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第六章 その参 渇望 求め止まざる

千早鬼との戦いの場を、神奈の目の前から引き離した誠司郎。

滝畑ダム堤頂に場を移し、狩りを行うことになる。

一方その頃、巧達は……。

「ココナラバイイダロウ」

 満月がダム湖の湖面を照らす。

 巨大なダムが夜闇に佇んでいる。

 大きく弧を描くコンクリートの堤頂。

 二体の鬼が相対していた。

「グルRuウuウUゥゥゥUウゥ……アアァァ」

 薄青色のワンピースが月光に揺らめいた。

 紅い双眸はさらに輝きを増している。

 相対する蒼眼の黒鬼は静かにたたずむ。

「アマミカンナニ ワビネバナ……」

 今から結界を張り直す余裕はない。

 この場に引き留めるのは誠司郎の体一つのみ。

 ギラリと抜き放った刀剣の如き眼光。

「イマノゼンリョクデ アイテシテヤロウ」

 ビリビリと大気が鳴動する。

 音にならない音が湖面を揺らし、さざ波が月光を弾ませる。

「ユクゾ」

 一声発し、姿が掻き消える。

 音も置き去りにしたような瞬間移動。

 誠司郎の右腕が千早の体をかすめる。

 薄青色のワンピースが僅かに切り裂かれていた。

 さらに数合、拳が爪が蹴り足が交錯する。


 ゴガッゴォンッ


 まとまった一音となって周囲の空気を揺るがした。

「デキレバ アマリキズツケタクハナイガ」

 誠司郎の脳裏に、泣いてすがった神奈がよぎっていた。

「アマリ トモヲ ナカセルモノデハ ナイゾ」

 ふと鬼千早がダム湖に背を向け遥か彼方に視線を向けていた。

「?」

 謎の挙動、警戒は解かない。むしろ攻め手を探す。が決め手に欠ける。

 鬼の少女は誠司郎に向き直っていた。

『来るっ』

 瞬間、既に接敵している。

 再び攻め手の打ち合い。受ける。弾く、躱す。

『酩酊が収まるまではまだ時間は要る。鬼狩りに連戦など通常ありえんからな』

 意識は戦闘を見据えている。

『確かに連戦に対する懸念はあった。だが、実際に体験してみると想像以上に厄介だ……』

 通常の鬼狩りでさえ、集中を切らせば暴走の火種となる。

 《獲り込み》の影響は無視できない。

 誠司郎だからこそ、影響を受けながらも鬼狩りを発動し、戦うことができているともいえる。

『妙だ……殺気が薄い』

 攻撃に対する違和感。

 殺すものではない、狙いが別にある?

 瞬間、猛然とした踏み込み。

 渾身の一撃が来る。衝撃に備える。

「ナニ……!?」

 誠司郎の服の一部を引っ掛け……「誠司郎を投げ捨てた」。

 ダムの堤頂部。その堤高は60メートルを超える。

 誠司郎の肉体が虚空を舞っていた。

 鬼の肉体をもってすれば高さそのものは致命的ではない。

 浮いた瞬間。


 ゴガァッ!


 ダメ押しの蹴り上げが入る。

「ヌォッ」

 堤頂部から更に高さを稼がれていた。

 浮き上がる数秒、そこから落下への数秒。いかに鬼狩りと言えど。

『動けん』

 虚空では鬼の膂力など無力。

 そして千早はそのまま身を翻す。

『逃げる気かっ』

 ほんの数秒の落下時間。

 ここに戻るまで更に必要な時間。

『最小限に留める。どこに行くっ見極めろ』

 自らに最低限度の仕事を課す。

 月夜に消え去るその姿をただ目で追いながら、虚空から重力に引き落とされていった。


 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆


「頼む⋯⋯状況、教えてくれないか?」

 神奈の両肩に手を添えてゆっくりと確認する。

「巧ぃ……巧ぃ、千早が……千早が殺されちゃう」

 神奈は相変わらずしゃくり上げていて何もしゃべれそうになかった。

 不穏すぎる言葉に思わず気が急くが、どうすればいいか迷うしかない。

「私から良いですか?」

 横合いから声がかかった。

「萱島さん」

「正直驚きました。自然覚醒した鬼の傍に居て動ける程度に無事なんて」

 言いながら俺の首筋に視線が向いていた。

 あぁ……完全に無事とは言えない。かなり危うかった。

 実際、俺は千早に喰われかけている。

 だが、俺はまずある単語に引っかかっていた。

「自然覚醒した鬼?」

 改めて俺の目を見ながら萱島さんは続ける。

「『発生』した鬼を指します。命の危機、限界以上の激情に駆られた者が覚醒を経て『発生』に至ります」

 萱島さんは一瞬、瞑目する。

「覚醒直後の鬼は強烈な食人衝動によって直ちに人を捕食します。そして、以降は人を『食物』と認識する、共生できない存在になります」

 ゴクッと息を呑む。それはそうだ。いつ自分を食べようとするかわからない。しかも、彼女の話から考えれば、鬼とは『既に実際に人を喰い殺したことのある存在』である。共生できるはずがない。

「今回の状況はほとんど奇跡です。確認しますね。神ヶ丘さんは楠木君を自分の意思で見逃したんですね?」

 俺は頷く。

 あの時、千早は明らかに俺を食べようとしていた。しかし、衝動に抗って俺を残して立ち去ったのだ。

「凄まじい精神力だと思います。食人衝動は強い快感と多幸感を伴うため抗しがたいと言われています。時として自身の恋情さえも調味料に成り果てます。……実際そのような例はいくつもありますので」

 そうだった。眼の前で千早は幸せそうに笑ってさえ居た。

 欲望の赴くまま進めば俺の全てが確実に千早の胃袋の中に収まっていたはずだ。

「ですが、奇跡はそこまでです。鬼の食人衝動は尽きません」

 萱島さんは静かに瞑目していた。

「私たちが日々の食事を断つことができないように、無限の食欲に、抗うことなど誰にもできないのです」

「理屈はわかったよ。でも、それを踏まえたうえで俺のやりたいことをやらせて欲しい」

「⋯⋯楠木君、事態はもう普通の高校生がどうにかできるものではないの」

「俺の命は千早に守られたんだ。千早が望んだから俺は今ここに居る。だから、俺の全ては千早のために使いたいんだ」

 俺は真っ直ぐに萱島さんを見据える。

「⋯⋯あぁ、もう本当に良い男の子、神ヶ丘さんが好きになるのも仕方ないわね」

 静かにため息をつく。

「だからと言ってあなたに何かをさせる気はありませんよ」

 一切退かないという硬い意思がその目にあった。

「萱島さん……そこを曲げてもらうことは」

「できません。私は鬼狩りの一員である前に一人の大人としてあなたの命を危険にさらしたくありません」

 そこで小さく目線を切る。

「……あの娘が、そこまでして守ろうとした命なんですよ……」

 眼鏡の向こうの瞳が潤んでいた。

「私はあれほど気高く、愛する相手を守った人を知りません。覚醒直後⋯⋯最初の捕食対象は、むしろ、恋人や伴侶が犠牲者として選ばれます。あなたが今生き残ってるのは本当に奇跡なんです」

「千早がくれた奇跡だ」

「……これは長続きする奇跡ではありません。だからこそ、私はあなたを行かせません」

「巧……」

 泣き腫らした顔でへたり込んだままではあったが神奈が呼びかけていた。

「大丈夫か?」

「……巧、どうしよう千早が追矢って人に殺されちゃう。あの鬼みたいに……」

「神奈?」

「あの人、とんでもなく強いの⋯⋯、あの人も鬼で、鬼を喰う鬼で⋯⋯その鬼が夕方の鬼をあっという間にやっつけて⋯⋯今度は千早を」

 どんどん出てくる初出情報の山に俺は訳がわからなくなる。

「いや待て、流石に意味がわからん」

「追矢誠司郎は全ての鬼を仕留めます」

 萱島さんはハッキリと宣言する。

「それがあの人の、一族の業であり、覚悟です」

「鬼を喰う鬼って⋯⋯」

 俺の問いかけに萱島さんはしばし頭を抱える。

「あの人が、唯一あらゆる鬼を狩れる理由です。それ以上は言えません」

「⋯⋯俺は千早を殺させたくない」

「駄目です。彼女はもう止まりません。覚醒があそこまで進んでしまった以上、食人衝動は収まらない。遅かれ早かれ人を喰う存在となってしまいます。⋯⋯あなた達は、悪夢を見たと思って未来を向いてください」

「その前にっ! 最後の決断をするのは良い。でも、その前に俺は千早に会いたい」

「⋯⋯見ないであげてください。思い出の中の綺麗な彼女で居させてあげてください。彼女にとっての残された幸せ。最後の時間を幸せに過ごしたあなたの中の千早さんに鬼の姿を焼き付ける訳にはいかないんです」

 そうだ。あの時、千早は「見ないで」と叫んでいた。

 あぁ、そうか。俺に見られたく無いよな。

 そう思ってくれるんだよな。

「彼女と同じ女として言うわ……お願いだから見ないであげてほしいの。多分、それが一番彼女を傷つけることになるから」

 だからこそだ。

「俺はまだ千早に伝えきれてない」

「巧?」

「楠木君?」

「俺が、俺が今、どれだけ千早が好きで、千早を求めていて、千早に求められたいか。まだ千早に伝えきれてない。どんな千早だって、俺は」

 拳を握りしめる。

「巧、あんた……何する気?」

 神奈の声にわずかに力が戻っていた。


「miツKeタ……」


 その時だった、声なのか、動物的な唸りなのか境界が曖昧な声。

 影が射し、満月を背負う人影が降り立つ。

 ガシャァアッ!!

 轟音と共に振動が周囲を震わせる。

 萱島さんが最も近かったため最も影響を受けている。

 眼鏡が吹き飛び、自身も近くの大木まで跳ね飛ばされていた。

「う、く……」


「アアアアアアAアァァaaァァっ!!」


 両手を広げ天に向けて咆哮する。

「千早……」

 思わず名を呼ぶ。

 千早だった。薄青色のワンピースを着た。小柄な女の子。

 その髪は逆立ち虚空をのたうっている。紅く輝く双眸は天を見上げた後、まっすぐ俺を見た。

 欲望に歪む形相、欲しいものを目の前にした獣のような気配があった。

 赤く汚れた口元には堪えられないようにヨダレが垂れ、荒い息使いが耳をつく。

「そんな……そんな」

 神奈がみるみる青ざめ、口元を手で押さえている。

「千早なのに……千早、なのに……」

 とめどなく涙が溢れていた。

 あの大人しい少女の面影そのままでありながら、その佇まいは人の枠から外れていた。

「アァ……ミツケタ」

 一瞬、微笑んだように見えた。

 紅い双眸がひときわ輝いていた。

ついに千早と再会です。

千早は鬼と化しても求める者は愛する巧ただ一人。

愛情さえも快楽と変える鬼の衝動が千早を野獣のような姿へ変えています。


巧の真骨頂はこういった鉄火場で一歩も引かないところにあります。

これは序章から変わらず持っている彼の特性です。

果たして千早に彼の声は届くのか?


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