第46話 ナショナリズムの刺激
俺は口を開いた。
「諸君は、この瞬間において、西方世界の全てを代表している。
セプテントリア諸国は陥落した。
シルウァニア公国もまた陥落した。
そして、アイティクイランドの国境防衛線さえも破られ、帝国軍はすでにカヴィーレスターン砂漠にまで浸透を始めている。
これは紛れもなく、西方評議会の敗北と言えるだろう。
――しかし!
我らは、戦争そのものに敗れたわけではない!
我らは一度の敗北によって滅びるのか?
諸君の国は違う。
王冠も違う。
旗も違う。
だが、我らが守るべきものまで違うというのか?
祖先より受け継ぎしものを、
我らの代において失うというのか?
私は諸君に問う!
諸君は、この西方世界の危機を前にして逃げるのか!
それとも――ここで、共に立つのか!
今日、我らは国境を越えて繋がる。
明日のためではない。
我らが祖先より受け継ぎし、この世界を守るために!
アイティクイランドは、ここに立つ!
――諸君もまた、立て!」
最後の一言が会場へ響き渡った。
それまで、誰も動かなかった。けれど、それは演説が届かなかったからではない。むしろ逆だった。そこにいた貴族や議員たちは、今の言葉を自分たち自身の問題として受け止め始めていたからこそ、すぐには反応できなかったのである。目の前の帝国軍が強大であることは誰も知っている。セプテントリアの諸国が押し込まれ、シルウァニア公国が戦場となり、アンティクイランドの国境防衛線まで破られたという現実も、今さら隠しようがない。だからこそ、「勝てる」という言葉ではなく、「それでも立つのか」と問われたことが、彼らの胸に重く残った。
特に「祖先より受け継ぎしもの」という言葉は、この場にいる貴族たちにとって他のどんな言葉よりも直接的だった。彼らが生まれた時から手元にあった爵位も、領地も、家臣も、家紋も、最初から自分のものだったわけではない。父から受け取り、その父もまた祖父から受け取り、何代にもわたって守られてきたものを、自分の代で次へ渡すことが貴族としての責務でもあった。だから帝国軍に領地を奪われるということは、土地を失うだけの問題ではない。自分の家が積み上げてきた歴史を、自分自身の手で断ち切ることに等しかった。
しかも、それだけではない。帝国軍の占領下へ入れば、領地の上に立つ権力そのものが変わる。自分たちの祖先が築いてきた法や慣習を、自分たちでは決められなくなる。家臣へ命令する権利も、領民を守る責任も、自分たちの判断だけでは維持できなくなる。家名だけが残っても、その家名が何を意味するのか分からなくなる。爵位を持ったまま帝国に従属することを「家を守った」と呼べるのかと問われれば、多くの者にとって答えは容易ではなかった。
そして、そこからさらに一つ先へ考えれば、家を守るためには領地を守らなければならず、領地を守るためには国家を守らなければならないという現実へ行き着く。領地の法的な地位を保障するのも、国境を守る軍を持つのも、外交によって他国との関係を維持するのも、全ては国家という枠組みがあって初めて成立する。家名への誇りから始まった感情が領地への責任へ広がり、その責任が国家への忠誠へ変わっていく。その変化は、誰かに強制されたものではなかった。だからこそ、今この場にいる貴族たちには強く響いた。
やがて、一人の貴族がゆっくりと立ち上がった。
「陛下」
震えの残る声だったが、その目には先ほどまでとは違う光があった。
「私は、先ほどのお言葉を聞くまで、自分の領地をどう守るかばかりを考えておりました。ですが、我が家の領地も、家臣も、領民も、アンティクイランド王国という国が存在するからこそ守られてきたものです。もし国そのものが失われれば、我が家だけが生き残ったところで、それは本当に家を守ったことになるのでしょうか」
誰かが静かに息を呑んだ。
その言葉を否定する者はいなかった。
別の貴族も立ち上がる。
「我が家の記録には、数百年前の祖先がこの王国のために戦った記録が残っています。領地を守っただけではない。王国を守ったからこそ、その土地も守られてきたのです。それを私の代で帝国へ渡すなど、到底受け入れられません」
そこから先は、一人ずつが自分の家の話を始めた。
何代前の当主が国境で戦った。
祖父が飢饉の年に領民へ食料を配った。
父が王家へ兵を出した。
先祖代々の家臣が今も同じ土地に暮らしている。
それぞれの話は違っていたが、行き着く場所は同じだった。彼らが守ろうとしているものは、目の前の自分だけの財産ではない。自分の前に生きた者たちが守り、そして自分の後へ渡さなければならないものだった。
その時、エクィトゥム王国側の代表が立ち上がった。
「我が家にも、同じ思いがあります」
その声は静かだった。
「エクィトゥム王国は大国です。しかし、大国であるからこそ、守るべきものも多い。数多くの家が長年にわたって領地を維持し、兵を出し、王国を支えてきました。それを帝国の都合一つで失うつもりはありません」
さらにカヴィーレスターン・スルタン国の代表が続く。
「カヴィーレスターンには、我々が守ってきた砂漠があります。隊商路があります。都市があります。そして、それらを支えてきた祖先がいます。帝国が砂漠へ入り込んでいる以上、我々も自分たちの国を守らなければならない。だが、自国だけを守って終わるつもりもありません」
貴族だけではなかった。
経済理事会の議員たちは、自分たちが守ろうとしている交易路や市場について語り始めた。軍事理事会の議員たちは、共同軍を単なる条約上の存在にせず、実際に機能する軍へ育てる必要性を口にした。小国の代表たちも、自国だけでは帝国軍に対抗できないからこそ、ここから離れるべきではないと主張した。
次第に、会場の空気は完全に変わっていた。
先ほどまでそこにあったのは、「帝国軍にどう対処するか」という受け身の議論だった。しかし今は、「自分たちは何を守るのか」「そのために何を負担するのか」という、より前向きな議論へ変わっている。
恐怖そのものが消えたわけではない。
むしろ帝国軍が強いという認識は、誰の中にも残っていた。
だからこそ、その恐怖に対して、自分自身の誇りをぶつけることを選んだのだ。
家名を守る。
領地を守る。
領民を守る。
そして、その全てを守るために国家を守る。
最初は別々だったはずの感情が、いつの間にか一つの大きな意思へ変わっていった。
俺は、その変化を静かに見つめていた。
演説とは、全員に同じ思想を植え付けることではないのだと思う。自分自身の中にすでにあった感情を、別の角度から見せることによって、それを一つの方向へ向ける。その方が、命令として押し付けるよりもずっと強い。
そして今、この場にいる者たちの視線は、もう帝国軍に怯える者のものだけではなかった。
自分たちの国を守る者の目になっている。
その空気が最高潮へ達したところで、俺は次の言葉を口にした。
「諸君」
会場が再び静まる。
「我らは、今までこの組織を『西方評議会』と呼んできた」
誰もが知っている名前だ。
「だが、今の我々は、ただ会議をするために集まっているのではない」
「国家が違っても、王冠が違っても、旗が違っても、それでも共に立つために集まっている」
俺は会場の奥へ視線を向けた。
「かつて、この大陸が巨大な戦乱に覆われた時代にも、同じように諸国が手を結んだことがあった」
「アエテリア帝国に対抗するため、国家の違いを越えて立ち上がった者たちがいた」
「後の時代、人々はその国家群を――諸国連合と呼んだ」
会場から、小さなざわめきが起こる。
歴史を知る者たちにとって、その名はただの古い名称ではない。祖国を失いながらも抗った者たちの記憶や、巨大な帝国へ対して諸国が共同で立ち向かった時代の記憶と結びついている。
「我々が過去をそのまま再現するわけではない」
「我々には、それぞれの国家がある。それぞれの王冠がある。それぞれの旗がある」
「だが、一国だけでは守れないものを、諸国が力を合わせて守るという意思は同じだ」
俺は一度だけ息を吸った。
「だから、俺は提案する」
「西方評議会という名を改める」
「今日、この時から――」
俺は会場全体を見渡した。
「第二次諸国連合とする」
今度は、先ほどとは違うざわめきが広がった。
驚き。
納得。
そして、その名に込められた意味を理解した者たちの静かな興奮。
特に古い家柄を持つ貴族たちの反応は大きかった。彼らにとって「諸国連合」という言葉は、単に複数の国家が集まるという意味ではない。強大な帝国へ対して諸国が一つに立った歴史の象徴だった。その名前を自分たちが今受け継ぐということは、単に組織名を変更することではない。自分たちもまた、その歴史の続きに立つのだという意思表示だった。
しかし、俺はそこで決めつけなかった。
「これは俺が勝手に決めることではない」
そう言って、議事役へ視線を向ける。
「正式に採決してくれ」
「承知しました、陛下」
議事役が立ち上がった。
「現在の『西方評議会』を『第二次諸国連合』へ改称する議案について採決を行います。なお、名称変更後も最高評議会、軍事理事会、経済理事会、共同軍制度、各加盟国の主権および既存の権利義務は維持されます」
議事役が一度、会場を見渡した。
「賛成する方は、挙手をお願いします」
最初に上がったのは、アンティクイランド王国中央貴族たちの手だった。
続いて、エクィトゥム王国代表。
カヴィーレスターン・スルタン国代表。
シルウァニア公国代表。
アエテリア帝国亡命政府代表。
ノルディア大公国代表。
そしてセプテントリアを構成していた各国の代表たち。
次々と手が上がっていく。
議事役は、急いで数えることをしなかった。一人ずつ、確実に確認していった。
やがて、会場にある全ての手が上がっていることが分かった。
「賛成、全員」
その声が響く。
「反対、なし」
「棄権、なし」
議事役が深く頭を下げた。
「全会一致により、現在の西方評議会は本日をもって改称されます」
わずかな間を置いて、
「新たな名称は――」
「第二次諸国連合です」
その瞬間、会場から大きな拍手が起こった。
先ほどまでの拍手とは明らかに違う。
そこには、敗北を前にした人々の不安を紛らわせるための音ではなかった。
自分たち自身が、ここに残ると決めたことへの歓喜があった。
「第二次諸国連合!」
誰かが叫ぶ。
その声に、別の場所からも応じる声が上がる。
「第二次諸国連合!」
貴族たちが立ち上がる。
議員たちも立つ。
これまで表情を固くしていた者まで、顔を上げて互いを見ている。
その目には、つい先ほどまであった敗北への動揺だけではなく、自分たちの意思で未来を選び取った者の熱が宿っていた。
俺はその光景を見ながら、静かに考えていた。
家名から始まった誇りが、領地への責任へ変わる。
領地を守る責任が、国家への忠誠へ変わる。
そして国家への忠誠が、国境を越えた共同体への意思へ繋がる。
それは、最初から俺が命令して作ったものではない。
ここにいる一人一人が、自分たちの守りたいものを思い出した結果として生まれたものだった。
だからこそ強い。
帝国軍が明日、さらに前へ進んだとしても、この会場で生まれた意思まで一緒に崩れるわけではない。
もちろん、戦争に勝てる保証ができたわけではない。
軍はまだ準備の途中だ。
帝国内部の反乱も始まっていない。
ノマデースからの返答もまだ届いていない。
カヴィーレスターンやエクィトゥムの戦線も、決して安全ではない。
それでも、少なくとも政治の側では、一つの答えが出た。
逃げない。
自分たちだけでは戦わない。
互いに支える。
そして、守るべきものを次の世代へ渡す。
その意思を、自分たちの新しい名前として刻んだ。
第二次諸国連合。
俺は会場を見渡した。
もう、先ほどまでの俯いた顔はほとんど残っていない。
貴族たちは自分の国の旗を見ている。
議員たちは周囲の代表たちを見ている。
さっきまで互いに別々の国の人間として座っていた者たちが、今は同じ共同体の一員として同じ場所に立っている。
政治は、ここまでだ。
ここから先は、彼らがそれぞれの国へ戻り、自分たちの持ち場で動くことになる。
そして俺にも、次に向き合わなければならない相手がいた。
王都を守る兵士たちだ。
政治家や貴族がどれだけ強く決意しても、実際に城壁へ立つのは彼らである。彼らにも、この戦いに自分の命を懸ける意味を伝えなければならない。
俺は静かに会場を後にした。
背後では、第二次諸国連合という新しい名前を口にする声が、いつまでも続いていた。
貴族たちの中には、自分の家名を守るために立ち上がった者がいる。
領地を守るために立ち上がった者もいる。
そして今、その全てが一つの国家への忠誠へ集まり、さらにその国家同士が一つの共同体として立ち上がろうとしている。
ナショナリズムの刺激
その熱を、次は軍へ届けなければならない。
――次は、軍への演説だ。
競争率が低いからでしょうが、
消えた武将に転生した 予告編が文芸、歴史の短編部門(日間、週間、月間)にランクインしていた
と気づきました!これからも頑張っていこうと思います!
レノの演説は
ゲッベルス「総力戦演説」(1943)
ルーズベルト「四つの自由」(1941)
リンカーン「ゲティスバーグ演説」
ド・ゴール「6月18日の呼びかけ」(1940)
を参考にしました。




