序章 邂逅 三日月の夜
同名タイトル作品を分割したものです。
以前の仕様があまりにも一話辺りの文字数が多かったため、文字数を控えめにした分割投稿版となります。
楽しんでいってください。
現代怪奇ファンタジー×青春ラブコメ。
月夜の南河内を舞台にした、鬼と少年少女の物語。
『月下に鬼影、彷徨す』
それは月光の下に映えていた。
細い三日月の僅かな月光の中、長い髪が逆立つという異様な光景。一際特徴的なのは眉間から突き立った角のような二房、魂が引き込まれるような生命力。紅く輝く双眸。
逆光に遮られ影しか見えない。だが、その存在感だけは意識をつかんで離さない。
「お、に……」
口を突いて出たのは非現実的な存在。
だが、他にそれを表す言葉を持たない。
それ以外にないのだ。
美しくも、恐ろしいその影を指す言葉が。
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それは十数分前の出来事だった。
「だからっ、あんたが今すぐ行ってあげてっ!! 千早が大変なのよっ」
緊迫した幼なじみの声がスマホ越しに叩きつけてくる。
「なんで神ヶ丘を一人で歩かせてんだよっ!! 散々怖がってたろうがっ」
俺も思わず怒鳴り返す。
神ヶ丘千早……普段はぽやーんとしている同級生の少女が脳裏をよぎる。
確かあの日もそうだった。
俺は学校の帰り道で、変な男に付きまとわれて困っていたその同級生を助けたことがある。
『やめて、放して』
必死だが、弱々しい声。
泣きそうな顔で救いを求めていた彼女を俺は放っておけなかった。
気づいたら体が動いていた。
『いい加減にしろよ。俺が相手になるぞ』
『……っ』
クラスメートに手を伸ばしていた男の腕を掴み上げる。
卑屈で歪んだ笑みを張り付けた男が俺を確認すると、ひぃっと怯んだ声を出す。
自分より弱い相手にしか強気に出られない奴が居る。この男はそういう手合いだと感じた。
『今すぐどっかに行け。こいつに近づくな』
意識して低い声を上げ睨みつける。
男は背を向けてすぐにその場から逃げ去っていった。
『楠木君……』
呼びかけられる。
振り返った先には小柄なクラスメート。
うなじで二つくくりにした髪が良く似合っている。
『よ、大丈夫だったか?』
『え、あ……その』
『神ヶ丘さんは可愛いんだから気を付けないと』
思ったままを言った。彼女が可愛いことは間違いない。
文系の美少女と言って想像すれば多分彼女になる。
神ヶ丘は、強く嫌とは言えない。だからこそ、そういうところにつけこむ奴が居る。
『あの、あの……』
頬を紅潮させて、一生懸命にこちらに何かを伝えようとしている。
俺は別に大したことはしてないんだから、気にしなくていいのにな。
『ありがとう』
少しだけ遠慮したようなはにかんだ笑顔。
それだけで俺としては十分な報酬をもらえたと思った。
後に幼馴染の神奈に聞くとこれが初めてではなく、「性懲りもなく」というレベルだった。
それから何度か、あの男を追い払うことに協力していた。
これまでは言いよる。関係を迫る。つきまとう。
分かりやすいストーカー被害だった。
今回は度を越している。
どうやら刃物をもって追い回しているという話だった。
「あの野郎がうろついてるうちは一人にしたら駄目だろっ!!」
「私だって同じこと言いたいわよっ!」
スマホの先に居る幼馴染も同意らしい。
今は自転車を置き場から引き出す動きさえもどかしい。
「場所はっ!?」
「長野公園っ! 私も向かってるけど……電車止まってるっ、無理っ」
「くっそ! 神奈、そっちの電話は神ヶ丘に繋げとけ、俺がチャリで行く方が早いっ!!」
とにかく時間が惜しい。全力で漕ぐしかない。
急げば10分? いや、5分で行って山を登るしかない。
そこでハッと思い至る。
「神奈、警察はっ!?」
「っ!!? 私のバカッ!」
「頼むっ」
俺は俺で行くだけだ。
ストーカーだとっ? ふざけんなっ。神ヶ丘は中庭のベンチで日向ぼっこしてるのが似合ってんだよ。
こんな夕暮れ終わりかけで変質者に追い回されるなんて冗談じゃねぇぞ。
「あの野郎、何度目だよっ。今度こそ投げ飛ばす」
取ったばかりの黒帯がご破算になろうが知った事か。
「待ってろよ、いや、逃げててくれ無事でいてくれよ……」
祈るように言葉を吐いて俺はひたすらペダルをこぎ続けた。
ゼェゼェ……走り込み、増やそうかな。
長野公園の麓、見上げると上り坂の遊歩道が街灯に照らされている。
まだ警察が到着していない。
だったら俺が行くしかないってことだ。
「着いた瞬間に、ぶっ倒れるわけには行かねぇってのによ」
投げ出す足を阻む傾斜に毒づきながら俺はひたすら登る。
つづら折れの山道が今は嫌がらせにしか思えない。
「神ヶ丘っ!! どこだっ!!」
登りながら声を上げる。
全員気づけ、俺が邪魔だと思うんだったら俺に来い。
神ヶ丘が無事なら御の字だ。
だが、まるで気配がない。
公園部分までたどり着く。
何もない。
寂しくなった桜の木が並んで縁取り、無人の遊具がたたずんでいる。
もっと上かっ。
展望台だ。
閉店済みの売店の脇を抜けさらなる急勾配に立ち向かう。
この先には街灯なんて気の利いたものなどあまりない。
くそっ!! なんだよ。この高速山登り。
見えた。展望台。
なんだっ? 人影?
「神ヶ丘っ!! どこだぁっ!!」
着いたと同時に叫んでいた。
バキャッ!!
そして、横殴りの衝撃。
ひっかけられただけ。
おそらく最初はそれだった。
引きちぎれる制服、肩口から吹き出る血しぶき。
勢いのまま地面を転がる。
ガンッ
転がり過ぎて行き着いた壁にぶつかり、したたかに頭を打つ。
全身が痛むが、肩は痛いというより熱さに焼かれる感覚。
視界が揺れる。
光景が安定しない。
だが、居た。
そこにそいつは居た。
月を背に立っていた。
横なぎに振ったであろう右腕には赤い血が滴っていた。
ドクン……ッドクン……ッ
揺らぐ視界が、心拍と同期していた。
自らの鮮血を認めたことで、血の滴りを自覚する。
それは爪についた俺の血を嘗めとったかと思うと、何故かゆっくりと咀嚼して喉を鳴らした。
血を? あ、違う俺の肩えぐられたんだな。
その部分だけ他人事のような思考が巡る。
しかし、頭の冷めた部分は静かに絶望を叫ぶ。
あれはヤバイ。どうしようもない。
全身が警告している。
月光の下に映える人影。
小柄な女性の姿をしていた。
長い髪が逆立ち揺らめいていた。一見すると異様な光景なのに月明かりに浮かぶ人影はこの世ならざる美を描いているようにも見えた。
特徴的なのは眉間から突き立った、角のような二房……髪だ。直感的に思った。魂さえ引き込まれるような生命力の瞬き。その吹き上がる生命力がその二房を角たり得させているのだ。
紅く輝く双眸がこちらをジッと見据えているのだ……と思う。
自信を持てないのはまともに景色が見えていないからだ。
先ほどの衝撃で視界はグワングワンと揺らいでいる。
逆光に遮られ影しか見えない。だが、その存在感だけは意識をつかんで離さない。
「お、に……」
思わず口を突いて出た。
鬼だ。
他に言葉が出てこなかった。
余りにも非現実的な存在。
しかし、他にそれを表す言葉を持たない。
それ以外にないのだ。
美しくも、恐ろしいその影を指す言葉が。
「グゥ、ガ…ァ、タ……」
唸るような声。
同時に俺は悟る。
ダメだ。あれはダメだ。逃げてくれ。
「神ヶ丘……逃げ……ろ」
思わず零れる。
まだ行方が分からないあいつはどこに居るのか。
警告しないと、逃がさないと。
そう思った時だった。
ザシュ!!
影は俺に背を向けて虚空に飛び上がった。
「え?」
そして、そのままどこかへと遠ざかる。
「え? あれ?」
呆然と見送る俺に構わずそれは消え去った。
「は? はぁ、はあぁぁぁぁああぁぁ……」
力が抜けた。
危機は去った……のか?
「……つっ!」
血まみれの肩口が痛みを思い出す。
そうだった。俺は一撃もらっていたんだった。
グラグラに揺れていた視界も多少なりと落ち着いてきていた。
だが、『まだだ』俺は意識に鞭を入れる。
「神ヶ丘は……? どこだ?」
改めて周囲を見回す。
姿すら確認できていないのだ。
ストーカー野郎に追われて逃げているのに、あんなのまで……。
現実離れした状況だろうと、俺がやるべきことは決まってる。
あのクソ野郎や鬼から神ヶ丘を守ることだけだ。
柵に手をかけて無理に立ち上がる。
「あ……」
展望台から下の景色にそれは在った。
「なんだ……これ?」
歯を食いしばり、一瞬で全身から血の気が引いた。
そこは血の海という言葉以外出てこない惨状。
地面に鮮やかな血の花が咲いていた。
そして、花の中心には人間だったらしい肉塊が転がっていた。
それ自体はわかる。落下したならば。
だが、それは……展望台から10メートル以上は離れた向こうにあった。
「え?」
地面から虚空を見上げている頭部と目が合った。
「なぁっ……!?」
見覚えがある。
こいつ……神ヶ丘のストーカーだ。
「の、やろう」
落ち着いてきた視界と意識を整える前に怒りが吹き上がりそうになった。
元凶の存在が俺の理性を焼く。
死体に変わったそれに対する感情よりも、神ヶ丘を追い詰めたそいつへの怒りが勝った。
ガクンッ
そして、全身から力が抜けた。
「あ……」
色々限界だった。
あのクソ野郎だけはこれ以上何かをすることは無い。
それだけは安心材料だが、後は何もかも訳が分からない。
瞬間
ドンッ!
衝撃が耳をつんざき、全身を揺らす。
それは背後。振り返る。
居る。
「GyAgAaaaaaaaOOOoooo!!!」
咆哮。
天に吠える獣。
凄まじい生命力を有する影。
先ほども目の当たりにした怪物。
俺は今度こそしっかりと目視していた。
女の姿をしていた。
髪が逆立っていた。
眉間の二房は角のように屹立していた。
いっそ美しいとさえ思えた。
その両の瞳が一際紅く輝いた。
力が抜ける。
さっき感じた絶望が再び全身を貫く。
鬼は俺ではなく、派手に血の花を咲かせた死体に視線を向けた。
ザッ!
目で追えるような速さではない。
だが、俺の横を通り過ぎて、そいつはストーカーの死体を咥え、飛び立った。
「何だよ……あれ。忘れもん取りに来たってのか」
再び視界から消えていく暴力の化身。
月下に彷徨する鬼影を見送った。
ちくしょう、厄日だ。
どこか遠くにファンファンというサイレンの音が聞こえる。
麓では赤色灯が遅まきながら集まってくるのが見えた。
「これどうすりゃいいんだろうなぁ……」
もはや途方に暮れるしかない。
展望台で呆然と壁にもたれこむしかなかった。
動くのはさすがにしんどい。
「千早……」
思わず名前で呼びかける。
届かなくても、どうか無事でいてほしくて。
いまだに安否のわからない神ヶ丘が気がかりでならないが、身動きを取るだけの気力も体力も残っていない。
カン…カン…。展望台の階段を靴音が鳴らす。
思わず身構えながら視線をそちらに向けると。
「くすの、き…くん?」
声が聞こえた。
それも聞きなれた声だ。
思わず全力で凝視する。
居た。普段は束ねているはずの髪は髪留めが無く、制服の一部は薄汚れ場所によっては裾をひっかけたように破れ、靴は片方だけ脱げていて……。
必死の逃亡劇が窺い知れる惨状だった。
けれど大きなけがをしているようには見えない。
思わず安堵のため息をつく。
「神ヶ丘……よかった」
「楠木君……たく、み……巧ぃ……」
涙ぐんだかと思うとぼろぼろと涙がこぼれている。
ったく、泣き虫かよ。
「うぇ、うええぇぇぇえぇぇぇぇぇぇ」
足をもつれさせつつ俺のところに駆け寄り、思いっきり抱き着かれる。
いつつつっ、肩は痛いが我慢できないほどじゃない。
髪留めを失い、ほどけた髪が目の前で揺れている。
「こわかったぁ……怖かったよぉ……」
荒い息遣い。伝わる震え。
押し付けられた衣服にジンワリと涙がしみこむ感触。
見慣れたかわいらしい顔は泥で薄汚れていたものの、本来持つ彼女の魅力を損なうことは無かった。
生きてる。とりあえずそれでいいよな。
俺の胸で泣いてる神ヶ丘を見て、ここまで来たことは無駄じゃなかったと思うことができていた。
……抱きしめるだけの度胸は俺にはなかった。
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「消えた、だと?」
漆黒の大型バイクを引き出そうとしていた男は動きを止めていた。
「あれほどの鬼気が……」
顔を覆っていたフルフェイスメットを持ち上げ、背中に伸びる髪がわずかに巻き上げられる。
鋭い眼光ははるか遠くの月を見るように南の空を見ていた。
「……今さら間に合わんのは当然だが、捨て置くこともできんな」
黒い皮ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出しコールする。
「なんですかぁ先輩、こんな時間に」
「萱島樟葉、仕事だ。大阪南東部で絡んでそうな事件が上がって来次第にまとめてくれ」
「え? あんな平和そうなところでですか」
「こちらの都合は関係ない、だろう」
「そりゃそうですけど」
再び月に目を向ける。
物言わぬ月は全てを見守るだけだった。
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