第22話 同窓会
翌日の午後、王都レクィエリアは穏やかな陽気に包まれていた。冬の気配が少しずつ近づいているとはいえ、昼間はまだ外で過ごせる程度の暖かさが残っており、街の人々も忙しそうに行き交っている。王宮ではいつも通り多くの仕事が動いていたが、今日の俺にはそれとは別の予定が入っていた。昨日、18歳最後の仕事を終えた時に考えていた通り、今日は久しぶりに六人で集まることになっている。俺、ティア、エリシア、コリウス、ルリウス、そしてユーザ。王立士官学校で同じ時間を過ごし、戦争を経験し、卒業後はそれぞれ別の道へ進んだ六人が、久しぶりに何の公務もない場所で顔を合わせる。
集合場所としてティアが選んだのは、王宮に隣接する王家の庭園にある小さな東屋だった。普段は王族の休憩や来客との非公式な会話に使われる場所で、王宮の中心から少し離れているため、外から見れば静かな庭園の一角にしか見えない。王太子である俺がわざわざ出向いても、それだけで大げさな意味を持たずに済むし、何より六人だけで落ち着いて話せる。東屋へ向かう途中、俺は昨日までなら何の疑問もなく「今日はこれくらいの仕事をして」と考えていただろうと思いながら、今日くらいはそれを考えなくていいことを少しだけ嬉しく感じていた。
「レノ、こっちだよ」
庭園へ入ると、先に来ていたティアが手を振っていた。傍にはエリシアが立っている。二人とも学院へ通っていた頃とは装いも雰囲気も違っているが、俺へ向ける表情だけは以前とほとんど変わらなかった。
「早いな」
「今日は楽しみだったから」
ティアが笑う。
「私も。レノがちゃんと仕事を終わらせて来るか、ちょっと心配だったけど」
「終わらせた」
「昨日の最後まで書類見てたでしょう?」
「それはそれだ」
そんなやり取りをしていると、エリシアが小さく笑った。
「殿下、本日は本当にお仕事を置いてこられたのですね」
「ああ。一応な」
「それなら安心しました」
エリシアがそう答えたところへ、庭園の入口から人影が見えた。
「殿下、お待たせしました」
コリウスだった。その後ろにはルリウスもいる。
「いや、俺たちも今来たところだ」
「それならよかったです」
コリウスが笑う。昔なら学院の制服や訓練用の装備を身につけていたはずの二人が、今ではそれぞれ家の当主候補として相応しい服装をしている。しかも、ただ見た目が変わっただけではない。歩き方も話し方も、以前より落ち着いている。士官学校で三年間学び、戦争も経験し、卒業してから領地へ戻った。今はもう、父親の後ろで仕事を学ぶだけの少年ではないのだろう。
「コリウス、領地はどうだ?」
「最初は思っていた以上に大変でした」
コリウスは苦笑した。
「税収の帳簿を見るだけでも、学院で習った国家戦略論とは随分違うものだと実感しました。数字の一つが違っているだけで、その原因を探すために現地まで確認しなければなりませんし、農村の収穫状況が悪ければ来年の税収まで変わる。父上が毎年あれほど神経を使っていた理由が、ようやく分かってきました」
「そうか」
「それでも、面白いですよ。自分が判断したことが、そのまま領地の人たちの生活に影響するので、責任は大きいですが」
コリウスの言葉を聞いて、俺は少しだけ笑った。以前の彼なら、領主になることを「家を継ぐための役割」と考えていたかもしれない。しかし今は、自分が判断する側になったことそのものを理解している。
「ルリウスは?」
今度はルリウスへ視線を向ける。
「私も似たようなものです。ただ、父上が軍務を重視される方なので、領地の行政だけではなく軍事関連の仕事も少しずつ任されるようになりました」
「兵士の訓練も?」
「はい。徴募の時期や兵糧の確保、軍馬の管理まで含めて、領地全体の中で軍事を考えなければならないので、士官学校で学んだ内容が意外とそのまま役に立っています」
そう話すルリウスを見ながら、俺はふと学院時代を思い出した。授業で聞いた国家戦略論も、訓練場で教わった軍事学も、当時はどこか遠いものに感じていた。しかし今は、それぞれが自分の立場で実際に使っている。俺たちが学んできたものは、学校を卒業した時に終わったのではなく、それぞれの仕事の中へ持ち込まれていた。
「ところで、ユーザはまだか?」
ティアが庭園の入口を見る。
「そろそろだと思います」
エリシアが答えた、その直後だった。
「遅くなりました、殿下」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、ユーザが一人で歩いてくる。以前は王立貴族学院の生徒として過ごし、その後、王立士官学校とは別の道を進んだ彼も、今ではすっかり帰国後の生活に馴染んでいるようだった。
「久しぶりだな、ユーザ」
「はい。殿下もお元気そうで何よりです」
「元気かどうかは、昨日までの仕事量を見たら微妙だけどな」
俺がそう言うと、ユーザは少しだけ笑った。
「相変わらずですね」
「そっちも忙しいんだろ?」
「私の家も、帰国してからやることが増えまして。家の仕事を覚えるだけでも時間がかかりますし、学院を出たからといって楽になるわけではありませんでした」
「やっぱりな」
それを聞いて、ティアが嬉しそうに笑った。
「ほら、みんな同じだよ。卒業したら暇になると思ってたのに」
「誰が暇になるんだ」
俺が言う。
「レノも含めて、全員」
ティアが即答した。
六人が揃う。
その瞬間、妙な感覚があった。
服装は変わった。
立場も変わった。
仕事も変わった。
それでも、こうして六人で並んでいると、ほんの少しだけ学院にいた頃へ戻ったような気がした。
「じゃあ、せっかく集まったんだし、食べようか」
ティアが東屋の中へ皆を促した。
用意されていたのは、王宮の料理人が作った簡単な食事と茶だった。王族の会食というほど格式ばっておらず、学院の頃に皆で囲んでいた食事に少し近い。もちろん料理の質は学院の食堂よりずっといいが、少なくとも今日は豪華さを競うための席ではない。
俺たちは自然に席についた。
「そういえば」
コリウスが料理を見ながら言う。
「学院にいた頃も、こういう時間が一番長く感じましたね」
「そうか?」
俺が聞き返す。
「はい。授業も訓練も大変でしたけど、終わってから皆で話している時間は、いくらでも続いてほしいと思っていました」
「分かる」
ユーザが頷いた。
「今は逆に、一日の方が短く感じます」
「仕事があるから?」
「それもあります」
ユーザは少し考えてから答える。
「学生の頃は、明日の予定なんて授業と訓練くらいでしたから。今は朝起きた時点で、今日やらなければならない仕事がいくつもある。終わったと思ったら、次の仕事が出てくる。そうしていると、一日があっという間です」
「私も同じ」
ルリウスが苦笑する。
「学院にいた頃は、卒業すれば大人になると思っていました」
「実際には?」
「仕事が増えただけです」
その答えに、みんなが笑った。
ティアも楽しそうに笑っている。
「じゃあ、私たち全員、大人になったというより忙しくなっただけなのかもね」
「否定できないな」
俺も笑った。
その笑い方さえ、学院の頃と大きく変わってはいない。
しばらくは仕事の話が続いた。コリウスは領地の税収や農地管理について話し、ルリウスは軍馬や徴募について困ったことを話し、ユーザは帰国してから家で任されている仕事について話す。エリシアはティアの側近として王宮で何をしているのかを説明し、ティアはそれぞれの話を興味深そうに聞いている。
「エリシアは、今もティアのそばにいるのか?」
「はい」
エリシアが答える。
「王宮内の予定調整、各家との連絡、茶会や社交の準備、それから必要に応じて資料の整理もしています」
「思っていたより大変だな」
「ティア殿下がお忙しいので」
エリシアがそう言うと、ティアが少しだけ胸を張った。
「ちゃんと仕事してるからね」
「それは私も知ってる」
俺が言うと、ティアが嬉しそうにこちらを見る。
「本当?」
「ああ」
「じゃあ、もっと頑張らないと」
「そこはほどほどでいい」
「えー」
ティアが不満そうにする。
「レノだって仕事しすぎなんだから、一緒だよ」
「俺は立場上仕方ない」
「私だって王太子妃だよ」
「それはそうだな」
また笑いが起こる。
学院にいた頃も、こんなやり取りをしていた気がする。
あの頃は、誰が一番強いとか、試験が難しいとか、誰が教官に怒られたとか、そんな話ばかりだった。
今は違う。
領地の税収。
軍馬。
王宮の予定。
社交。
行政。
商会。
国の予算。
話題だけ聞けば、ずいぶん大人になった。
それでも、話している時の表情や笑い方は、思っていたほど変わっていなかった。
「レノ」
ティアがふいに呼ぶ。
「何だ?」
「みんな、ちゃんと元気でよかったね」
「……ああ」
その一言に、俺はすぐには答えられなかった。
戦争の時には、いつ誰がいなくなるか分からなかった。
戦場では、明日も同じように会える保証なんてなかった。
実際、多くの人が帰ってこなかった。
それを経験したからこそ、今こうして六人で同じ場所に座っていることが、以前とは違う意味を持っている。
「本当に、そうだな」
俺はようやく答えた。
「またこうして集まれたのは、よかった」
ティアが微笑む。
エリシアも静かに頷いた。
コリウスとルリウスも、それぞれ笑う。
「次はいつ集まれるでしょうね」
ユーザが言った。
「それは難しいな」
俺は答える。
「みんな仕事があるから」
「殿下は特にですよね」
ユーザが少しだけ笑う。
「昨日まで18歳最後の仕事をしていたくらいですし」
「それを言うな」
俺が苦笑すると、ティアがまた笑った。
「でも、たまにはこういう時間を作ろうよ」
ティアが言う。
「みんなが忙しくなっても、一年に一回くらいは集まりたい」
「私は賛成です」
エリシアがすぐに答えた。
「私も」
コリウスが続く。
「私も賛成です」
ルリウスも頷く。
ユーザも、
「私も、ぜひ」
と答えた。
俺はその四人を見てから、最後にティアを見る。
「じゃあ、決まりだな」
「うん」
ティアが嬉しそうに笑った。
「来年も集まろう」
「ああ」
その約束をした時、俺は少しだけ不思議な気持ちになった。
来年。
19歳になった自分たちが、また同じように集まれるとは限らない。
それぞれの仕事は今より増えているだろう。
王国の状況も変わっているかもしれない。
西方評議会も、もっと大きくなっているかもしれない。
それでも、今はそんな先のことまで考える必要はない。
今日はただ、六人で集まっている。
昔と同じように笑っている。
それで十分だった。
食事が終わる頃には、日が少しずつ傾き始めていた。
庭園へ差し込む光が柔らかくなり、東屋の中にも夕方の気配が漂っている。
「そろそろ戻らないと」
コリウスが立ち上がる。
「俺も家へ戻ります」
「私もです」
ルリウスが続く。
「私も、父上から頼まれている仕事がありますので」
ユーザも席を立った。
エリシアも片づけを始める。
「今日はありがとうございました、殿下」
「こちらこそ」
俺は皆を見る。
もう、学院へ戻る時間ではない。
訓練場へ行く必要もない。
寮へ戻る必要もない。
それぞれ、自分の仕事が待っている。
「じゃあ、またな」
俺が言うと、
「はい、殿下」
コリウスとルリウスが答える。
「またお会いしましょう」
ユーザも頭を下げた。
「では、私も失礼します」
エリシアが一礼する。
最後に残ったのは、俺とティアだった。
さっきまで六人いた東屋が、急に広く感じる。
「行っちゃったね」
「ああ」
「なんか、少し寂しい」
「俺もだ」
ティアが少しだけ笑った。
「でも、また集まればいいよ」
「そうだな」
俺たちは東屋の外へ出た。
夕暮れの庭園を二人でゆっくり歩く。
会話はしばらく途切れていた。
けれど、気まずくはない。
何かを話さなければならないわけでもない。
ただ隣を歩いている。
それだけでよかった。
しばらくして、ティアが俺を見る。
「18歳、終わるね」
「ああ」
「早かった?」
「かなり」
「私も」
ティアは少しだけ笑う。
「でも、いい一年だったと思う」
「そうだな」
戦争があった。
仕事も増えた。
国も変わった。
俺たちの立場も変わった。
それでも、失ったものだけの一年ではなかった。
新しく作ったものもある。
そして今、俺の隣にはティアがいる。
そのことを考えながら、俺は夕暮れの王宮の庭を歩いていた。
18歳最後の一日が、こうして静かに終わっていく。
明日からは19歳。
俺たちの仕事も、きっと今まで以上に増えていく。
それでも今日は、これ以上先のことを考えなくていい。
今日くらいは、昔の仲間と笑えたことを覚えておけばいい。
そう思いながら、俺とティアはゆっくりと王太子宮へ戻っていった。




