第31話 合同軍事演習
最高評議会では加盟国間の外交問題や条約に関する協議が行われ、経済理事会では共通市場、関税、通貨、財政支援などについて議論が続いている。一方、軍事理事会では、加盟国が非加盟国から攻撃を受けた場合に編成する西方評議会連合軍について、制度を実際に運用できるものへ仕上げるための準備が進められていた。
しかし、俺には一つ気になっていることがあった。
制度が紙の上で整っていても、それだけでは意味がない。
軍事理事会が共同軍の編成を決め、各国が兵力を拠出する仕組みを作ったとしても、実際にそれぞれの軍隊が一つの指揮系統へ入り、同じ命令に従い、異なる国の部隊同士で連携できなければ、西方評議会連合軍など名前だけの存在になってしまう。
シルウァニア戦争で、俺たちはそれを嫌というほど見た。複数の国が同じ戦場へ兵を送り込んでも、それぞれが自国の指揮系統を維持したままでは、敵に分断された時に互いの状況を把握できなくなり、撤退や増援の判断まで別々に行われる。南部方面軍で起きた混乱は、その典型だった。
だからこそ、西方評議会では連合軍を実際に動かすための合同軍事演習を行い、その過程で指揮系統、緊急度に応じた動員規模、各国の拠出量を実際に検証することになった。
しかも、今回の演習は一つの演習場へ全部隊を集めて終わらせるものではない。
セプテントリア。
シルウァニア。
アンティクイランド。
エクィトゥム。
4か所で同時に演習を行い、それぞれ異なる地形、異なる軍事文化、異なる戦況を想定しながら、一つの西方評議会連合軍として対応する。
セプテントリアでは多数の小国による共同防衛。
シルウァニアでは山岳・森林地帯での共同作戦。
アンティクイランドでは兵站と後方支援。
エクィトゥムでは大規模野戦と陸海共同作戦。
4地域それぞれで異なる課題を与えながら、それを一つの軍事制度の中で同時に処理する。
今回の演習は、単なる訓練ではなかった。
西方評議会が、本当に共同で戦える組織なのか。
その答えを出すための試験だった。
合同演習の開始に先立ち、王都レクィエリアの西方評議会本部では、軍事理事会の特別会議が開かれていた。
各加盟国の軍事代表が長い机を囲み、中央には4地域を示した大陸地図が広げられている。その周囲には各国の部隊編成表、兵站計画、通信規則、動員計画などが並べられていた。
軍事理事会議長のフェルゼンハルト公爵が立ち上がる。
「今回の演習では、4地域をそれぞれ独立した演習地域として扱います。ただし、軍事上は一つの共同作戦として処理します」
エクィトゥム代表が地図へ視線を落とした。
「4か所で同時に戦闘を想定するのであれば、それぞれの方面軍が独自に判断することになりませんか?」
「だからこそ、上位に統合司令部を置く」
フェルゼンハルト公爵が答えた。
資料の一枚が掲げられる。
「最高評議会が政治的な決定を行い、その承認を受けた軍事行動については軍事理事会が軍事的な枠組みを決定する。その下に連合軍統合司令部を置き、4地域の演習方面軍司令部を統括する」
会議室の資料に、指揮系統が示された。
最高評議会
↓
軍事理事会
↓
連合軍統合司令部
↓
各地域演習方面軍司令部
↓
各国派遣部隊
「各国軍は、自国から兵力を出す段階までは各国政府の管理下にあります。しかし、連合軍として正式に編入された時点で、作戦上の指揮権は連合軍側へ移ります」
アンティクイランド代表が確認する。
「つまり、我々が派遣した部隊へ、アンティクイランド政府が現地の作戦命令を出すことはできない」
「その通りです」
公爵が答える。
「各国政府が決めるのは、どの程度の兵力を拠出するか、どの装備を用意するか、どこまで補給能力を負担するかという部分です。どこへ進むのか、いつ攻撃するのか、どの部隊を予備にするのか、いつ撤退するのかについては、連合軍統合司令部の命令に従う」
俺は資料を見ながら頷いた。
これが決まらなければ、シルウァニア戦争の再現になる。
一方の国が退却しようとしているのに、別の国が前進する。
ある国が自国の兵士だけを守ろうとして、全体の作戦を崩す。
そういうことを防ぐために、連合軍として編入された後の指揮権を一つにする必要がある。
「例外は?」
カヴィーレスターン代表が尋ねた。
「自国領土防衛のための緊急離脱については、最高評議会が認める場合に限ります」
「つまり、各国政府が勝手に部隊を引き抜くことはできない」
「はい」
「それなら、シルウァニア戦争の二の舞は避けられますね」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
次に議題となったのは、各国の連合軍拠出量だった。
軍事理事会が検討してきた制度では、各国について「戦時に動員できる最大兵力」とは別に、「西方評議会連合軍へ拠出可能な最大兵力」を定めることになっていた。
国が戦争になったからといって、自国の兵士を全て国外へ派遣することはできない。国境を守り、国内の治安を維持し、予備戦力まで確保する必要があるからだ。
そのため、各国の戦時動員可能兵力から、自国防衛と国内維持に必要な兵力を差し引いた上で、連合軍へ供出する最大拠出量を定める。
「現在の暫定値を確認します」
議事役が資料を読み上げる。
「エクィトゥム王国。戦時動員可能兵力300,000人。そのうち連合軍最大拠出量は120,000人」
「カヴィーレスターン・スルタン国。戦時動員可能兵力140,000人。最大拠出量50,000人」
「アンティクイランド王国。戦時動員可能兵力19,000人。最大拠出量10,000人」
「シルウァニア公国。戦時動員可能兵力15,000人。最大拠出量7,000人」
「アエテリア帝国亡命政府。総兵力21,000人。最大拠出量5,000人」
「セプテントリア26ヶ国。戦時動員可能兵力合計60,000人。最大拠出量20,000人」
最後に合計が示された。
222,000人。
俺は数字を見ながら資料へ目を戻した。
この222,000人が常に集まるわけではない。
これは、第3級緊急事態までを想定して各国があらかじめ約束する「最大拠出量」だった。
そのため、危機の規模が小さければ、当然ながら全てを召集する必要はない。
そこで次に、緊急度の制度が確認される。
「第1級緊急事態」
フェルゼンハルト公爵が説明を始めた。
「限定された地域への攻撃、局地的な国境侵入、海賊や武装集団による襲撃など、危機が一部地域にとどまっている場合を第1級とする」
「第1級では、各国の最大拠出量の25%を基準として連合軍を動員する」
最大拠出量222,000人の25%。
55,500人。
「したがって、第1級では連合軍55,500人を動員上限の基準とする」
ただし、これは必ず55,500人を出すという意味ではない。
例えばセプテントリアの一部国境で小規模な侵攻が発生したのであれば、周辺国の部隊を中心に必要な兵力だけを集める。
逆に、危機が広がれば第2級へ移行する。
「第2級緊急事態」
フェルゼンハルト公爵が続けた。
「一加盟国の広域防衛が必要となった場合、あるいは複数地域で重大な危機が発生し、単独防衛では対応できない場合を第2級とする」
「第2級では、各国の最大拠出量の50%を基準とする」
その数字は、
111,000人。
「最大111,000人までの連合軍を編成する」
ここまで来れば、エクィトゥム、カヴィーレスターン、アンティクイランドなどの大国も本格的に兵力を投入し、軍事理事会による統合指揮が必要になる。
そして最後が、第3級だった。
「第3級緊急事態」
フェルゼンハルト公爵の声が低くなる。
「複数の加盟国が同時に攻撃を受ける場合。加盟国の国家存続が脅かされる場合。そして、西方評議会そのものの存続が重大な危機にさらされた場合を第3級とする」
「この場合は、各国の最大拠出量を全面的に使用する」
つまり、
222,000人。
これが、西方評議会連合軍の基本的な全面動員規模となる。
俺はその数字を見つめた。
第1級――55,500人。
第2級――111,000人。
第3級――222,000人。
危機が大きくなるほど、動員兵力も増える。
しかも各国ごとの拠出量も同じ割合で増える。
例えばエクィトゥムなら、第1級30,000人、第2級60,000人、第3級120,000人。
カヴィーレスターンなら、第1級12,500人、第2級25,000人、第3級50,000人。
アンティクイランドなら、第1級2,500人、第2級5,000人、第3級10,000人。
それぞれの国がどの緊急度で何人を出すことになるのか、あらかじめ分かる。
最初の合同演習は、セプテントリアで行われた。
想定は、26ヶ国のうち一つの小国が隣接する仮想敵から国境侵入を受けたというものだった。
「第1級緊急事態」
演習司令部から宣言が出される。
実際に必要な兵力は55,500人を大きく下回る設定だったが、連合軍制度上は最大拠出量の25%まで召集できる。
ノルディア大公国を中心に周辺の公国、侯国、伯国から部隊が集められる。
さらに、遠方のエクィトゥムやカヴィーレスターンからも少数の支援部隊が派遣される。
初めて、異なる国の兵士たちが連合軍の命令によって同じ作戦へ入った。
ノルディアの騎士が別の公国の指揮官から命令を受ける。
侯国の弓兵が複数国混成の部隊へ組み込まれる。
伯国の兵士が連合軍の予備部隊として待機する。
最初は戸惑いもあった。
だが、共通した命令書と地図、統一された合図を使うことで、少しずつ動きが揃っていった。
演習終了後、軍事理事会は第1級について、限定的な危機であれば周辺国を中心とした小規模な連合軍を迅速に編成できると評価した。
そして、それこそが第1級を設けた意味だった。
小さな国境紛争のたびに、22万人を超える連合軍を動かす必要はない。
必要な地域へ、必要な兵力だけを送る。
しかし、その兵力が必要になった場合には、事前に定めた拠出枠に従って迅速に召集できる。
次の演習地はシルウァニアだった。
山岳地帯へ大規模な敵軍が侵入したという想定で、今回は第2級緊急事態が宣言された。
最大111,000人。
今度は第1級とは比較にならない兵力が動く。
エクィトゥム60,000人。
カヴィーレスターン25,000人。
アンティクイランド5,000人。
シルウァニア3,500人。
アエテリア帝国亡命政府2,500人。
セプテントリア10,000人。
合計111,000人。
各国から派遣された部隊がシルウァニア公国の演習司令部へ集まり、山岳地帯を中心とした共同防衛戦が始まった。
ここで問題になったのは、戦闘そのものより兵站だった。
兵士が増えれば食料が必要になる。
馬が増えれば飼料が必要になる。
武器が破損すれば交換が必要になる。
負傷者が出れば後方へ運ばなければならない。
しかも山岳地帯では、その全てが難しい。
アンティクイランドが輸送計画を組み、カヴィーレスターンが物資の調達を支え、シルウァニア公国が山道の情報を提供し、エクィトゥムが主力部隊と工兵を派遣する。
アエテリア帝国亡命政府の参謀たちは各方面から送られてくる情報を整理し、全体の作戦計画を調整していく。
それぞれの国が違う役割を持ちながら、一つの軍を支えていく。
演習の後半になると、各国軍の指揮官たちは少しずつ認識を変えていた。
自分たちの軍をどう動かすか。
ではなく、
連合軍全体をどう動かすか。
そう考えるようになっていた。
最後の演習は、4地域全てを使用して行われた。
今回の想定では、セプテントリアで大規模な侵攻が発生し、シルウァニアでも戦闘が拡大する。同時にアンティクイランドの港湾施設が攻撃を受け、エクィトゥム西岸へも敵軍が上陸する。
4地域で同時に危機が発生する。
そこで演習統合司令部が判断する。
「これは第3級に該当します」
軍事理事会が正式に宣言する。
各国の最大拠出量を全面的に動かす。
エクィトゥム120,000人。
カヴィーレスターン50,000人。
アンティクイランド10,000人。
シルウァニア7,000人。
アエテリア帝国亡命政府5,000人。
セプテントリア20,000人。
合計222,000人。
それだけの兵力を、4地域へ振り分ける。
セプテントリアには北方防衛部隊。
シルウァニアには山岳防衛部隊。
アンティクイランドには予備と兵站部隊。
エクィトゥムには主力と海軍。
これほど大規模な軍勢を、一つの統合司令部から同時に動かす。
演習開始直後から、いくつもの問題が発生した。
エクィトゥム軍の大規模移動が予定より遅れる。
セプテントリアの一部部隊では命令の伝達に時間差が生じる。
アンティクイランドから送られた輸送隊の一部が別方面へ回されたことで、シルウァニア側の補給が一時的に遅れる。
カヴィーレスターンの騎兵が山岳地帯で機動力を十分に発揮できない。
アエテリア帝国亡命政府の参謀部では、各方面軍から送られてくる情報の書式が違い、情報統合に時間がかかる。
それでも、統合司令部は問題を一つずつ修正した。
通信様式を統一する。
命令書の形式を統一する。
地図記号を統一する。
兵站要請を共通化する。
特殊部隊は専門担当へ直接報告する。
そして、連合軍へ編入された部隊は連合軍司令部の作戦命令を優先する。
数日間の演習が終わった時、4地域の部隊は、少なくとも制度上は一つの軍として動くことに成功していた。
演習終了後、軍事理事会で総括会議が開かれた。
「今回の演習によって、連合軍の指揮系統は実用可能であることが確認されました」
フェルゼンハルト公爵が報告する。
「一方で、通信速度、命令書、地図、補給要請、装備規格などには改善の余地があります」
さらに続ける。
「しかし最大の成果は、緊急度に応じて各国があらかじめ定められた拠出量を基準として動員されたことです」
俺は資料へ目を落とした。
第1級。
各国最大拠出量の25%。
合計55,500人まで。
第2級。
50%。
合計111,000人まで。
第3級。
100%。
合計222,000人。
危機が小さい時には小さく。
危機が大きくなれば、それに応じて大きく。
必要以上に各国へ負担をかけず、それでも大規模な危機には迅速に対応できる。
それが、この制度の基本だった。
「ただし、今回の演習で一つ明確になったことがあります」
軍事理事会の担当官が言う。
「緊急度は、動員する兵力の目安であると同時に、指揮権の集中度を決める基準にもするべきです」
会議室の空気が変わった。
「どういうことです?」
代表の一人が尋ねる。
「第1級では、局地的な危機であるため、連合軍方面司令官へ限定的な指揮権を与える」
「第2級では、複数国の部隊を統合して一つの作戦を行うため、連合軍総司令官が全面的な作戦指揮権を持つ」
「第3級では、4地域を含む全連合軍を統合司令部の指揮下へ置く」
つまり、
第1級――限定的な共同指揮。
第2級――本格的な連合軍指揮。
第3級――全面的な統合指揮。
動員兵力だけではなく、危機が深刻になるほど指揮権も中央へ集中する。
俺はその考え方に頷いた。
「それなら制度として分かりやすい」
ティアが隣で小さく頷く。
「危険が大きくなるほど、各国が勝手に動けなくなるんだね」
「ああ」
俺は答えた。
「その方がいい」
シルウァニア戦争のような混乱を繰り返さないためには、軍の数を決めるだけでは足りない。
危機の規模に応じて、どこまで共同体として軍を動かすのか。
どこまで各国の裁量を残すのか。
その境界まで決めておかなければならない。
こうして、西方評議会連合軍の基本制度が正式に確定した。
各国は、自国の戦時動員可能兵力とは別に、連合軍最大拠出量を設定する。
エクィトゥム120,000人。
カヴィーレスターン50,000人。
アンティクイランド10,000人。
シルウァニア7,000人。
アエテリア帝国亡命政府5,000人。
セプテントリア20,000人。
合計222,000人。
そして、緊急度によって、その何%を実際に動員するのかを決める。
第1級は25%。
第2級は50%。
第3級は100%。
さらに、第1級では限定的な共同指揮、第2級では連合軍総司令官による本格的な統合指揮、第3級では全連合軍を統合司令部の指揮下へ置く。
戦争を開始するかどうかは最高評議会。
共同軍の編成と軍事方針は軍事理事会。
実際の戦場での指揮は連合軍総司令官。
そして必要な戦費と補給は経済理事会が支える。
それぞれの権限を分けながらも、危機が起きた時には一つの軍として動く。
それが、西方評議会が今回の演習で作り上げた制度だった。
会議が終わった後、俺はティアとともに旧王弟宮の廊下を歩いていた。
「これで、ようやく本当に軍になったな」
俺が言う。
「うん」
ティアも頷いた。
「前は、戦争になったら助けるっていう約束だけだったものね」
「ああ。今は違う」
俺は窓の外へ目を向けた。
西方評議会には、エクィトゥム、カヴィーレスターン、アンティクイランド、シルウァニア公国、アエテリア帝国亡命政府、そしてセプテントリアの26ヶ国がいる。
それぞれ違う軍事力を持っている。
それぞれ違う国益がある。
それでも、危機の規模に応じて兵力を出す仕組みを作った。
誰が指揮するのかも決めた。
どの段階でどこまで動員するのかも決めた。
シルウァニア戦争では、同じ陣営に属していても各国軍が別々に動いた。
今度は違う。
各国から拠出された兵力は、連合軍へ編入された瞬間から、一つの指揮系統の下で動く。
その制度が、本当に戦場で機能するのか。
今回の演習によって、その答えは少なくとも「可能」だと確認された。
まだ問題は残っている。
装備規格。
通信。
兵站。
軍馬。
地図。
そして共同軍を維持する費用。
しかし、それらはこれから一つずつ解決していけばいい。
西方評議会連合軍は、ようやく紙の上の約束から、実際に動かせる軍へ変わり始めていた。
そして俺は、完成した制度の資料をもう一度だけ見返した。
第1級――55,500人まで。
第2級――111,000人まで。
第3級――222,000人。
これから先、何が起こるのかはまだ分からない。
だが、少なくとも西方評議会は、戦争が始まってから軍を作る組織ではなくなった。
平時のうちから、戦争になった時に誰が、どれだけの兵力を出し、誰の命令で戦うのかを決めておく。
その仕組みを持った共同体になったのである。




