第32話 初めての出兵
西方評議会が正式に発足してから、しばらくの時間が経っていた。
最高評議会、軍事理事会、経済理事会の三つの機関は、それぞれの役割に従って少しずつ実務を積み重ねている。加盟国間の関税は段階的に引き下げられ、共通通貨として広く流通している帝国通貨の使用も進められていた。各国の代表が常駐する旧王弟宮では、以前なら個別の国家間交渉で処理されていた問題が、今では西方評議会の議題として持ち込まれるようになっている。
その中で、初めて軍事理事会が本格的に扱うことになった問題があった。
フレトゥム海峡周辺の海賊である。
最初に異変が報告されたのは、海峡を通過する商船の被害が増え始めたことだった。船を襲われた商人から各国へ届けられた報告を調べると、同じ海賊集団が一つの国の海域だけに現れているわけではないことが分かった。エクィトゥム王国の南西海域で商船を襲った数日後にはカヴィーレスターン・スルタン国へ向かう交易船が狙われ、そのさらに後にはアンティクイランド王国へ向かう船団まで攻撃を受けている。
海賊は国境を越える。
それは陸上の盗賊とは違う意味を持っていた。海には国境線があっても、船はそれを気にせず移動することができる。エクィトゥムの海軍が追えばカヴィーレスターン側へ逃げ、カヴィーレスターンが追えばアンティクイランド側へ姿を消す。三国がそれぞれ単独で追跡を続けても、そのたびに別の国の海域へ逃げられるのであれば、海賊を根本から排除することは難しい。
「これは、各国が別々に対処する問題ではありません」
王都レクィエリアの西方評議会本部、軍事理事会の会議室で、エクィトゥム王国の海軍代表が地図を広げながらそう述べた。
「海賊は一国の船だけを狙っているわけではない。フレトゥム海峡を通る商船そのものを狙っています。放置すれば、評議会の共通市場が拡大するほど被害も拡大するでしょう」
カヴィーレスターン代表が資料へ目を落とす。
「我が国の隊商交易と海上交易は、フレトゥム海峡を経由する商船に強く依存しています。すでに保険にあたる海上補償の金額が上昇し始め、商人の一部は航路変更を検討しています」
アンティクイランド代表も頷いた。
「こちらでも同じです。王都へ向かう輸送船団の一部が、以前より長い航路を選ぶようになっています。商品の到着が遅れれば、その分だけ国内価格にも影響が出る可能性があります」
俺は黙って資料を見ていた。
これは単なる海賊討伐ではない。
西方評議会の経済統合そのものに関わる問題だ。
関税を下げ、各国の市場を一つに近づける。
その一方で、共通の交易路が海賊によって脅かされれば、統合そのものの利益が失われる。
「海賊の規模は?」
俺が尋ねる。
「現在の推定では、武装船が二十隻前後。乗組員を含めて、千人程度の勢力と見られています」
「それほど大きくないな」
「はい」
海軍代表が答えた。
「ですが、船団が複数に分かれて行動しているため、実際の被害は規模以上に広がっています。また、海賊がどこを拠点としているのかも、まだ完全には把握できていません」
その言葉に、俺は地図へ視線を落とした。
20隻程度。
1,000人程度。
正面から戦えば、そこまで大きな脅威ではない。
しかし問題は、どこにいるのか分からないことだった。
そして海は広い。
さらに、海賊が港の町を拠点としているとは限らない。無人島や入り江、岩礁地帯など、船だけを隠せる場所はいくらでもある。
「軍事的には第1級でしょう」
軍事理事会議長のフェルゼンハルト公爵が口を開いた。
「局地的な危機であり、西方評議会加盟国全体の存続を脅かしているわけではない。それでも複数加盟国の交易と安全に直接影響している以上、連合軍制度を試すには適切な案件です」
俺も頷いた。
第1級緊急事態。
あらかじめ定めた最大拠出量の25%までを基準として動員できる。
ただし、毎回上限まで出す必要はない。
今回の敵は約20隻。
1,000人程度。
22万人を動かす必要などない。
「今回は海軍中心で編成する」
俺が言った。
「陸軍を大量に動かしても、海賊を追えない。必要なのは船と情報、それから港湾を使った補給だ」
カヴィーレスターン代表が頷く。
「我々も同意します」
「ただし、海軍力だけでは足りないでしょう」
アンティクイランド側から声が出る。
「港湾の出入り、商船の航路、積荷、停泊記録などを確認しなければ、海賊の補給や支援者を追えません」
俺はその意見を聞いて、少しだけ目を細めた。
「つまり、軍事理事会だけで終わらない」
「その通りです」
カヴィーレスターン代表が答えた。
「経済理事会にも協力してもらう必要があります。海賊討伐そのものは軍事ですが、海賊へ商品を売っている商人、盗品を買い取っている商会、偽装された船荷証券、港湾使用記録まで調べなければ、本当の意味で終わりません」
会議室が静かになった。
今回の事件は、軍事と経済が切り離せないことを、改めて示していた。
「では、今回の第1級緊急事態について確認します」
軍事理事会議長が資料へ目を落とした。
「危機の対象は、フレトゥム海峡および周辺海域を航行する加盟国商船への海賊攻撃」
「対象国は、エクィトゥム王国、カヴィーレスターン・スルタン国、アンティクイランド王国」
「必要な範囲でシルウァニア公国、アエテリア帝国亡命政府、セプテントリア諸国からも支援を受ける」
そして、今回の海軍編成案が示される。
「エクィトゥム王国から、戦闘艦十八隻」
「カヴィーレスターン・スルタン国から、護衛艦十隻」
「アンティクイランド王国から、補給艦六隻、輸送・連絡用の船四隻」
「シルウァニア公国から、沿岸偵察船四隻」
「セプテントリア諸国から、港湾支援船および偵察船六隻」
「アエテリア帝国亡命政府からは、海軍参謀および情報担当官を派遣する」
合計で、戦闘・護衛・偵察・補給を合わせて48隻。
エクィトゥム王国が主力を負担し、カヴィーレスターンが護衛を担当し、アンティクイランドは兵站を支え、シルウァニアは沿岸偵察を担う。
「海上戦闘だけなら、もっと少なくても対応できます」
エクィトゥム代表が言った。
「しかし、海賊を探し出して討伐するなら、巡回と追跡を同時に行えるだけの船が必要です」
俺は頷いた。
「一度戦って勝つだけじゃなく、海賊が戻ってこない状態を作る必要がある」
「はい」
次に、指揮系統が確認された。
今回も、連合海軍へ編入された艦艇は、それぞれの国家の所属を維持したまま、作戦指揮だけを西方評議会へ移す。
「連合海軍司令官は誰にする?」
俺が尋ねる。
「候補はエクィトゥム王国海軍の提督です」
軍事理事会の担当者が答える。
「フレトゥム海峡周辺ではエクィトゥム王国海軍の活動経験が最も多く、艦隊運用能力も高いため、今回の作戦には適任と考えます」
「異論はありません」
カヴィーレスターン代表が頷いた。
「ただし、作戦範囲をフレトゥム海峡周辺に限定してください」
「当然です」
アンティクイランド代表も続ける。
「今回の任務は海賊討伐であり、他国への軍事行動ではありません」
こうして、連合海軍司令官はエクィトゥム王国海軍の提督が担当することになった。
ただし、提督が勝手に戦争を始めることはできない。
海賊船への攻撃。
追跡。
拿捕。
海賊拠点の封鎖。
商船護衛。
それら今回承認された作戦目的の範囲でのみ指揮権を持つ。
「それでは、第1級緊急事態として最高評議会の承認を求めます」
軍事理事会から最高評議会へ正式な申請が送られた。
数日後。
最高評議会の会議室に、エクィトゥム、カヴィーレスターン、アンティクイランド、シルウァニア公国、アエテリア帝国亡命政府、セプテントリア諸国の代表が集まっていた。
アトラシート伯爵が議案を読み上げる。
「フレトゥム海峡周辺における海賊活動の急増に対して、第1級緊急事態を適用し、評議会連合海軍を臨時編成することを提案します」
会議室の代表たちが資料を見る。
「今回の危機は限定的であり、全面的な陸軍動員は必要ありません。海軍を中心として対処し、商船航路の安全確保と海賊の活動停止を目的とします」
そこで、俺が口を開いた。
「今回の作戦は、西方評議会にとって初めての実戦的な共同防衛活動になります」
代表たちがこちらを見る。
「だからこそ、海賊を倒すことだけではなく、制度そのものが機能するか確認したい」
海軍を出す。
しかし、それだけではない。
情報を共有する。
商船の航路を把握する。
港湾記録を照合する。
海賊の補給源を追う。
各国がそれぞれ得意な分野を担当し、それを一つの作戦へまとめる。
「戦争ではありません」
俺は続けた。
「加盟国の交易路を守るための共同防衛です」
その言葉を受け、投票が行われた。
賛成多数。
第1級緊急事態の適用が承認された。
西方評議会連合海軍の編成も正式に決定した。
翌朝。
フレトゥム海峡の西側海域では、48隻の艦艇が隊列を組んでいた。
異なる国の旗が、同じ海風を受けて揺れている。
先頭にはエクィトゥム王国海軍。
その後ろにはカヴィーレスターンの護衛艦。
中央にはアンティクイランドの補給艦。
周囲にはシルウァニアとセプテントリアの偵察船。
そして旗艦には、各国から派遣された参謀と連合海軍司令官が乗っている。
「出航準備、完了しました」
「護衛艦隊、配置完了」
「偵察船も予定地点へ向かわせています」
それぞれの報告が一つの司令部へ集まってくる。
以前なら、それぞれの国の海軍本部へ報告していた。
今は違う。
「連合海軍、出航する」
命令が伝わる。
48隻の艦艇が一斉に動き始めた。
フレトゥム海峡。
西方評議会にとって重要な交易路。
その海を、異なる国家の艦隊が一つの指揮系統の下で進んでいく。
それを見ながら、俺はふとシルウァニア戦争のことを思い出していた。
あの時は、同じ陣営に属していても、軍は一つになっていなかった。
今回は違う。
海賊討伐という限定された任務ではある。
それでも、国を越えて一つの軍として動いている。
そして、この作戦が成功すれば、西方評議会連合軍という仕組みは、初めて「実際に役に立つ制度」として加盟国に認識されることになる。
逆に失敗すれば、制度そのものへの不信につながる。
だから、今回の海賊討伐は小さな戦争に見えて、その意味は決して小さくなかった。
西方評議会連合海軍。
その最初の実戦が、今、フレトゥム海峡で始まろうとしていた。




