第21話 第319回御前会議
シルウァニア戦争が終結してから、1年が過ぎていた。王都レクィエリアでは、戦争直後に比べれば街並みも人々の暮らしもかなり落ち着きを取り戻し、戦場へ送られていた兵士たちの帰還、街道や橋の修復、商業活動の再開なども着実に進んでいた。しかし、王城の内部だけを見れば、戦争が終わったことで仕事が減ったという印象はまったくなかった。むしろ戦争によって新たに生じた領土、新しい軍制、変化した国際関係、戦後に残された社会問題などを整理し、それを一時的な処置ではなく長く維持できる制度へ変えていかなければならなかったからだ。
18歳で王立士官学校を卒業した俺の立場も、以前とは大きく変わっていた。学校にいた頃は、国家戦略や軍事を学びながら実際の戦場を想定した訓練を受けていたが、今では王城へ届く大量の資料を最初に確認することが日常になっている。王国軍の年度編成、軍団長や主要士官の人事候補、次年度国家予算、諸侯軍の動員計画、地方行政官の人事、西方評議会に対するアンティクイランド王国の方針など、父上が以前なら先に目を通していた案件が、今ではまず俺のところへ届く。もちろん、最終的な決裁権はまだ父上――アウレリウス王にある。大規模な軍事動員、新税の創設、重大な条約、国家予算そのものといった王国を直接拘束する決定は、今も国王である父上が最終承認する。それでも、俺が最初に各部門の意見を聞き、数字を確認し、必要なら修正を加えて、一つの案へまとめてから父上へ提出するという流れは、少しずつ定着しつつあった。
その意味でも、この日の第319回御前会議は、単なる年度予算の承認ではなかった。シルウァニア戦争から1年が経過した現在、王国がどのような状態にあり、これから何へ金を使い、どこを維持し、どこを後回しにするのかを、国家として正式に決める場だった。
大会議室には、上座に父上が座り、その左右へ軍務卿アトラシート伯爵、財務卿ペクーニア伯爵、内務卿、外務卿、法務卿、教務卿兼宮内卿マスドリート子爵が並んでいる。軍事関係者も数名同席し、俺とティアも王太子、王太子妃として席についていた。全員が着席したところで、アトラシート伯爵が静かに立ち上がる。
「それでは、第319回御前会議を開始いたします。本日の主要議題は、シルウァニア戦争終結後1年間の国家運営に関する総括、王国軍の再編状況、そして来年度の国家予算案についてです」
父上が頷いた。
「まず財政から始めよう」
ペクーニア伯爵が資料を開く。
「今年度の国家収入総額は、15,240大金貨です」
数字が書かれた資料が各席へ配られる。伯爵は収入の内訳を順番に説明した。通常税収が7,300大金貨、市場税、人頭税、土地関連税、商業税などがその中心であり、フレトゥム海峡関税は3,740大金貨に達している。この海峡関税については、かつてガルディシア伯爵家へ渡っていた取り分が、伯爵家取り潰しと旧領の王領化によって王国財政へ直接入るようになったことが大きい。さらに王家事業、王領事業、その他の公的事業収入が2,050大金貨、戦後に王国へ編入された南東部からの税収が1,460大金貨、ガルディシア地方の市場税や地域税、港湾関連収入が520大金貨、その他の許認可料や行政手数料などが170大金貨となっていた。
ペクーニア伯爵が最後に数字をまとめる。
「7,300、3,740、2,050、1,460、520、170を合計し、国家収入は15,240大金貨となります」
俺は資料へ目を落とした。11年前の財政資料では年間収入は8,653.4大金貨程度だった。それと比較すれば、王国の収入基盤は明らかに大きくなっている。ガルディシア王領化による収入増、王国経済そのものの成長、戦後に得た南東部地域、そして西方評議会によって拡大している交易が重なった結果だった。ただし、収入が増えれば自由に使える金も同じだけ増えるという話ではない。王国は戦争によって新たな土地と制度を抱え込み、それに応じて支出も大きくなっていた。
「では、支出についてお願いします」
父上の言葉に、ペクーニア伯爵が次の資料を開いた。
「通常行政費2,700大金貨、王国軍維持費4,720大金貨、帝国国境防衛整備650大金貨、モンタヌス維持900大金貨、西方評議会拠出360大金貨、王立士官学校380大金貨、商工組合連合会180大金貨、社会政策1,100大金貨、インフラ維持1,400大金貨、外交費450大金貨、宮廷費310大金貨、利払い・償還500大金貨、戦後復旧1,400大金貨となっております」
数字だけを聞けば多い。しかし、そのどれもが戦争後の王国にとって簡単には削れないものだった。通常行政費は中央政府と地方行政機構を維持するために必要であり、軍は戦争で受けた損耗の再建を続けている。帝国国境の整備は安全保障上の理由から維持しなければならず、モンタヌスは新領域として行政と治安の基盤を作らなければならない。西方評議会への拠出を止めれば共同体の中で自国だけが負担を逃れたと受け取られかねず、王立士官学校についても将校不足への対応として1学年300人から400人へ増員した以上、その教育体制を支える費用が必要になる。商工組合連合会は、政府が商業をすべて直接監督する負担を減らすための制度として育てる必要があり、戦争未亡人や負傷兵家族への社会政策を切れば、戦争が残した問題をそのまま放置することになる。
「合計は15,050大金貨です」
ペクーニア伯爵が言った。
俺はすぐに収入との差を計算した。
「15,240から15,050を引けば、190大金貨」
「はい。今年度の通常収支は190大金貨の黒字です」
室内にわずかな安堵が流れた。しかし俺は、そこで資料を閉じなかった。
「戦争特別予算は?」
ペクーニア伯爵が頷く。
「はい。シルウァニア戦争開始前、戦争特別支出枠として10,000大金貨を確保しておりました。そのうち実際に使用したのは7,600大金貨です」
俺は顔を上げた。
「2,400は残った」
「その通りです。戦争が当初想定していた期間より早く終結したため、戦争継続を想定していた2,400大金貨は使用されず、特別支出枠解除後に国家貯蓄へ戻しております」
「戦争前の国家貯蓄は28,000大金貨だったな」
「はい。戦争終了時点で約21,000大金貨まで減少しましたが、未使用戦費2,400大金貨が戻り、その後の通常収支を加えた現在の国家貯蓄は約23,590大金貨です」
その数字を聞きながら、俺は改めて国家戦略論の授業を思い出していた。戦争に使わなかった2,400大金貨は、今年の収入として突然生まれた金ではない。戦争のために国家貯蓄から確保していたものが、戦争終結によって使われずに戻ってきただけだ。一方、今年度の190大金貨は、その年の収入と支出の差から生まれた通常収支である。その二つを同じ「今年の利益」として扱えば、財政の実態を見誤る。
「来年度も国家貯蓄は、できるだけ手を付けない方針にしたい」
俺が言うと、ペクーニア伯爵が頷いた。
「財務卿としても賛成です。現在の23,590大金貨は、戦争前の28,000大金貨には戻っておりません。今後のためにも、通常収支を少しずつ積み上げる必要があります」
そこで、軍務卿アトラシート伯爵が資料を引き継いだ。
「王国軍について、来年度も現行規模を維持したいと考えております」
「理由は?」
「戦争による兵力損耗の再編がまだ途中だからです。第1軍団から第5軍団については補充と再編を継続し、第6軍団はガルディシア都市軍から編成された1,000人規模の部隊として港湾、防衛、補給路警備を担当します。第7軍団はモンタヌス派遣軍1,500人を中核とし、現地の治安、行政施設、周辺街道の警戒を担当しています」
アトラシート伯爵は、それぞれの維持費まで説明した。第6軍団が年間220大金貨、第7軍団が310大金貨。第7軍団の方が高いのは、本国から離れたモンタヌスへの輸送費と、都市警備だけではなく周辺地域まで担当しているためだった。
「この530大金貨を削ることは可能ですか?」
俺が尋ねる。
「現状では難しいでしょう。ガルディシアはフレトゥム海峡の重要拠点ですし、モンタヌスもまだ戦後行政が完全に安定したわけではありません」
「なら維持する」
俺は即答した。
「ただし、既存軍団も含めて装備更新を全部同じ年に集中させるのは避けたい。緊急性の低いものは整備で延命し、数年間に分散させる」
「それなら、軍事力を大きく落とさずに支出の山を避けられます」
アトラシート伯爵が答えた。
「それと、傭兵については再訓練を続けたいと思います」
「今年度の実績は?」
「再訓練と編入関連で280大金貨を使用し、約2,100人を正規軍へ編入しました。今後も同様に、一定の能力を持つ傭兵を正規軍へ吸収していきます」
「それなら、この280も単純な維持費とは考えない方がいいな」
「はい。戦争によって失った正規兵力を再構築するための投資です」
俺は頷いた。正規兵と傭兵が別々の命令体系で動いたことが南部方面軍の問題の一つだった以上、単に人数を戻すのではなく、同じ軍として動ける人間を増やしていく必要がある。
続いて、帝国国境の防衛整備について報告が行われた。
「650大金貨。既存要塞の修繕、監視所、国境道路、予備兵訓練、諸侯軍との合同訓練などを含みます」
「以前、予算を削った訓練施設は?」
「改修規模を縮小したままですが、必要機能は維持しております。近隣施設との共用も進めています」
「現地の領主からの反発は?」
「王太子殿下が直接説明された後は、現在のところ大きな問題はありません」
俺は小さく頷いた。あの時は数字だけを見て予算を削ろうとした。必要な機能が残っているなら問題ないと思っていたが、現地の領主にとってその施設は、自分たちの安全が王都からどう評価されているかを示すものでもあった。予算の額だけでなく、その決定を受け取る側の立場まで考える必要がある。それを知ったことは、最近の俺にとってかなり大きな経験だった。
「帝国については、引き続き情報収集をお願いします」
外務卿が答える。
「中央集権化がさらに進んでおります。地方行政官の中央任命、徴税の中央集約、帝国軍の統一指揮系統などが拡大しておりますが、現時点で明確な軍事的脅威が発生したという情報はありません」
「なら、防衛費は維持する。ただし、今すぐ大幅な増額はしない」
俺はそう判断した。
父上も反対しなかった。
「今の段階では、それでよいだろう」
次にモンタヌスの報告へ移る。
「モンタヌス関連支出は900大金貨です」
内務卿が説明した。
「行政官、治安維持、道路修繕、行政庁舎、徴税機構、公共施設復旧などを含みます。これに対して、現在の税収は1,460大金貨です」
「560大金貨の差額か」
「数字上はそうなります。ただし、その全額を純利益として扱うべきではありません。土地台帳や人口記録の再整備がまだ続いており、今後の復旧費も残っています」
俺は頷いた。
「モンタヌスの税収を増やすことより、まず行政を安定させる」
「承知しました」
内務卿が答えた。
「旧シルウァニア側の行政経験者についても、一定数を引き続き登用します。現地の事情を知る者を使うことで、行政費を抑えながら処理能力を高められます」
「それでいい」
次は外務卿から西方評議会について報告が行われる。
「今年度の拠出額は360大金貨です。評議会本部、事務局、共同外交、経済理事会、軍事理事会などの運営費となります」
「加盟国が増えているけど、今後も同じくらいで済むのか?」
「現時点では大幅な増額は想定していません。ただし、加盟国の増加に合わせて事務局経費が増える可能性があります」
俺は少し考えた。
「拠出額そのものは維持する。だが、評議会側にも経費の効率化を求める」
外務卿が頷いた。
「その方針で各国代表と協議します」
西方評議会は、シルウァニア戦争のためだけに作られたものではない。加盟国間の交易、外交、共同防衛を平時から調整するための組織として動き始めている。自国が得る利益だけを受け取り、負担だけを減らすようなことをすれば、長期的には王国の外交上の立場を弱くする可能性がある。
次に、王立士官学校の報告が行われる。
「従来の1学年300人から400人への拡張は、今年度から本格的に稼働しております」
マスドリート子爵が説明した。
「今年度の総支出は380大金貨。校舎、寄宿設備、訓練場、教官増員、教材などの初期整備を含んでおります。来年度以降は初期整備費が減り、年間運営費は250大金貨前後になる見込みです」
「400人制は維持する」
俺は即答した。
「戦争で将校不足が明らかになった。兵士だけ増やしても、指揮官が足りなければ軍は動かせない」
「承知しました」
子爵が頭を下げる。
続いて商工組合連合会について、内務卿が報告する。
「今年度の制度支援は180大金貨です。組合登録、品質基準、契約規則、紛争調停、監査制度、地方組合設立支援などへ使用しております」
ティアが資料へ目を向ける。
「来年度も180大金貨を維持して、3年以内の自立を目指します」
「具体的には?」
俺が尋ねる。
「支援金を段階的に交付します。登録制度、監査制度、地方組合の整備など、一定の成果を確認した上で次の資金を出す形です。また、政府の職員を増やしすぎず、商工組合連合会自身が監査人や調停人材を育てるようにします」
「その方がいい」
俺は頷いた。
政府が商人を全て直接管理するのではなく、民間側へ一定の役割を渡す。そのための初期投資だと考えれば、180大金貨は単なる補助金ではない。
「最後に社会政策です」
ティア自身が資料を手にした。
「今年度は1,100大金貨です。戦争未亡人、負傷兵、兵士の家族、孤児への給付などが中心です」
ティアは続けた。
「支給額そのものを増やすより、今ある制度が必要な人へ届くようにすることを優先しました。地方行政窓口から申請できるようにしたことで、王都まで来られない家族の利用も増えています」
「来年度も1,100?」
「はい。ただし、もし実際に支援が足りない地域が見つかれば、年度途中でも見直します」
俺は頷いた。
「それでいい」
戦争が終わって1年経っても、戦争によって残された社会問題は消えていない。だからといって、毎年支援金を増やし続ければいいわけでもない。制度を整え、必要なところへ確実に届くようにすることが重要だった。
その後、インフラ維持1,400大金貨、外交450大金貨、宮廷310大金貨、利払い・償還500大金貨、戦後復旧1,400大金貨について、それぞれ支出の内容と来年度の見通しが確認された。道路や橋の復旧はまだ残っているものの、戦争直後に比べれば優先順位をつけやすくなっている。大型工事の一部は後年度へ回し、緊急性の高いものから処理することで、来年度の支出が急激に膨らむことを避ける方針が示された。
全ての説明が終わったところで、ペクーニア伯爵が来年度予算案を机の中央へ置いた。
「以上を踏まえた来年度予算案です」
国家収入見込み。
15,450大金貨。
通常行政費。
2,700大金貨。
王国軍維持費。
4,720大金貨。
帝国国境防衛整備。
650大金貨。
モンタヌス維持。
900大金貨。
西方評議会拠出。
360大金貨。
王立士官学校。
380大金貨。
商工組合連合会。
180大金貨。
社会政策。
1,100大金貨。
インフラ維持。
1,300大金貨。
外交費。
450大金貨。
宮廷費。
310大金貨。
利払い・償還。
500大金貨。
戦後復旧。
1,420大金貨。
ペクーニア伯爵が合計を出す。
「15,470大金貨です」
俺はすぐに計算した。
15,450に対して15,470。
20大金貨の赤字だった。
室内が静かになる。
「赤字は避けたいな」
父上が言う。
俺は資料へ目を落とした。軍は削れない。国境防衛も維持する。モンタヌスも今の段階で切れない。西方評議会への拠出も、自国だけの都合で減らすべきではない。士官学校400人制も将来のために必要で、商工組合連合会への支援も制度を自立させるまでの間は続けたい。社会政策も削りたくない。
なら、削るのではなく時期を動かすしかない。
「インフラを1,300から1,290へ」
ペクーニア伯爵が計算する。
「15,460です」
「戦後復旧を1,420から1,400へ」
「15,440です」
「それでも10の黒字」
「はい」
俺は少し考えた。
「さらに10、大規模工事の一部を後年度へ送る」
「どの工事を?」
「緊急性の低い橋梁改修の一部と、モンタヌス以外の公共施設改修の一部」
内務卿が資料を確認する。
「可能です。行政機能や治安には影響しません」
「なら、それでいい」
ペクーニア伯爵が最終計算を行う。
「インフラ1,290、戦後復旧1,400とした場合、総支出は15,410大金貨。国家収入見込み15,450大金貨に対して、40大金貨の黒字となります」
俺は頷いた。
「40を予備として残そう」
父上が俺を見る。
「理由は?」
「来年度の収入見込みが15,450だからです。モンタヌスの税収が予定を下回る可能性もありますし、戦後復旧で突発的な支出が発生する可能性もある。予算をぎりぎりまで使うより、40を予備として残しておいた方が安全です」
ペクーニア伯爵が頷いた。
「財務上も妥当です」
父上はしばらく資料を見た後、静かに言った。
「では、その予算案を採用する」
そこで、アウレリウス王が明確に宣言した。
「来年度国家予算は、王太子レノウィウスの修正案を基礎とし、財務卿による最終調整を経た案を、私が国王として承認する」
その言葉によって、決裁の流れが正式な形で示された。
各省庁が案を作る。
担当卿が審査する。
俺が王太子として全体を確認し、各案件の優先順位を決める。
そして最後に、父上が国王として最終承認する。
今は、まだその形だった。
俺は少しだけ父上を見る。
最近、父上は以前よりも明確に俺へ仕事を渡している。
それでも、まだ王位そのものを譲ったわけではない。
最終責任は父上にある。
だからこそ、俺も自分の判断を慎重にしなければならなかった。
御前会議が終わる頃には、窓の外が夕暮れの色へ変わっていた。
朝から積み上げられていた資料は、ようやく決定済みと継続審議に分けられている。全てが片づいたわけではない。それでも、王国軍の再編、帝国国境防衛、モンタヌス行政、士官学校拡張、商工組合連合会、社会政策、西方評議会への拠出、そして来年度予算について、大きな方向は決まった。
会議室を出ると、ティアが隣へ並んだ。
「今日は長かったね」
「ああ」
「でも、昨日よりは減った」
俺は苦笑した。
「明日になれば、また増えるだろ」
「たぶんね」
必要なものを維持しながら、使いすぎないようにする。
国民に必要な制度を守りながら、将来の負担が大きくなりすぎないようにする。
新しく得た領土を維持しながら、少しずつ自立できるようにする。
焦らずに少しづつ立て直しと改革を進めていこう。




