第50話 包囲開始
帝国軍がレクィエリアへ到達した直後、王都周辺ではそのまま包囲態勢を整えるための動きが始まっていた。先頭部隊が街道の要所で停止すると、その後方から進んできた部隊が左右へ広がり、王都へ通じる北側と南側の街道をそれぞれ押さえていく。さらに後方から輸送隊と攻城兵器が到着し、軍用の集積所や補給拠点が設けられていった。正面から城壁へ突撃するのではなく、まずレクィエリアを外側から囲み、王都へ出入りする道を封じた上で、時間をかけて圧力を加える。それが帝国軍アンティクイランド南部方面軍の方針だった。
その一方で、帝国軍の進出地域では別の動きが始まっていた。王都から西方へ向かうことができず、東側へ逃れた民間人の一部が、帝国軍の先遣部隊と接触したのである。彼らは武器を持っていないことを示し、自分たちは戦闘員ではなく、王都から戦火を避けて逃げてきた住民だと説明した。そして、その場で帝国軍に保護してもらいたいと申し出た。
帝国軍側では、すぐに現地の指揮官だけで判断することはせず、上級司令部へ報告が送られた。避難民の数は非常に多い。これをそのまま受け入れれば、軍の進撃とは別に、食料、水、医療、宿営地、移動管理などの負担が発生する。しかし、武器を持たない民間人をその場へ置き去りにすれば、帝国軍が戦場から逃げる住民を見捨てたという印象を与えることになる。しかも、商人や旅人を通じて、その事実が周辺地域へ伝わる可能性もある。
その報告は、やがてアンティクイランド南部方面軍司令部へ届いた。
司令部の中央では、ティベリウス・デイ・クラウディウス陸軍大将が地図を見つめていた。その隣には、副総司令官クィントゥス・デイ・アエミリウス陸軍中将が立っている。さらに周囲には複数の陸軍中将、各師団を率いる多数の少将、そして大佐、中佐、少佐を中心とする佐官級将校たちが並び、王都包囲に必要な各部隊の配置を確認していた。
「王都から逃げてきた民間人です」
参謀の一人が報告する。
「人数は、およそ十五万人」
ティベリウス大将が顔を上げた。
「十五万?」
「はい。王都から西へ逃げられなかった者たちが東へ流れ、その一部が我が軍の進出地域へ入り、保護を求めています」
クィントゥス中将が資料を確認する。
「武装の有無は?」
「確認できる範囲では、武器を所持している者はいません。家族単位で行動している者が多く、老人、子供、女性も多数含まれています」
ティベリウスはしばらく黙って地図を見ていた。
王都への進撃を急げば、十五万人の民間人を後方へ置いたまま進むことになる。しかし、それだけの人数を残せば、食料と水の供給だけでも問題になる。さらに帝国軍の進路と重なれば、軍事行動の邪魔になる可能性も高い。そして追い返してもアイティクィランドはレクィエリアにいれないだろう。民は野垂れ死ぬだろう。そうなっては大陸最大規模の交易都市レクィエリアのうまみも半減する。それなら殺害という手もあるがシルウァニア戦争の例もあるように兵が正気で要られる可能性が低いだろう。大量虐殺の汚名もかぶることになるだろう。恐れらく、避難民の中にアイティクィランドの使者が紛れているだろう。「誇り高き帝国軍が避難民を受け入れないわけがないだろう?ましてや、これから攻め都市の民を避難させた敵国に誠意を見せずに見捨てるなどといいことはないだろう?」というような内容の言伝をもった厄介な使者が。
ティベリウスは悩んだ末に苦々しく口を開いた。
「受け入れる」
大将が決めた。
「軍用区域とは分けろ。民間人をまとめる場所を確保し、食料と水を配給する。軍医も回せ」
「王都への進撃速度は落ちますが……」
クィントゥス中将が確認する。
「構わん」
ティベリウスは即答した。
「我々は民間人を殺すために進軍しているわけではない。しかも、彼らは自ら我々の保護を求めてきている。ここで追い返す理由はない」
「承知しました」
命令が伝えられ、帝国軍はその場で避難民の収容を開始した。
仮設の収容区域が設けられ、軍用の宿営地とは分けて管理される。水と食料が配られ、体調を崩した者には軍医が対応する。家族が離れないよう名簿も作られ、避難民の代表者を通じて必要な物資を確認する仕組みまで作られていった。
しかし、十五万人という人数は、帝国軍にとっても決して小さくなかった。
帝国軍そのものは二十五万人規模で王都方面へ進んでいる。そこへ十五万人の民間人を抱えたまま進むとなれば、軍の食料を分けなければならない。水の確保も必要になる。病人が増えれば医療要員も取られる。移動する時には民間人の安全を確保するため、さらに兵士を割かなければならない。
結果として、帝国軍の進撃は大きく鈍った。
王都へ急ぐはずだった帝国軍は、その避難民を保護しながら移動する必要が生じ、レクィエリアへの本格的な進撃は約一週間遅れることになった。
その一週間を、アンティクイランド王国は無駄にしなかった。
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俺の書状を持って帝国軍へ接触した商工組合連合会の使者からは、避難民が受け入れられたことも王宮へ伝えられていた。
「少なくとも、帝国軍は民間人を受け入れたようです」
報告を受けた俺は頷いた。
「分かった」
それなら、王都に残った住民についても、可能な限り軍事目標と区別するよう正式に求めておく価値がある。
同時に、西方評議会へ改めて帝国軍の侵攻状況を知らせ、第二次諸国連合の共同防衛体制を強化するための連絡を進めた。エクィトゥム王国へ正式な援軍を要請し、軍事理事会でもアンティクイランド方面への増援が協議された。その結果、エクィトゥムから約二万五千人の前衛部隊がこちらへ向かうことになった。
カヴィーレスターン・スルタン国とも追加の補給について協議が進んだ。大軍を新たに派遣する余裕はない。それでも、海軍と商業輸送網を使って小麦、豆、干し肉、塩、武具などを少しずつ送り込むことはできる。大規模な増援ではなくても、王都の備蓄と前線の補給を少しでも延ばせるなら意味はある。
その一方で、帝国軍もただ足を止めていたわけではなかった。
南部方面へ進んでいた帝国軍のうち約五万人が主力から分離され、北西方向へ移動を開始した。目標となったのは、ウィムーヌ子爵領である。
ウィムーヌは、セパラーティオ川から後退してきたアンティクイランド軍が新たな防衛線を築いた場所であり、帝国軍がここを突破すれば、中部と南部を結ぶ防衛線そのものが崩れる可能性がある。
そのため、アンティクイランド王国側からは約一万二千人がウィムーヌ方面へ集まり、そこへエクィトゥム王国の前衛部隊約二万五千人が加わった。合計約三万七千人。対する帝国軍は約十万人規模まで膨れ上がっていた。
北部では、プラエシディウス伯爵領東部への帝国軍の圧力が続いている。その先にあるガイウシア子爵領は、エクィトゥム王国との陸路を維持するための重要な場所だった。ここを失えば、西方から送られる援軍の経路そのものが危うくなる。
南では、民間人を保護した帝国軍主力が、ようやく再び王都方面への進撃を本格化させていた。
一週間という時間は、王都側にとって決して長くはなかった。
それでも、その間に避難民の大部分はすでに王都から離れており、残された住民も居住区域と食料配分を整理され、籠城に備えた状態になっていた。第一防壁、第二防壁、第三防壁にもそれぞれ兵力が配置され、中央軍約八千三百人、士官候補生約一千百人、再訓練を終えた傭兵約七千人が王都防衛を担っている。
王都の外では、帝国軍が包囲のための陣地を整え始めている。
北側の街道を監視する部隊。
南側へ回り込む部隊。
東側で主力を支える部隊。
攻城兵器を運び込む部隊。
そして、それらを繋ぐ輸送隊。
帝国軍アンティクイランド南部方面軍の司令部も、この頃には王都南東部へ設置されていた。
総司令官は、ティベリウス・デイ・クラウディウス陸軍大将。
副総司令官はクィントゥス・デイ・アエミリウス陸軍中将。
その周囲には複数の陸軍中将、各師団を率いる多数の少将、そして大佐、中佐、少佐を中心とした佐官級将校たちが並び、巨大な方面軍を一つの指揮系統で動かすための司令部を形成している。
「王都包囲の進捗は?」
ティベリウス大将が尋ねる。
「北側、南側ともに配置完了へ向かっています。東側についても主要街道の監視所が設置されました」
「海側は?」
「アンティクイランド王国海軍の動向を監視しています」
「民間人は?」
「引き続き保護中です。現在のところ大きな混乱はありません」
「なら、包囲を完成させろ」
ティベリウスは地図へ目を落とした。
「王都へ突入する必要はない。逃げ道を塞ぎ、補給を断ち、時間をかけて圧力を加える。こちらには十分な兵力がある」
クィントゥス中将も頷いた。
「攻城戦になれば、長期戦を想定するべきでしょう」
「その通りだ」
帝国軍は、焦っていなかった。
王都を一日で落とす必要はない。
王国側より多い兵力を持ち、王都を囲み、補給を止めれば、時間は帝国側の味方になる。
だからこそ、各部隊は急ぐことなく、それぞれの持ち場へ展開していった。
そして、その頃。
レクィエリアの城壁上では、俺が東の街道を見つめていた。
王都から避難できる人々は、ほとんどがすでに外へ出ている。
十五万人という大人数が、王都の内側から消えた。
その人々がどこへ行ったのかも、王国側では把握している。
王領西部の農村。
地方都市。
親族の領地。
宿場。
そして、帝国軍の保護下へ入った人々。
誰一人として、消えたわけではない。
ただ、それぞれが別の場所へ散らばっただけだ。
俺は東を見る。
帝国軍は、再び進み始めている。
まだ城壁へ攻撃する気配はない。
その代わり、王都の周囲へ着実に陣地を作っている。
帝国軍が王都を包囲していく。
王都に残る俺たちは、それを見ている。
そして、東ではまだ、俺たちが仕掛けたもう一つの戦争が動き始めようとしていた。
ノルマデース。
アエテリア帝国亡命政府。
帝国内部の旧構成国軍。
その全てが、まだ表には姿を現していない。
だが、王都が帝国軍の包囲へ入ったその瞬間から、俺たちには別の時間も流れ始めていた。
帝国軍が王都へ迫る一方で、帝国そのものの内部へ向けて、静かな準備が進んでいる。
そして、ついに――。
帝国軍がレクィエリアの周囲へ完全に展開を始めた。




