第六章 その弐 道標 求め駆け抜け
追矢誠司郎は駆ける。
鬼の悲劇を終わらせるため、彼にできることは鬼に落ちたものを屠ることだけ。
『せめて、友の心には思い出のままで……いてやってくれ』
蒼眼の黒鬼はすべてを終わらせるべく、鬼……神ヶ丘千早だったものへと対峙する。
ザァッ!
キャンプ場の道を黒ずくめの男が疾走している。
『やはり、さっきの《獲り込み》の影響は不可避か……』
自身の状態を確認する。
鬼の《獲り込み》はノーリスクではない。短期的ではあるが酩酊状態に至る。
鬼狩りの制御能力にも少なからず影響が出ることは避けられない。
かと言ってあの場で、あの状況下で鬼の死体を放置することなどなおさらあり得ない。
何の処置もせず放置すれば残留した鬼気が周囲を侵していく。一地域で鬼は一体。二体同時に処理する事が稀にあるが、潰し合いに介入した場合など特異事例に限られる。原則、次なる鬼など出てこないのが鬼狩りの定説なのだ。倒した鬼は直ちに処理しなければならない。
『《成る》事はできるだろうが……全力には遠い。7割? いや、下手すると5割だな』
視線はまっすぐ、鬼気のある方向へ。
『あの日感じた鬼気、間違いない。この強大さは確定だ』
敵は強力、自身は弱体化、碌な状態ではないが。
『いずれにしろすべきことは変わらん』
腰の小太刀に右手を添え、左手は戦闘に備え動きを確認する。
ふと脳裏に先ほどの少女がよぎった。
泣きながら「やめて」と止める少女。友人を想い涙する姿。
『……いつも通りだ。全て背負うだけのこと。俺には葬ってやることしかできん』
「アアアァアァッァァァァァァァァッ!!」
たどり着いた先には――薄青色のワンピース姿で、少女の姿をした鬼。
長い髪は悉く逆立ち、こめかみにはひときわ特徴的に屹立した二房。
鋭く尖った爪と牙が、大人しい少女の面影を完膚なきまでに破壊していた。
天に向かって吠える姿が理性の喪失を物語っていた。まるで哭いているようでもあった。
そして……その口元には鮮血がこびりついていた。
『あぁ、そうだとも……俺が動けるのは、全てが手遅れになってからだ』
そして、少女の形をした鬼は肩越しに誠司郎へと視線を向ける。
紅く輝く双眸。覚醒者特有の眼光だった。
理性の抑制が弱まり、欲望が増大する。かの状態に至るには苦痛や苦悩への強い耐性が必要だが、この段階となると捕食の快楽に対する抵抗が必要となる。
そして、自然覚醒においてそれに抵抗することはできない。
結果は、「傍にいた人間を喰い殺す」である。
彼女の口についた鮮血が誰のものであるかなど、この場に彼女しかいないことで明白だった。
「グゥゥゥウゥゥゥゥゥウ……ッ」
獣のような唸りを発する、その容姿に面影があることがむしろ凄惨でさえあった。
「……苦しませるつもりはない」
静かな瞳がまっすぐに千早だった鬼へ向けられる。
「神ヶ丘千早だったモノよ。俺はお前が多くの人間に想われていたことを胸に刻む。僅かでも安らかに……その悪夢を終わらせる」
誠司郎の全身が震え、空間が弾ける。
その髪がザワリと逆立ち、牙と爪が伸び、『鬼狩り』が解放されていく。
「ォオォオォォオォオオッ!」
異形と化した黒い影は蒼眼を正面に向ける。
解き放った鬼気は正面の鬼を挑発するのに十分な威力を持っていた。
「セメテ……」
目の前の鬼に相対し、身構える。
『せめて、友の心には思い出のままで……いてやってくれ』
鬼が向かってくる。凄まじい勢いで。
同様の異形と化した千早が黒き鬼と交錯した。
ゴォッ!!
爆撃のような轟音が炸裂する。
千早の体当たりを受け止めた誠司郎が、そのまま吹き飛ばされてコテージの一つが粉砕した。
「ク、ヤハリナ……サッキノ 『オツ』トハ ケタガ チガウカ」
蒼眼の鬼が瓦礫を押しのけて現れる。
「チカラダケナラ バンゼンノ オレヲ コエルナ……」
顔に手を当てたのち、その手を確認する。
鮮血が付いていた。
鬼狩り・誠司郎に傷をつけた。
乙鬼が一切突破できなかった鬼の防御力を、千早はただの一撃で貫通していた。
「ヤハリ ツヨイナ。ダカラコソ、カラセテモラウ」
両手を胸の高さに上げ、正面を見据え構える。
「コレイジョウハ、オレガサセン。オマエノ 『アクム』モ オレガセオオウ」
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「う、そ……」
神奈の目に入ったのは、今日ずっと見てきた薄青色のワンピース。
千早の清楚な雰囲気にマッチした可愛らしい装い。
見るも無残に泥に汚れ、所々が引きちぎれている。
彼女の日常を象徴する麦わら帽子はなかった。
長い髪は逆立ち、伸びた爪と牙。そして屹立する二房の髪。
紅い双眸。
その特徴は先ほど駐車場で見た乙鬼とまったく同じもの。
だが、最も異なっていたもの。
口が血で汚れていた。
喰った。何を? 誰を?
千早は誰と居た? 何故、巧はこの場に居ない?
「うそ……」
力なくその場でへたり込む。
「うそよ……」
涙が溢れてくる。
-さっきまで、無邪気に笑っていたのよ。
-私が初デートするときは巧と二人で追いかけるって言ったじゃない。
-ついさっき「良かったね」と祝福して、両想いになった事を喜び合ったはずなのに。
「ち、はや……千早ぁ……やだ。やだよこんなの……巧ぃ、助けて……助けてよぉ」
人を凌駕した獣同士の衝突を前に、神奈は力なく蹲るしかなかった。
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『萱島樟葉は天見神奈の引き留めに失敗したか……』
戦いの最中、余り意識を横に向けるわけにはいかない。
しかし、それを無視することはできなかった。
『余りに事態が急転したからな。致し方ない……できれば見せたくなかった』
誠司郎は静かに焦る。
『厄介だな』
純粋に厄介だった。
『流石に予想以上だ。まさかこれほどとは……万全であっても梃子摺るのは確実だ』
正面にいる鬼の力に舌を巻く。
膂力だけならば万全の誠司郎以上、瞬発力も反応速度も現状の誠司郎を上回る。
「アアアアAァァアaァァァAァァァッ!!」
そして、徐々に人であった頃のタガがもう一段外れ始めている。
その力が増せば増すほどに……彼女は思い出と乖離していくだろう。
それは……この場で見せるには余りにも。
くず折れた神奈を横目に誠司郎はある決断を下す。
「イイダロウ ナラバ……」
誠司郎が殴りかかった千早の腕を掴み取り。
全力で遠くに向かって投げ飛ばす。
「ケッチャクハ コノバデハツケヌ」
自身もすかさず投げ飛ばした方向に向かって跳び、後を追った。
月に照らされた闇夜を二体の獣が切り裂いていった。
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明かりのない暗がりを走る。
左肩は完治に程遠い。首筋は先程食い千切られた。
不幸中の幸いというか大きな動脈とかをやられた訳ではないようで出血は落ち着いていた。
「ちくしょうっ、俺、何もできてねえ」
ただ足を前に、前に。
そう言えば、この間も夜道を必死に走ったな。
あの時も千早を追いかけて。
だが、あの時と違うものがいくつもある。
ストーカーから千早を守る為に必死だったあの日。
ようやくだが思い至る。
千早の小さな言葉。「あの時も」
今なら分かる。あの展望台で、俺は紅い目の千早と出会っていた。
俺の「逃げろ」を聞いて逃げた。
俺が「逃げろ」と言った時、そこに居たのはあの「鬼」だけだ。
俺の手には麦わら帽子。今日一日、千早と並んで側にいた日常。
「千早……」
あの時とは違う。
俺が走る理由そのものが同じようで違う。
千早を守りたい。好きになった。両思いになれた大切な相手。
誰から守りたいのか、いや本質は変わっていない。
「俺は、千早を連れ戻すんだ」
あの時も今も、つまるところはそういう事だ。
俺が望んでいるのはあの少女が穏やかに微笑んでいられる日常ただ一つ。
そこに俺がいて、神奈がいて、学校に通って。時には喧嘩して、笑い合って。
そんな日々を千早と送りたい。
争う音が聞こえる。派手な破壊音、時折聞こえてくる獣のような千早の雄叫び。
『デモ、ダイスキ⋯⋯』
紅い双眸が流す涙を思い返し、俺は決意を新たにする。
「千早、俺は絶対にお前を諦めねぇぞ。お前は⋯⋯お前は俺の、俺だけの」
息が切れる。色んなところが痛い。ただでさえ肩の怪我は完治していない上に乙鬼に受けたダメージも残っている。おまけに千早がとどめを刺した。
ふと唇の感触を思い出す。
「俺は、千早を⋯⋯」
互いに緊張の頂点だった。けれどお互いを求める気持ちが一つになった。
アレは絶対に嘘じゃない。激しい感情の奔流があった。だから、千早は振り切れた。
あぁ、そうだ。俺は、俺は千早が欲しい。千早と過ごす日常、俺を好きだと言って飛びついてくる愛しい彼女を、絶対に失いたくないんだ。
視線の先に凄まじい勢いで遠のいていく2つの人影、そしてその手前に動かない2つの人影。
改めて動かない人影の姿がより鮮明に見えてくる。
一人は遠くに去った姿を見送って立ち尽くし、もう一人はへたり込んでいた。
へたり込んでいるのは⋯⋯神奈だ。
「神奈っ、千早はどうなってるっ?」
視認できる距離でようやく声を上げていた。
「⋯⋯え?」
神奈が泣き顔のまま俺の方へ振り返っていた。
隣の萱島さんは振り返って驚愕を体現した顔で固まっている。
神奈の視線は一度遠くに過ぎ去った何かへ向いた後、再び俺の方へ帰ってきた。
「あんた、なんで生きてるのよぉっ!!」
「今日二回目っ!?」
神奈の叫びに反射的に答えていた。
……あれ? 神奈、泣いてる?
なんか弱々しい泣き方だな、こんな神奈10年以上見てないぞ。
ひっくひっくとしゃくりあげながら俺にしがみついていた。
「巧ぃ⋯⋯私、私もうどうしたらいいか、わかんないよぉ⋯⋯」
神奈がへたり込んだままポロポロ泣き続けていた。
「あんた、なんで生きてるのよぉっ!!」(本日二回目)
巧君、ありえない生き残りを果たしました。
誠司郎にしろ、神奈にしろ、樟葉にしろ。
全員が全員千早の口元の血を見て「巧を喰い殺した」と思ってます。
特に鬼狩り二人からしたら、「この状況で喰われてない」例がありませんので確信しちゃってます。
それだけ、千早が衝動を堪えたことがあり得ない事態ということでもあります。
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