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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 岸田減税
最終章 第二次ルイーナエ大戦
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第2話 進路

王立士官学校第三学年の夏課程が始まってから、数日が経っていた。


 17歳になった俺たちにとって、今年はこれまでの学年とは明らかに意味が違っている。あと1年もすれば卒業だ。1年次や2年次の頃にはまだ先の話だと思っていた卒業後の進路も、今では現実の問題として考えなければならない。卒業すれば王国軍へ入る者もいる。家へ戻って領地経営を学ぶ者もいる。王宮や官僚機構へ進む者もいれば、商業や外交の道へ進む者もいる。そして、それぞれの道へ進んだ後には、学校にいた時とは全く違う責任を負うことになる。


 その日の午後、通常授業が始まる少し前に教官が教室へ入ってきた。いつもなら訓練予定表や教材を持ってくるところだが、今日は両手に大量の書類を抱えている。教壇へ立った教官は、候補生たちが落ち着くのを待ってから口を開いた。


「本日の授業に入る前に、一つ伝えておくことがある」


 教室が静まり返る。


「諸君らは第三学年、つまり最上級生だ。来年には卒業する。したがって、これからの1年間は軍事教育を受けるだけの期間ではない。卒業後に自分がどのような立場で王国へ仕えるのか、それを考え、そのための準備を始める期間でもある」


 教官は教卓へ書類を置いた。


「まず、王立士官学校の役割を改めて確認しておく」


「王立士官学校は、軍人だけを育てる学校ではない」


 俺は少しだけ顔を上げた。


「卒業後に王国軍へ入り、騎士、兵士、指揮官として国に仕える者は多い。しかし、本校では王国の文官、外交官、財務官、領地行政官など、戦時に軍事的役割を担う可能性のある者も教育する」


 教官は黒板へ書く。


 軍事


 行政


 財政


 外交


「理由は簡単だ。戦争は兵士だけで行うものではない」


 その言葉に、教室の空気が少し引き締まった。


「軍を動かすには兵站が必要になる。兵站を維持するには財政が必要だ。財政を動かすには行政が必要になる。さらに外交、情報、輸送、医療、工業、商業、食料生産まで必要になる。どれか一つでも崩れれば、戦争を継続する能力そのものが低下する」


 俺は静かに頷いた。


 シルウァニア戦争を経験した今なら、以前よりはるかに実感できる。


 兵士が強いだけでは足りない。


 戦場へ送る食料が必要だ。


 武器を補充しなければならない。


 軍馬も必要になる。


 負傷者を治療しなければならない。


 そして、それらを動かす金と制度が必要だ。


「アンティクイランド王国では、男性貴族は文官を志望していたとしても、戦時には予備役として召集される可能性がある。そのため、本校で一定水準以上の軍事教育を受けることが求められている」


「女性についても同様だ。軍務を志す者には門戸が開かれている。騎士家の令嬢、女性騎士、女性兵士を目指す者、その他、戦時に軍務へ就くことを望む者は、男女を問わず入学できる」


「そして、本校は貴族だけの学校ではない。平民にも門戸を開いている。入学試験は身分によって有利不利が生じるものではなく、学力、身体能力、軍事適性、判断力、魔法能力など、本校の教育を受けるに足る能力によって判定される」


「ただし、全寮制である以上、平民には一定の費用負担能力が求められる。その一方で、成績優秀者には奨学制度や支援制度も用意されている」


 教官は教室全体を見渡した。


「つまり、学校へ入るまでの条件と、卒業後の進路は別問題だ。学校では同じ訓練を受ける。しかし卒業後は、身分、家、経済力、本人の能力、そして家から期待されている役割によって、それぞれ違う道を歩むことになる」


 その言葉の後、教官は教卓の上へ積んでいた紙を持ち上げた。


「そして、第三学年の諸君には、その進路を具体的に確認してもらう」


「これより、進路希望調査票を配る」


 教室から小さなどよめきが起こった。


 前列から順番に紙が配られていく。


 やがて俺の机にも一枚の紙が置かれた。


 上部には大きく、


 卒業後進路希望調査票


 とある。


 第一希望。


 第二希望。


 第三希望。


 希望職種。


 希望配属。


 将来的に志望する役職。


 進路を希望する理由。


 俺はしばらく紙を見つめた。


 卒業後も王太子。


 それは決まっている。


 父上が健在である限り、俺は王太子として王国の政治、軍事、財政、外交へ関わり続ける。


 どこかの軍団へ就職するわけではない。


 役所へ入るわけでもない。


 王太子として何をするかを考える必要はあるが、「どこへ進むか」という意味では、すでに答えが出ている。


 その隣からティアが覗き込んできた。


「レノ、まだ書いてない?」


「まだだ」


「私も」


 ティアは自分の紙を見る。


「レノは卒業しても王太子だもんね」


「ああ」


「でも、王太子として何をしたいかなら、考えてみてもいいかもね」


「そうだな」


 俺は少し笑った。


 ティアも同じだ。


 卒業しても王太子妃。


 その立場から逃れることはできない。


 ただ、その立場で何をするかは自分で決めていかなければならない。


 教室の反対側では、コリウスが進路について話していた。


「私は卒業後、家へ戻ることになると思います」


 コリウスは落ち着いた口調で答えた。


「私は長男ですので、将来は父上から領地経営を引き継ぐことになります。卒業後から少しずつ実務を任せていただく予定です」


「軍へ入隊されないのですか?」


「必要であれば軍務にも就くつもりです。ただ、次の領主としては、領地の行政、財政、軍事動員などを学ぶことの方が優先されるでしょう」


 俺はその話を聞きながら、士官学校の教育が領主にも必要な理由を考えた。


 領主は税を集める。


 農地を維持する。


 街道を整備する。


 治安を守る。


 商業を育てる。


 そして戦争になれば兵士を出す。


 領主というのは、規模こそ違っても一つの小さな国家を運営するのに近い。


「ルリウスは?」


 俺が尋ねる。


「私も卒業後は家へ戻る予定です」


 ルリウスが答える。


「父上の仕事を手伝いながら、領地の行政や軍務について学ぶことになります。将来的には家の仕事を引き継ぐことになるでしょう」


「コリウスと同じような進路だな」


「はい」


 ルリウスが頷く。


 士官学校を卒業したからといって、全員が軍人になるわけではない。


 むしろ貴族にとっては、軍事教育を身につけた上で領地へ戻ることに大きな意味がある。


 兵士をどれだけ動員できるのか。


 動員した兵士によって農村の労働力がどれだけ減るのか。


 軍費を増やせば、どの予算を削る必要があるのか。


 領地の経済を維持しながら軍事力を確保するにはどうすればいいのか。


 国家戦略論で学んだことは、領地経営にもそのまま繋がっている。


 その一方で、エリシアはすでに調査票へ記入していた。


「エリシア、もう決めたの?」


 ティアが尋ねる。


「は、はい……」


 エリシアは少しおどおどしながら紙を見せた。


「私は……以前から決まっておりますので……」


「そうだったね」


 ティアが嬉しそうに笑う。


「卒業後もティア殿下の側近としてお仕えすることになっています」


 エリシアは小さく頷いた。


「はい……。士官学校へ入学した時から、その予定でしたので……今回の調査票で新しく決めるというものではありません」


 声は控えめで、どこか自信なさげだ。


 普段のエリシアはこういう性格だった。


 王族の前では特に緊張しやすい。


 何かを頼まれれば「私で大丈夫でしょうか……」と不安そうに確認し、失敗を恐れて慎重になる。


 ところが――。


 俺は一瞬、戦場でのエリシアを思い出した。


 普段の姿からは、とても想像できない。


 戦闘が始まった瞬間だけ、人が変わったようになる。


 普段のおどおどした態度が消え、異常なほど高いテンションで敵陣へ突っ込んでいく。


 叫ぶ。


 笑う。


 敵を見れば嬉々として追いかける。


 本人にとっては、戦場へ出た瞬間だけ別の世界に入ってしまうらしい。


 まるで狂乱状態。


 そんなエリシアが、卒業後にはティアの側近として王宮へ残る。


 その落差を考えると、少し不思議な気分になる。


「エリシアがいてくれるなら安心だね」


 ティアが言う。


「は、はい……。精一杯、お仕えします……」


 エリシアは恐縮したように頭を下げた。


「よろしくね」


「はい、ティア殿下」


 進路としては以前から決まっていた。


 今回の調査票は、それを確認するためのものにすぎない。


「リアは?」


 ティアが尋ねる。


「私は父の手伝いをする予定です」


 リアが答えた。


「へーロース商会か」


「はい」


 だが、リアはそこで少し考える。


「ただ、商会の仕事だけでは終わらないと思います」


「商工組合連合会だな」


「そうです」


 リアが頷いた。


「アルゲントゥム商会の一件がきっかけになって、商会同士で互いを監視する必要があるという意見が強くなりました。商店や工房まで含めて、最低限の規則を作った方がいいという話も出ています」


「政府だけで全部を管理するのは難しいからか」


「はい」


 リアは続ける。


「一つの商店、一つの工房、一つの商会というミクロな単位で見ると、商品の品質、価格、契約、帳簿、従業員との取引など、実際に商売をしている人間にしか分からない問題があります。でも、それを全部政府が直接見ようとすれば行政の負担が大きすぎます」


「だから、業種や地域ごとの組合を作る」


「その組合をさらに連合会としてまとめます」


「商工組合連合会か」


「はい」


 俺は頷いた。


 個々の店舗や工房をミクロな経済活動として捉え、それぞれを組合で繋ぎ、さらに連合会で全体をまとめる。


 そして国家は、法律や最低限の規則を定める。


 民間側が日常的な商慣行や品質管理を担い、行政は重大な問題や全体の経済政策に集中する。


 ミクロな商取引の積み重ねが、やがてマクロな国内経済を形成する以上、その入口である商業活動を安定させることには大きな意味がある。


「へーロース商会は、その中心に立つ?」


「父が、そのつもりで動いています」


「大規模商会だから?」


「はい。小さな商店だけでは、王国政府や大規模商会と交渉する力が足りません。でも、大規模商会だけで組織を作れば、今度は小さな商店や工房の利益が無視されるかもしれません」


「その間を取るわけか」


「そうです」


 リアの進路は、単純に「商人になる」ことではなかった。


 商業そのものの仕組みを整える側へ進もうとしている。


 それは戦後のアンティクイランド王国にとって、意外に重要な仕事になるのかもしれない。


 西方評議会によって加盟国間の関税が引き下げられ、帝国通貨が共通通貨として利用される。


 交易が増えれば、商店も工房も商会も成長する。


 経済規模が大きくなれば、それだけ不正や契約問題が起きる可能性も増える。


 だからこそ、商業を支える制度が必要になる。


 俺は改めて、教室にいる仲間たちを見渡した。


 コリウスは次期領主。


 ルリウスも次期領主。


 エリシアは以前から決まっている通り、卒業後もティアの側近。


 リアはへーロース商会を手伝いながら、商工組合連合会の設立に関わる。


 俺は卒業後も王太子。


 ティアも王太子妃。


 そして、俺より3歳下の弟エドもいる。


 エドは現在、エクィトゥム王国へ留学中だ。


 15歳になったエドは、もうすぐ留学を終えて帰国する。


 帰国後は、次期宰相として政治や行政を担うための基盤を持つことになる。


 そのため、公爵位が与えられ、新たにエドリアン公爵家が創設される。


 王太子として国家全体を背負う俺。


 将来の宰相として行政を支えるエド。


 王太子妃として王宮を支えるティア。


 その側近としてティアを支えるエリシア。


 領地を支えるコリウスとルリウス。


 商業を支えるリア。


 それぞれの進路は違う。


 しかし、全員が同じ王国の中で別々の役割を担うことになる。


 俺は机の上に置かれた進路希望調査票へ視線を落とした。


 第一希望。


 第二希望。


 第三希望。


 この紙を見ると、自分の人生はやはり普通ではないと思う。


 俺は卒業後も王太子だ。


 その先には父上の後を継ぎ、国王になる未来がある。


 だから俺にとって大切なのは、就職先を決めることではない。


 王太子として何を学び続けるのか。


 どうすれば国家を安定させられるのか。


 どうすれば戦争を避けられるのか。


 そして、避けられない戦争が起きた時に、どうやって国家と人間を生き残らせるのか。


 俺はそう考えながら、調査票を机の上へ戻した。


「レノ」


 ティアが隣から呼ぶ。


「何だ?」


「卒業まで、もう1年しかないんだね」


「ああ。」


 王立士官学校第三学年。


 今は17歳の夏。


 卒業まで、あと1年だ。

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