↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
364/415

第29話 脅威

西方評議会が正式に発足してから二年ほどが経ち、シルウァニア戦争の記憶も、少しずつ「過去の戦争」として扱われるようになっていた。王都レクィエリアでは戦争直後のように負傷兵が街を行き交うこともなくなり、旧王弟宮を改修した西方評議会本部にも、各国の大使や官僚、軍人、商人が日常的に出入りしている。最高評議会、軍事理事会、経済理事会もすでに制度として動き始めており、加盟国間の関税、共通通貨、共同市場、共同軍の運用など、戦争が終わった後だからこそ必要になった問題が一つずつ処理されていた。


 そんなある日、俺は西方評議会軍事理事会の事務局から「加盟国全体の現在戦力について、統一基準による初の総合報告が完成した」と連絡を受け、本部の会議室へ向かっていた。今まで各国から届く軍事情報は、戦時動員可能兵力、常備兵力、国外へ継続派遣できる兵力など、それぞれ違う尺度で記録されていたため、数字そのものを並べても比較しにくかった。そこで軍事理事会では、各国の軍制改革や戦後の再建状況を踏まえ、現在どれだけの兵力を戦時に動員できるのかを統一した基準で整理する作業を進めていたのである。


 会議室へ入ると、すでにティアとグラフィルが席についていた。軍事理事会の事務局員たちも資料を前にして待機しており、机の中央には西方評議会加盟国を示す大きな地図、その周囲には分厚い報告書が積み上げられている。俺が席につくと、事務局の担当官が一礼してから説明を始めた。


「本日の目的は、現時点における加盟国の戦力を確認することです。これまで各国の報告方法が統一されていなかったため、同じ『戦時兵力』という言葉でも、その中身が国によって異なっていました。しかし現在は、戦時動員可能兵力、国内防衛に必要な兵力、国外へ継続派遣できる兵力を区別して集計しております」


 俺は頷いた。西方評議会は一つの国家ではない。だからこそ、共同軍を編成するのであれば、まず「どの国がどれだけの兵力を実際に提供できるのか」を数字で把握しなければならない。シルウァニア戦争では、それを十分に把握できていなかったことが各戦線の混乱をさらに大きくした。今度は同じことを繰り返さないためにも、数字が必要だった。


「では、最初にエクィトゥム王国です」


 担当官が資料を開く。


「現在の戦時動員可能兵力は、約三十万人です」


 ティアが資料を覗き込み、少し驚いたように言った。


「戦争でかなり損害を受けたのに、三十万人まで戻ったんだね」


「はい。シルウァニア戦争では最大四十一万人規模を戦場へ展開しましたが、戦後の損害を考慮すれば、当時と同じ水準へすぐに戻すのは困難でした。それでも新規徴募、負傷兵の復帰、部隊再編、訓練体制の改善によって、現在では約三十万人の戦時動員能力を維持しています」


 俺は数字を見つめる。三十万人。戦前には四十万人規模を動員できた国家が、戦後二年ほどで三十万人まで戻している。それだけ見れば、エクィトゥムの再建速度もかなり速い。しかし、それでも戦前の四十万人には届いていない。三十万人すべてを国外へ送り出せるわけでもなく、国内防衛、訓練、後方維持、占領地の管理などを考えれば、実際の国外派遣可能兵力はさらに少なくなる。


「次にカヴィーレスターン・スルタン国です。戦時動員可能兵力は、約十四万人」


「戦前は十六万人だったな」


 俺が確認すると、担当官は頷いた。


「第四次カヴィーレスターン戦争とシルウァニア戦争で損耗し、その後の再編もあり、現在は約十四万人と評価しております。ただし、カヴィーレスターンの場合は常備軍だけでなく、各部族が保有する騎兵や戦士を戦時に供出する制度があるため、平時の軍事力だけでは実際の動員能力を判断できません」


「つまり十四万人は国家全体として集められる最大規模に近い数字で、常時一つの軍として存在しているわけではない」


「その通りです」


 カヴィーレスターンの数字を見ながら、俺は以前の戦争を思い出していた。砂漠の国である以上、騎兵の機動力は大きな武器になる。逆に、部族ごとの兵力を一つにまとめるには時間がかかる。十六万人から十四万人へ減ったとはいえ、依然として西方第二位の大規模な戦時兵力だ。


「アンティクイランド王国です」


 自国の名前が出た。


「現在の戦時動員可能兵力は、約一万九千人です」


 戦前の一万七千百人より多い。シルウァニア戦争で中央軍、傭兵、諸侯軍に大きな損害が出た後も、負傷兵の復帰、傭兵の再編、正規兵の補充、そして占領地維持を目的とした約二千人の増強によって、戦前以上の兵力まで戻していた。


「ただし、一万九千人すべてを国外へ派遣できるわけではありません」


 担当官が続ける。


「ガルディシアの防衛、第六軍団と第七軍団の維持、モンタヌスの治安維持、国内各地の警備、訓練部隊などを考慮すると、長期間国外へ派遣できる兵力はさらに限定されます」


「分かっている」


 俺は頷いた。数字が増えたからといって、国が単純に強くなったわけではない。むしろ、戦争によって領土が増えた今のアンティクイランドには、それまで存在しなかった負担も増えている。


「次にシルウァニア公国です」


 担当官が資料をめくる。


「現在の戦時動員可能兵力は、約一万五千人と評価されています」


 王国時代には三十万人規模だった国の兵力を考えれば、あまりにも小さい。しかし、それが今のシルウァニア公国だった。北東部だけを領土として残し、王国としての行政基盤の大部分を失った以上、大軍を維持することはできない。それでも山岳民族としての生活文化が残り、必要な場合には比較的高い割合で兵を動員できるため、一万五千人という数字が示されている。


「軍事理事会の議席は一議席だったな」


「はい。人数こそ少ないですが、山岳戦、森林戦、弓術については他国にない専門性があります」


「分かった」


 俺は頷いた。戦争によって国の規模は変わったが、シルウァニア人そのものが弱くなったわけではない。


「そして、アエテリア帝国亡命政府です」


 その名前が出たところで、会議室の空気が少しだけ変わった。


「総兵力は、約二万一千人です」


 俺は資料を確認した。この数字はすでに固定されている。帝国内に潜伏している部隊、カヴィーレスターンへ展開している部隊、エクィトゥム国内にいる部隊、セプテントリア地域にいる部隊、そしてレクィエリア周辺の中核部隊などに分散しているため、一つの戦場へ二万一千人をまとめて投入できるわけではない。


「現時点で西方評議会連合軍へ継続的に提供できる兵力は、約五千人」


 担当官が続けた。


「ただし、旧帝国軍の指揮官、参謀、情報担当者などの専門人材については、兵数とは別に軍事的価値を評価しております」


 俺は頷いた。亡命政府は兵士の数だけで測るべき組織ではない。旧帝国の軍事制度を知り、なおかつ現在の帝国の構造も知っている。その存在自体が西方評議会にとって重要だった。


「最後に、旧セプテントリア連合公国を構成していた二十六ヶ国です」


 担当官が全体の数字を示した。


「合計で約六万人の戦時動員可能兵力です」


「二十六ヶ国で六万人……」


 ティアが呟く。


「はい。ただし、これも二十六ヶ国が一つの軍を保有しているという意味ではありません。ノルディア大公国をはじめとした大公国、公国、侯国、伯国がそれぞれ自国の兵力を持ち、国内防衛や国境警備のための兵力を残す必要があります」


 俺は頷いた。小国が多い以上、一国当たりの軍事力は大きくない。それでも、それを二十六ヶ国分合わせれば決して無視できない数字になる。


「それでは、全体をまとめます」


 担当官が別の資料を取り出した。


「エクィトゥム王国、約三十万人。カヴィーレスターン・スルタン国、約十四万人。アンティクイランド王国、約一万九千人。シルウァニア公国、約一万五千人。アエテリア帝国亡命政府、約二万一千人。セプテントリア二十六ヶ国、約六万人」


 それぞれの数字が資料へ並ぶ。


「合計――」


 担当官が計算結果を確認する。


「約五十五万五千人です」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は無意識に背筋を伸ばした。


 五十五万五千人。


 思っていたより多い。


 西方評議会という組織ができてから二年。戦争からも二年。その間に各国が再建を進めた結果として、戦時動員可能兵力はそこまで膨らんでいた。


「五十五万五千……」


 ティアが数字を繰り返す。


「これなら、かなり大きな軍になるよね」


「……ああ」


 俺は答えた。


 だが、自分の声が思っていたより低くなっていることに気づいた。


 担当官は、その変化を気にせず続きを説明する。


「もっとも、先ほど申し上げた通り、これは全加盟国の総動員可能兵力を単純に合計したものです。実際に共同軍として国外へ派遣できる規模は、この数字よりかなり小さくなると考えられます」


「どれくらいだ?」


 俺は即座に尋ねた。


「正確には、その時の戦況によります」


「最大では?」


「国内防衛を維持しながらなら、全体の半分前後を長期間国外へ出すのが現実的な上限ではないかと」


「半分……」


 俺は資料へ目を戻した。


 五十五万五千人の半分なら、約二十七万八千人。


 その程度しか、一つの戦争へ継続的に投入できない。


「つまり、二十七万人から二十八万人程度」


「概算ではそうなります」


「初動なら?」


「各国が最大限に協力すれば、短期間ならそれを上回る可能性があります。ただし、その場合は各国の国内防衛や輸送能力に大きな負担がかかります」


「なるほど……」


 俺はそこで言葉を止めた。


 五十五万五千人という数字を見た時、少し安心した。


 しかし、その安心感はすぐに消えた。


 むしろ、逆だった。


 約五十五万五千人。


 それだけの兵力が「存在している」。


 だが、その全てが一つの軍ではない。


 エクィトゥムはエクィトゥム。


 カヴィーレスターンはカヴィーレスターン。


 アンティクイランドはアンティクイランド。


 セプテントリアは二十六ヶ国。


 シルウァニア公国。


 そして亡命政府。


 それぞれが異なる指揮系統を持っている。


「共同軍を編成するまでに、どれくらい必要になる?」


 俺は再び尋ねた。


 担当官が少し考える。


「各国の政治決定を経て、動員命令を出し、兵力を集め、輸送する必要があります。早くても数ヶ月単位でしょう」


「数ヶ月……」


 俺の声に、ティアがこちらを見た。


「レノ?」


「いや……」


 俺は資料を見つめる。


 数ヶ月。


 それが帝国ならどうなる?


 帝国では、中央政府が決定すれば、地方代官へ一斉に命令が送られる。徴兵制度は統一され、軍の階級も編制も統一され、軍需工房と輸送網も中央政府が把握している。


 こちらは、違う。


 五十五万五千人を集めるために、まず各国と話し合わなければならない。


 その国の政府が決める。


 軍が動く。


 輸送する。


 他国と合流する。


 そして、初めて共同軍になる。


 俺はそこまで考えてから、ふと自分の手元を見る。


 指先に力が入っていた。


「レノ」


 ティアがもう一度呼んだ。


「何だ?」


「顔、怖いよ」


 俺ははっとした。


 周囲を見る。


 グラフィルがこちらを見ている。


 軍事理事会の担当官も、少し不安そうな表情をしていた。


「すまない」


 俺は息を吐いた。


「ただ、少し考えていた」


「帝国のこと?」


 ティアが聞く。


「……ああ」


 俺は頷いた。


「俺たちの兵力が五十五万五千なら、かなり大きい。単純な数字だけなら、帝国の九十万人との差も、思っていたほど絶望的じゃない」


 担当官が頷いた。


「その通りです」


「でも、それだけで安心できない」


 俺は言った。


「むしろ、今の話を聞いて余計に怖くなった」


 会議室が静まる。


 俺は資料を指した。


「五十五万五千人という数字は、俺たちの軍じゃない。西方に存在する軍の合計だ」


 誰も反論しなかった。


「帝国の九十万人は違う」


「帝国は?」


 ティアが静かに尋ねる。


「一つの国家だ」


 俺は答えた。


「一つの徴兵制度で集める。一つの軍制で訓練する。一つの階級で指揮する。一つの兵站網で支える。一つの政府が動かす」


 俺は自分でも気づかないほど早口になっていた。


「戦場に三十万人が必要なら、中央が三十万人を動かす。装備が足りなければ中央が生産計画を変える。食料が足りなければ穀倉地帯から回す。軍馬が足りなければ別の地域から持ってくる。損耗が出れば新兵を補充する。全部が一つの仕組みで繋がっている」


 ティアが黙って聞いている。


 俺はそこで少し言葉を止めた。


 部屋の中にいる全員が、俺を見ていた。


 俺自身、その視線に気づいていた。


 さっきから焦っている。


 普段の俺なら、一度資料を読んでから整理して話す。


 今日は違った。


「……だから、数字だけ比べたら駄目なんだ」


 俺は小さく言った。


「五十五万五千と九十万。差は三十四万五千。でも、実際にはその差以上に大きい」


「レノ……」


「西方は、それぞれの国が自分たちの軍を持つ。共同軍を作る時も、政治が必要になる。帝国は違う。中央が命令すれば、一つの軍として動く」


 そこで俺は、ようやく自分の声が周囲へ不安を与えていたことに気づいた。


 グラフィルが慎重に口を開く。


「殿下。そこまで悲観する必要はないのでは?」


「悲観してるんじゃない」


 俺は答えた。


「今の数字を、本当に正しく理解しようとしてるだけだ」


 だが、言葉とは裏腹に、自分でもそれが説得力のないことは分かっていた。


 これは悲観だ。


 少なくとも、俺の中ではそうだった。


 シルウァニア戦争の時、俺は「帝国は大きな国だ」と思っていた。


 西方評議会を作れば対抗できる。


 各国が協力すれば、帝国に対する抑止力になる。


 そう考えていた。


 しかし今、その前提が少しずつ崩れていく。


 西方には五十五万五千人の兵力がある。


 それでも、その五十五万五千人を一つにまとめるだけで、数ヶ月単位の政治判断と調整が必要になる。


 対して帝国では、中央政府が決める。


 その命令が地方へ届く。


 地方が動く。


 軍が動く。


 そして、それを国家全体が支える。


 俺はそこまで考えて、黙り込んだ。


「……この話、今日はここまでにしよう」


 俺はようやく顔を上げた。


 担当官が少し驚いた表情を見せる。


「殿下?」


「十分確認できた」


 俺はそう言った。


「五十五万五千人。これが現在の西方の戦時動員可能兵力だ」


 担当官が頷く。


「はい」


「今後、この数字を基準にして軍事計画を考える」


 俺は立ち上がった。


「ただし、数字だけではなく、実際に共同軍として動かせる兵力、動員に必要な時間、輸送、兵站、国内防衛まで全部分けて記録してくれ」


「承知しました」


 俺は会議室を出ようとした。


 その後ろからティアがついてくる。


「レノ」


「何だ?」


「本当に大丈夫?」


 俺は少しだけ笑った。


「大丈夫じゃないかもしれない」


「……」


「でも、今のうちに分かった方がいい」


 そう答えてから、俺は廊下の窓から外を見た。


 西方には、多くの国家がある。


 その国々が集まれば、五十五万五千人もの兵力になる。


 だが、東には一つの帝国がある。


 人口二千五百万人。


 常備軍四十万人。


 戦時最大九十万人。


 そして、その軍を一つにまとめるための国家機構が、今この瞬間にも強化されている。


 俺は窓の外を見たまま、しばらく動けなかった。


 五十五万五千人。


 それは大きな数字だった。


 けれど、その数字を見ても安心できない。


 むしろ、帝国という巨大な国家機械の前では、その数字さえ小さく見えてしまう。


 そして、そのことを最初に理解してしまった俺の焦りが、会議室にいた全員へはっきり伝わっていた。


 シルウァニア戦争終戦から二年。


 西方評議会は、ようやく自分たちがどれほどの力を持っているのかを数字として把握し始めた。


 そして同時に俺は、その数字の裏側にある「一つの軍として動かす難しさ」まで理解してしまった。


 それは、西方評議会の強さを確認する会議であると同時に、俺にとっては東方の帝国がどれほど大きな存在なのかを、改めて思い知らされる会議でもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。