない健康体とお墨付きをいただいたそうだ。

 千早が重ねて医者に何かを確認していたようなんだが、神奈から疲れ切った顔で「知らない方が幸せなこともあるのよ?」と幽鬼のような目で言われたので聞くのをやめた。

 ……まさかこれ程に日常が愛おしい存在だとは思いもしなかった。当たり前に過ごす教室で、どこか遠い目になる。

「巧、一緒に帰ろ」

 そこには笑顔の千早が居る。

 あぁ、良かった……千早が居る日常に帰ってきたんだ。

 心なしか金曜日までの千早よりも幾分落ち着き、例の事件以前の千早に近い印象に戻ったようにも思う。

 そして、少しだけ遠慮がちなその瞳に、以前の千早を見た気がした。

『そっか、ちゃんと昔から見ててくれたんだな』

 妙な感慨に耽ってしまう。

『少しずつ、進めよう……あの時はちょっと特殊だったし』

 土曜の事件を基準に考えてはいけない。

 あの時の俺はちょっと行き過ぎていたと思うし。

 油断大敵という言葉を、俺はこの後思い知ることになるとも知らずに。

「神ヶ丘さん、今日表情明るいね? タクと何かあったの?」

 カズの遠慮のない質問。

「うん。だって、私」

 千早は幸せな笑顔のまま頬を朱に染め少し目を伏せる。そして、両手を腰回りでモジモジと重ねて恥ずかしそうに、それでいて、『世界一幸せっ』と言い出しそうな顔でこう言った。

「『巧のもの』にされちゃったから……♡」

 時が止まった。

 容赦なくこの空間の音が停止していた。

 俺たちの周囲に居た何人かも巻き添えで停止していた。

 神奈は頭を抱えていた。

 直撃を受けたカズは問いかけた瞬間の表情のまま動かない。

「え? ……え?」

 凍ったままカズから上ずった声が漏れている。

「千早、ちょっと待って……それだけ言うととんでもない誤解を招く」

「? 誤解? え? も、もしかしてあの時の言葉……違うの?」

 みるみる泣きそうな顔へ変わっていく。

「いや、そんなわけないから……」

 涙目で千早が俺を見つめている。

 ……何故だろう周囲がこっちを見る目が昼ドラ見るような目に変わっているように思うのは。

「千早、俺がちゃんと本気だったって分かってるだろ」

 頭痛を堪えながらかろうじて言葉を絞り出す。

 言われた千早は何かを思い出すように少し虚空を見上げて、右手を唇に触れさせると、改めて俺を見て恥ずかしそうに声を潜めた。

「うん、『一生、お前は俺だけの千早だ』って、その後すぐにあんなに強く求められて……嬉しかった」

 そんな幸せそうに言うなんてさ……俺も嬉しいよ。無茶苦茶嬉しいんだよ。

 ……っ、でも、それをこの場でお出ししないでいただきたい。

 何か頭抱えてた神奈がお腹を押さえ始めていた。……やべぇ、俺も胃がキリキリしてきてる。

「私は一生、巧のものだよ……巧だけのものだから、ね」

 少し不安げな目で俺を見上げる。

「だから、絶対私から離れちゃ嫌だよ。私、もう巧以外の人なんて無理だもん」

 そして、改めて頬を朱に染めて小さく頬を膨らませ拗ねたようにこちらを見る。

「……あんなに見ないでって言ったのに何もかも全部見ちゃうんだもん。……絶対責任取ってね」

 何故だ……何故俺は土曜日よりも精神的に追い詰められているんだ。

 『壁に耳あり障子に目あり』ってこんなに気配を色濃く感じるものなのか?

 千早の発言の瞬間に息を飲んだ奴……後で〆る。

 神奈なんかは両手で顔を覆って天を仰いでいた。

「だから……今日も一緒に帰ろ」

 遠慮がちに伸ばした右手。

「……あぁ、分かった」

 俺は彼女の手を取る。

 『帰ろ』……か。


 うん。おかえり千早。


 ……俺たちが帰った後、教室が阿鼻叫喚と化していたことを、後に神奈から恨みがましく聞かされた。

「月下に鬼影、彷徨す」これにて第一部完結となります。

作中で明かされていない設定やエピソードは多々ありますが、今後の作品展開で明かされるかもしれません。

本作は構想が学生時代のものであり相当昔に構築したストーリーが土台になっています。

当時は扱いきれずにお蔵入りにしてしまいましたが、改めて振り返って「面白くできそう」と思い蔵出しして仕上げてみました。

メインヒロインの名前は変わるわ、サブキャラクターがやたら生き生きしだすわ。

キャラクター達がアドリブで暴れまわった感じで進行した本作。

楽しんでいただけたのであれば幸いです。


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