第050回
『Mikiko's Room(https://mikikosroom.com/)』で連載した、会津若松への旅行記(原題は「単独旅行記Ⅶ」)です。
この回のオリジナルは、↓のページに掲載しています。
https://mikikosroom.com/archives/49423522.html
なお、「小説を読もう!」では、写真を2分の1サイズに縮小して投稿しています。
フルサイズの写真は、上記オリジナルページをご覧下さい。
特に断りのない写真は、わたしが撮影したものですので、ご自由にお使いください。
なお、本文のみをまとめた総集編(後書きはありません)は、↓のページからご覧いただけます。
https://mikikosroom.com/archives/24257587.html
み「でーん。
いきなり、とうちゃこー!」
ハ「なんや、ここは?」
み「のぼり旗に書いてあるでしょ」
ハ「『会津武家屋敷』かいな。
なるほど、ここは会津観光には欠かせんわな」
み「来たのは、これで2回目なんだよ」
ハ「修学旅行か?」
み「いや、そんときは見学ルートになかった。
今から20年くらい前になるのかな……。
1度、車で会津に来たときに見たの。
ちょうど、季節も今ごろでね。
高速道路は怖いから、下道の国道49号で来たんだけど……」
ハ「なんで高速が怖いんや?」
み「磐越自動車道は片側1車線で、対面通行なんだよ。
高速でだぞ。
トンネルの中なんて、怖い怖い。
びゅんびゅんすれ違ってさ。
対向車に吸いこまれそうになる」
ハ「それは、運転者の資質の問題ちゃうんか?」
み「だから、そういうところは回避するの。
賢明だろ」
ハ「運転すること自体が、賢明やない気いする」
み「で!
下道を走ってきたわけ。
山の斜面に挟まれたみたいなとこがあってさ……。
タニウツギや藤が、その斜面のそこここに咲いてんの。
下の民家の庭には、桐の花。
冬がなければ、こういうところに住みたいと思った」
ハ「冬があるから、この季節がひとしおなんやろ」
み「ふう。
けっこう難儀な階段じゃった」
ハ「完全に運動不足や」
み「おー、見るところがこんなにある」
ハ「大人、850円やて。
お値段もなかなかやな。
み「あんたはタダですけどね」
ハ「すんまへんな」
み「さっきの看板に、所要時間1時間ってあったよね。
そんなんで回れんの?」
ハ「ここの見学、どのくらいの時間、みとんのや?」
み「ジャスト1時間」
ハ「もうちっと、余裕みて計画立てたれや」
み「ぶつくさ言ってないで、さっそく、ゴー」
ハ「そっちが言っとんのやろ」
み「いろいろ書いてあるけど……。
省略!」
ハ「いきなり省略かい!」
み「さっきの絵図面見たら、気が急く」
ハ「1度、来とんのやろが?」
み「あんときは日帰りだったから……。
見学時間は、もっとタイトだったと思うんだけどね。
まったくもって、その記憶がない」
ハ「こりゃあかんわ」
み「なんじゃ、これは?
縄文遺跡か?」
ハ「そんなわけあるかいな。
入口で、パンフレットもろたやろ」
み「なるほど。
ふむふむ。
『旧中畑陣屋』だな。
県指定重要文化財とある。
建てられたのは、1837年。
東北に残る最後の代官所だって」
ハ「縄文遺跡とはエラい違いやがな」
み「よし、ここはもう見た」
ハ「見てへんやろ!」
み「次、次」
ハ「端折りまくりやで」
み「よし、順路は間違ってない」
ハ「最初から間違うてどうすんのや」
み「この塀の内側が、メインイベントの家老屋敷みたいだ。
しかし、長い塀だな。
雪かきが大変だぞ」
み「これ、当時の石かな?」
ハ「そうやないんか?」
み「サイズが揃いすぎてる気がする」
ハ「確かに、エッジが綺麗に通っとるな」
み「あ、石なんか見てるヒマなかった」
ハ「忙しないやっちゃ」
み「げ。
いきなり柔道。
なぜじゃ?」
ハ「パンフレットに書いたあるやろ」
み「……。
西郷四郎の像だな。
へー。
『姿三四郎』のモデルになった柔道家だって。
家老だった西郷頼母の養子」
ハ「どういう経緯や?」
み「養子だけに……。
よう知らん。
次、次」
ハ「ダジャレでしまいか!」
■西郷四郎
本編で端折ってしまったので、補足します。
↓例によって、Wikiからの引用です(出典⇒https://w.wiki/S6LS)。
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西郷四郎(さいごう しろう/1866(慶応2)年3月20日(旧暦2月4日)~1922(大正11)年12月22日)は、日本の柔道家、弓道・泳法指導者。
講道館四天王の一人。
富田常雄の小説『姿三四郎』のモデル。
【来歴】
会津藩士・志田貞二郎の三男として若松に生まれた。
3歳のときに戊辰戦争を逃れるため家族で津川(現:新潟県阿賀町)に移住。
16歳の時、元会津藩家老・西郷頼母の養子となり、福島県伊達郡石田村(現:伊達市)の霊山神社に宮司として奉職する頼母に育てられた。
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養子になった16歳は、1882(明治15)年ですね。
西郷頼母は、1903(明治36年)年まで存命してます。
Wikiには、さらに長文の解説がありますので、ぜひ読んでみて下さい。
『姿三四郎』で有名になった必殺技「山嵐」は……。
実際、西郷四郎の得意技だったそうです(本編で、銅像が掛けてる技です)。
嘉納治五郎をして、「西郷の前に山嵐なく、西郷の後に山嵐なし」と言わしめるほどだったとか。
↓Wikiから、「技の掛け方」を引用します(出典⇒https://w.wiki/S6LP)。
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片方の襟と袖を掴み、上半身は背負って前に投げる動作、下半身は後ろに足を払う動作を組み合わせた形で(背負投と払腰の動作を同時に行う感じで)投げる技。
担いで、斜め後腰に乗せ、脚を払う(または、担ぎながら、脚を払う)様な形になるか、あるいは、外腹斜筋を伸ばす様な感じで投げる。
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さっぱりわかりません。
ところで、柔道ですが……。
みなさんは、格闘技としては、大した威力じゃないとお思いじゃないですか?
とんでもないですよ。
競技としての柔道は、柔らかいマットの上で行われます。
ポイントとなるのは、相手を背中から落とした場合。
もっともダメージの少ない落とし方です。
なので一見、柔道技は、ストリートファイトなどでは役に立たないと思いがち。
でも、違います。
まず、足元。
試合はマットですが、ストリートでは違います。
硬いアスファルトです。
で、柔道家は、背中から落ちるようにしか投げられないわけじゃないんです。
脳天から落とすことだって、十分できるんです。
試合でそれをやったら、もちろん反則です。
でも、ルール無用のストリートで……。
そういう投げ方をされたら、相手はどうなりますか?
下はアスファルトです。
そこに、脳天から落とされれば、頭頂と頸に自分の全体重がかかるわけです。
ただじゃ済みません。
さらに柔道は、着衣で行われる格闘技ということも重要。
より、ストリートファイトの状況に近いわけです。
ほかの格闘技のほとんどは、上半身、裸ですよね。
繰り出す技も、裸の相手に対するものに特化されてます。
空手なども着衣ですが、ほとんど打撃オンリーです。
相手の道着を掴むことから始まる格闘技って、柔道くらいじゃないですか?
柔道家は、自分有利になるように道着を掴む練習、ものすごくしてますよ。
柔道家を相手にして、着衣を掴まれないようにするのは、ほぼ不可能でしょう。
そして掴まれたら……。
そのまま、アスファルトに脳天から落とされるんです。
柔道家と、路上で喧嘩するのは止めた方がいいでしょう。




