第15話 エドの実務
エドがエドリアン公爵となってから、しばらくが経っていた。
公爵家としての邸宅も整い、家臣団も少しずつ形になってきている。財務を担当する者、法務を担当する者、外交文書を扱う者、そして王都の各官庁との連絡を担う者が集められ、十五歳のエドのもとには、これまで王子として暮らしていた時には触れることのなかった大量の書類が届くようになっていた。
もっとも、爵位を与えられたからといって、いきなり国政の中心を任されるわけではない。
まだ十五歳だ。
父上も、いきなり重大な決定をさせるつもりはなかった。
まずは実務を知ること。
どこで情報が集まり、誰がそれを処理し、どのようにして最終的な政策へ変わっていくのか。
それを理解させることから始める。
その最初の仕事として、父上がエドへ渡したのは、各領地から提出された兵力報告の整理だった。
「今年から報告制度が統一された」
父上が説明する。
「だが、制度を作っただけでは意味がない。実際に各領地から届く報告が、どの程度正確なのか確認する必要がある」
「それを私に?」
「ああ」
エドは机の上に積まれた書類を見る。
各領地の兵力。
騎士の数。
予備兵力。
軍馬。
武器。
倉庫に保管されている装備。
書類には、それぞれ異なる数字が並んでいた。
「数字を見るだけですか?」
「最初はな」
父上が答える。
「ただし、おかしいと思ったものがあれば、自分で理由を考えろ」
「分かりました」
エドは一礼した。
そして、その日の午後から作業を始めた。
最初の数日は、単純な確認だった。
昨年と今年で兵力がどう変化したか。
人口に対して兵士の数が極端に多くないか。
軍馬の数と騎士の数が釣り合っているか。
報告された兵器の数に急な変化がないか。
エドは一つずつ表へまとめていく。
しかし、ある領地の資料を見たところで、筆が止まった。
「……この領地、兵力が減っているのに軍馬だけ増えていますね」
隣にいた文官が資料を見る。
「確かに」
「前年は兵士八百人、軍馬百五十頭。今年は兵士六百五十人、軍馬二百三十頭」
「戦争で騎兵編成が変わったのかもしれません」
「なら、なぜ騎士数が変わっていないんでしょう」
文官が黙る。
エドは別の資料を開いた。
「飼料の購入量も増えている」
「……確かに」
「兵力が減っているのに、軍馬を維持する費用だけ増えている」
エドは眉を寄せた。
「何か理由があるはずです」
そこで、初めてエドは自分から追加資料を求めた。
領地の軍事費。
飼料の購入記録。
軍馬の保有記録。
さらに、戦争によって失われた兵士の人数。
資料を一つずつ重ねていく。
すると、その領地では戦争で騎兵の損害が大きく、兵士が減った後も軍馬だけが残っていることが分かった。
「なるほど……」
エドは頷いた。
「報告そのものは間違っていない」
「はい」
「ただ、数字だけ見ていると事情が分からない」
その言葉に、文官が微笑んだ。
「それが行政というものです」
エドはその言葉をしばらく考えた。
数字を集める。
数字を比較する。
異常を見つける。
そして、その理由を現地へ確認する。
それまで留学先で学んできた行政学は、もっと整然としたものだった。
だが、現実の王国はそんなに綺麗ではない。
人がいる。
事情がある。
戦争がある。
そして、それぞれの領地には、それぞれの事情がある。
数日後。
エドは父上へ報告書を提出した。
「制度としては機能し始めていますが、報告形式を統一しただけでは不十分です」
父上が書類へ目を通す。
「理由は?」
「数字に異常があっても、その原因が分からないからです」
エドは説明する。
「兵力だけではなく、兵力が増減した理由も記載させるべきです。戦死、負傷、退役、農繁期による一時帰還など、原因が分からなければ中央では正しく判断できません」
父上は顔を上げた。
「なるほど」
「それから、領地ごとに報告の責任者を明確にした方がいいと思います」
「誰が報告したのか分かるようにするわけか」
「はい。間違いがあっても修正できますし、故意の虚偽があれば責任の所在も明確になります」
父上はしばらく黙っていた。
そして、微笑んだ。
「いいだろう。軍務卿へ伝えて制度を改めさせよう」
エドは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
これが、エドにとって初めての行政提案だった。
大きな政策ではない。
国の未来を変えるような改革でもない。
だが、自分で資料を読み、自分で問題を見つけ、自分で改善案を作り、それが実際の制度へ反映された。
その瞬間、エドは初めて理解した。
行政とは、派手なことをする仕事ではない。
小さな不備を見つけ、一つずつ直していく。
それを何年も積み重ねることで、ようやく国家が動きやすくなる。
夕方。
俺はエドの公爵邸を訪れていた。
「どうだった、初仕事」
俺が尋ねると、エドは少し疲れたように笑った。
「思っていたより大変でした」
「そうか」
「留学中は、制度を学んでいました。でも実際にやってみると、数字だけでは分からないことが多いですね」
「ああ」
俺は頷く。
「国は人間が動かしてるからな」
「兄上」
エドが少し考えてから言った。
「私、少し分かった気がします」
「何が?」
「宰相というのは、偉い人になることではないんですね」
俺は弟を見る。
「その通りだと思う」
「なら、もっと勉強します」
「頼む」
エドは笑った。
「兄上も王になるために大変でしょうけど、私も負けないようにします」
「ああ」
こうして、エドリアン公爵としての最初の仕事が始まった。
それは目立つ仕事ではなかった。
けれど、十五歳の少年が「王族」から「行政を担う人間」へ変わっていくための、確かな最初の一歩だった。




