第9話 発足
して、ついにその日が来た。
西方評議会発足記念式典。
王都レクィエリアの旧王弟宮は、これまでとはまったく違う姿へ変わっていた。かつてはアンティクイランド王国内部の派閥争いを象徴する場所だった宮殿に、この日は大陸西部31の国家・政治主体を示す旗が並び、各国から派遣された代表、大使、軍人、商人、貴族、学者たちが次々と集まっている。大陸史上初めて、複数の主権国家が恒久的な本部を共有し、常駐する代表を置き、政治・軍事・経済の三つの共同機関を持ち、さらに投票によって共同体としての意思を決める国際組織が正式に誕生する日だった。
俺は会場の前方に立ちながら、広間を見渡した。
エクィトゥム王国。
カヴィーレスターン・スルタン国。
アンティクイランド王国。
シルウァニア公国。
アエテリア帝国亡命政府。
ノルディア大公国。
そして、旧セプテントリア連合公国を構成していた26ヶ国。
これだけの国が、今は一つの場所に集まっている。
ほんの少し前までは想像もできなかった光景だった。
「とうとう、本当にできたね」
隣のティアが小さな声で言う。
「ああ」
俺は答えながら、もう一度広間を見る。
だが、ここまで来られたのは、俺が講和会議で提案したからだけではなかった。
むしろ、発足までの最後の段階で大きな役割を果たしたのはティアだった。
西方評議会の制度を作るための会議が始まってから、ティアは表向きにはほとんど目立たない場所で動いていた。各国の代表と直接交渉することもあれば、彼らの夫人や令嬢と茶会を開き、家同士の関係を確認することもある。セプテントリアの小国同士を繋ぎ、亡命政府の帝国貴族をアンティクイランドの法衣貴族へ紹介し、旧第二王子派系の貴族には過去を掘り返さずに現在の王国との関係を受け入れられるよう空気を作った。
さらに、経済理事会の議席配分でカヴィーレスターンが経済面で最大の発言力を持つことが決まった時にも、ティアは世界最大の交易国家である彼らが他国から警戒されすぎないよう、アンティクイランドの貴族社会とカヴィーレスターンの商人たちを自然に結び付けていった。エクィトゥムの軍人たちについても同じだった。軍事理事会の議席で最大の発言力を持つことになったエクィトゥムが「西方評議会を支配するのではないか」と警戒されないよう、他国の軍人や騎士たちとの交流を増やしていた。
そして何より、ティアは各国の代表に、「西方評議会がどこか一国の支配する組織ではない」という感覚を持たせることに成功していた。
議長は持ち回り。
同じ国の連続選出は禁止。
本部はアンティクイランドに置かれるが、本部そのものは西方評議会の共同管理。
各国の代表が常駐し、投票によって意思を決める。
制度として決まったことを、社交界の人間関係の中でも自然に受け入れさせる。
それは条約文書だけではできない仕事だった。
俺が政治の表舞台で制度を組み立てる一方で、ティアはその制度が拒絶されないための土台を人間関係の中に作っていた。
今日、多くの人間が何の疑問もなく同じ広間にいるのは、その積み重ねがあったからでもある。
やがて、式典が始まった。
最初に各国の代表が順番に紹介される。
国王。
大公。
公。
侯。
伯。
そして、アエテリア帝国亡命政府の首班。
それぞれが壇上へ進み、加盟文書を確認していく。
誰もが自国の旗の前に立ち、それぞれの国号を名乗る。
しかし、そのすべての代表の前に、一つの旗が掲げられていた。
西方評議会の旗。
議事役が壇上へ立つ。
「本日、ここに大陸西部の国家および政治主体による共同組織、西方評議会の正式な発足を宣言いたします」
その瞬間、大広間へ拍手が広がった。
それは単なる祝賀の拍手ではなかった。
国家同士が戦争をする。
条約を結ぶ。
破ればまた戦争になる。
そんなことを繰り返してきた大陸で、初めて別の方法が作られた。
国家同士が一つの組織へ入り、常駐する代表を置き、投票によって共同の意思を決める。
帝国でもない。
王国でもない。
しかし、確かに国際的な政治組織として存在する。
西方評議会。
その名前が、正式に歴史へ刻まれた。
式典が一段落すると、次に三つの機関の議長が発表されることになった。
「西方評議会には、最高評議会、軍事理事会、経済理事会の三機関を置きます」
議事役が説明する。
「各機関の議長は投票によって選出され、任期は3年。同一国による連続選出は認めません」
そして、最初の議長が発表される。
「初代最高評議会議長」
会場が静かになる。
「アンティクイランド王国代表、アトラシート伯爵閣下」
大きな拍手が起こった。
アトラシート伯爵が壇上へ進む。
アンティクイランド王国の軍務卿として、これまで何度も国家間の調整に関わってきた人物だ。そして本部がアンティクイランド王国に置かれる以上、最初の最高評議会議長を自国から出すことには、組織の立ち上げを安定させる意味もあった。
ただし、伯爵が一国の代表としてその権力を利用することはできない。
議長自身の投票権は、他の議員と同じ。
任期も3年。
同じ国から連続して議長を出すこともできない。
壇上へ上がった伯爵が口を開く。
「私はアンティクイランド王国から、この役目を任されました。しかし、今日からここで扱うべきものは、我が国一国の利益ではありません。加盟国全体の意見を公平に扱い、必要な時には互いに譲歩し、決められた手続きに従って共同の意思を作ること。それが私の役目です」
再び拍手が起こった。
俺はその様子を見ながら、少しだけティアへ視線を向けた。
彼女は静かに笑っていた。
「続きまして、軍事理事会議長」
今度は軍人たちの間に緊張が走る。
軍事理事会で最大の6議席を持つのはエクィトゥム王国。
共同軍を実際に運用する以上、この国の軍事力を無視することはできない。
「初代軍事理事会議長は――」
「エクィトゥム王国代表、フェルゼンハルト公爵閣下」
大きな拍手が起こった。
公爵は壇上へ上がる。
「軍事理事会の役割は、戦争を始めることではありません。政治によって決定された共同防衛を、軍事的に実行可能な形へ変えることです。我々軍人が政治を支配するのではなく、政治の決定を軍事によって支える。その役目を果たします」
その言葉に、周囲の軍人たちが頷く。
エクィトゥム王国は大陸西部最大級の軍事力を持つ。
しかし、軍事理事会議長だからといって、そのまま西方評議会の軍を自由に動かせるわけではない。
戦争を開始するかどうかを決めるのは最高評議会。
軍事行動が決まった後に、その軍をどう動かすのかを決めるのが軍事理事会。
そして実際の戦場で連合軍を率いる総司令官は、必要になった時に別途選出される。
権力を分ける。
それが西方評議会の基本だった。
「最後に、経済理事会議長」
今度は商人や財務官たちの間に視線が集まる。
経済理事会で最大の6議席を持つのはカヴィーレスターン・スルタン国。
世界最大の交易国家であり、その商業力と国家歳入はエクィトゥム王国を上回っている。
「初代経済理事会議長は――」
「カヴィーレスターン・スルタン国代表、ラシード商務卿閣下」
会場から拍手が起こった。
ラシード商務卿が壇上へ上がる。
「我が国は砂漠の国家です。豊かな農地を持つ国々とは異なり、交易によって国家を発展させてきました。だからこそ、交易路が途切れることが国家にどれほど大きな損失を与えるのかを知っています」
「関税が引き下げられ、共通通貨が使われ、加盟国同士の市場が結び付けば、今までには存在しなかった規模の商業が生まれるでしょう」
「その利益が一部の国家だけに集中しないよう、経済理事会を運営していきます」
今度は商人たちから大きな拍手が起こった。
こうして、初代三議長が決まった。
最高評議会――アンティクイランド王国。
軍事理事会――エクィトゥム王国。
経済理事会――カヴィーレスターン・スルタン国。
三つとも違う国。
それは偶然ではなかった。
政治の調整にはアンティクイランド。
軍事にはエクィトゥム。
経済にはカヴィーレスターン。
それぞれの強みを持つ国が、それぞれの分野を担う。
その構造そのものが、一国による支配を防ぐ仕組みになっていた。
式典が終わると、旧王弟宮の大広間では、そのまま西方評議会主催の西部社交界が始まった。
王侯貴族だけではない。
各国の外交官。
商会代表。
金融業者。
軍人。
学者。
工房主。
港湾関係者。
さまざまな立場の人間が一つの広間へ集まっている。
そして、その光景を見ながら俺は、改めてティアの仕事を思い出していた。
今日ここにいる人間の多くは、発足式典のために初めて顔を合わせたわけではない。
ティアがその前から人間関係を作っていた。
帝国亡命政府の貴族とアンティクイランドの貴族。
旧第三王子派と現在の王太子政権。
旧第二王子派系の家々と王国中枢。
セプテントリアの小国同士。
カヴィーレスターンの商人と西方諸国の商会。
エクィトゥムの軍人と各国の騎士。
それぞれの間に少しずつ繋がりを作ってきた。
だから今日、彼らは初対面の相手を見ても完全な他人として警戒しない。
「王太子妃殿下」
帝国亡命政府の貴族夫人がティアへ声をかける。
「先日の交流会以来、娘がこちらの令嬢たちとすっかり仲良くなりまして」
「まあ、それはよかったです」
ティアが笑う。
「私も嬉しいです。西方評議会ができたのですから、これからもっと色々な方と交流できるといいですね」
「ぜひお願いいたします」
別の場所では、カヴィーレスターンの商人とアンティクイランドの商会長が、砂漠交易とフレトゥム海峡の交易について話している。
「カヴィーレスターンからの商品を、今までより短い手続きで王都へ入れられるようになれば、かなり助かります」
「こちらとしても、アンティクイランド産の穀物や工芸品を砂漠沿いの市場へ持ち込めれば大きな商機になります」
二人は笑いながら話している。
軍人たちの間では、エクィトゥムとセプテントリアの騎士が共同軍事演習の話をしている。
「山岳戦について、シルウァニアの戦士からも学びたい」
「我々もエクィトゥムの大軍運用について知りたいところです」
互いに利益があるからこそ、自然に会話が続いていく。
社交界の中央では、セプテントリアの侯国や伯国の令嬢たちが帝国亡命政府の令嬢と話をしていた。
ほんの少し前までなら、彼女たちの父親同士が政治的にどのような関係だったのかなど、簡単には無視できなかっただろう。
しかし今は違う。
まず人間同士として知り合う。
その上で国家同士の関係を作る。
その順番を、ティアは意識して作っていた。
俺は少し離れた場所から、広間全体を眺めていた。
ティアが多くの人間へ声をかけている。
誰かを命令しているわけではない。
ただ、紹介する。
話題を振る。
相手の長所を褒める。
そして別の人間へ繋ぐ。
それだけで、人間関係が少しずつ変わっていく。
俺が条約と制度を作り、ティアが人間関係を作る。
その二つが重なって、ようやく西方評議会は形になった。
「レノ」
ティアが戻ってくる。
「何だ?」
「どうだった?」
「かなり頑張ってたな」
「本当?」
「ああ」
ティアが嬉しそうに笑う。
「よかった」
俺も笑った。
「ありがとう、ティア」
「ううん」
ティアは首を横に振る。
「私も、レノが作ろうとしてるものをちゃんと動かしたかったから」
俺は少しだけ目を細めた。
政治制度は、紙に書いただけでは動かない。
条約を書いただけでも、国同士が信頼するわけではない。
人間がいる。
人間関係がある。
そこに信頼が積み重なって、ようやく制度が生きる。
「本当に、助かった」
「じゃあ、また頑張るね」
ティアが笑う。
その少し後ろでは、グラフィルが二人を見ながら何とも言えない表情を浮かべていた。
「……何だ?」
俺が気づいて尋ねる。
「いえ」
グラフィルは一瞬だけ視線を逸らした。
「王太子妃殿下にこうした役目をお任せになったのは、正解だったのだと改めて思っただけです」
「そうだろ?」
「はい」
ティアが嬉しそうに笑う。
「もっと頑張らないとね」
「ほどほどにしてください」
グラフィルが答えると、ティアは小さく笑った。
広間では、まだ各国の代表と貴族たちの交流が続いている。
その中には、以前なら敵だったかもしれない者たちもいる。
しかし今夜だけは、同じ共同体の一員として料理や茶を囲み、互いの国の話をしている。
西方評議会は、この日正式に発足した。
そして、その発足を支えたのは、条約や議席だけではなかった。
俺が制度を作った。
各国の代表がそれを受け入れた。
そしてティアが、その制度が人間関係の中へ根付くための準備をしてきた。
政治。
軍事。
経済。
それぞれを別々に扱いながら、それでも一つの共同体として結び付ける。
大陸で初めて生まれた国際組織。
大陸で初めて導入された、国家代表による投票制度。
その誕生を祝うために、今夜だけは西部の社交界も一つの場所へ集まっていた。
旧王弟宮の中央に掲げられた西方評議会の旗が、静かな夜風に揺れている。
その下には、31の国家・政治主体の旗が並んでいた。
そして、俺はその光景を見ながら思う。
この共同体が、この先どこまで続くのか。
それはまだ分からない。
けれど少なくとも、この日、大陸の政治は確かに新しい時代へ踏み出した。
そして今夜はティアをたっぷり褒めよう。




