第五章 その参 萌芽 満月の口づけ
理不尽なまでの力で乙鬼を圧倒した鬼狩り・追矢誠司郎。
ついに鬼を倒したはずだが……。
「何なのよあれ……」
神奈が絶句していた。
余りにも圧倒的すぎる。
夕暮れ間際に見た戦闘でさえ人間離れしていた。
そして今も、『成る』前から鬼を相手に一歩も引いていなかった。
だというのに――。
『成った』後の誠司郎の力は、もはや言葉にできない。
「言ったはずですよ? 先輩一人で過分な配置だって」
「フゥウウゥゥゥゥ……」
全身の強張りを解くように、誠司郎を覆っていた生命力のほとばしりが静まっていく。
逆立っていた髪は一房、また一房と役目を終えたようにその身を地に向かって下ろしていく。
肥大化していた筋肉は元の大きさまで縮退し、本来の誠司郎の体格へと戻っていった。
「先輩、お疲れ様でした」
「……まだだ、片付けが残っている」
言って誠司郎は腰に下げた小太刀を抜き放つ。
ドスッ
そのまま乙鬼の死体に小太刀を突き立てた。
一度瞑目し、両手を柄に添えた。
ブワッと空気が押し出され乙鬼の肉体が黒い塵に変貌し、小太刀に吸い込まれていった。
小太刀を握る誠司郎の表情は変わらず真顔だが、かすかに脂汗が滲んでいる。
ほどなくして乙鬼がいた場所には何の痕跡もなくなり、小太刀を握った誠司郎だけが残った。
ゆっくりと立ち上がって周囲を見回す。
「今の所、鬼気による汚染は問題なさそうだな」
樟葉に対し小さく告げる。
「本当にお疲れ様でした」
労いの言葉に対し、誠司郎は軽く手を上げて応じる。
「妙だ……」
「どうしたんですか?」
「やはり想定より軽いな……あの時の――」
「……何やったの?」
独白のような誠司郎の言葉を遮り、神奈が短く問いかける。
「天見神奈か、後片付けだ。鬼の死体を放置すると下手すれば次の鬼を誘発する」
「……だから喰ったの?」
視線鋭く誠司郎に向け、短く告げた瞬間、場の空気が止まる。
「天見さん……」
「私にはあんたが鬼を喰ったように見えたんだけど」
「いえ、アレは鬼の影響を最小限に……」
「構わん。萱島樟葉」
誠司郎はスッと手を伸ばして樟葉を制する。
「天見神奈、お前の察しの良さに敬意を払い一つだけ教えてやる。鬼を狩り鬼を喰らい、それを糧に鬼を狩り続ける。それが追矢だ」
特に感慨もなさそうに告げる。
「人の代わりに鬼が燃料……って事ね」
「これ以上は何も言わん」
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「巧……私達、大丈夫かな?」
千早がポツリと不安を吐露する。
「千早」
「私、私ね……巧が居てくれれば怖くない。でも」
キュッと唇を引き結んで俺を見る。
「巧が居なくなっちゃうのだけは絶対にヤダッ!!」
涙で潤みながらも強い意志を持った目が俺をまっすぐに見ていた。
「大丈夫だ。俺は絶対千早の傍から離れない」
本気だ。俺は千早の傍から離れたくない。
最初は戸惑いが強かった。こんな可愛い娘が俺の事をなんて、都合のいい妄想だとさえ思っていた。
でも、今は俺は声を大にして言える。
俺は千早が好きだし、千早も俺の事を好きでいてくれている、と。
「分かってる。わかってるけど、でも、あんな、あんなのに……」
グッと涙を堪えているのが分かった。
「俺さ、千早と一緒にいることは全然不安じゃないんだ」
「え?」
「なぁ、千早、俺さ最初なんで千早があんなに俺のところに来てくれるの全然わからなくてさ」
「え? だって、巧だから」
まったく無邪気な言葉に俺は苦笑いを浮かべる。
「あのなぁ、千早は自分がどんだけ可愛いか自覚無いのか? ……俺はそんな娘に無条件に好かれるなんて、思ってもなかったんだ」
「そんなの……」
千早は少し考え込んで意を決したように俺の目を見た。
「ねぇ、巧は覚えてない? 受験の日に、パニックになってた女の子を助けたこと」
何故か去年の話が出てきた。
「え……?」
あった。確かに同じ日の受験生で、受験票をなくしてしまい泣きそうな顔で鞄を探していた女の子が居た。
俺はたまたま、その子が改札で切符を出した拍子に何かを落としたのを見かけていた。もしかしてと思い、声をかけて駅員さんのところまで連れて行った。
でも、その娘は確か。
「眼鏡かけて、お下げにしてたんだけど……」
「……え?」
「私だよ……。あの時は駅員さんのところに私の受験票が届いてて、私、ありがとうって言いたかったのに巧は『良かった良かった』ってニコニコしてさっさと行っちゃうんだもん」
「あー、いや、俺は大したことしてないし……」
「大したことだよっ。私、すごく心細くて、どうしたらいいかわからなくなっちゃってたのに……全部何とかしてくれた人が御礼もロクに聞かないでいなくなっちゃったんだよ」
「あー、うん。正直すまんかった」
俺の受け答えに千早はキョトンとした後、「ほんとしょうがないなぁ」と言いたげに柔らかく苦笑した。
「それもそれだけどね」
グイッと千早が前に出てくる。
「その後だよっ。入試が終わってからね。私、巧を見つけたの」
「え? あれ? あの後って特に」
「うん、巧は交通事故に遭いかけた子供助けて溝に飛び込んだんだよね?」
続きを先回りされて気まずい気分になる。
「……華麗に行きたかった」
思わず遠い目になる。
「うふふっ、でもね。何より巧がね……助けた男の子を当たり前に心配して、親御さんからお礼言われても『大したことしてない』って言ってたよね」
千早が眩しそうに俺を見ていた。
「私ね、あのとき思ったんだ。この人は、誰かが困ってたら当たり前みたいに助けちゃう人なんだなって」
「……そんな大げさな」
「うん、巧はそう言うと思った」
千早は嬉しそうに笑った。
「私にはできないよ。巧の言う『当たり前』。……だからね、私、巧のこと好きになっちゃったんだよ」
そして、上気した顔で俺を見る。
「その人がね……変な男に狙われて困ってるときに割って入ってくれたり、今にも殺されるかもって思った時に助けに来てくれたんだよ……」
まっすぐな瞳で俺を見つめていた。
「もう、心臓が壊れちゃいそうなくらい……好きだよ」
「……っ」
あまりにまっすぐな想いを向けられて、俺は何も言えなくなった。
沈黙がバンガローを支配する。
「もぉ……何か言ってよ」
小さく頬を膨らませる……微かに肩が震えていた。
「あ、いや、えと……それって俺からしたら当たり前で」
「その当たり前が当たり前じゃないから私は巧が好きなんだよっ」
俺は……本当に彼女が望むに足るのか……? その想いに応え続けていけるのか?
「……そっか、今ならむしろ、千早が居なくなる方が俺はよっぽど怖いよ」
「え?」
千早はキョトンとした顔をした後、一拍置いて顔を真っ赤に染める。
「ふぁっ……もうバカっ」
「はは……ごめんごめん」
「もうっ……巧は分かるよね? 私の気持ち」
「うん、今日になって、やっと分かったよ」
「バカぁ……私、ずっとずっと好きだったんだよ」
「ごめん……でも、ありがとう」
「……ぃいよ……私のことも好きになってくれてるんでしょ?」
「うん……えっと、まだどうしていいか分かんないけど……俺さ、千早の事を見てると絶対に放したくないって、自分のものにしたいってずっとそうしていたいって思っちまうんだ」
「え?」
「千早がどっかいっちまったらどうしようとか、俺を嫌いになったらどうしようとか……そんなことまで」
「……あぁ」
千早がうるんだ目を細めて俺の胸に頬を寄せる。
「嬉しいなぁ……」
「千早?」
「それって……巧が本当に私の事を欲しいって思ってくれてるんだよね? 誰にも渡したくなくて自分だけのものにしたいって、そう言ってくれてるんだよね?」
頬を上気させて、食い入るように俺を見つめて。
「あ、あぁ……その困らないか?」
「私もだよ……私も巧が欲しいの」
潤んだ瞳が俺を見つめている。
「巧が欲しいから。絶対誰にも渡したくないし、私を巧に独占してほしいの。他の誰でもなくて巧だけの私にしてほしい……」
見上げてくる千早はその可愛らしい唇を差し出し、瞳を閉じる。
もうお互いに分かっている。俺たちは互いを求めている。
その求めの答えを千早が示してくれていた。
互いの唇を重ねた。
月光射し込むバンガローの中で、俺たちの影が重なり合っていた。
どちらともなしに手のひらを重ねる。右手と左手が重なって互いの指をしっかりと絡め、握りあう。
放したくないと感じる。
重ねたままの互いの唇、薄く目を開けると千早も同じようにこちらを見ていた。
愛しい
わずかに紅く見える溶けそうな視線。気持ちが重なり混ざるような錯覚。
抱きしめた体は小さくて、それでいて確かに存在していて。
そのまま溶けて混ざりたくなるような衝動に駆られる。
ふと、千早の瞳に微かに紅みがさした。
唇が離れる。熱い余韻が鼓動の強さに乗る。
手を一度放して千早は俺の首に抱き着く。
「あぁ……たクミ……」
とろんと蕩けたような表情と声で、千早は首を強く抱きしめて唇を首筋に寄せる。
暖かい息がかかっていた。
「千早……」
唇が首筋に触れる。
カプ……
白い歯が俺の肌に触れているのが分かった。
甘噛みされるとは思ってもみな……。
ブチッ
あれ?
俺の首から熱さを感じた。
痛みというより熱さだった。
噴き出してくる。
何が?
鮮血……?
チラと横目で見ると千早が口を赤く濡らし、俺の血を熱心に舐め取っている。
そして、何かを食いちぎってゆっくりと咀嚼し始めていた。
え?
「アァ……」
陶酔した瞳、満面の笑みは妖艶さをたたえ、上気した頬は可愛らしささえある。
だがその口の周りは俺の鮮血で赤く染まっていた。
「ホシカッタ……ズット……ワタシノ、ワタシダケノ、セカイデヒトリダケ……オイシイ…オィシィ……」
千早の双眸が紅く輝く。
俺はその紅い輝きを知っていた。
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「これは……」
誠司郎が半ば呆然とバンガローの方角を見ている。
そこから放たれたものを彼は知っていた。
「萱島樟葉」
「は、はい」
「パターンBだ。天見神奈を頼む」
樟葉が一瞬で青ざめる。
「わかりました。そちらはお願いします」
苦し気な表情から放たれた、冷静な声が夜闇に吸い込まれていった。
ついにきましたっ!!
本編クライマックス。
今回のラストを書くためにここまで積み上げてきましたっ!
序章からに埋め込んできた仕掛けが火を噴くぜっ。
はい、序章からずっと仕掛けがあります。気になった方はチェックしてみてね♪
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