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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
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第63話 作戦会議

今日の話は長めです

第一次総攻撃が終わった夜、レクィエリアの王宮司令部には、まだ戦場の緊張が残っていた。


 城壁の外では帝国軍がいったん兵を引き、負傷兵や損傷した攻城兵器の回収を進めている。しかし、撤退したからといって戦争そのものが終わったわけではない。むしろ二十万人の兵を擁する帝国軍にとって、七万人を投入した第一次総攻撃が終わったというだけであり、後方にはまだ大量の兵が残っている。城壁の上ではこちらも被害を受けた箇所の確認や負傷者の搬送が続き、夜になったからといって兵士たちが完全に休めるわけではなかった。レクィエリア側も正規兵だけでは足りず、傭兵まで前線へ送り出したことで、明日の戦闘に備えて整え直さなければならない部隊は多く、戦いが終わったというよりも、次の戦いまでのわずかな空白が生まれただけという感覚の方が強かった。


 そんな中、俺はティアの執務室を訪れていた。


 ティアは王妃となってから、以前にも増して多くの仕事を抱えるようになっていた。王宮内の政務だけではなく、戦時下における各部局との調整、軍から上がってくる報告の確認、さらには王宮司令部で決定された事項を各方面へ伝える役目まである。しかも現在はエリシアを最側近として置いており、日常の細かな実務の多くは彼女へ任せていたため、ティアの傍にはいつも彼女の姿があった。戦争が始まってからというもの、俺もティアも以前のようにゆっくり話す時間は減っていたし、二人きりでいても軍の話や政務の話ばかりになっている。それでも、こうして直接顔を合わせる時間だけは、どれだけ忙しくても完全になくすことはできなかった。


 その夜は、珍しくエリシアを別室へ下がらせていた。


 俺が入室したことに気づいたティアが顔を上げる。


「こんな時間にどうしたの?」


 いつものように問いかけたものの、俺の表情を見た瞬間、ティアは言葉を止めた。これまでにも戦況が悪いときには何度も同じ顔を見ている。しかし、今回はそれとは違う。大きな損害が出たときに見せる、あの静かな表情だった。


「フェルディナン子爵が戦死した」


 俺が告げる。


 ティアは一瞬だけ動きを止め、それからゆっくりと目を伏せた。驚きはあっただろう。それでも、それを大きく表に出すことはなかった。王妃になったからというだけではない。戦争が始まってから、ティアもまた何人もの人間が帰ってこないことを知っている。フェルディナン子爵だけが特別だったわけではない。ただ、それでも彼は第四軍団を率いて港を守り、その戦いの最中に命を落とした。昨日まで生きていた人間が、次の日にはもういない。その事実だけは、何度戦争を経験しても簡単に慣れられるものではなかった。


「……港は?」


 最初に出てきたのは、やはり戦況についてだった。


「守られている。帝国軍の上陸部隊は退けた。輸送船も複数沈めたらしい」


「そう」


 ティアは小さく頷いた。


 その一言のあとに、短い沈黙が生まれる。フェルディナンの死を嘆くこともできたはずだが、二人ともそれを長々と口にすることはなかった。戦場で死んだ者を悼む時間が必要なのは分かっている。それでも今は、戦況を止めるわけにはいかない。フェルディナン子爵が戦死したという事実は重いが、帝国軍が止まるわけではなく、明日になればまた次の戦いが始まる。残された者には、残された者の仕事がある。


 俺は少しだけ視線を落としてから、もう一つの言葉を続けた。


「エリシアには、君から伝えてほしい」


 ティアは顔を上げた。


「私から?」


「ああ。今の彼女は君の最側近だ。王から直接ではなく、君から伝えた方がいいと思う」


 ティアはしばらく考えたあと、静かに頷いた。


「分かったわ」


 それ以上の言葉はなかった。


 やがてティアはエリシアを呼んだ。


 エリシアが入ってきたとき、いつもと変わらない姿だった。王妃の最側近として必要な書類を抱え、これから何か指示があるのだろうと待っている。その姿を見たティアは、一瞬だけ言葉を選んだ。


「エリシア、少し伝えなければならないことがあります」


「はい」


 普段通りの返事だった。


 ティアは、そのまま伝えた。


「あなたのお父上、フェルディナン子爵が戦死されました」


 エリシアの表情が止まる。


 ただ、それだけだった。


 顔色が大きく変わるわけでも、声を上げるわけでもない。ほんの数秒、ただ動かなくなっただけだった。抱えていた書類を落とすこともなく、目の前にいるティアの言葉をそのまま受け止めているように見える。


「……父が」


 ようやく出てきた声も、ひどく静かだった。


「港を守ったそうです。帝国軍の上陸部隊を退け、その後に負傷が深くなって……」


「そうですか」


 エリシアはそう答えた。


 その声には、王妃の側近としての平静さが残っている。だが、いつもなら次の仕事について確認するはずの彼女が、何も言わない。視線だけが少しだけ下がっている。何かを言おうとして、それでも言葉にならないのかもしれない。俺はその姿を見ながら、今ここで余計な言葉を挟む必要はないと思った。


「今日は、もう休んでもいいのよ」


 ティアがそう言うと、エリシアは一瞬迷った。


「ですが、明日の予定が」


「それは私が何とかします」


 エリシアはそれ以上反論しなかった。


「……ありがとうございます」


 それだけ言って、頭を下げる。


 扉が閉じた後、ティアはしばらく何も言わなかった。俺も同じだった。


 悲しみを表に出さないからといって、何も感じていないわけではない。


 ただ、今はそれを表へ出す必要がないだけだった。戦争の最中では、悲しむことすら後回しにしなければならないことがある。誰かが死ねば、その者の家族が悲しむ時間を待たずに軍は次の指揮官を必要とし、欠けた兵を補い、次の戦いへの準備を始める。今も同じだった。


          *


 翌朝、第四軍団の新たな軍団長が決まった。


 フェルディナン子爵の後任には、彼の息子、エリシアの兄が選ばれた。


 家督も同時に継承され、彼は新たなフェルディナン子爵となる。そして父から受け継いだのは爵位だけではなく、第四軍団を率いる責任そのものだった。父が戦場で倒れれば、その翌日には息子がその場所へ立たなければならない。爵位を受け継ぐことだけなら家の問題で済むが、軍団長の地位まで引き継ぐ以上、彼には戦場にいる何千もの兵の命まで背負うことになる。


 王宮司令部でその報告を受けた俺は、特に驚かなかった。軍団長を失った直後に空席を長く放置するわけにはいかない。家を継ぐ者が軍にいるのであれば、その者をそのまま軍団長に据えるのが最も早い。今は戦争の最中であり、手続きを整えることより、第四軍団をすぐに動かせる状態へ戻すことの方が重要だった。


「第四軍団はこれで動かせるな」


 俺の言葉に、軍務を担当する者が頷いた。


「はい。新フェルディナン子爵はすでに軍団内でも一定の地位を得ており、指揮系統に大きな混乱はないかと」


「ならばいい」


 俺は地図へ視線を戻した。


 戦争では、人間が死ねば、その空いた場所へ別の人間を入れなければならない。名前が変わっても軍団は動かさなければならないし、爵位が変わっても戦場は待ってくれない。そうやって戦場は、死者が残した空白を生きている者へ押し付けながら進んでいく。


 その冷たさを、俺は今さらながら改めて感じていた。


 そして、次の問題が持ち上がる。


 傭兵だ。


 第一次総攻撃では、正規軍だけでなく傭兵まで前線へ投入する必要が生じた。帝国軍の攻撃規模が大きくなれば、今後も同じことが起こる可能性は高い。ならば、傭兵をどこへ配置し、どのように運用するのかを決めておかなければならない。昨日はとにかく兵力を揃えることが優先されたが、同じことを繰り返すだけでは、次の戦闘で問題が出る。


 王宮司令部には軍務を担当する者たちが集まり、長い議論が始まった。


「城壁防衛に固定するのはどうでしょうか。傭兵なら正規軍の損耗を抑えられます」


「固定してしまえば、その区画が突破された際に立て直すのが難しい。傭兵は正規軍の指揮系統に完全に組み込まれているわけではない」


「ならば予備として後方へ置き、危険な場所へ投入するのは」


「それでは必要な場所へ移動させるたびに混乱する。夜間の移動も考えれば、正規軍より扱いにくいのは変わらない」


「それならば、城門のように守る場所が明確なところへ――」


 意見は次々に出た。


 傭兵を使わなければ兵力が足りない。しかし、正規軍と同じように扱えばいいわけでもない。忠誠の向かう先が金である以上、指揮する者への忠誠や国家への忠誠を前提として動かすことには限界がある。それでも、契約に従って戦う以上、命令を守る兵士も多い。問題は、正規軍のようにすべてを当然の前提として任せられるわけではないことだった。


 もちろん、傭兵だからといって必ずしも統率できないわけではない。戦う理由が契約であっても、命令に従う兵士はいる。だが、正規軍と同じ扱いをして同じ結果を期待するには問題が多かった。逆に厳しく扱いすぎれば、今度は貴重な戦力そのものを失う可能性もある。必要だから使う、しかし必要だからこそ雑には扱えない。その難しさが議論を長引かせていた。


「では、どうするのです?」


 誰かがそう問いかける。


 答えは出ない。


 危険な場所へ送れば損害が大きくなる。


 重要な場所を任せれば指揮の問題が出る。


 予備にすれば必要な場面で間に合わない。


 それでも使わなければ、正規軍だけでは兵力が足りない。


 どの案を取っても、別の問題が残る。議論が堂々巡りになり始めたところで、扉が開いた。


 伝令が入ってきた。


「報告です!」


 全員の視線が集まる。


「帝国軍の陣地で、損傷した攻城兵器の再建が始まっているとの報告が入りました。昨日破壊されたものを修理しているだけではなく、新たな攻城塔も建造している模様です」


 室内の空気が変わった。


 傭兵の問題が重要であることには変わりない。


 しかし、今その議論に時間をかけている間にも、帝国軍は次の攻撃を準備している。


 第一次総攻撃で帝国軍は攻城塔や梯子を大量に使用した。その多くが破壊され、あるいは損傷したはずだった。それでも敵は、すでに次の攻撃へ向けて動き始めている。俺たちが昨日の戦いを整理している間にも、帝国軍は同じように昨日の損害を整理し、そして次の攻撃に必要なものを作り始めているのだ。


「建造場所は分かるのか?」


「完全には。ただ、昨日より後方、帝国軍の陣地内で作業している場所がいくつか確認されています」


「警戒を強めるだけでは?」


 そう尋ねた者へ、別の者が首を振った。


「完成してから攻撃するのでは遅いのではないか?」


 その言葉に、何人かが黙った。


 完成した攻城塔を破壊するのは難しい。


 帝国軍がそれを前線へ移動させれば、今度は大量の兵によって守られる。


 ならば、完成する前に壊す。


 今のうちに敵陣へ入り、建造中の攻城兵器を破壊し、戦闘を長引かせずに戻る。敵の主力を倒す必要はない。むしろ、そこで敵と本格的に戦い始めれば、こちらが大きな損害を受けることになる。目的を一つに絞り、それだけを果たして戻る。それならば、夜襲を行う意味はある。


「夜襲はどうでしょう」


 誰かが口にした。


 その言葉に、室内の全員が反応した。


「騎兵を使います。歩兵を大規模に動かせば、敵に気づかれる可能性が高い。しかし騎兵なら夜間に接近し、攻城兵器へ打撃を加え、そのまま引き返すことができる」


 単純ではある。


 だが、だからこそ分かりやすかった。


 目的は敵軍を撃破することではない。


 攻城兵器を破壊する。


 そして、余計な戦闘を避けて城内へ戻る。


 第一次総攻撃で兵を消耗した直後だからこそ、敵にさらに攻城兵器を揃えさせるのを防ぐことには意味がある。次の攻撃を受ける前に一度でも敵の準備を妨害できれば、それだけこちらが戦う時間を稼ぐことができる。


「実行部隊の規模は?」


「大規模にする必要はありません。騎兵を中心に選抜し、目的地へ到達したら攻城兵器を破壊して撤収。帝国軍の主力と戦うことは避けるべきでしょう」


 何人かが頷く。


 作戦としては筋が通っていた。


 そこまではよかった。


 問題は、その次だった。


「……陛下と王妃殿下を入れてはいかがでしょう」


 誰かがそう言った瞬間、会議室の空気が変わった。


「何を言っている!」


 すぐに別の者が声を上げる。


「国王陛下と王妃殿下を敵陣への夜襲に参加させるなど、認められるはずがない!」


「しかし、攻城兵器の破壊を確実にする必要があります」


「だからといって国王を戦場へ出す理由にはならん!」


「では、誰が魔法を使うのですか?」


 その言葉に、反対していた者が一瞬だけ言葉を止めた。


 この世界で魔術を使える者は珍しくない。


 武具強化魔術であれば、訓練を受けた騎士にも使える。魔術は貴族にとって基本となる技能の一つでもあり、魔術を扱える騎士はその中でも精鋭として扱われている。だから、魔術そのものが使える人間を探すことは問題ではない。


 しかし、魔術と魔法は別物だ。


 そして、魔法を実際に行使できる者は二人しかいない。


 俺とティア。


 二人の存在は、今回の夜襲において明確な軍事的価値を持っていた。


 敵陣へ少数の騎兵で侵入し、攻城兵器を破壊する。


 その重要な目的を考えれば、俺とティアが魔法を使えるという事実は無視できない。完成を待ってから破壊するより、建造中に叩いた方がいい。短時間で敵の防御を突破し、攻城兵器を破壊して撤収するなら、魔法を使える二人の存在は成功率を上げる材料になる。


 だが、それを口にした者も、自分がどれほど危険なことを提案しているのか理解していた。


「陛下は国王です」


 反対する側の者が改めて言った。


「魔法が使えるからという理由だけで、敵陣へ送り込んでよいお方ではありません。万が一があれば、この国はどうなるのですか」


「しかし、次の攻撃を受ければ、今度は昨日以上の損害が出る可能性があります。その攻城兵器を完成前に潰せるのであれば、陛下の参加には軍事的な意味があります」


「意味があることと、許可できることは別だ!」


「では、攻城兵器の破壊を誰に任せるのです?」


「魔術を使える精鋭の騎士を――」


「魔術を使える騎士ではなく、魔法を使える者が必要なのです」


 会議室が静まる。


 誰もが知っている。


 魔術なら、使える者はいる。


 魔法は違う。


 現時点で、その力を扱えるのは二人だけなのだから。


 そこで、俺が口を開いた。


「私とティアを実行部隊に入れれば、攻城兵器の破壊が成功する可能性は上がる」


 反対側からすぐに声が返る。


「だからこそ、認められないのです」


「なぜだ?」


「国王夫妻だからです」


「それでは理由になっていない」


「十分な理由です!」


 その者は思わず声を強めた。


「陛下が敵陣で倒れれば、レクィエリアの守備どころか、王国そのものが揺らぎます。王妃殿下も同じです。お二人が揃って夜襲へ参加し、万一、両方とも失えば、軍事的に一つの攻城塔を破壊する以上の損害になる」


 その言葉には誰も反論できなかった。


 確かにその通りだった。


 一方で、攻城兵器の再建を放置すれば、帝国軍は再び大規模な攻撃を行える。


 第一次総攻撃で七万人もの歩兵を投入したばかりだ。


 次の攻撃で同規模、あるいはそれ以上の兵力が使われる可能性もある。


 そしてアイティクィランド側では、すでに正規兵だけでは足りず傭兵まで投入している。


 次の攻撃に備える余裕は、決して大きくない。


 だからこそ、俺とティアを使う必要性は重かった。


 国王夫妻を守る必要性と、国王夫妻の力を戦場で使う必要性。


 どちらも国家のためだった。


「私は参加してもいいと思っています」


 ティアが静かに口を開いた。


 一斉に視線が集まる。


「昨日の攻撃で、こちらも大きな損害を受けました。帝国軍が次の攻撃の準備をしているのであれば、その準備を放置する方が危険です」


「王妃殿下、それは……」


「もちろん、自分たちが危険な立場になることは理解しています」


 ティアは言葉を続ける。


「ですが、国王だから前へ出てはいけないというのであれば、軍務の判断そのものができなくなるのではありませんか?」


 反対意見を述べる側も黙る。


 俺から見ても、ティアの言葉には王妃としての責任があった。自分だけが安全な場所にいて、兵だけに危険を負わせることへの覚悟もあるのだろう。だからといって、国王夫妻が危険へ飛び込むことが正しいと決まったわけではない。王と王妃が前線へ出れば兵たちの士気を高めることができるかもしれないが、その二人を失ったときに生じる損失は、それとは比べものにならない。


 そこからさらに議論が続いた。


 「魔法を使える二人を投入することで成功率が上がる」


 「その二人を失えば、成功どころか国家に致命傷となる」


 「では他に魔法を使える者を探せるのか」


 「いない」


 「ならば必要だ」


 「必要でも、危険すぎる」


 同じ言葉が形を変えて何度も繰り返される。


 夜襲の目的そのものに反対する者はいなかった。


 帝国軍の攻城兵器を建造中に破壊することには、十分な意味がある。


 騎兵で接近し、目標を破壊して撤退するという作戦も、現実的な範囲に収まっている。だからこそ、問題はたった一つに絞られていた。


 実行部隊に俺とティアを入れるのか。


 入れないのか。


 そこだけで会議が止まる。


 もし俺たちを入れなければ、王国の安全という点では当然こちらの方がいい。だが、その分だけ夜襲が成功する可能性が下がる。逆に俺たちを入れれば、作戦を成功へ導くための力は増えるが、万が一の際には取り返しのつかない損害が生じる。


 どちらを選んでも、別の問題が残る。


 やがて、指揮を執る者の一人が大きく息を吐いた。


「……今ここで結論を出すのは難しいでしょう」


 誰も反論しなかった。


「夜襲そのものは検討を続ける。実行部隊については、改めて決めるべきです」


 俺も頷いた。


 ティアもそれ以上は口を挟まなかった。


「では、本日の会議はここまでとする」


 そうして軍議は終わった。


 結論は出なかった。


 傭兵の運用方法も。


 夜襲の実行部隊も。


 しかし、時間だけは過ぎていく。


 第一次総攻撃が終わった夜、レクィエリアの王宮司令部には、まだ戦場の緊張が残っていた。


 城壁の外では帝国軍がいったん兵を引き、負傷兵や損傷した攻城兵器の回収を進めている。しかし、撤退したからといって戦争そのものが終わったわけではない。むしろ二十万人の兵を擁する帝国軍にとって、七万人を投入した第一次総攻撃が終わったというだけであり、後方にはまだ大量の兵が残っている。城壁の外に広がる敵陣には、次の戦いに使うことのできる兵力がなお残されており、今日の攻撃をしのいだからといって、明日の攻撃までなくなったわけではなかった。


 こちらも同じだった。城壁では今日の戦闘によって生じた被害の確認が続いており、負傷者を運び出す者や、損傷した箇所を調べる者の姿が絶えない。戦いそのものは終わっていても、戦場から離れた場所にいる者まで含めて、多くの人間が今日の戦闘の後始末に追われていた。レクィエリア側も正規兵だけでは足りず、傭兵まで前線へ送り出したことで、明日の戦闘に備えて整え直さなければならない部隊は多い。戦いが終わった夜というより、次の戦いまでに残された時間を使って、どうにかして態勢を立て直すための夜だった。


 そんな中、俺はティアの執務室を訪れていた。


 ティアは王妃となってから、以前にも増して多くの仕事を抱えるようになっていた。王宮内の政務だけではなく、戦時下における各部局との調整、軍から上がってくる報告の確認、さらには王宮司令部で決定された事項を各方面へ伝える役目まである。戦争が始まってからは軍に関係する話もさらに増えており、単に届いた報告へ目を通すだけではなく、その内容を確認したうえで必要な場所へ伝えなければならないことも多かった。


 しかも現在はエリシアを最側近として置いており、日常の細かな実務の多くは彼女へ任せていたため、ティアの傍にはいつも彼女の姿があった。以前であればティア自身が処理していたような細かな仕事であっても、今ではその多くをエリシアが受け持っている。その分、ティアは王妃として判断しなければならないことに集中できるようになっていたが、それでも戦時下の仕事量が減るわけではない。


 その夜は、珍しくエリシアを別室へ下がらせていた。


 俺が入室したことに気づいたティアが顔を上げる。


「こんな時間にどうしたの?」


 いつものように問いかけたものの、俺の表情を見た瞬間、ティアは言葉を止めた。これまでにも戦況が悪いときには何度も同じ顔を見ている。しかし、今回はそれとは違う。何か一つの報告を聞いただけで、簡単には流せないほど大きな損害が出たときに、俺が自然と浮かべてしまう表情だった。


「フェルディナン子爵が戦死した」


 俺が告げる。


 ティアは一瞬だけ動きを止め、それからゆっくりと目を伏せた。驚きはあっただろう。しかし、それを大きく表に出すことはなかった。王妃になったからというだけではない。戦争が始まってから、ティアもまた何人もの人間が帰ってこないことを知っている。戦場へ送り出した者の全員が戻ってくるわけではないことも、指揮を執る立場にある者ほど、その死が一つの戦いだけで終わらず、多くの兵の命やその後の指揮系統にまで影響することも分かっている。


 フェルディナン子爵だけが特別だったわけではない。ただ、それでも彼は第四軍団を率いて港を守り、その戦いの最中に命を落とした。自分の持ち場を放り出して逃げたわけでもなく、後方へ下がって安全な場所から戦いを見ていたわけでもない。港を守るという役目を果たすために前に立ち、その結果として命を落としたのだ。


 だからこそ、その死は単なる一人の戦死者が増えたというだけではなかった。


 それでも、ティアが最初に口にしたのは別のことだった。


「……港は?」


 最初に出てきたのは、やはり戦況についてだった。


「守られている。帝国軍の上陸部隊は退けた。輸送船も複数沈めたらしい」


「そう」


 ティアは小さく頷いた。


 その一言のあとに、短い沈黙が生まれる。フェルディナンの死を嘆くこともできたはずだが、二人ともそれを長々と口にすることはなかった。港が守られた以上、彼が最後まで役目を果たしたことは分かっている。けれど、その結果として彼自身は帰ってこなかった。


 戦場で死んだ者を悼む時間が必要なのは分かっている。それでも今は、戦況を止めるわけにはいかない。帝国軍が攻撃をやめない以上、こちらも止まることはできない。今日失われた兵士の数を確認している間にも、明日のための準備をしなければならず、指揮官が一人失われれば、その後任を決めることまで必要になる。


 俺は少しだけ視線を落としてから、もう一つの言葉を続けた。


「エリシアには、君から伝えてほしい」


 ティアは顔を上げた。


「私から?」


「ああ。今の彼女は君の最側近だ。王から直接ではなく、君から伝えた方がいいと思う」


 エリシアにとって、フェルディナン子爵は単なる軍団長ではない。父親なのだから当然だ。だからこそ、俺自身が王として伝えるよりも、普段から最も近い場所で仕事をしているティアから伝えた方がいいと考えた。王からの報告として聞くのではなく、いつもの上司であり、信頼できる相手から伝えられる方が、少なくとも今この瞬間に余計な負担を増やさずに済むだろう。


 ティアはしばらく考えたあと、静かに頷いた。


「分かったわ」


 それ以上の言葉はなかった。


 やがてティアはエリシアを呼んだ。


 エリシアが入ってきたとき、いつもと変わらない姿だった。王妃の最側近として必要な書類を抱え、これから何か指示があるのだろうと待っている。その姿を見たティアは、一瞬だけ言葉を選んだ。普段なら確認事項や指示を先に伝えるところだが、今はそういう内容ではない。目の前にいるエリシアへ伝えなければならないことを、ティア自身が言葉にしなければならなかった。


「エリシア、少し伝えなければならないことがあります」


「はい」


 普段通りの返事だった。


 ティアは、そのまま伝えた。


「あなたのお父上、フェルディナン子爵が戦死されました」


 エリシアの表情が止まる。


 ただ、それだけだった。


 顔色が大きく変わるわけでも、声を上げるわけでもない。抱えていた書類を落とすわけでもなければ、ティアへ詰め寄るわけでもない。ほんの数秒、ただ動かなくなっただけだった。けれど、その数秒が長く感じられるほど、エリシアは何も言わなかった。


「……父が」


 ようやく出てきた声も、ひどく静かだった。


「港を守ったそうです。帝国軍の上陸部隊を退け、その後に負傷が深くなって……」


 ティアは余計な説明を増やすことなく、確認されている事実だけを伝える。エリシアの父親がどのように戦ったのか、それを細かく語ったところで、今この場で聞く側にとって救いになるわけではない。だからこそ必要なことだけを伝えた。


「そうですか」


 エリシアはそう答えた。


 その声には、王妃の側近としての平静さが残っている。しかし、ティアには分かった。いつもなら次の仕事について確認するはずの彼女が、何も言わない。視線だけが少しだけ下がっている。先ほどまで抱えていた書類も、そのまま手元に残っている。


「今日は、もう休んでもいいのよ」


 ティアがそう言うと、エリシアは一瞬迷った。


「ですが、明日の予定が」


「それは私が何とかします」


 エリシアはそれ以上反論しなかった。


 自分の父親が戦死したと聞かされた直後であっても、最初に口にしたのが明日の予定についてだったことを考えれば、普段からどれほど仕事を優先しているのかは分かる。だからこそティアも、ここで無理をさせる理由はないと判断したのだろう。王妃の最側近としての役目が重要なのは確かだが、それ以上に、今の彼女が平然と仕事を続けられる状態なのかを考える必要がある。


「……ありがとうございます」


 それだけ言って、頭を下げる。


 エリシアが部屋を出て、扉が閉じた後、ティアはしばらく何も言わなかった。俺も同じだった。


 悲しみを表に出さないからといって、何も感じていないわけではない。


 ただ、今はそれを表へ出す必要がないだけだった。王宮には戦場から届く報告があり、司令部では次の命令を出さなければならず、前線では明日の戦いに備える者がいる。誰かが家族を失ったとしても、それだけで戦争が止まることはない。


 それを冷たいと感じることはできる。しかし、それでも兵を守るためには指揮を止めることができない。フェルディナン子爵が戦死したことで第四軍団の指揮官が一人欠けたなら、次はその穴を埋めなければならない。悲しむ時間が必要だからといって、軍団そのものを動かさずにおくことはできない。


 だから、翌朝になれば、また別の決定をしなければならない。


          *


 翌朝、第四軍団の新たな軍団長が決まった。


 フェルディナン子爵の後任には、彼の息子、エリシアの兄が選ばれた。


 家督も同時に継承され、彼は新たなフェルディナン子爵となる。そして父から受け継いだのは爵位だけではなく、第四軍団を率いる責任そのものだった。父親が戦場で倒れれば、その席は空いたままにはできない。家督を継ぐことと軍団長を引き継ぐことが同じ時期に重なったとしても、戦争中である以上、必要な仕事は待ってくれない。


 王宮司令部でその報告を受けた俺は、特に驚かなかった。軍団長を失った直後に空席を長く放置するわけにはいかない。家を継ぐ者が軍にいるのであれば、その者をそのまま軍団長に据えるのが最も早い。少なくとも、昨日まで第四軍団の指揮系統にいた者がそのまま上に立つのであれば、外から別の人物を連れてくるよりも、軍団内の混乱は小さくできる。


 それに、港が守られたとはいえ、帝国軍との戦いが続いていることには変わりがない。第四軍団にはこれからも役目がある。指揮官を失った直後だからこそ、次の指揮官を早急に定める必要があった。


「第四軍団はこれで動かせるな」


 俺の言葉に、軍務を担当する者が頷いた。


「はい。新フェルディナン子爵はすでに軍団内でも一定の地位を得ており、指揮系統に大きな混乱はないかと」


「ならばいい」


 俺は地図へ視線を戻した。


 戦争では、人間が死ねば、その空いた場所へ別の人間を入れなければならない。名前が変わっても軍団は動かさなければならないし、爵位が変わっても戦場は待ってくれない。昨日まで父親が立っていた場所へ、翌日には息子が立つ。それが戦争というものなのだろう。


 その冷たさを、俺は今さらながら改めて感じていた。


 フェルディナン子爵が死んだことについて考えている間にも、目の前の地図には帝国軍の位置が示され、次の戦いに向けて必要となる判断が次々と積み上がっていく。誰か一人の死をいつまでも考えていることはできない。死んだ者の代わりをすぐに立て、その者が担っていた仕事を続けなければ、今度は別の誰かが死ぬことになる。


 そして、次の問題が持ち上がる。


 傭兵だ。


 第一次総攻撃では、正規軍だけでなく傭兵まで前線へ投入する必要が生じた。帝国軍の攻撃規模が大きくなれば、今後も同じことが起こる可能性は高い。ならば、傭兵をどこへ配置し、どのように運用するのかを決めておかなければならない。


 昨日は、とにかく兵力を揃えることが優先された。帝国軍が七万人もの兵を投入してきた状況では、こちらも使える兵を使うしかなかった。しかし、それは傭兵をどう扱うのが最も適切なのかという問題を解決したわけではない。むしろ、大規模な戦闘を経験したことで、今後も同じ問題が繰り返される可能性が高いことが明らかになった。


 王宮司令部には軍務を担当する者たちが集まり、長い議論が始まった。


「城壁防衛に固定するのはどうでしょうか。傭兵なら正規軍の損耗を抑えられます」


「固定してしまえば、その区画が突破された際に立て直すのが難しい。傭兵は正規軍の指揮系統に完全に組み込まれているわけではない」


「ならば予備として後方へ置き、危険な場所へ投入するのは」


「それでは必要な場所へ移動させるたびに混乱する。夜間の移動も考えれば、正規軍より扱いにくいのは変わらない」


「それならば、城門のように守る場所が明確なところへ――」


 意見は次々に出た。


 傭兵を使わなければ兵力が足りない。しかし、正規軍と同じように扱えばいいわけでもない。忠誠の向かう先が金である以上、指揮官への忠誠や国家への忠誠を前提として動かすことには限界がある。それでも、契約に従って戦う以上、命令に従う兵士はいる。問題は、正規軍と同じ条件で動かせるわけではないということだった。


 重要な場所へ配置すれば、その場所を守る兵力として頼ることはできる。しかし、そこで大きな損害が出れば、その後の契約や指揮の問題まで考えなければならない。逆に危険の少ない場所へ集めれば、戦況が厳しい場所へ正規軍を集中させるための補助にはなるが、今度は戦力として必要な場所に十分な数を送れない。


「では、どうするのです?」


 誰かがそう問いかける。


 会議室には、それぞれの考えを整理するような沈黙が落ちた。


 危険な場所へ送れば損害が大きくなる。


 重要な場所を任せれば指揮の問題が出る。


 予備にすれば必要な場面で間に合わない。


 それでも使わなければ、正規軍だけでは兵力が足りない。


 どの案を取っても別の問題が残る以上、誰かが一つを選んだところで、それがそのまま全員を納得させる答えになるわけではない。昨日は戦闘の激しさに押される形で使われた傭兵を、今度は意図的にどのように使うのか決めなければならない。だからこそ議論は続いたが、簡単には結論へたどり着かなかった。


 そのとき、扉が開いた。


 伝令が入ってきた。


「報告です!」


 全員の視線が集まる。


「帝国軍の陣地で、損傷した攻城兵器の再建が始まっているとの報告が入りました。昨日破壊されたものを修理しているだけではなく、新たな攻城塔も建造している模様です」


 室内の空気が変わった。


 傭兵の問題が重要であることには変わりない。


 しかし、今その議論に時間をかけている間にも、帝国軍は次の攻撃を準備している。


 第一次総攻撃で帝国軍は攻城塔や梯子を大量に使用した。その多くが破壊され、あるいは損傷したはずだった。それでも敵は、すでに次の攻撃へ向けて動き始めている。こちらが昨日の損害を整理しているのと同じように、帝国軍もまた自分たちの損害を整理し、そのうえで次の攻撃に必要なものを揃えようとしている。


「建造場所は分かるのか?」


「完全には。ただ、昨日より後方、帝国軍の陣地内で作業している場所がいくつか確認されています」


 返ってきた答えを聞きながら、俺は地図へ視線を落とした。


 帝国軍が昨日使った攻城兵器は、そのままでは次の戦いに十分な数を揃えられないはずだった。だから修理を始める。それ自体は当然のことだ。問題は、その修理が進み、さらに新しい攻城塔まで完成すれば、次の攻撃はまた昨日と同じような規模で、あるいはそれ以上の勢いで行える可能性があるということだった。


「警戒を強めるだけでは?」


 そう尋ねた者へ、別の者が首を振った。


「完成してから攻撃するのでは遅いのではないか?」


 その言葉に、何人かが黙った。


 完成した攻城塔を破壊するのは難しい。


 帝国軍がそれを前線へ移動させれば、今度は大量の兵によって守られる。


 ならば、完成する前に壊す。


 そこに考えが行き着くまでに、誰も長い時間を必要とはしなかった。建造中であれば、まだ完成した攻城兵器として運用されているわけではない。敵軍の主力と正面から戦う必要もなく、目的を攻城兵器の破壊に限定できるのであれば、こちらの損害を抑える余地もある。


 今のうちに敵陣へ入り、建造中の攻城兵器を破壊し、戦闘を長引かせずに戻る。


 単純に言えば、それだけのことだった。


「夜襲はどうでしょう」


 誰かが口にした。


 その言葉に、室内の全員が反応した。


「騎兵を使います。歩兵を大規模に動かせば、敵に気づかれる可能性が高い。しかし騎兵なら夜間に接近し、攻城兵器へ打撃を加え、そのまま引き返すことができる」


 単純ではある。


 だが、だからこそ分かりやすかった。


 目的は敵軍を撃破することではない。


 攻城兵器を破壊する。


 そして、余計な戦闘を避けて城内へ戻る。


 帝国軍の陣地へ乗り込む以上、まったく戦わずに済むとは限らない。それでも、最初から敵兵を倒すことを目的にするのではなく、攻城兵器を壊して撤退することだけに集中すれば、戦闘を長引かせる必要はない。敵の主力とぶつかってしまえばこちらも被害を受けるのだから、そこで勝とうと考えるのではなく、最初から戦うことを避ける必要がある。


 第一次総攻撃で兵を消耗した直後だからこそ、敵にさらに攻城兵器を揃えさせるのを防ぐことには意味がある。次の攻撃を受ける前に、その準備を少しでも遅らせることができれば、それだけこちらにも立て直すための時間が生まれる。


「実行部隊の規模は?」


 誰かが尋ねた。


「大規模にする必要はありません。騎兵を中心に選抜し、目的地へ到達したら攻城兵器を破壊して撤収。帝国軍の主力と戦うことは避けるべきでしょう」


 何人かが頷く。


 作戦としては筋が通っていた。


 少数で行けば発見される可能性も低くなる。必要以上の兵を連れていかなければ、敵と遭遇した場合にも撤退しやすい。何より、目的が明確だった。敵を打ち破るためではなく、攻城兵器を壊すための夜襲なのだから、戦いそのものをできる限り小さくするのが自然だった。


 そこまではよかった。


 問題は、その次だった。


「……陛下と王妃殿下を入れてはいかがでしょう」


 誰かがそう言った瞬間、会議室の空気が変わった。


「何を言っている!」


 すぐに別の者が声を上げる。


「国王陛下と王妃殿下を敵陣への夜襲に参加させるなど、認められるはずがない!」


「しかし、攻城兵器の破壊を確実にする必要があります」


「だからといって国王を戦場へ出す理由にはならん!」


「では、誰が魔法を使うのですか?」


 その言葉に、反対していた者が一瞬だけ言葉を止めた。


 この世界で魔術を使える者は珍しくない。


 武具強化魔術であれば、訓練を受けた兵士にも使える。魔術は決して一部の者だけが扱える特別なものではなく、戦いにおいても利用されている。だからこそ、魔術を使える騎士を用意すること自体は、難しい話ではなかった。


 しかし、魔術と魔法は別物だ。


 そして、魔法を実際に行使できる者は二人しかいない。


 俺とティア。


 二人の存在は、今回の夜襲において明確な軍事的価値を持っていた。


 敵陣へ少数の騎兵で侵入し、攻城兵器を破壊する。その目的を考えれば、俺とティアが魔法を使えるという事実は無視できない。魔法を使える者がいることで、攻城兵器そのものを破壊する力が増すのであれば、当然ながら軍事的には投入する価値がある。


 だが、それを口にした者も、自分がどれほど危険なことを提案しているのか理解していた。


「陛下は国王です」


 反対する側の者が改めて言った。


「魔法が使えるからという理由だけで、敵陣へ送り込んでよいお方ではありません。万が一があれば、この国はどうなるのですか」


「しかし、次の攻撃を受ければ、今度は昨日以上の損害が出る可能性があります。その攻城兵器を完成前に潰せるのであれば、陛下の参加には軍事的な意味があります」


「意味があることと、許可できることは別だ!」


「では、攻城兵器の破壊を誰に任せるのです?」


 そこで一度、言葉が詰まる。


「魔術を使える精鋭の騎士を――」


「魔術を使える騎士ではなく、魔法を使える者が必要なのです」


 会議室が静まる。


 誰もが知っている。


 魔術なら、使える者はいる。


 魔法は違う。


 現時点で、その力を扱えるのは二人だけなのだから。


 俺はその沈黙を見ながら、改めて自分たちの立場を考えていた。魔法が使えるということは、確かに大きな力になる。しかし、それがそのまま「だから戦場へ出るべきだ」という結論になるわけではない。俺とティアには、それぞれ国を動かす立場がある。そして、その二人が同時に危険な場所へ向かうことには、単に二人の人間が戦場へ出る以上の意味がある。


 そこで、俺が口を開いた。


「私とティアを実行部隊に入れれば、攻城兵器の破壊が成功する可能性は上がる」


 反対側からすぐに声が返る。


「だからこそ、認められないのです」


「なぜだ?」


「国王夫妻だからです」


「それでは理由になっていない」


「十分な理由です!」


 その者は思わず声を強めた。


「陛下が敵陣で倒れれば、レクィエリアの守備どころか、王国そのものが揺らぎます。王妃殿下も同じです。お二人が揃って夜襲へ参加し、万一、両方とも失えば、軍事的に一つの攻城塔を破壊する以上の損害になる」


 その言葉には誰も反論できなかった。


 確かにその通りだった。


 俺たち二人が敵陣へ入り、そこで攻城兵器を破壊できれば、次の攻撃を遅らせることができるかもしれない。だが、その作戦の途中で俺たちが失われれば、それは単に夜襲に失敗したという話では済まない。王と王妃を同時に失うことになる以上、王国そのものへ与える影響は極めて大きい。


 一方で、攻城兵器の再建を放置すれば、帝国軍は再び大規模な攻撃を行える。


 第一次総攻撃で七万人もの歩兵を投入したばかりだ。


 次の攻撃で同規模、あるいはそれ以上の兵力が使われる可能性もある。


 そしてアイティクィランド側では、すでに正規兵だけでは足りず傭兵まで投入している。


 次の攻撃に備える余裕は、決して大きくない。


 こちらが帝国軍の攻撃準備を妨害できる機会は、そう多くない。完成した攻城兵器を正面から相手にするよりも、その前段階で破壊できるなら、それに越したことはない。しかし、そのために国王夫妻が敵陣へ入る必要が本当にあるのかという問題も、同時に残る。


 だからこそ、俺とティアを使う必要性は重かった。


 国王夫妻を守る必要性と、国王夫妻の力を戦場で使う必要性。


 どちらも国家のためだった。


「私は参加してもいいと思っています」


 ティアが静かに口を開いた。


 一斉に視線が集まる。


「昨日の攻撃で、こちらも大きな損害を受けました。帝国軍が次の攻撃の準備をしているのであれば、その準備を放置する方が危険です」


「王妃殿下、それは……」


「もちろん、自分たちが危険な立場になることは理解しています」


 ティアは言葉を続ける。


「ですが、国王だから前へ出てはいけないというのであれば、軍務の判断そのものができなくなるのではありませんか?」


 反対意見を述べる側も黙る。


 ティアが言っていることも分かる。国王だから安全な場所にいなければならないのであれば、自分たちの持つ力をどこまで軍事に利用できるのかという判断そのものが難しくなる。もちろん、王と王妃が危険な場所へ行くことと、軍務に責任を持つことは同じではない。それでも、自分たちだけが安全な場所に留まりながら、兵たちに危険を負わせ続けることを当然としていいのかという問題は残る。


 その考えを口にするティアに対し、すぐに反論できる者はいなかった。


 そこからさらに議論が続いた。


 魔法を使える二人を投入することで成功率が上がる。


 しかし、その二人を失えば、成功どころか国家に致命傷となる。


 では他に魔法を使える者を探せるのか。


 いない。


 ならば必要だ。


 必要でも、危険すぎる。


 同じ言葉が形を変えて何度も繰り返される。夜襲そのものを否定している者はいない。帝国軍の攻城兵器を建造中に破壊することには、十分な意味がある。騎兵で接近し、目標を破壊して撤退するという作戦も、現実的な範囲に収まっている。


 だからこそ、話し合いが終わらないのは作戦そのものに問題があるからではなかった。


 最後に残ったのが、俺とティアを実行部隊へ入れるかどうかという問題だったからだ。


 俺とティアを入れれば、魔法を使うことによって攻城兵器を破壊できる可能性が高まる。一方で、万が一のときに失われるものも大きい。俺たちを外せば、王国にとっての危険は減るが、夜襲そのものの成功をどこまで確実にできるのかという別の問題が生まれる。


 どちらを選んでも、完全な答えにはならない。


「私たちが参加することで夜襲が成功する可能性が上がるのは事実です」


 ティアがそう続ける。


「ですが、それだけを理由に決めるべきではありません。国王と王妃として、失うことの意味が大きいのも事実なのですから」


 俺はティアの言葉を聞きながら、再び地図へ視線を向けた。


 帝国軍はすでに次の攻撃へ向けて動いている。


 こちらがどれだけ迷っていても、敵が立ち止まってくれるわけではない。


 だからといって、急いで決めればいいわけでもない。


 夜襲の目的が攻城兵器の破壊なら、その目的を達成できる方法を考える必要がある。その方法が、国王夫妻の参加でしか成立しないのか、それとも別の形でも実行できるのかを考えなければならない。


 そして、その判断に必要な時間も、無限にあるわけではなかった。


 会議室では再びいくつもの意見が交わされる。


「魔法を使える二人を投入することで成功率が上がる」


「その二人を失えば、成功どころか国家に致命傷となる」


「では他に魔法を使える者を探せるのか」


「いない」


「ならば必要だ」


「必要でも、危険すぎる」


 何度も同じところを行き来する議論を聞いているうちに、俺は、この問題が一度の会議で決まるようなものではないことを理解していた。


 夜襲の目的そのものに反対する者はいなかった。


 帝国軍の攻城兵器を建造中に破壊することには、十分な意味がある。


 騎兵で接近し、目標を破壊して撤退するという作戦も、現実的な範囲に収まっている。


 それでも、最後のところだけが決まらない。


 実行部隊に俺とティアを入れるのか。


 入れないのか。


 そこだけで会議が止まる。


 もし俺たちを入れなければ、王国の安全という点では当然こちらの方がいい。しかし、その分だけ夜襲が成功する可能性が下がるかもしれない。逆に俺たちを入れれば、攻城兵器を破壊する力は増すが、万が一には取り返しのつかない損失を背負うことになる。


 そのどちらも、簡単には選べない。


 やがて、指揮を執る者の一人が大きく息を吐いた。


「……今ここで結論を出すのは難しいでしょう」


 誰も反論しなかった。


 すぐに答えが出ないことは、ここにいる全員が分かっている。無理に決めたところで、後になって別の問題が生じるだけかもしれない。


「夜襲そのものは検討を続ける。実行部隊については、改めて決めるべきです」


 俺も頷いた。


 ティアもそれ以上は口を挟まなかった。


「では、本日の会議はここまでとする」


 そうして軍議は終わった。


 結論は出なかった。


 傭兵の運用方法も。


 夜襲の実行部隊も。


 それでも、時間だけは過ぎていく。


 会議が終わったからといって、帝国軍が待ってくれるわけではない。こちらが議論をしている間にも、敵は次の攻撃のために必要なものを集め、損傷したものを直し、新しいものを作り始めている。俺たちが次の指示を考えている間にも、敵の準備は進んでいく。


 会議室を出た俺が窓の外を見ると、すでに夜の帳が降り始めていた。


 遠く、帝国軍の陣地にいくつもの灯りが見える。その灯りの下で兵士たちが動いているのだろう。第一次総攻撃を終えた帝国軍は、休んでいるわけではない。攻城塔を直し、壊れた梯子を作り直し、新たな兵器を組み上げている。


 こちらも一日が終わったわけではない。


 今日の戦いが終わっても、敵の戦争は終わっていない。


 むしろ、次の戦いへ向けた準備が始まっただけだった。


 俺はしばらく窓の外を見たまま、敵陣に並ぶ灯りを追っていた。


 夜襲は、まだ決まっていない。


 それでも、帝国軍が次の攻撃の準備を進めている以上、いつまでも決まらないままにしておくわけにもいかない。


 次の攻撃でどれだけの兵が投入されるのか、まだ分からない。


 昨日と同じ七万人になるのか、それ以上になるのか、それとも別の形になるのか、それすら今の俺には分からなかった。


 分かっているのは、一つだけだ。


 帝国軍が次の攻撃へ向けて動き始めているということだった。


「……急がないとな」


 俺が呟く。


 隣ではティアが同じ夜景を見つめていた。


 夜襲は、まだ決まっていない。


 しかし、敵は次の攻撃の準備を始めている。


 そして、次に帝国軍が仕掛けてくる攻撃が、昨日の七万人によるものより軽い保証はどこにもなかった。

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