第13話 ティアの活動
王立士官学校を卒業してから、しばらくが経っていた。
コリウスやルリウスは、それぞれの領地へ戻り、父親たちの隣で領地経営を学び始めている。
リアも、へーロース商会の代理として商工組合連合会の設立議論へ継続的に参加していた。
そして、王都レクィエリアでも新しい変化が始まっていた。
ティアの政治活動である。
これまでのティアは、主に社交の場で人と人を繋ぐことに力を使っていた。
旧第三王子派の貴族。
旧第二王子派系の家々。
亡命してきたアエテリア帝国貴族。
彼らの夫人や令嬢。
そうした人々と会話し、茶会を開き、別の人間を紹介し、互いの警戒心を少しずつ解いていく。
それによって、王太子政権に対する露骨な反発を減らすことには成功した。
しかし、ティア自身も分かっていた。
人間関係を作るだけでは、いつまでも政治を動かすことはできない。
やがて、その関係を何かの形に変える必要がある。
その時が来ていた。
王太子宮の一室。
そこには、数人の貴族女性が集まっていた。
旧第三王子派系の法衣貴族の夫人。
旧第二王子派系の有力家の夫人。
そして、亡命してきた帝国貴族の夫人。
以前なら、同じ部屋に集まること自体が難しかった組み合わせだった。
今は違う。
「本日はお越しいただいてありがとうございます」
ティアが笑顔で迎える。
「こちらこそ、王太子妃殿下」
「こうして皆様とお話しできる機会が増えて、とても嬉しいです」
最初は、ごく普通の雑談から始まった。
子供の教育。
王都の学校。
新しく整備される街道。
商工組合連合会の話。
そして、西方評議会に大使や外交官が常駐するようになったことで変わり始めている王都の社交界。
やがて、ティアが一つの資料を机へ置いた。
「今日は、少し皆様にご相談したいことがあります」
女性たちの視線が資料へ集まる。
「最近、王宮へ来る女性の方々のお話を聞いていると、一つ気になることがあります」
「何でしょう?」
「戦争から戻った兵士の家族です」
ティアは静かに答えた。
「亡くなった方や、長期間治療が必要な方がたくさんいます。そのご家族の中には、以前とは生活が大きく変わってしまった方もいます」
夫人たちが黙って聞いている。
「王国には、すでに援助制度があります。でも、領地や身分によって受けられる支援に差があります」
「それは確かに……」
旧第二王子派系の夫人が頷く。
「私の知っている家でも、同じような話があります」
「だから、まずは王宮へ相談窓口を作りたいと思っています」
ティアが言った。
「戦死者の家族、重傷者の家族、長期療養中の兵士、その家族から話を聞いて、どこにどんな問題があるのかを整理するんです」
「王太子妃殿下ご自身が、それを担当されるのですか?」
「最初は私が関わります」
ティアは答えた。
「でも、私一人ではできません」
そして、集まっている女性たちを見る。
「だから、皆様にも協力していただきたいんです」
「私たちが?」
「はい」
これは以前までのティアの活動とは違った。
誰かと誰かを仲良くさせるだけではない。
実際に人の話を集める。
問題を整理する。
それを王宮へ届ける。
そして、制度そのものを変える。
ティアは初めて、王太子妃として公的な政策活動へ足を踏み入れようとしていた。
その日の午後。
ティアは王宮へ向かった。
そこには、父王アウレリウス、レノ、軍務卿アトラシート伯爵、内務卿、などが集まっている。
「ティアから話があるそうだな」
父上が言う。
「はい、陛下」
ティアは資料を差し出した。
「戦死者と長期療養者の家族への支援について、ご提案があります」
レノが資料へ目を通す。
内容は、戦争孤児や寡婦への支援、負傷兵の家族への相談窓口、領地ごとの支援状況を王都で把握する制度などだった。これまでアイティクイランド王国やアエテリア大陸諸国は社会保障関係にはあまり手を出していなかった。
アイティクイランド王国内で俺とティアが中世的な体制から近代的な体制への移行をゆっくりと進めていくための計画の一端だ。
「かなり具体的だな。」
レノが言う。
「はい」
ティアは頷く。
「これまで皆様のお話を聞いてきました。その中で、同じ問題がいくつもの領地で起きていることが分かりました」
アトラシート伯爵が資料を見る。
「つまり、社交を通じて集めた情報を政策へ変えるわけですか」
「そうです」
ティアは答えた。
「私は軍を指揮することはできません。でも、人の話を聞くことならできます」
レノが少しだけティアを見る。
「そして、その情報を王宮へ持ってくる」
「はい」
「いいと思う」
レノが答えた。
「やってみよう」
ティアの表情が明るくなる。
「本当?」
「ああ。ただし、最初から大きな制度を作る必要はない」
「分かってる」
ティアは頷く。
「まずは相談窓口と調査から始める。実際にどれだけの人が困っているのか確認してから、次の制度を考える」
「その方がいいでしょう」
内務卿も頷いた。
ティアは小さく息を吐いた。
初めて、自分の働きかけが正式な王国政策として動き始める。
その日を境に、ティアの仕事は変わった。
茶会。
晩餐会。
社交。
そうした場へ出ることは、以前と変わらない。
しかし今では、そこへ一つの目的が加わっていた。
情報を集める。
問題を見つける。
人を繋ぐ。
そして、必要なら王宮へ提案する。
ある日は、戦争で家族を失った貴族家の夫人から話を聞く。
別の日には、地方から来た商人の妻と話す。
さらに別の日には、亡命してきた帝国貴族の夫人から、帝国時代の女性教育について聞く。
それぞれの話は小さい。
だが、積み重ねれば王国全体の問題が見えてくる。
ティアはその一つ一つを記録し、エリシアとともに整理するようになった。
「この家は、戦死者の家族への年金がまだ届いていない」
「こちらの領地では、負傷兵の治療費を領主がかなり負担しているようです」
「同じ制度なのに、地域によって差がありますね」
エリシアが資料を整理する。
「では、こうした事例をまとめて内務卿へ提出しましょう」
「うん」
ティアが頷く。
「これなら、王国全体の制度にできるかもしれない」
以前のティアなら、ここまで考えなかっただろう。
人と人の関係を作る。
それだけでも十分に政治的な力になる。
しかし、今はその先へ進んでいる。
人間関係を、制度へ変える。
情報を、政策へ変える。
そして政策を、王国全体へ広げていく。
それが、王太子妃としてのティアの新しい役割になりつつあった。
さらに、ティアは別の問題にも目を向け始めていた。
女性教育である。
帝国貴族の夫人や令嬢と話す中で、帝国では一部の貴族女性が行政や家政、語学、外交知識まで学んでいたことを知った。
アンティクイランド王国でも、貴族女性は教育を受けている。
しかし、その内容には家ごとの差が大きい。
そこでティアは、まず王宮主催の女性向け講習会を開くことを考えた。
「読み書きや礼儀作法だけではなく、税や領地経営についても少し教えたらどうかな」
ティアがレノへ話す。
「女性が直接領地を治めることもあるからな」
「うん。それに、夫が領地を管理していても、夫人が家を支えることは多いでしょう?」
「確かに」
レノは頷いた。
「それなら、試験的にやってみればいい」
「じゃあ、私が準備する」
ティアが嬉しそうに笑う。
こうして、ティアの活動はさらに広がっていった。
兵士の家族支援。
女性教育。
貴族女性同士の交流。
亡命帝国貴族との文化交流。
西方評議会の各国大使夫人との社交。
それぞれは別々の活動に見える。
しかし、その全てが一つに繋がっていた。
人の話を聞く。
人を繋ぐ。
情報を集める。
必要なら制度を変える。
ティアは少しずつ、王太子妃という立場を「社交の象徴」から「政治を支える実務者」へ変えていった。
その夜。
王太子宮へ戻ったティアは、少し疲れた様子で椅子へ座った。
「今日は大変だった?」
レノが尋ねる。
「うん。でも、楽しい」
「楽しい?」
「前は、人と仲良くなれたらそれで嬉しかった。でも今は、その人たちから聞いたことを、国のために使えるでしょう?」
「ああ」
「だったら、もっと色々知りたい」
ティアは笑った。
「もっと色々な人と話して、もっと色々なことを知りたい」
レノはその言葉を聞き、少しだけ笑った。
「ティアらしいな」
「そう?」
「ああ」
王太子妃として、人と人を繋ぐ。
そして、その関係から得た情報を政策へ繋げる。
それは、軍を率いるレノとは全く違う政治の形だった。
戦場では、命令一つで兵士を動かす。
政治では、命令するだけでは人は動かない。
人の話を聞き、信頼を作り、相手が自分から協力したいと思える環境を作る。
ティアは、そのやり方を少しずつ身につけていた。
「レノ」
「何だ?」
「私、王太子妃としてちゃんと役に立ててるかな」
レノは迷わず答えた。
「十分だ」
ティアは嬉しそうに笑った。
「よかった」
そして、机の上に積まれた新しい資料へ目を向ける。
明日もやることは多い。
けれど、今のティアには、それが以前ほど重く感じられなかった。
自分にできることが見えてきたからだ。
人を繋ぐ。
情報を集める。
制度を変える。
そうして少しずつ、ティア自身の政治が始まっていた。




