第051回
『Mikiko's Room(https://mikikosroom.com/)』で連載した、会津若松への旅行記(原題は「単独旅行記Ⅶ」)です。
この回のオリジナルは、↓のページに掲載しています。
https://mikikosroom.com/archives/49476652.html
なお、「小説を読もう!」では、写真を2分の1サイズに縮小して投稿しています。
フルサイズの写真は、上記オリジナルページをご覧下さい。
特に断りのない写真は、わたしが撮影したものですので、ご自由にお使いください。
なお、本文のみをまとめた総集編(後書きはありません)は、↓のページからご覧いただけます。
https://mikikosroom.com/archives/24257587.html
み「さすが、会津藩の家老屋敷ともなると、立派な玄関じゃな。
西郷頼母邸だけに……。
“たのもう!”」
ハ「言うと思ったわ」
み「この紋って、会津藩の紋?」
ハ「ちゃうやろ。
会津松平家なんやから、葵の紋やないんか?」
み「そしたらこれは、西郷家の紋?」
ハ「そういうことになるわな」
み「これって、なんていう紋?
ちょっと調べて」
ハ「ふむふむ。
どうやら“離れ九曜紋”言うらしいな。
“曜”は、日の光のことや。
それが、真ん中の丸を含めて、9つあるちゅうわけやな」
み「日の光が、何で黒いわけ?」
ハ「しゃあないやろ。
紋は、白地に黒で表すわけやから。
しかし、ヘンやな……」
み「何が?」
ハ「“離れ九曜紋”は、“細川九曜”とも呼ばれ……。
肥後熊本藩の細川家の独占家紋やと書かれとる」
み「西郷頼母って、肥後熊本藩の出なの?
Wiki引いて」
ハ「えーっと。
読み上げるで(出典⇒https://w.wiki/3cRZ)。
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西郷家は、室町時代に仁木氏の守護代を務めた三河国の名家であったが、やがて勢力を拡大させる松平家に臣従した。
その後、徳川政権下で御三家や有力譜代の家臣として存続し続けた。
そして会津藩における西郷家は その傍流の1つとして目され、初代の西郷近房以来200年余、会津藩松平家の家老を代々務める家柄であり、頼母で9代目となっていた。
家禄1,700石。
家紋は鷹の羽、また保科家の並び九曜紋を許されていた。
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とある」
み「じゃこれ、“並び九曜紋”とも言うの?」
ハ「並び九曜紋は、文字どおり……。
3つの丸が3列に、サイコロの目みたいに並んだ紋やな」
み「じゃ、なんで西郷家の玄関に……。
肥後熊本藩の細川家の紋が掲げられてるの?」
ハ「知らん」
み「きっぱり言うな!」
ハ「玄関前から、こないに時間使てて大丈夫なんか?」
み「あ、そうなんだった。
では、もう一度。
“たのもう!”」
ハ「“どーれ”」
み「こんなお姉さんが、そんなこと言うかい」
ハ「そしたら、なんちゅうんや?」
み「えーっと。
“お邪魔します”?」
ハ「それは、訪ねた方のセリフやろ!」
み「とにかく、こっからは上げてもらえないみたいだね」
ハ「藩主しか上がれんかったのやないか?」
み「説明書きがあった。
藩主しか上がれんとは書いてないぞ」
ハ「さよか」
み「そう云えばここって、公邸だよね。
代々の家老が、家老職にある間、住まったわけだろ?」
ハ「さっきなの説明、聞いとらんかったんかいな。
『初代の西郷近房以来200年余、会津藩松平家の家老を代々務める家柄であり、頼母で9代目』とあったやないか」
み「あ、そうか。
代々、西郷家からしか家老は出なかったんだ。
そんなら、公邸でもあり私邸でもあったってことだ」
ハ「そういうこっちゃ。
ちゃっちゃと、次行こうや」
み「ここ、さっき歩いてきた塀の裏っかわってことだよね」
ハ「そういうことになるな」
み「どんな部屋だったんだろ?
見られないのかな?」
ハ「この先で見れそうやで。
『順路』の矢印が出とるがな」
み「なんか、馬でも飼ってそうだけど……」
ハ「倉庫みたいなところやったんやないか?」
み「なんで、灯籠があるわけ?」
ハ「知らんがな」
み「駕籠部屋だって。
30kgか。
人を乗せたら、100kg近くになるよね。
担ぐ方は、大変だわ。
そう云えばさ。
嘘かほんとか知らないけど……。
江戸城に登城する家老は、常に駕籠をすっ飛ばして来たんだって」
ハ「何でや?
スピード狂か?」
み「有事のときだけ、駕籠を飛ばして来たら……。
何かあったってことが、江戸市中にバレバレでしょ。
だから、何にもないときでも、飛ばしてきたってわけ」
ハ「ほんまかいな。
痔主やったら、えらいこっちゃやで」
み「おー、案外、いい部屋じゃん。
なになに。
『独身で持ち家のない家臣が警備を兼ね住んでいた』。
“持ち家のない家臣”ってことは、次男や三男ってことかな?」
ハ「そうなんちゃうか。
実家で部屋住みしとるより、気楽やったんやないか」
■家紋
↓いきなり、Wikiから引用させていただきます(出典⇒https://w.wiki/4rfS)。
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家紋とは、個人や家族を識別するために用いられる日本の紋章である。
日本では、構造的な類似性に基づいて241種類の一般的な分類がなされており(1つの紋が複数の分類に属することもある)、5116種類の個別の紋が存在する(ただし、この分類に含まれていない失われた紋や無名の紋が存在することもよく知られている)。
●家紋のおこり
「源平藤橘」と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、それが後の名字となった。
家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強い。
●家紋の発展
その後、武家や公家が家紋を使用するようになった。
血統や元々の帰属勢力としていくつかのグループに大きく分けることができる。
それぞれが代表的な家紋とそのバリエーションで構成される。
その他、各地の豪族がそれぞれ新たに創作した家紋が現代まで伝わっているものもある。
●制限について
特別な紋章や場合を除いて、家紋を幾つも所有することは自由であったこともあり、墓地や家具、船舶にまで付けられるほどまでに広まる。
しかし家紋の使用に制限はなかったと言うが、他家の家紋を無闇勝手に使用してはそれなりの軋轢や摩擦が生じる。
特に大名や将軍などの、地位の高い家のものとなればなおのことであった。
そのため、他家の定紋は出来るだけ配慮して使わないこととする暗黙の了解があったとされる。
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昔は、文字を読めない人も大勢いました。
そういう人でも、家紋を見れば、どこの家かわかったわけです。
飾りのマークではなく、実用性もあったということでしょう。
自由とは云っても、最後の「制限について」にあるように……。
将軍家の葵の御紋や、天皇家の菊の御紋などは、使えなかったんでしょうね。
ちなみに、我が家の家紋は、「丸に蔦」です。
↑『家紋のいろは(https://irohakamon.com/)』さんのページから拝借(出典⇒https://irohakamon.com/kamon/tsuta/marunitsuta.html)。
↓同じページから、「丸に蔦」の解説を引用させていただきます。
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蔦紋とは、蔦の葉をモチーフとした家紋。
蔦はブドウ科の蔓性落葉樹で、木や岩、家屋に着生して生長する。
夏は黄色い花をつけ、秋には紅葉して美しい風情から古くから観賞用としても好まれた。
賞美的な意義と生い茂る性質から繁栄を願って家紋として使用されるにようになり、とくに武家の使用が多い。
また女性の女紋としてもよくみられる。
蔦紋は戦国武将の松永久秀や藤堂高虎の家紋としても有名で、使用家が多いことから十大家紋の一つに数えられる。
●蔦紋の使用家
椎名、高安、富田、松平、六郷、仁科、水谷、荒川、松井、橋爪、石川など
●蔦紋の使用地域
石川、新潟、富山、長野、千葉
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母の着物の喪服には、紋が入ってたと思いますが……。
最近はすっかり、タンスの肥やしになってるようです。
でもわたしは、着物の喪服、復活してもいいように思います。
昔のお葬式は、畳でしたから……。
着物の人は、ずっと正座してなければなりませんでした。
でも今は、ほぼ間違いなく椅子席でしょう。
座るのに苦労はないはずです。
トイレも洋式ですしね。
残念ながらわたしは、家紋の入った品を持ってません。
さりげなく家紋を使えるグッズって、何かありますかね?
ちょっと前なら、マスクとかもありましたけど……。
今ではもう、不要です。
男性なら、タイピンがありますよね。
プレゼント用にもいいかも知れませんよ。
↓アマゾンに「丸に蔦」のタイピンがありました。
https://amzn.to/4vPNd67
2,420円(税込)。
お手ごろです。
わたしがあげるとしたら叔父ですが……。
もう、ネクタイをすることはないようです。
でも、冠婚葬祭がありますからね。
ちょっと考えておきましょう。




