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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
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第34話 海戦

フレイトゥム内海。


 その名を聞けば、大陸西部の商人なら誰もが巨大な海を思い浮かべる。


 アエテリア大陸の西側から南側にかけて広がる広大な内海であり、その対岸にはカヴィーレスターン・スルタン国の砂漠地帯が広がっている。海によってアエテリア大陸とカヴィーレスターンの砂漠は大きく分断されているが、両者の交流が途絶えているわけではない。むしろ、その海こそが両地域を結ぶ主要な交易路の一つだった。


 海岸沿いには港町が点在し、エクィトゥム王国やアンティクイランド王国から来た商船はフレイトゥム内海を横断してカヴィーレスターンの港へ向かい、そこから砂漠を越える隊商へ荷を引き渡す。逆に、砂漠の向こうから運ばれてきた香辛料、染料、宝石、織物、塩、金属などが港へ集められ、船によって西方諸国へ運ばれていく。


 地図の上では、ただ海が横たわっているだけに見える。


 しかし実際には、港、島、入り江、岩礁、狭い水路が複雑に入り組み、それぞれの海域に異なる潮流や風向きが存在していた。そのため、フレイトゥム内海を熟知している船乗りと、そうでない船乗りでは、同じ船を操っていても行動能力に大きな差が出る。


 さらに重要なのが、内海の東側だった。


 フレイトゥム内海によって完全に切り離されているように見えるアエテリア帝国とカヴィーレスターンだが、カヴィーレスターン北東部と帝国南東部は陸続きになっている。そこには古くから陸路が伸びており、帝国とカヴィーレスターンは海上だけでなく陸上でも繋がっていた。


 だからこそ、フレイトゥム内海は単なる交易海域ではない。


 アエテリア大陸側の諸国とカヴィーレスターンを繋ぐ巨大な海上回廊であり、同時に東方の大国と南方の交易国家を結ぶ重要な地理的境界でもある。


 その海を、今は異なる国の軍艦が進んでいた。


 エクィトゥム王国海軍の戦闘艦。


 カヴィーレスターン・スルタン国の護衛艦。


 アンティクイランド王国の補給艦。


 シルウァニア公国の偵察船。


 セプテントリア諸国から派遣された支援艦。


 それぞれの国旗を掲げながら、艦艇は一つの隊列を作っている。


 その中心には、今回の連合海軍を指揮する旗艦があった。


「東側海域に商船団を確認!」


 見張り台から声が上がる。


「護衛対象は?」


「エクィトゥム籍が六隻、アンティクイランド籍が三隻、カヴィーレスターン籍が二隻です!」


 司令官が海図を確認した。


「北側の航路を維持する。偵察船は前方へ」


「了解!」


 命令が伝わる。


 シルウァニア公国の偵察船が先行する。


 小型の船体を利用して海岸線へ近づき、入り江や岩礁を確認しながら進んでいく。大艦ほど速度や防御力はないが、細かな海域の観察には向いていた。


 その時だった。


「前方、船影!」


 再び見張りの声が響いた。


「数は……多い!」


 司令官が顔を上げる。


 水平線近くに、いくつもの帆が見える。


 一隻。


 二隻。


 三隻。


 そして、その後ろにも続いている。


「旗を確認!」


 しばらくして、見張りが叫んだ。


「黒旗です!」


 甲板の空気が一気に変わった。


「海賊!」


 兵士たちが武器を手に取る。


 バリスタの射手が射撃位置へ移動する。


 弓兵と弩兵も甲板上へ散開した。


 海賊船はまっすぐこちらへ向かってくる。


 通常なら、数の差を見ればこちらが圧倒的に有利だった。


 だが、フレイトゥム内海では単純な数だけで戦況は決まらない。


 海域が広い。


 船同士の距離を保ちながら戦えば、互いに攻撃することはできる。


 しかし、今回の目的は敵船を全て撃沈することではなく、海賊船を追い、拿捕し、商船を守ることだった。


 だからこそ、連合海軍は海賊船へ不用意に突っ込むことができない。


「距離、700!」


「500!」


「まだ待て!」


 司令官が命じた。


 海賊船がさらに近づく。


「400!」


「撃て!」


 バリスタが一斉に放たれた。


 大型の矢が海上を飛び、海賊船の船体へ突き刺さる。


 何本かは舵や帆柱の近くへ命中した。


 だが、海賊船は止まらない。


「敵も撃ってきます!」


 次の瞬間、海賊船から大量の矢が放たれた。


 連合海軍の甲板へ降り注ぐ。


「盾!」


 兵士たちが盾を掲げる。


 矢が木製の盾へ突き刺さる。


 さらに弩兵が反撃し、敵船の甲板へ向けて矢を放った。


 双方の船が互いに距離を詰めていく。


 海戦は陸戦とは違う。


 広い海の上で船が自由に動けるように見えても、実際には風、潮流、帆、舵、それぞれの状態によって進路が決まる。


 そして船と船の距離が近づけば、最も危険な戦いが始まる。


 移乗攻撃だ。


 海賊船の一隻が、突然進路を変えた。


「右へ回った!」


「こちらへ来ます!」


 連合海軍の操舵手が舵を切る。


 だが、海賊船も同じように方向を変える。


 狙いは、船体中央ではない。


 船首だった。


「衝突に備えろ!」


 声が響いた。


 海賊船の船首には、通常より厚い装甲が施されている。


 まるで敵船へ体当たりするために作られたかのような構造だった。


「回避!」


 操舵手が力を込める。


 船体が大きく傾く。


 だが、完全には避けきれなかった。


 次の瞬間、船首と船首が激しく衝突した。


 甲板が大きく揺れる。


 兵士たちが足を踏ん張る。


 木材が軋む音が響く。


 それでも、船体そのものは持ちこたえた。


 衝突した二隻は、そのまま互いの船体を押し合う位置へ入る。


「接舷!」


「移乗攻撃に備えろ!」


 連合海軍兵が盾を構えた。


 海賊側から板が渡される。


 次の瞬間、最初の敵兵が飛び込んできた。


「来るぞ!」


 槍が突き出される。


 盾で受ける。


 剣が振られる。


 甲板上で白兵戦が始まった。


 船上では、地上のように自由に動けない。


 帆柱がある。


 索具がある。


 滑りやすい甲板がある。


 そのため、一人が前へ出れば、その後ろの兵士まで簡単には続けない。


 逆に一人の兵士が押されれば、すぐ背後の仲間が支えなければならない。


「押し返せ!」


 連合海軍兵が声を上げる。


「敵を船から出すな!」


 海賊も必死に抵抗する。


 船と船が繋がっている限り、これは海戦ではなく、二隻の船を舞台にした陸戦に近い。


 その隣では別の艦艇が衝突した。


「こちらも接舷された!」


「敵が乗ってきます!」


「迎撃!」


 さらにその奥でも、バリスタの射撃が続いている。


 複数の船が同時に戦い、海上のあちこちで衝突と移乗攻撃が発生していた。


 しかし、連合海軍にも強みがあった。


「カヴィーレスターン艦、左側面へ!」


 護衛艦が動く。


 接舷戦をしている味方艦の外側へ回り込み、孤立した海賊船の側面へ向かう。


「射撃準備!」


 バリスタが旋回する。


「撃て!」


 巨大な矢が飛ぶ。


 海賊船の船体へ深く刺さり、その進路を乱す。


「もう一度!」


 続いて弩兵が射撃する。


 海賊船の甲板へ矢が降り注ぐ。


 海賊船の速度が落ちた。


「今だ!」


 カヴィーレスターン艦が横から接近する。


 船体同士が擦れ、互いの甲板が近づいた。


「移乗攻撃!」


 兵士たちが敵船へ飛び移る。


 再び白兵戦が始まった。


 カヴィーレスターン兵は砂漠の隊商路を守るため、商船護衛や武装護衛に慣れている者も多い。狭い場所で敵を抑え、護衛対象を守る戦いには向いていた。


 その一方で、エクィトゥム艦隊は別の場所で複数の敵船を引きつけている。


 大規模な艦隊を扱う能力。


 それが、こうした局地戦でも現れていた。


 旗艦の船上。


 司令官は、海図と周囲の船を交互に見ていた。


「偵察船から報告!」


「海賊船の一部が北東へ逃走しています!」


「追撃船を回せ」


「了解!」


 その命令が伝わる。


 シルウァニア公国の偵察船が進路を変えた。


 だが、海賊船は海岸線へ近づいていく。


 フレイトゥム内海には、大小の入り江や岩礁地帯がある。


 大型船では入りにくい場所でも、小型船なら進める。


「大型艦は無理に追わせるな」


 司令官が命じた。


「偵察船だけで追え」


 これは、海域を知る船の能力を利用した判断だった。


 敵を一隻も逃したくないからといって、巨大な軍艦まで狭い水路へ入れれば、逆にこちらが座礁したり、隊列を崩したりする危険がある。


 海賊船は、その地理をよく理解しているようだった。


 そして、それを見ていたのは連合海軍だけではなかった。


 海賊船の一隻。


 その船上に立つ海軍少佐は、周囲の戦況を静かに見つめていた。


 服装は粗末な海賊風。


 帝国海軍の紋章は隠されている。


 だが、その視線は海賊のものではない。


 どの艦がどこへ向かったのか。


 どの船が誰の所属なのか。


 どの部隊がどの命令に従ったのか。


 全てを見ていた。


「エクィトゥム艦、前へ出た」


 部下が報告する。


「カヴィーレスターン艦が右へ回り込んでいます」


「予定通りだ」


 少佐は答えた。


 敵の艦隊は、単なる寄せ集めではない。


 それぞれの国が独自の艦を持っている。


 それでも連携している。


 エクィトゥムが圧力をかけ、カヴィーレスターンが側面を取る。


 シルウァニアが海岸線を偵察し、セプテントリアの船がその外側を警戒している。


 アンティクイランドの補給艦は戦場の中心から離れた場所で動き、そこから艦隊へ物資を回している。


 さらに重要なのは、指揮官が変わっても艦隊全体が止まっていないことだった。


「……予想以上だな」


 少佐が呟く。


 西方評議会連合海軍は、まだ完全ではない。


 通信に時間差がある。


 各国で操艦の癖も違う。


 戦闘の仕方も違う。


 それでも、少なくとも一つの命令系統によって動くことはできる。


 それを確認した時、少佐は決断した。


「全船、第二離脱線へ」


「了解!」


 海賊船が一斉に進路を変える。


 さらに一隻が連合海軍艦を引きつけ、別の船が離脱する。


 無理に戦い続けない。


 海賊船の全てが一斉に逃げるのではなく、何隻かが残って時間を稼ぎ、その間に他の船が海岸線の複雑な地形へ入っていく。


「追撃しますか?」


 連合海軍側でも声が上がった。


 だが司令官は周囲の海図を見る。


「深追いするな」


 そう命じた。


「ここから先は地形が複雑だ。偵察を優先する」


 海賊船は少しずつ距離を取っていく。


 その動きを見ながら、少佐は小さく息を吐いた。


 今日の目的は、海賊として勝つことではない。


 西方評議会が、どのように戦うのかを知ることだった。


 そして、その答えはもう十分に得られている。


 やがて海戦は終息へ向かった。


 数隻の海賊船が拿捕され、乗組員の一部も拘束された。


 一方で、逃走した海賊船も少なくない。


 連合海軍は勝った。


 少なくとも、その場の海戦では。


 しかし、完全な殲滅には至っていなかった。


 司令官は甲板からフレイトゥム内海を見つめた。


 広大な海。


 その向こうにはカヴィーレスターンの砂漠地帯がある。


 そして東へ視線を移せば、陸続きとなった地域を経由してアエテリア帝国へ繋がっている。


 この海を守るということは、単に商船を守るだけではない。


 西方諸国の経済と、カヴィーレスターンの交易網を守ることでもある。


 さらに、海上の共同防衛が機能するかどうかを確かめることでもあった。


「被害報告をまとめろ」


 司令官が命じる。


「そして、拿捕した船を調査する」


「はい」


 連合海軍の艦艇がゆっくりと隊列を整えていく。


 エクィトゥム。


 カヴィーレスターン。


 アンティクイランド。


 シルウァニア。


 セプテントリア。


 異なる国の艦艇が、一つの海域で同じ任務を終えた。


 その光景を、遠く離れた場所から帝国海軍第11艦隊の偽装部隊も見ていた。


 海軍少佐は最後までその姿を目に焼きつける。


 西方評議会連合海軍は、まだ未完成だ。


 それでも、もう「存在するだけの軍」ではない。


 実際に艦艇を集め、指揮系統を一本化し、異なる国家の軍人が同じ作戦へ参加する。


 その事実こそが、今回の偵察で得られた最大の情報だった。


 そして、その情報はやがて帝国軍元帥マギステル・エクィス・ミリトゥムのもとへ届けられることになる。

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