第一章 其の壱 暴走 乙女の恋心
ストーカーに襲われた千早を助けに駆け付けたものの、そこに居たのは鬼
見逃された巧は無事、千早と再会したものの、その翌日。
事件を経て、検査入院となった巧の下へ、神ヶ丘千早と天見神奈が見舞いに訪れる。
「で、千早は無事だけど」
「俺は検査入院……」
「楠木くん、ごめ、ごめんなさい」
二人の女子高生のお見舞いを前にベッドで横たわる俺はボリボリと頭をかく。
「大丈夫なの?」
女子高生の片割れが自らの左肩をトントンと叩いて見せる。
俺がざっくりやられた場所だ。処置が終わってるとは言え、結構えぐられている。
なんだかんだ長引きそうではある。
「痛いけど、許容範囲だろ」
「ごめん、なさい……ごめんなさい」
涙ぐんでは謝り倒してくる神ヶ丘にどう声をかければよいものやら。
その姿は昨日と違い、既に逃亡惨劇の残滓は無くいつも通りの黒髪をうなじの左右で飾り留めした姿で、いつも通りの優しい香りを漂わせている。
……のだが、絶賛全力懺悔中だった。
「私が、私が楠木君の腕の代わりになるよ。なるから。一生傍で支えるから」
決意のこもった瞳がまっすぐに俺を見据えている。
「待て待て待て待て重い重い重いっ! 心配するなちゃんと治るっ完治すっから」
とんでもないことを言い出したのでさすがに待ったをかける。
「でも……」
などと、捨てられた子犬のような上目遣いで見上げてくる美少女は反則だと思う。
……開いちゃいけない扉が開きそうになる。
「まぁ、練習さぼる口実できたんじゃないの?」
ショートボブが良く似合う容姿、切れ長の瞳は俺を気遣うようで軽くからかうように口をはさんでいた。
「うっせーよ。まぁ当面は休むしかねぇけどさ。ノリとカズにはよろしく言ってあるし」
部活仲間の気のいい二人が脳裏をよぎる。
「なるほど三バカトリオは健在、と」
「ひどくね?」
「神奈は楠木君をいじめないで」
いいながら神ヶ丘が俺の隣のポジションを強く主張していた。
完ぺきなスクリーンだった。
軽く頬を膨らませて神奈との間に視覚的に割って入っている。
その様子に神奈は降参とばかりに小さく諸手を挙げる。
「あー、別にそれ取らないから……」
どうすりゃいいの? と顔に書いてある。
そんな目で俺を見られても困る。
「ねぇ、巧、喉乾かない?」
「ん? あぁ少しな」
あからさまな振りではあるが俺も乗っかることにした。
ちょっとこのテンションの女の子に迫られるのはいたたまれない。
「千早、巧の好きな飲み物ってわかる?」
「うん、知ってる」
あれ? 何で知ってるの?
というか、俺の好きな飲み物って多分ここにないよ?
「じゃ、入れてあげなよ喜ぶと思うし」
「え? でも」
神ヶ丘には悪いけど、俺も切り替えたい。
「あー、頼むよ神ヶ丘さん」
そう呼びかけた瞬間、神ヶ丘は凄まじい勢いでこちらに振り返った。
「……っ」
今にも泣きそうな目で、プルプルと肩を小刻みに震わせていた。
あれ? なんだろう。
「あ、の神ヶ丘……さん?」
「千早っ」
まっすぐに俺の目を見据えながらビシッと言い放つ。
もの凄いエネルギーだった。それに若干戸惑う。
「え?」
「千早って呼んで! 神ヶ丘さん禁止、私もた、たたったっ巧く……巧って呼ぶ」
「え? えぇぇ……っ!?」
いきなりの名前呼び強要に思考がスピンアウトする。
「私聞いてたもんっ、あの時、た、巧が『千早』って呼んでくれてたのっ。もうこれからは千早って呼んで」
あぁぁぁぁっ!! アレ聞いてたのかっ脳内で悶絶してのたうち回る。
そして、神ヶ丘の肩の向こうでは神奈が沈痛な面持ちで額を押さえていた。
「ねぇ、巧……」
とても、とても疲れた声で神奈が絞り出すように俺の名を呼ぶ。
「呼んだげて」
「いや、そんな……」
神奈相手じゃあるまいし、気軽に同級生を名前呼びとか。
「呼んで」
ひたすらまっすぐに見てくる神ヶ丘千早がまぶしかった。
気恥ずかしい、ドックンドックンとやたら強く動悸を感じる。
いや、マヂか。待ってくれ。腐れ縁の名前呼ぶのと訳が違う。
正面には心持ち頬を火照らせ、震えるうるんだ瞳はまっすぐに期待を込めて見つめる同級生。
俺も耳まで熱くなってる自覚があった。
「……嫌?」
小首を傾げて一言。
ズキューンッと何かが撃ち抜かれていた。
思わず一度視線を逸らしたが、無言の圧力は変わらない。
もう一度目の前の少女を見据え……いやマジで恥ずかしいけど。
「ち……千、早?」
怖々と呼びかけた瞬間、目の前の少女の顔がボヒュッと真っ赤に染まった。
いや、赤面してんのは俺も同じなんだが。
「はぅっ、ぅあぅ……」
恥ずかしそうに幸せそうにそれで居て身悶えしながら。
その様子を見る神奈がひどく遠い目をしていた。
表情が如実に語っている。
『私は何を見せられてんだ』と。
「んぅ……っんんー」
目の前の少女はぶるぶると顔を振ってから。
「えっと、そのっ……しょうがないなぁ。ちょっと待っててね」
そう言ってさっと身をひるがえすと給湯室に向かって小走りで去っていった。
気恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。切実に。
そんな俺とは裏腹に神奈が大きなため息をついていた。
「神ヶ……」
「千早でしょ?」
「……千早ってもうちょっと引っ込み思案だったような気がするんだが」
率直な疑問を口にする。
距離感がおかしい。うぬぼれでなければ彼女は俺に好意的だったがあそこまで露骨ではなかった。
「昨日の今日だからね……あれは完全にネジが何本も吹き飛んじゃってるわね」
互いに目を見合わせた。浮かんでるのは戸惑い。
「だよなぁ……」
俺の顔にまだ羞恥の残骸があることはスルーしておきたい。
その……千早は確かに前から魅力的な娘だとは思っていた。
でも、今までこんなふうに意識したことはない。
俺もどうしていいかわからない。
千早は俺を……どう思っているんだろう?
俺に対する罪悪感からだろうか、そんな益体もないことを思わされてしまう。
でも、もしかしたら……? いかんいかん。そんな都合よい展開なんて現実にあるわけがない。
「……巧、気を付けてね。あの娘、ちょっと頭に血が上ってると思うから」
そんなの俺どうしたらいいの?
「捨て犬みたいな顔されても困るわよ。……ま、私としてはあの娘の望むようにさせてあげて欲しいけどね」
「いや、流石にこっぱずかしいんだけど」
「耐えろ」
神奈が容赦なく切り捨ててきた。
「えぇぇぇぇぇ」
「ご褒美とでも思え」
容赦ない言葉が投下される。
いや、確かに好意を向けられて嫌な気はしない。むしろニヤニヤしてしまいそうになる。
だが、敢えて言おう。俺にそれを受け流すだけの度胸はない。
内心で「ぬぁぁぁっ」と懊悩する俺を観察する神奈の目が気になった。
「どした?」
しばし神奈が俺の顔をじっと見る。
「いやまぁ、あんた次第かなってね」
「?」
「私としては落ち着くとこに落ち着いてくれるなら別にいいわけだし」
「何言ってんだ」
「独り言よ」
「俺がいるところで?」
俺は空気かな?
「あんたが居るからよ。ところでさ」
そこまで言って、不意に神奈はスッと目を細め頭を下げた。
「巧、ありがとう」
まっすぐな言葉だった。
「え?」
「千早をね……守ってくれてありがとう。あんたのお陰よ」
めったに見ない幼馴染の正面からの称賛。
「なんだよ、おい。俺は結局なんてことしてないし、こそばゆいんだが」
「いい? あんたは褒められるだけのことをした。曲がりなりにも千早があんなに感謝してるのはあんたが頑張ってくれたから。だから、私はお礼を言った」
「……」
「あの娘が無事で、本当に良かったと思ってる。少なくとも私は間に合わなかった」
安堵で破顔する。
「でもね」
笑顔のまま、いきなり声のトーンが極寒になっていた。
「あの娘に中途半端な気持ちで不埒な真似したら殺す。もぐ、ねじ切る」
「お前は何が言いたいんだよっ」
背筋に冷や汗が伝う。ヤベェよ、こいつ本気だよ……。
カラカラカラッ
軽快な音を立てて扉が開く。
「巧、お待たせ」
軽口の応酬をしていると弾む声を伴って飲み物をトレーに乗せた神ヶ丘千早が戻ってきていた。
「おっ? サン…ッキュ…ぅ?」
トレーに乗った飲み物は三つあった。
三つ、ある……んだが。
そそくさと俺の隣までやってくると満面の笑顔でこう言った。
「はい飲んで♪」
挙句、彼女がためらうことなく手にしたのはえらくボリューミーだった。
うん、おかしいよね。
器サイズが全然違う。
いや、それはいい。
いい……のか?
いや、良い。
良いということにしておく。
そもそも運動部の俺にとってなじみの深い飲み物だ。
いわゆるレモンのはちみつ漬けを水で割ったやつだ。
何故ある?
確かに俺の好きな奴だが、ちょっと待ってこれ手作りでないと出てこない代物だよ。
千早の笑顔と俺の困惑が妙なデュエットを奏で始めていた。
「あの、千早さん?」
「なぁに♪」
彼女の返事は混じりっけなしに輝く笑顔から放たれていた。
「なぜ俺のベッドに腰かけて、ストローを俺に向けてるんですか?」
「え? 飲みやすいかなぁ?って」
なんの淀みもない踊りだしそうな声音。
視界の端っこで神奈が眉間に指をあてていた。
「いや、えっと、コップ渡してくれたら自分で……」
「肩っ」
短く鋭い言葉。
「持てないでしょ? もしかして嫌だった?」
少ししょげたような、それでいてどことなく甘えるような声に、なんだか色んなものがどうでもよくなってきていた。
「い、嫌じゃないです」
「だったらいいでしょ? それに、ね」
そこまで言うと少しだけ目線を下げたかと思うとちらっと上目遣いになる。
改めてどこか勇気を振り絞るようにこちらを見る。
「その、巧がね、巧さえ望むんだったらもっと違う方法とか……」
「んっんーぅんっ!」
神奈があからさまな咳払いで待ったをかける。
「千早」
額に手を当てて頭痛を堪える顔のまま神奈が呼びかける。
「いい加減にしなさい」
「えぇ……」
「さすがに巧が困ってる」
「あ……そうなんだ。あ、うん」
あからさまにしょんぼり顔となる様を見て何とも言えない心持ちになる。
とはいえ、実際に困っていたのはそうなので何とも言えない。
嬉しいのは確かにある。
ただ、どう反応していいのか分からない。
千早の暴走さえ落ち着けば三人で過ごす時間は楽しく充実したものだった。
あっという間に時間が過ぎていったのかもしれない。
「そろそろ門限」
だしぬけに神奈が左手首の時計に目をやっていた。
「え? あれ?」
壁掛け時計に目をやっていた。
「うん、大丈夫、私はまだ居られるよ」
一瞬驚きを見せた千早は壁時計を確認し安堵の声を漏らす。
「私の門限」
スパッと切り返す。
「うぅ、だったら私はもうちょっとだけ」
「昨日の今日でしょ、今日は私に送られなさい。明日来たらいいでしょ」
「……」
神奈の言葉に若干不満げに口をへの字に曲げる。
チラッとこちらを見てくる。
「また明日来てくれよ」
正直困った感情がそのまま出ていたと思うが、素直にそう言った。
実際に来てくれたことは心から嬉しかったし、千早が本当に感謝してくれているのは心地よかった。
まだ居てくれようとしているのもくすぐったくも穏やかな気持ちになるに決まっているのだ。
「分かった……」
名残惜しい、後ろ髪引かれる、あとちょっと、もう少し。
色んな単語を背負ったオーラが何とも言えない。
「また明日な」
苦笑交じりに言ってやるとぱぁっと表情を綻ばせる。
「うん、明日も来るね」
嬉しそうに手を振る千早の背中を神奈が押し出していった。
扉の向こうに二人が消える。
「本当に無事でよかったよ」
残された部屋で一人ごちる。
「あんな化け物の話なんて、二人が知らなくていいもんな」
俺は一人天井を見上げてつぶやく。
脳裏には展望台で遭遇した女の姿をした異形の姿が蘇っていた。
月夜に吠える女の姿をした鬼
千早のストーカーを殺し、その死体をさらった怪物。
駆け付けた警官に話したものの普通に精神科に送られてしまったのは何とも言い難い。
事情聴取こそされたものの、ストーカーに関する話くらいしかまともに聞いてもらえなかった。
血まみれの現場についてはあまりにも凄惨すぎて、というより『実行不可能』なので俺達の関与は認められなさそうだった。
「終わったんだよ」
千早のストーカーは死んだ。
この目で確認した。
その後現れた鬼は、俺に構わず死体を持ち去った。
もう終わりのはずだ。
自分に言い聞かせながら俺は消灯時間まで思考の海に漂うことになった。
千早の好感度ゲージが振り切ってしまいました。
この娘の出力は結構想定以上だったりします。
巧と神奈が話しているように、元々の千早ちゃんは序章の冒頭の通り、ちょっと引っ込み思案な所がある娘だったというのに……。
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