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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
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幕間 統一戦争

アエテリア帝国軍最高中央司令部。


 帝都インペリアの中心部に置かれたこの施設は、帝国軍の各方面から届く戦況報告、兵員、軍需、生産、補給、輸送、海軍運用など、軍事に関するあらゆる情報が集まる場所だった。普段であれば、多くの将校や書記官が行き交い、各方面軍から送られてくる報告書を整理している。しかし、この日の中央会議室には、そうした日常の騒がしさがなかった。


 長い机の中央には、大陸全土を描いた巨大な地図が広げられている。


 東方にはアエテリア帝国。


 西方にはエクィトゥム王国、アンティクイランド王国、カヴィーレスターン・スルタン国、シルヴァニア公国、そして北方の諸国。


 その間を結ぶように、無数の街道、河川、港湾、海上交易路が描かれていた。


 その地図を囲んでいるのは、帝国軍最高中央司令部の上層部だけだった。


 帝国陸軍大将プブリウス・デイ・マクシムス。


 帝国海軍大将グナエウス・デイ・オケアヌス。


 帝国近衛軍近衛大将兼参謀総長フラウィウス・デイ・コンスタンティヌス。


 帝国中将、作戦総監ガイウス・デイ・ウァレリアヌス。

 

 帝国中将、兵站総監マルクス・デイ・アエミリアヌス。


 帝国中将、軍務総監ティトゥス・デイ・セウェリアヌス。


 帝国中将、情報総監クィントゥス・デイ・カッシアヌ。


 さらに、それぞれを補佐する少将8人、大佐16人、中佐32人、少佐48人。


 これだけの将官が集まっているにもかかわらず、会議室は異様なほど静かだった。


 誰も雑談をしていない。


 誰も勝手に資料を読み進めていない。


 机の上に置かれた書類へ手を伸ばす者すらいない。


 彼らは、この場で何が決められるのかを知らされていない。


 ただ一つだけ、全員が理解していた。


 今日呼ばれているのは、単なる作戦会議のためではない。


 そして、これほどの人間を一つに集めることができる者は、帝国軍の中に一人しかいない。


 会議室の外から、規則正しい足音が近づいてきた。


 衛兵が背筋を伸ばす。


 扉の前に立つ近衛兵が槍を垂直に構えた。


 そして次の瞬間、鋭く通る声が響いた。


「帝国軍元帥閣下、ご入室!」


 その一声だけで、会議室にいた全員が同時に立ち上がった。


 誰一人遅れない。


 誰一人先に座らない。


 扉が開く。


 入ってきたのは、帝国軍元帥マギステル・エクィス・ミリトゥムだった。


 彼は周囲を見渡しながら、ゆっくりと上席へ向かう。


 大将も。


 近衛大将も。


 各総監を務める中将も。


 少将も。


 大佐も。


 全員が直立したまま、その姿を見送っている。


 マギステルが席の前で立ち止まる。


「着席せよ」


 ようやく、全員が席へ戻った。


 マギステル自身も椅子へ腰を下ろす。


 そこから先、会議室の空気は完全に彼のものになった。


 誰も無断で発言しない。


 誰も彼の説明を遮らない。


 質問をしたい者がいても、まず元帥が話し終えるまで待つ。


 それは礼儀ではなかった。


 帝国軍最高位の軍人が発する言葉が、そのまま帝国軍の命令へ繋がることを、全員が知っているからだった。


 まして今日は違う。


 帝国軍元帥であるマギステルには、皇帝ホスティス・インペラトル・ポテンス・アエテリアから、この先の軍事行動について全権が委ねられている。


 つまり、この部屋で彼が決めたことは、会議の結論ではない。


 帝国軍の方針になる。


 マギステルは全員を見渡した。


「これより話す内容は、皇帝陛下の命による最高機密だ。ここで聞いたことを、私の許可なく外へ伝えることは認めない」


 返事はなかった。


 必要がない。


 その命令は、すでに成立している。


「そして、先に一つ伝えておく。これより帝国が行う軍事行動について、私は皇帝陛下から全権を委ねられた。陸軍、海軍、近衛軍、各総監部は、以後この会議で定める帝国軍全体の方針に従って動いてもらう」


 マギステルはそこで一度だけ間を置いた。


「皇帝陛下からお預かりした以上、私が責任を持つ。――万事、お任せあれ」


 その言葉の直後、誰も表情を変えなかった。


 しかし、室内にいた者たちは全員理解していた。


 今この瞬間から、自分たちが従うべき軍令の中心が、マギステル・エクィス・ミリトゥムであることを。


 マギステルは地図へ視線を落とした。


「では、本題に入る」


 そこから先の説明は、普段の軍事会議とは違っていた。


「我々が想定している敵は、西方評議会だ」


 誰も口を挟まない。


「しかし、これを単なる共同軍として考えるべきではない。西方評議会は複数の国家を、政治、軍事、経済という三つの面で繋いでいる。エクィトゥムが兵を出せば、カヴィーレスターンが資金や物資を支え、別の加盟国が港や街道を提供する。軍事だけではなく、交易と財政までが一つの流れになっている。だから、その一部だけを壊しても、残った部分が新しい軍を生み出すことになる」


 マギステルは地図上の都市を指で追った。


「十万人の軍を撃破したとしても、その背後に兵士を徴募できる人口が残っているなら、数年後には別の軍ができる。工房が残っていれば武器が作られ、農地が残っていれば兵を養える。街道と港が生きていれば物資が届き、財政が生きていれば戦費も調達できる。敵軍だけを見て戦争を考える時代は、もう終わったと考えるべきだ」


 誰も動かない。


「今回、我々が目指すべきなのは、敵軍の撃破だけではない。敵が戦争を続けるために必要な力、その全体を戦争の対象として捉えることだ」


 マギステルの声には、迷いがなかった。


「兵員を集める能力、生産する能力、食料を供給する能力、輸送する能力、情報を集めて命令を伝える能力、戦費を確保する能力、そして国民を戦争へ動員し続ける政治的な力。これらが一つでも残れば、敵は戦争を再開できる。我々はそれらを別々のものとして見るのではなく、一つの戦争遂行能力として扱う」


 それから、マギステルは静かに結論を口にした。


「国家の全てを、戦争へ統合する」


 一拍置く。


「それを、総力戦とする」


 会議室には、まだ誰も見たことのない言葉が生まれた。


「ただ大軍を集めるという意味ではない。国家そのものを戦争へ組み込む。兵士を送り、武器を作り、食料を蓄え、補充し、輸送し、戦費を確保する。それらを一つの戦争目的へ向ける。帝国が持つ力を、軍隊だけでなく国家全体から引き出す」


 しばらくして、作戦総監ガイウスが発言の許可を求めた。


「元帥閣下」


 マギステルが視線を向ける。


「申せ」


「総力戦は、確かに長期戦において強力でしょう。しかし、その準備には相応の時間が必要になります。その間、西方評議会が何もしないとは考えにくい」


「その通りだ」


 マギステルは頷いた。


「我々が総力を整えるなら、敵もまた総力を整える。兵を集め、物資を蓄え、防衛線を作る時間を与えれば、双方が準備を終えた状態で戦うことになる。その先に待つのは、長大な消耗戦だ。帝国はそれに耐えられる。しかし、耐えられることと、それが最も望ましい戦い方であることは別の話だ」


 マギステルの指が、西方の複数地点へ移る。


「だから、敵へ準備する時間を与えない」


「敵が一つの方面を守ろうとすれば、別の地点へ攻撃を加える。敵が兵を動かせば、その兵が到着する前に次の地点へ入る。防衛線を築こうとしたところへ別の圧力を加え、命令を出そうとした時には、すでに戦場を変える」


「海上も同じだ。港を攻撃し、輸送路を断ち、必要なら別の地点へ上陸する。敵が陸へ戦力を集めれば海から動き、海へ兵を回せば陸から押す。一つの戦場へ固執せず、敵が次の判断を下す前に、こちらが次の行動へ移る」


 ガイウスは頷いた。


「敵の判断速度を上回ることが目的なのですね」


「そうだ」


 マギステルは答える。


「単純に速く進むことではない。敵が状況を認識し、判断し、命令を出し、その命令が部隊へ届くまでの時間を上回り続ける。敵がこちらの動きを理解した時には、次の攻撃が別の場所で始まっている。その状態を維持する」


 フラウィウスが静かに尋ねる。


「その戦い方に、名を与えるのであれば?」


「雷撃戦だ」


 マギステルは即答した。


「雷が落ちる時、落ちた後に備えることはできても、落ちる前にその全てへ対応することはできない。我々も同じだ。一つの攻撃で終わらせる必要はない。敵が一つの攻撃へ対応している間に、別の場所へ次の一撃を加える。敵の認識、判断、命令、移動、その全てへ先回りする」


 クィントゥスが尋ねる。


「情報と輸送が重要になります」


「当然だ。雷撃戦は速度だけでは成立しない。次にどこを攻撃するのかを知るための情報が必要で、そこへ兵を送る輸送力が必要になる。さらに、先へ進めば進むほど武器も食料も必要になる。だからこそ、総力戦によって準備した国家の力が必要になる」


 マルクスがようやく口を開く。


「つまり、雷撃戦と総力戦は別々の思想ではない」


 マギステルが頷く。


「そうだ」


 そして、ここで初めて二つを一つの思想として結び付ける。


「総力戦によって帝国全体の戦争遂行能力を整える。その力を、雷撃戦によって敵が対応するより早く戦場へ投入する。初動では雷撃戦によって敵の指揮と防衛を崩し、突破した地点へ総力を投入する。敵が崩れれば、そのまま中枢へ進めばいい。敵が耐えれば、後方からさらに兵員と物資を送り続ける」


「短期で終われば雷撃戦が勝利を決める。長期化すれば総力戦が帝国の持久力を支える」


 マギステルは一度だけ全員を見渡した。


「速度と持久力。この二つを最初から一つの戦争思想として組み込む」


 誰も口を挟まなかった。


 マギステルが話し終えるのを待っている。


 そして、最後に元帥は地図へ目を落とした。


「この思想を前提として、統一戦争を準備する」


 その言葉で、新しい軍事思想が完成した。


 総力戦。


 雷撃戦。


 そして、その二つを組み合わせた帝国軍独自の戦争思想。


 しかし、具体的にどの国を最初に攻撃するのか。


 どの軍をどこへ投入するのか。


 どの港を奪うのか。


 どの戦線を突破するのか。


 それについては、まだ誰にも説明されていなかった。


 マギステルは地図の前から視線を上げる。


「では、具体的な戦争計画についての説明を始める」

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