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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
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第28話 絶望

王都レクィエリアでは、各国の大使たちが旧王弟宮を改修した西方評議会本部へ出入りし、最高評議会、軍事理事会、経済理事会もそれぞれ本格的な活動を始めている。シルウァニア戦争によって生まれた新しい国際秩序は、戦争直後の一時的な取り決めから少しずつ平時の制度へ変わり始めており、俺も王太子として毎日のようにその仕事へ関わっていた。戦争が終わった後の方が、国をどう作り直していくのかという問題は増えている。軍を再編し、財政を立て直し、商業制度を整え、各国との新しい関係を作る。そうした仕事に追われる日々の中で、東方のアエテリア帝国についても断片的な報告が入り続けていた。


 ただ、その情報はいつも一部分だけだった。元老院が解散されたという報告が来れば、数週間後には地方の大貴族が帝都へ移されたという話が入り、さらにその後には構成国軍の一部が帝国軍へ編入されたという情報が届く。徴兵制度が変わった、軍の階級が統一された、地方へ代官が置かれ始めたという話もあったが、それらが帝国全土で同時に行われているのか、それとも一部の地域だけで試験的に行われているのかまでは分からない。帝国はあまりにも広く、人口も約二千五百万人に達する。西方から見えるのは、その巨大な国家のほんの一部だけだった。


 だから俺たちは、帝国が中央集権化を進めていることは理解していても、その全体がどこまで進んでいるのかを正確には把握できていなかった。ホスティス皇帝が帝国を強くしようとしている。それは間違いない。しかし、五百年以上続いてきた巨大な帝国の制度を、本当に短期間でそこまで変えられるのか。俺自身、心のどこかではまだ疑っていた。


 その認識が変わったのは、その日の午後だった。


 王太子宮の執務室で、俺は西方評議会の資料へ目を通していた。ティアも向かい側で別の書類を整理している。戦後の仕事は増えているが、以前のような緊迫感はない。戦争そのものが終わったことで、少なくとも王都では平穏な日常が戻っていた。


 そこへ扉を叩く音が響いた。


「殿下」


 グラフィルの声だった。


「入れ」


 扉が開き、グラフィルが入ってくる。その手には、かなり厚い資料の束があった。


「帝国について報告があります」


「また新しい断片情報か?」


 俺がそう尋ねると、グラフィルは首を横に振った。


「今回は少し違います。これまで各地から別々に入っていた情報をまとめ、帝国側から流れてきた商業情報、外交官の報告、亡命政府関係者から得た資料などを照合しました。まだ確認できない部分は残っていますが、以前よりかなり全体像に近いところまで整理できたと思います」


 俺は資料の厚さを見た。


「全体像?」


「はい。少なくとも、現在帝国がどの方向へ進んでいるのかについては、以前より明確になっています」


 グラフィルはそう言って資料を机へ置いた。表情そのものはいつも通りだったが、声には慎重さがあった。どうやら彼自身、これまで集めてきた情報を並べた結果、帝国の改革速度そのものにかなり警戒しているらしい。


「まず政治です。元老院の解散については確実です。皇帝選出制度も廃止され、今後はポテンス朝による世襲制へ移行する方針が固まっています。また、主要な構成国の君主や大貴族については、帝都へ移す政策が進んでいます。地方には中央政府から代官が派遣され、徴税、行政、治安、人口把握、軍事行政、中央からの命令伝達などを担当しているようです」


 ティアが資料へ目を落とす。


「領主は失脚したわけじゃないの?」


「完全に排除されたわけではないようです。むしろ、帝都へ集めて中央政府の官僚や軍人として使っている例が多いと見られています」


 俺は一度頷いた。そこまでは、以前から断片的に聞いていた内容と一致する。


「そして軍事です」


 グラフィルが次の資料を開いた。


「ここについては、我々が思っていた以上の速度で進んでいます。構成国ごとに存在していた軍は、現在ではほぼ全て帝国中央軍への編入を終えたと見られます」


「ほぼ全て?」


「確認できる範囲では、完了したと考えていいでしょう」


 ティアが思わず顔を上げた。


「もう?」


「はい」


 グラフィルは淡々と答えた。


「さらに、旧構成国の軍だけではありません。帝国軍全体で階級制度が統一され、分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団、師団、軍という編制へ改められています。等兵、尉、佐、将という共通の階級も導入され、旧構成国の軍だけに存在した独自の階級や部隊制度は順次整理されているようです」


 俺は資料をめくった。


 そこには、新旧の軍制を比較した表がある。


「徴兵制度も統一されています。地方ごとにばらばらだった徴募方法を廃止し、中央政府が帝国全体の必要兵力を計算し、それを各地域へ割り振る形式へ移行している。集められた新兵は、統一された訓練所へ送られ、同じ規則、同じ階級制度、同じ編制で教育されます」


「ということは、今まで別々の軍隊だった人間が、同じ軍人になるわけだ」


「そう考えてよいでしょう」


 グラフィルはそこで一度資料を閉じたが、すぐに次の紙を開いた。


「ただし、問題はここからです。改革の速度が、明らかに異常です」


 俺はグラフィルを見る。


「異常?」


「はい。元老院の解散、地方行政の再編、構成国軍の中央編入、徴兵制度の統一、階級制度の統一、軍需生産の中央管理。これだけの制度変更を、帝国はほぼ同じ時期に進めています。旧帝国であれば、どれか一つだけでも各構成国との調整に長い時間を必要としたはずです」


 グラフィルの表情が少しだけ険しくなる。


「ところが今は、帝都で決定され、中央政府から地方へ命令が送られ、代官や中央軍の将校がそのまま実施している。つまり、改革が次の改革を呼ぶ構造になっています」


「どういうこと?」


 ティアが尋ねる。


「地方行政が統一されれば、人口や徴税の報告を同じ形式で集められる。その数字を中央が把握できれば、徴兵数や税負担も一度に決められる。徴兵制度が統一されれば、新兵教育も統一できる。軍制が統一されれば、軍需生産の規格も統一できる。そうして一つの制度が整うたび、次の制度を導入しやすくなる。私が警戒しているのは、その加速です」


 グラフィルはそこまで言って、俺を見た。


「帝国は、我々が予想していた以上の速さで変わっています。どこまで進むのか、現時点では判断できません」


「分かった」


 俺はそう答えた。


 だが、その時点ではまだ、俺も「どこまで進むのか」というグラフィルの言葉の本当の意味を掴み切れていなかった。


「軍の規模については?」


 俺が尋ねる。


 グラフィルは、最後に一番厚い資料を取り出した。


「現時点で、帝国の常備軍は約四十万人規模へ再編されていると見られます」


「四十万人……」


 ティアが小さく呟く。


「そして戦時には、予備役や新規徴募兵を合わせて最大約九十万人規模まで増やす計画があります」


 俺は資料から顔を上げなかった。


「海軍についても、常備戦闘艦が約二百六十隻。さらに輸送・補給艦が約二百隻規模です。戦時には徴用船を加えて輸送能力を拡大する方針です」


 ティアがしばらく黙って資料を見ていた。


 グラフィルはさらに続ける。


「軍需工房の中央管理も進んでいます。造船所も中央で計画を把握し、港湾施設や軍用倉庫も帝国全体の輸送網へ組み込んでいるようです。さらに農業についても、帝国各地の主要穀倉地帯から収穫量と備蓄量を中央へ報告させ、必要に応じて軍用備蓄や各都市へ配分する制度が整えられています」


 俺はそこで、ようやく資料を机の中央へ並べ始めた。


 元老院、皇帝選出、領主、代官、軍、徴兵、階級、編制、軍需、農業、備蓄、輸送、海軍


 全てが一枚の紙の上で繋がった。


「……グラフィル」


「はい」


「これらの改革は、全部同じ目的へ向かっていると思わないか?」


「帝国軍の強化、という意味ではそうでしょう」


 グラフィルは答えた。


 その返事に、俺は少しだけ首を振った。


「軍の強化だけじゃない」


 俺は資料を指でなぞる。


「軍を増やすために徴兵を統一している。徴兵を統一するために人口を把握する。人口を把握するために地方行政を中央へ繋ぐ。軍を維持するために税と財政を中央で管理する。軍需を維持するために工房や資材を管理する。兵士を戦場へ送るために道路と倉庫を整える。兵士を養うために農業生産と穀物備蓄を管理する」


 ティアも、そこでようやく気づいたようだった。


「つまり、帝国軍を作ってるんじゃなくて……軍を支える国そのものを作ってる?」


「そういうことだ」


 グラフィルは静かに考えていた。


「なるほど……そこまで繋げて考えたことはありませんでした」


 グラフィルが「異常な速度」と言った理由も理解できる。彼が危険視しているのは改革そのものではなく、帝国が短期間でここまで多くの制度を同時に動かせることだ。


 だが――。


 そこから先は、俺とティアの認識が違った。


 ティアは資料へ視線を落としたまま、しばらく黙っていた。そして、ぽつりと言った。


「……これ、学校で習ったのと似てる」


「何が?」


「帝国主義とか総力戦の歴史。国が大きな戦争を続ける時って、兵隊だけ増やすんじゃなくて、経済や交通、産業、税金まで戦争を支えられるように変えていくでしょう?」


 俺は黙って頷いた。


「もちろん、この世界と私が学校で習った歴史がそのまま同じになるわけじゃない。でも、今の帝国がやっていることは、それに近いと思う」


 ティアの声には明らかな不安が混じっていた。


「しかも、これがたった四年で進んでるんだよね」


「ああ」


「私、レノみたいに歴史を細かく覚えてるわけじゃないけど、それでも……ちょっと怖い」


 俺は資料へ目を落としたまま答えた。


「俺は、もっと怖い」


 ティアがこちらを見る。


「前世の歴史を知っているから?」


「ああ」


 俺は正直に言った。


「国家がこういう形へ変わっていくと、その国は軍隊だけが強くなるんじゃない。戦争を始めた後も、長く戦い続けられるようになる」


 四十万人。


 九十万人。


 その数字だけではない。


 徴兵して、訓練して、武器を渡して、食料を運び、負傷者を治療し、消耗した部隊を再編し、新しい兵士をまた補充する。


 それを国家全体で繰り返せるなら、戦争の規模そのものが変わる。


「しかも、今の帝国はまだ完成してない」


 俺は言った。


「グラフィルが集めた資料を見る限り、まだ改革の途中だ」


「つまり?」


 ティアが尋ねる。


「これから先、もっと強くなる可能性がある」


 部屋が静かになった。


 グラフィルはただ資料を見ている。ティアは不安そうに俺を見る。


そして俺は、机の上の数字から目を離せなかった。


 人口二千五百万人。常備軍四十万人、戦時最大九十万人、常備戦闘艦二百六十隻。


 複数の穀倉地帯、代官、統一された徴兵、統一された軍制、


 中央管理された軍需生産、中央へ集められる税、帝国全土を繋ぐ輸送網。


 そしてそれらを統制する中央政府とそれを支える500年間で生み出された実力派の中間層


 俺は前世で、歴史の教科書だけではなく、多くの歴史書を読んできた。


 だから分かる。


 これは「強い軍隊」ではない。


 国家そのものが、巨大な軍事力を生み出し続けるための構造へ変わろうとしている。


 まさに_


 「軍事国家」


 ティアが静かに頷く。


「うん」


 その返事には、いつもの明るさがなかった。


「レノ」


「何だ?」


「これ……いつ頃、完成すると思う?」


 俺は答える前に、もう一度資料を見た。


 改革は始まってから四年。


 それなのに、すでに主要軍事制度はほぼ統一され、地方行政も代官制へ移行し、徴兵制度も中央管理へ移りつつある。新兵訓練所は増設され、旧構成国軍も中央軍へ組み込まれ、新しい制度の中で育つ兵士が増えている。


 そして、その全てを中央政府が一つの命令系統で動かしている。


「……そう長くはかからないと思う」


 俺は静かに答えた。


「少なくとも、俺が思っていたよりずっと早い」


「何年くらい?」


「正確には分からない」


 俺は首を振った。


「でも、ここまで進んでいるなら、制度を完成させること自体より、新制度で人を育てる時間の方が問題になる」


 ティアが目を見開く。


「人を育てる時間?」


「ああ。制度はもう作られてる。今後は、新しい制度で育った兵士、将校、官僚が増えるほど、それが当たり前になる。そうなったら、帝国はもっと一つに動くようになる」


 俺はそこまで言って、しばらく黙った。


 四年。


 もしこの速度が落ちなければ。


 もし皇帝がこの改革を止めなければ。


 もし帝国が今後も同じように制度を積み重ねれば――。


 数年後には、旧帝国とは比較にならないほど統一された国家になっている可能性がある。


 しかも、そこで終わるとは限らない。


「……完成、近いと思う」


 ティアが静かに言った。


「ああ」


 俺も頷いた。


「それが一番怖い」


 グラフィルが顔を上げる。


「殿下、そこまで危険なものですか?」


 俺はしばらく彼を見つめた。


 グラフィルは帝国改革の速さそのものに警戒している。だが、それが歴史上どんな意味を持つのかまでは理解していない。彼にとっては、帝国が短期間で強い国家へ変わっていることが問題なのだ。


 俺は違う。


 俺には、その先が想像できてしまう。


「俺は、そう思ってる」


 それ以上、詳しく説明することはできなかった。


 前世で学んだ歴史を、この世界の人間へそのまま伝えることもできない。


 ただ一つ確かなのは、帝国が今のまま成長すれば、これまでの「アエテリア帝国」と同じ国として考えることはできなくなるということだった。


 地方の領主が別々に動かない、軍が別々に動かない、徴兵制度が別々ではない。


 税が別々ではない、軍需生産が別々ではない、中央政府が決める。


 地方が実行する、軍が動くその軍を国家全体が支える。


 それが完成すれば、帝国は一つの巨大な国家機械になる。


 俺は窓の外を見た。


 王都レクィエリアの貴族街は変わらない


 西方評議会本部では、今日も各国の代表が会議をしている。


 こちらでは、戦争が終わった後の平和な時代を作ろうとしている。


 その一方で、東では。


 まだ誰も全貌を理解していなかった巨大な帝国が、わずか四年ほどの間に、国家そのものの形を変えようとしていた。


 俺は資料を閉じた。


 驚くことはできなかった。


 もう、驚愕の段階は過ぎている。


 俺が感じていたのは、もっと重いものだった。


 絶望だった。


 しかもそれは、今すぐ戦争が始まるという絶望ではない。


 この先、帝国が完成してしまった時。


 その巨大な国家機械と、西方評議会が向き合うことになった時。


 その未来を考えた時に生まれる、どうしようもない不安だった。


 ティアも同じ資料を見ている。


 そして俺は、彼女もまた同じ方向の未来を想像していることを理解していた。


 ただ、今はまだ戦争ではない。


 まだ政治で止められる。


 まだ外交で調整できる。


 まだ西方評議会を強くできる。


 そうであるはずだった。


 だからこそ、俺は今日初めて知った帝国改革の全貌を、これまで以上に重大な情報として胸へ刻み込んだ。


 帝国は、まだ完成していない。


 だが、完成へ向かう速度だけは――。


 あまりにも速かった。

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