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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
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第37話 西方の動き

アンティクイランド王国から、西方評議会へ正式な警告が送られてから、しばらくの時間が過ぎていた。


 アエテリア帝国で何かが起きている。


 それだけは、加盟国の誰もが感じていた。


 しかし、それ以上のことは分からない。


 帝国各地で軍馬の調達が増えている。軍需工房の稼働が活発になっている。兵士が移動している地域もある。港では艦艇の整備が続いている。食料や武具が集められているという報告もある。


 それでも、その一つ一つを見れば、帝国が以前から進めてきた中央集権化や軍制改革の一環として説明できてしまう。


 だからこそ、西方評議会各国は、帝国が実際に何をしようとしているのかを判断できずにいた。


 アンティクイランド王国も同じだった。


 俺は帝国の動きを危険視していたが、帝国がいつ戦争を始めるのかも、どこを狙っているのかも知らない。何より、こちらには「これが戦争準備だ」と断定できる情報がなかった。


 それでも、何もしないという選択肢だけは取れなかった。


 だから各国は、自分たちにできる範囲で準備を始めた。


 最初に大きく動いたのは、エクィトゥム王国だった。


 王都の軍務官たちは各方面軍へ連絡を送り、現在の部隊配置と装備状況の再確認を始めていた。国境付近の要塞についても、防御設備に問題がないか、食料や武具がどの程度備蓄されているか、補修が必要な場所はないかと、一つずつ確認されていく。


「帝国が何をするつもりなのかは分からない」


 エクィトゥム王国の軍事担当者が言う。


「だからこそ、どの方面から来ても対応できるようにしておく必要がある」


 軍を一ヶ所へ集めることはしない。


 そんなことをすれば、帝国が別の方向へ動いた時に対応できなくなる。


 そのため、国境各地の兵力を再確認し、既存の軍団がどの程度の時間で移動できるのかを調べ、必要な物資の補充を進める。


 新たに大規模な徴兵を開始するわけでもない。


 ただ、戦争になった場合に備えて、動員可能な兵力がどれだけ残っているのかを確認しておく。


 それが最初の段階だった。


 カヴィーレスターン・スルタン国でも、同じような動きが始まっていた。


 ただし、こちらでは軍事だけが問題ではなかった。


 カヴィーレスターンにとって、フレイトゥム内海は国家経済そのものと深く結びついている。


 内海を通ってやって来る商船。


 港へ運ばれてくる商品。


 そこから砂漠を越えて運ばれていく香辛料、織物、金属、染料、宝石、塩、家畜。


 その流れが止まれば、商人だけではなく国家財政そのものへ影響が出る。


「主要港の警備を増やせ」


 港湾を担当する官僚が命令する。


「ただし、商船を不必要に止めるな。交易が止まれば、それだけで我々の損失になる」


 カヴィーレスターンでは、軍と商業を完全に切り離して考えることができなかった。


 軍艦の整備だけではなく、港湾施設の警備、灯台や航路案内の確認、商船の護衛、海上警備船の巡回なども強化されていく。


 しかし、それでも帝国軍が何を狙っているのかは分からない。


 だからこそ、過剰な動員は避けられていた。


 シルウァニア公国も、警戒態勢を少しだけ強めた。


 山岳地帯の国境監視所では、交代で配置される兵士が増えた。


 主要な山道についても、以前より細かく監視されるようになる。


 しかし、シルウィア公国は大国ではない。


 自国だけで大軍を編成できるわけではない。


 そのため、何か異常を確認した場合には、すぐ西方評議会へ報告する体制を優先した。


「帝国が本当に戦争を始めるなら、我々だけでは対応できない」


 シルウィア公国の軍務担当者は言った。


「だからこそ、早く情報を共有する必要があります」


 それが、西方評議会という共同体を作った意味の一つでもあった。


 だが、その「情報共有」自体が、まだ十分に機能しているわけではなかった。


 各国から送られてくる報告は、それぞれ異なる。


 見たものも違う。


 聞いたものも違う。


 帝国国内で実際に起きていることを、一つの情報へまとめるだけの材料が足りない。


 そのため、西方評議会の情報部門は、ただ報告書を集めるだけで精一杯だった。


 セプテントリアの26ヶ国では、さらに難しい問題があった。


 国そのものが小さい。


 ある国では、数百人の兵士を動員するだけでも大きな負担になる。


 別の国では、要塞の修繕費すら十分に用意できない。


 それでも帝国の東側に近い国々では、今回の警告を軽く見る者はいなかった。


「今まで通りでは危ない」


「だが、帝国が攻めてくる証拠はない」


「それでも備えなければならない」


「ならば、まず何をする?」


 その結果、多くの国で選ばれたのは、全面動員ではなく限定的な準備だった。


 要塞の修繕。


 兵器の点検。


 予備兵の名簿確認。


 食料備蓄の確認。


 馬の数の確認。


 街道の状態の確認。


 戦時に隣国へ援軍を送れるかどうかの確認。


 どれも大げさな準備ではない。


 しかし、それを26ヶ国が同時に行えば、全体としてはかなり大きな動きになる。


 西方評議会本部でも、軍事理事会が何度も会議を開くようになった。


 ただし、そこで議論される内容も、決定的なものではなかった。


「帝国の目的地は分かっているのか?」


「分かりません」


「帝国軍の総兵力は?」


「正確には不明です」


「西方へ向かっている師団数は?」


「確認できていません」


「海軍は?」


「港で整備を進めていることは確認されています。ただ、どの艦隊がどこへ向かうのかは不明です」


 同じ答えが繰り返される。


 情報がない。


 だから、具体的な作戦も立てられない。


「ならば、どうする?」


 ある代表が尋ねた。


 しばらく沈黙が続いた。


 結局、出てくるのは同じ結論だった。


「警戒態勢を維持する」


「各国の徴兵計画を確認する」


「共同軍の召集に必要な期間を確認する」


「主要港と主要街道の状況を把握する」


 それ以上は決められない。


 敵の意図が分からない以上、攻撃地点を想定することもできない。


 だから西方評議会は、広い範囲を薄く警戒するしかなかった。


 その頃、アンティクイランド王国では、以前から進めていた軍備増強計画が少しずつ次の段階へ入っていた。


 常備兵力を増やす。


 戦時動員に備える。


 諸侯軍の動員状況を整理する。


 士官候補生を増やす。


 軍需物資を蓄える。


 国境警備を強化する。


 これらは帝国への警戒だけを目的としたものではない。


 すでに何年も前から進めていた、王国そのものの軍事体制を強化するための計画だった。


 俺はその進捗報告を確認しながら、帝国のことを考えていた。


「敵がどこから来るか分からないなら、せめて自分たちが何を持っているのかを知らなければならない」


 軍務卿アトラシート伯爵も頷く。


「その通りです。だから現在、各軍団、諸侯軍、予備兵力、軍需物資について再確認を進めています」


「それなら、そのまま続けよう」


「はい」


 帝国が何をするのか分からない。


 だからこそ、こちらは自分たちの準備を進めるしかなかった。


 冬が深まるにつれて、西方評議会加盟国の軍備は少しずつ厚くなっていった。


 エクィトゥムでは要塞の整備が進む。


 カヴィーレスターンでは港の警備が増える。


 シルウィアでは山道の監視が強化される。


 セプテントリアでは各国が予備兵力を確認する。


 アンティクイランドでは徴兵と軍備増強が続く。


 そして西方評議会軍事理事会では、共同軍の召集手順が何度も確認される。


 それぞれの国が、考えられる範囲で準備をしていた。


 しかし、誰も本当の意味では準備できていなかった。


 なぜなら、誰も帝国軍の全体像を知らなかったからだ。


 どこに、どれだけの兵がいるのか。


 何個師団が動くのか。


 海軍はどこへ向かうのか。


 主攻がどこなのか。


 それすら分からない。


 だから、防衛のために軍をどこへ置けばいいのかも決められない。


 帝国がもし北へ来るなら、北を守る必要がある。


 西へ来るなら、西を守る必要がある。


 南へ来るなら、南を守る必要がある。


 しかし、全てを同時に厚く守るだけの軍を、西方評議会は持っていない。


 結局、各国は「どこへ来ても対応できるようにする」という曖昧な準備しかできなかった。


 それでも、やらないよりはましだった。


 そして19歳の冬の終わりが近づいていた。


 俺はその頃、以前より頻繁に帝国から届く報告書へ目を通していた。


 その日の報告にも、決定的な情報はない。


 帝国軍の一部部隊が移動した。


 別の地域では新兵が入営した。


 港では艦艇の整備が続いている。


 軍需工房では生産量が増えている。


 ただ、それだけだった。


 俺は資料を閉じた。


「……分からないな」


 ティアが隣から尋ねる。


「何が?」


「帝国が何をしようとしているのか」


「まだ分からない?」


「ああ」


 俺は窓の外へ目を向けた。


「でも、警戒は続ける」


「うん」


むやみに動けば帝国を挑発する結果になるだろう。今はこれくらいにとどめておくのがいいだろう。

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