第33話 元帥の命令
アエテリア帝国の中央集権化が進むにつれて、帝国軍の姿もまた大きく変わっていた。
かつての帝国軍には、明確な一つの形がなかった。帝国を構成する各国がそれぞれ自前の軍を持ち、帝国から召集がかかった時だけ兵士を差し出す場合もあれば、構成国軍そのものが独自の指揮系統を維持したまま帝国軍の作戦へ参加する場合もあった。歩兵の装備も騎兵の編制も地域ごとに違い、同じ「帝国軍」と呼ばれていても、実際には異なる軍隊が同じ旗の下へ集まっているに過ぎないことが多かったのである。
ホスティス・インペラトル・ポテンス・アエテリアは、その体制を内戦の原因の一つと考えていた。
皇帝候補者を支持する構成国が自前の軍を動かし、元老院が政治的な正統性を主張し、別の構成国が独自の利益を守ろうとする。そんな状態では、一つの戦争に勝つための軍隊を作るどころか、皇帝が軍事命令を出した瞬間に帝国そのものが分裂する危険すらあった。
だからホスティスは、国家の制度と軍隊を同時に変えた。
構成国軍の独立性を失わせ、帝国軍へ統合する。徴兵制度を帝国全体で統一し、兵士の訓練方法、武器規格、軍馬の管理、兵站、軍事記録まで中央で管理する。各地域へ送られる命令は帝国軍最高司令部から地方司令部を経由して各部隊へ伝えられ、現地の君主や諸侯が軍事的な都合だけを理由に命令系統へ割り込むことは、原則として認められなくなった。
その改革の結果、現在の帝国陸軍は平時から約400,000人の常備軍を維持している。戦争になれば、さらに約500,000人を戦時招集し、最大で約900,000人規模まで膨らませることができる。
ただし、900,000人という数字だけを見れば、かつての帝国軍と同じ巨大な寄せ集めに見えるかもしれない。
実際には、その内部構造がまるで違っていた。
平時の400,000人は、40個の常備師団へ分けられている。一つの師団は約10,000人であり、4個師団によって一つの軍団を構成する。軍団は全部で5個あり、80,000人規模の軍団をそれぞれ中将が指揮する。その下に40個の師団が置かれ、それぞれを少将が率いる。
師団の内部も統一されている。4個旅団が一つの師団を構成し、旅団長は大佐。旅団の下には4個連隊があり、連隊長は中佐。連隊は4個大隊から成り、それぞれを少佐が指揮する。大隊は3個中隊、中隊は3個小隊、小隊は3個分隊という編制であり、中隊長は大尉、小隊長は中尉、分隊長は伍長が務める。
そのため、400,000人の常備軍は、組織上ほぼ同じ形の40個師団として編成されていた。
40個師団を5人の中将が分担する。
40人の少将が、それぞれの師団を指揮する。
160人の大佐が旅団を率い、640人の中佐が連隊を率いる。
2,560人の少佐が大隊を指揮し、7,680人の大尉が中隊を指揮する。
23,040人の中尉が小隊を率い、その下で69,120人の伍長が分隊をまとめる。
もちろん、実際の帝国軍にいる将校はそれだけではない。師団や軍団の司令部、地方司令部、最高司令部、教育部隊、兵站部隊、工兵、軍医、通信、軍法などにも将校が必要だからだ。上の数字はあくまで、常備戦闘部隊の主要指揮官を数えた場合の基本値である。
そして、この軍隊を支えているのが下士官だった。
伍長は最も兵士に近い指揮者であり、分隊の日常訓練や戦闘時の直接的な統率を担う。軍曹は小隊の中で中尉を補佐し、兵士の練度や装備、規律を管理する。曹長は中隊の最先任下士官として大尉を支え、兵士と下士官の状態を把握しながら中隊全体の現場管理を行う。
帝国軍にとって、これは単なる上下関係ではない。
士官が作戦を考え、下士官がその作戦を現場へ落とし込み、兵卒が実際にそれを実行する。
この連携があって初めて、巨大な軍隊が軍隊として機能する。
そして、曹長のさらに先には准尉という階級がある。
准尉は士官候補生だった。
士官学校を終えた者も、現場で優秀な実績を残した下士官も、一定の選抜を受ければ准尉となり、士官としての実地研修へ入る。地図を読む。作戦を理解する。部隊を動かす。兵站を把握する。軍法を学ぶ。そして、士官として必要な判断力を身につける。
その中から、さらに選抜された者だけが少尉へ任官する。
そして、ここに帝国軍独自の制度があった。
少尉は通常の小隊長にはならない。
小隊長を務めるのは中尉だからだ。
少尉は、精鋭士官として選抜される。
皇帝近衛。
特殊戦部隊。
精鋭偵察隊。
魔法戦部隊。
その他、通常部隊とは異なる高度な任務を担う部隊。
そうした場所では、少尉だけが正規士官として所属する。
兵士や下士官がいることは当然だが、士官として配置されるのは少尉だけ。彼らはそこで特殊な戦闘技術や任務を学び、さらに能力を認められれば、将来は通常の士官系統へ進むこともあれば、そのまま近衛や精鋭部隊へ残ることもある。
つまり、帝国軍では兵卒から始まっても、伍長、軍曹、曹長、准尉を経て士官へ上がる道が存在する。
それは、貴族だけが軍を率いる旧来の帝国とは違う、新しい軍人制度だった。
この巨大な陸軍を、帝都から直接管理することはできない。
そこで帝国全土には地方司令部が置かれている。
主要な5軍団の活動地域を中心に軍管区が設定され、それぞれに地方司令部が存在する。地方司令部の上級指揮官は中将であり、その下には少将や大佐級の幕僚が配置される。
ただし、それらは近代的な官庁のような巨大組織ではない。
少人数の上級将校が作戦、兵站、動員、情報、通信などの担当を受け持ち、その命令を軍属の書記官、記録官、地図官、伝令官たちが実務として処理する。帝国の文化そのものはローマや中世の延長にあるため、軍の外見もまた古い。軍旗は家門や地域の伝統を残し、騎士階級も存在し、剣や槍や弓が主力兵器として使われる。
しかし、その古い文化の中に、異常なほど統一された命令体系が組み込まれていた。
皇帝が決める。
元帥が軍事命令へ変える。
最高司令部が全体の作戦を作る。
地方司令部が現地へ落とす。
軍団、師団、旅団、連隊、大隊、中隊、小隊、分隊へ順番に伝わっていく。
旧帝国では、そのどこかで構成国の君主が止めることができた。
今は違う。
皇帝の命令は、帝国軍の命令として処理される。
それこそがホスティスの改革だった。
海軍も、同じように大きく再編されていた。
帝国海軍の艦艇は合計460隻。
その中で中央艦隊だけが別格の規模を持ち、100隻を擁している。帝都と皇帝直属の戦略予備として扱われ、重要海域へ大規模な艦隊を送り込むこともできる。
中央艦隊を指揮するのは海軍中将。
そして帝国海軍全体を統括するのは、海軍大将だった。
中央艦隊以外には第1艦隊から第12艦隊までの12個艦隊があり、それぞれ30隻で構成される。
30隻が12個。
360隻。
中央艦隊100隻を合わせて460隻になる。
12個艦隊の司令官には、それぞれ海軍少将が一人ずつ置かれている。
つまり、海軍大将が帝国海軍全体を統括し、海軍中将が中央艦隊100隻を指揮し、12人の海軍少将が各30隻の艦隊を率いる。
陸軍と同じように、海軍でも艦隊ごとの指揮系統が完全に統一されていた。
そして、その中に第11艦隊がある。
30隻。
西方海域を担当する艦隊だった。
その司令官は、海軍少将。
普段の任務は哨戒、通商路の監視、沿岸防衛、海軍施設の維持、そして帝国商船の護衛などである。
しかし、ある夜。
第11艦隊司令官の執務室へ、帝国軍最高司令部から一通の封書が届けられた。
「元帥閣下からの極秘命令です」
少将は封蝋を確認した。
一般の海軍命令なら海軍大将を経由する。
それが帝国軍元帥から直接届いているということは、通常の艦隊任務ではない。
「開けよう」
少将が封を切る。
中に入っていた命令書は短かった。
フレイトゥム海峡周辺において、海賊活動を意図的に活発化させること。
目的は、エクィトゥム王国、カヴィーレスターン・スルタン国、アンティクイランド王国を含む西方諸国の海軍対応を観測すること。
西方評議会が設立した連合海軍制度の実効性を調査すること。
ただし、帝国の関与を示す証拠は残さないこと。
少将は最後まで読み終えると、しばらく黙っていた。
「……海賊を使って、西方評議会を試すつもりですか」
目の前に立つ使者は答えた。
「そういうことです」
「戦争を起こす必要はない、と」
「元帥閣下はそうお考えです」
少将は命令書を机へ置いた。
「具体的には?」
「第11艦隊から一部艦艇を選抜します。艦隊本隊には通常任務を継続させ、選抜した艦艇だけを別行動にします」
「何隻だ」
「6隻です」
少将の眉がわずかに動く。
30隻のうち6隻。
艦隊全体の能力を失わせることなく、それでも一つの海賊勢力として行動できるだけの規模だった。
「指揮官は?」
「海軍少佐を一人」
少将は納得したように頷いた。
「私自身は表向き、第11艦隊司令官として残るわけだな」
「はい」
「ならば、艦隊が海賊になったという記録は残らない」
「その通りです」
少将はもう一度命令書を見る。
海賊として活動する6隻。
その裏には帝国海軍の人間がいる。
そして、その目的は略奪そのものではない。
観察だった。
数日後。
第11艦隊30隻のうち、6隻が夜明け前に静かに本隊を離れた。
帝国海軍旗は降ろされ、船体の装飾は取り外される。船員たちの服装も通常の軍装から変更され、帝国海軍を思わせるものは可能な限り隠された。
その6隻を率いるのは、海軍少佐だった。
彼は作戦の全貌を知る数少ない軍人の一人であり、部下たちには必要な範囲だけを伝えた。
「我々は当面、海賊として行動する」
船室に集められた士官たちが彼を見る。
「対象は主に商船。必要以上の殺傷は禁止する。目的は積荷を奪うことそのものではない」
「では?」
副官が尋ねる。
「西方諸国の反応を見る」
少佐は航路図へ目を落とした。
「どの国が最初に動くのか。単独で対応するのか。それとも共同するのか。そして、共同するなら誰が指揮するのか」
さらに、
「こちらが姿を消した後、別の国の海軍がどれだけ早くその海域へ入ってくるのかも確認する」
それは海賊の作戦ではなかった。
軍事偵察だった。
最初の襲撃は、エクィトゥム王国籍の商船だった。
積荷の一部が奪われる。
次にはカヴィーレスターンの交易船が狙われる。
その数日後には、アンティクイランドへ向かう輸送船団の一部が襲われた。
海賊は同じ場所に長く留まらない。
エクィトゥム海域へ現れたと思えば、今度はカヴィーレスターン側へ姿を見せ、その後にアンティクイランド側へ移動する。
三国が別々に追跡すれば、海賊は別の海域へ逃げる。
その繰り返しによって、西方諸国の海軍は次第に一つの問題へ直面していった。
自国の海域だけを守っていても意味がない。
海賊は国境の概念を持たない。
ならば、こちらも国境を越えて追う必要がある。
そのためには、他国の海軍と情報を共有しなければならない。
そして、それを実際に行う仕組みは――。
第二次諸国連合しかなかった。
王都レクィエリア。
第二次諸国連合軍事理事会へ、フレイトゥム海峡の被害報告が次々と届いていた。
「被害を受けた商船は、すでに20隻を超えています」
「エクィトゥム、カヴィーレスターン、アンティクイランドの3国にまたがっています」
「海賊の規模は約1,000人」
「武装船は20隻前後と推定」
軍事理事会の代表たちは地図を見る。
「第1級緊急事態に該当する」
誰かが言った。
「同意します」
別の代表が答える。
「加盟国の国家存続に関わるほどではありません。しかし、共通交易路が継続的に攻撃されている以上、第二次諸国連合として対応すべきです」
そして、最高評議会へ正式な申請が送られることになる。
第二次諸国連合が初めて、本当に「共同して戦う」ために軍を動かす瞬間だった。
その報告を、遠く帝都インペリアの一室でも受け取っていた男がいる。
帝国軍元帥マギステル・エクィス・ミリトゥム。
彼の前には、第11艦隊から送られてきた極秘報告書が置かれていた。
「第二次諸国連合は動いたか」
「はい」
「どれだけ?」
「まだ集計中ですが、エクィトゥムを中心に連合海軍の編成が始まっています。カヴィーレスターン、アンティクイランドも参加する見込みです」
「指揮官は?」
「エクィトゥム王国海軍の提督が候補となっています」
マギステルは小さく頷いた。
「では、次を見よう」
彼が知りたいのは、海賊が勝つかどうかではなかった。
第二次諸国連合が第1級緊急事態をどう判断するのか。
何隻を出すのか。
どの国が何を担当するのか。
エクィトゥムとカヴィーレスターンは本当に同じ指揮官の命令を受けるのか。
アンティクイランドは兵站をどこまで支えるのか。
そして――。
海賊が逃げた瞬間、別の国の海軍がどれだけ早くその海域へ入ってくるのか。
マギステルは、一つ一つを記録していた。
「今回の作戦で、連合海軍の形が見える」
側近が尋ねる。
「その後は?」
「まだ決めない」
マギステルは答えた。
「まず知ることだ」
それだけ言って、彼は次の報告書へ目を移した。
戦争を始めるには、まだ早い。
だが、敵がどのように戦うのかを知るには、今がちょうどいい。
第二次諸国連合にとっては、初めての第1級緊急事態。
帝国にとっては、初めての本格的な軍事観測。
フレイトゥム海峡を巡る海賊事件は、表向きには単なる海上犯罪だった。
しかしその裏では、東西の巨大な勢力が互いの実力を測り始めていた。
そして第11艦隊から分離された6隻の海軍偽装部隊は、まだ誰にも知られないまま、次の襲撃地点へ艦首を向けていた。




