↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
365/415

第30話 予算案の変更

帝国の軍制改革について、その全貌を把握してから数日が経っていた。俺はその間、帝国に対抗するためにこちらも巨大な軍を作るべきなのか、それとも別の方法で均衡を保つべきなのかを考え続けていた。しかし、考えれば考えるほど、帝国と同じ規模の軍を作るという結論だけは現実的ではないと思えてくる。帝国が中央集権化によって大規模な常備軍と戦時動員体制を整えようとしている以上、それに対してアンティクイランドまで無制限の軍拡を行えば、兵士を増やすために農村から労働力を引き抜き、軍事費を確保するために他の国家支出を削り、結果として王国そのものの経済基盤を弱くすることになりかねないからだ。


 そこで俺は、数の競争ではなく抑止力を作ることにした。帝国に勝てる軍を作る必要はない。帝国がアンティクイランド王国へ侵攻した場合、短期間で簡単に勝利できるとは考えられない程度の軍事力を維持し、その間に西方評議会の共同防衛体制を機能させる。そうすれば、帝国に対して戦争によって得られる利益よりも、戦争によって支払う代償の方が大きいと判断させられる可能性がある。


 その考えを具体的な計画へ落とし込んだ。現在の戦時動員可能兵力は約19,000人。これを数年かけて約22,000人まで引き上げる。ただ人数を増やすだけでは意味がないため、正規兵の補充、予備兵制度の整備、治療を終えた負傷兵の復帰、再教育を終えた傭兵の編入を組み合わせ、士官不足が起きないよう人材育成も同時に進める。さらに、装備更新、軍馬、輸送能力、国境監視、要塞と監視所の維持まで含めて軍事力そのものの基盤を整える。


 計画書をまとめ終えた俺は、もう一度だけ次年度予算の数字を確認した。


 国家収入は15,450大金貨。国家支出は15,410大金貨。差し引き40大金貨の黒字。


 この予算は、第319回御前会議の時点では十分に合理的だった。戦争が終わり、通常の国家運営へ戻しながら、軍の再編、新領土の統合、西方評議会への対応、そして社会保障を同時に進めるための予算だったからだ。


 ただ、その時の予算表を見ているうちに、俺は一つ気になっていた項目があることを思い出した。


 社会保障1,100大金貨。


 戦後復旧1,400大金貨。


 この二つは後から見ると、少し紛らわしい。


 だが、意味は同じではなかった。


 社会保障1,100大金貨は、戦争の有無にかかわらず王国全体で継続して支出する社会保障費だった。戦死者や負傷者の家族への支援だけでなく、貧困対策、孤児への支援、療養支援など、王国が平時から維持している制度全体を含んでいる。


 一方、戦後復旧1,400大金貨は、戦争で破壊されたアンティクイランド本土を直すための予算ではない。今回の戦争で新たに王国へ組み込まれた地域を行政的に統合し、治安を維持し、道路や港湾、行政施設などを整え、旧シルウァニア地域から流入した住民や帰還兵への対応を進めるために設けられた、戦後処理全体のための費目だった。


 名称だけを見れば、まるで自国が戦争で荒廃したため、その復旧に使う金のようにも読める。しかし実際には、攻撃側だったアンティクイランド王国が必要としていたのは、自国の復興ではなく、新しく得た領土を国家として機能させるための統合費用だった。


 俺はそのことを確認すると、計画書の余白へ小さく書き込んだ。


 ――次回の予算編成から、この費目は名称を改める。


 社会保障1,100と混同されないよう、「戦後統合費」あるいは「社会保障・戦後統合費」として整理した方がいい。


 同じ予算の中にある二つの費目でも、目的は違う。


 その違いを曖昧にしたままでは、将来の予算審議で余計な混乱を招く。


 そこまで確認したところで、俺は計画書を閉じた。


 今度は、軍備増強そのものについて考える。


 計画書を持って王宮の会議室へ入ると、そこには父上――アウレリウス王をはじめ、軍務卿アトラシート伯爵、財務卿ペクーニア伯爵、外務卿、内務卿など、国防と財政に関わる重臣たちが集まっていた。


「何やら新しい案をまとめたようだな」


 父上が言う。


「はい、父上。今後数年間を見据えた軍備増強計画です」


 俺は計画書を机の中央へ置いた。アトラシート伯爵とペクーニア伯爵が資料を手に取り、父上も最初の頁から順に目を通していく。


「戦時動員可能兵力を19,000人から22,000人へ」


 アトラシート伯爵が読み上げる。


「3,000人の増強ですね」


「はい。ただし短期間ではなく、数年かけて進めます。兵士だけを増やしても、士官も装備も輸送力も足りなければ実戦では使えませんから」


 伯爵は資料をめくった。


「正規兵の補充に加えて予備兵を整備し、復帰可能な負傷兵も戦力へ戻す。さらに再教育した傭兵の編入まで行う……」


「一から軍を作り直すより、その方が国家の負担が小さい」


「なるほど」


 続いて財務卿が財政欄へ目を落とす。


「問題は、これだけの計画となれば当然、維持費が増えることです」


「その通りです」


「来年度から王国軍維持費を4,720大金貨から4,900大金貨へ増額する」


「はい」


「180大金貨の増額ですな」


「そうです」


 ペクーニア伯爵は、現在の予算表と新しい計画書を見比べた。


「現在の次年度予算は、国家収入15,450大金貨、国家支出15,410大金貨、黒字40大金貨としてすでに承認されています」


「分かっています」


 俺は頷いた。


「だから、これは以前の予算が間違っていたという話ではありません」


 俺は机の上に置かれた予算表を指した。


「第319回御前会議の時点では、あれが妥当だった。戦後の社会保障を維持し、新しく得た領土の統合を進め、軍を再編し、西方評議会にも対応する。その全てを進めながら40大金貨の黒字を残す」


 ペクーニア伯爵が頷く。


「確かに、その時点では無理に軍事費を増やす必要はありませんでした」


「だが、今は違う」


 俺は新しくまとめた帝国情勢の資料へ目を向けた。


「アエテリア帝国が、我々の想定以上の速度で中央集権化を進めている。軍事権だけではなく、徴兵、財政、補給まで中央へ集めようとしている。そこまで分かった以上、以前の軍備計画をそのまま維持するのは危険だと思っています」


 外務卿が口を開く。


「帝国に対する警戒を強めるということですね」


「はい。ただし、帝国と同じ規模の軍を作るわけではありません」


 俺ははっきりと言った。


「それを始めれば、我々は軍事力を得る代わりに経済力を失う。帝国へ対抗するために、自分から国力を削ることになります」


「では、何を目指すのです?」


 父上が尋ねた。


「抑止力です」


 俺は答えた。


「帝国が攻めても、簡単には勝てない国にする。国境防衛を強化し、予備兵力を整え、装備を充実させ、兵站を強化する。その一方で、商業、農業、工業を維持し、国家収入そのものを増やす」


 アトラシート伯爵が資料へ視線を落とす。


「シルウァニア戦争の教訓を、そのまま計画へ入れたわけですな」


「あの戦争で分かったのは、兵士の人数だけでは戦争にならないということです。補給が続かなければ戦えない。輸送が止まれば前線が止まる。装備を維持できなければ兵士の数も意味がない。そして、複数の軍を一つの戦場へ出すなら、指揮系統も統一されていなければならない」


 俺は計画書を指でなぞった。


「だから22,000人という数字そのものが最終目標ではありません。22,000人を必要な場所へ動かし、十分な期間維持できる軍にすることが目標です」


 父上はしばらく黙っていた。


 そして、静かに笑った。


「随分と現実を見るようになったな」


「シルウァニアで嫌というほど見ましたから」


 俺がそう答えると、アトラシート伯爵も小さく笑った。


「確かに、戦場から帰ってきて以前と同じ考えのままでは困りますな」


 しばらくして、ペクーニア伯爵が再び予算表を確認した。


「では、軍事費を4,720大金貨から4,900大金貨へ増額する」


「はい」


「国家収入は15,450大金貨のまま」


「その通りです」


「既存の支出15,410大金貨へ180大金貨を追加するため、次年度支出は15,590大金貨となる」


「差し引き140大金貨の赤字です」


「はい」


 財務卿はそこで少し考えた。


「問題は、この赤字をどの費目から削るか、ですが……」


「他の費目は削りません」


 俺が答えた。


「社会保障1,100も、新領土の統合や戦後処理に使っている1,400も維持します」


 ペクーニア伯爵が顔を上げる。


「1,400については、先ほど整理された通り、これは本土復旧費ではありませんな」


「ああ」


 父上も頷いた。


「新領土の行政統合、治安維持、インフラ、帰還兵や戦争難民への対応などをまとめた費目だ。名称が分かりにくかった」


「そのため、次の予算編成からは費目名を改めます」


 俺が言う。


「社会保障費とは別の、戦後統合費として扱う。必要であれば、社会保障・戦後統合費という一つの政策分野として整理してもいい」


 ペクーニア伯爵が書き留める。


「分かりました」


「だから、そこを削って軍事費を作るつもりはありません」


 俺は続けた。


「今回の140大金貨は、国家貯蓄から補填します」


「現在の国家貯蓄は約23,590大金貨」


 ペクーニア伯爵が確認する。


「140大金貨を支出しても、約23,450大金貨が残る。財政基盤を直ちに揺るがす規模ではありません」


「ただし、毎年この赤字を積み重ねるつもりはありません」


「その点は?」


 父上が尋ねる。


「今後は経済成長によって税収や王領収入を増やし、軍備増強の財源を自力で確保できる状態を作ります。来年度は帝国情勢への対応を優先して140大金貨の赤字を受け入れる。しかし、それを恒常的な財政構造にはしない」


 父上は静かに頷いた。


「軍を増やすことだけを考えていない。それなら私も認めよう」


 アトラシート伯爵も同意した。


「軍備増強と経済成長を並行させる。長い目で見れば、その方が王国には必要でしょう」


 俺は計画書を閉じた。


「はい」


 帝国と同じ軍を作る必要はない。


 帝国に勝てる軍を作る必要もない。


 ただ、簡単には攻められない王国を作る。


 そして、そのために必要な軍事費を、経済を壊さない範囲で支出する。


 その第一歩として、次年度予算を15,450大金貨の収入、15,590大金貨の支出、140大金貨の赤字へ改定する。


 それは、かつての予算案の失敗ではなかった。


 世界の情勢が変わったことで、王国が選ぶべき優先順位も変わったのだ。

「消えた武将に転生した」という歴史小説を本作とアルヴァン民族記完結後に投稿開始する予定です。

本日「消えた武将に転生した 予告編」という短編を投稿しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。