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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第56話 第二次南部方面軍編成計画

 秋季課程の学力考査が終わってから、数日が経っていた。


 その日の午後、俺は王宮へ呼び出されていた。


 向かったのは、普段使っている執務室ではない。王宮の中でも、軍事や財政、外交など複数の国家機関に関わる案件を協議するための会議室だった。長い机の奥には父上――アウレリウス王の席があり、その左右には重臣たちが座るための椅子が並んでいる。


 先に姿を見せたのは軍務卿アトラシート伯爵だった。


「お待ちしておりました、殿下」


「伯爵も早いですね」


「本日の議題は、軍務だけでは終わりませんからな」


 そう言ったところで、その後ろから財務卿ペクーニア伯爵が入ってきた。


「軍を動かすのであれば、財務が呼ばれるのは当然でしょう」


「それはそうですね」


 俺が答えると、さらに外務卿、内務卿、法務卿、教務卿兼宮内卿マスドリート子爵が続いた。その後ろからは第二軍団軍団長、第三軍団軍団長、第四軍団軍団長フェルディナン子爵、第五軍団軍団長カシウス子爵が入室し、最後に男爵位を持つ王立士官学校校長が姿を見せた。


 軍務。


 財務。


 外交。


 内政。


 法務。


 教育。


 そして軍団運用。


 これだけの人間が一堂に会する以上、単なる前線の小さな異変について話すわけではないだろう。


「全員揃ったな」


 父上が言った。


 俺たちが席につく。


「本日の議題は、シルウァニア王国南東部への今後の対応だ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は地図へ目を向けた。


 シルウァニア王国南東部。


 俺たちアンティクイランド王国と国境を接する地域。


 そして、シルウァニア王都が存在する場所。


 そこへ向けて、エクィトゥム王国軍が西側から接近しつつある。


「グラフィルを」


 父上が言う。


「はい」


 扉が開き、グラフィルが入ってきた。


「失礼いたします、陛下」


「前へ」


「承知しました」


 グラフィルが地図の前へ立つ。


「現在確認できているシルウァニア王国側の戦況について報告いたします」


 まず指が北西部へ向いた。


「シルウァニア王国北西部、ルペリウス戦線です」


 俺は黙って聞く。


「エクィトゥム王国軍が実施した森林焼却作戦によって、大規模な森林地帯が失われました。これまで森林を利用してゲリラ戦を行っていたシルウァニア軍は、潜伏地点、移動経路、補給拠点の多くを失っています」


「カエルス・アル・ルペリウスは?」


 俺が尋ねた。


「死亡が確認されています」


 短い答えだった。


「その後、ルペリウス戦線における組織的抵抗は急速に弱まりました。現在では、エクィトゥム軍が北西部各地へ進軍しています」


 アトラシート伯爵が地図を見る。


「つまり、エクィトゥム軍は北西部で得た突破口を、そのまま次の戦線へ繋げている」


「その通りです」


 グラフィルが南西部へ指を移した。


「次が南西部です」


「ここにはシルウァニア王国軍の主力が拘束されている」


 父上が言う。


「はい。現在も約九万人規模のエクィトゥム王国軍が展開し、南部方面へ兵力を移動させることを難しくしています」


 フェルディナン子爵が地図を覗き込む。


「北西部を突破したエクィトゥム軍が南西部へ加われば、シルウァニア軍にとってかなり厳しい状況になるでしょう」


「その可能性が高いです」


 グラフィルが答えた。


「エクィトゥム側の意図としては、南西部のシルウァニア軍主力を拘束したまま、北西部から新たな戦力を加え、南西部そのものを制圧することだと考えられます」


 俺は地図の上を目で追った。


 北西部。


 南西部。


 そしてその先に南東部。


 シルウァニア王都。


「南西部が落ちれば、次は南東部か」


 俺が言う。


「はい、殿下」


 グラフィルが頷く。


「エクィトゥム軍が南西部を制圧した場合、その後の最大の進撃目標は南東部になると見られます」


 父上が地図の東側へ視線を向けた。


「そして南東部の東側は、我が国との国境だ」


「そのため、我々も冬季に軍を編成する必要があります」


 アトラシート伯爵が資料を開いた。


 俺は数字へ目を落とした。


「現在、南東部方面へ投入可能なアンティクイランド軍は、最大約一万三千六百人です」


 前回の南部戦線。


 あの戦場から生き残り、戻ってきた兵士たち。


 行動可能な9,100人。


 治療を終えれば復帰できる3,000~3,500人。


 そして新規徴募500~1,000人。


 合わせて、およそ13,600人。


「これが限界です」


 内務卿が続けた。


「これ以上の動員は可能ではありますが、農村部からの労働力流出や来年度の生産へ与える影響が大きくなるため、現時点では推奨できません」


 俺は頷いた。


 数字を大きくするためだけに兵士を集める必要はない。


 その兵士が何を支えていた人間なのかまで考える必要がある。


「国内防衛軍5,000人は?」


「今回の南東部方面軍とは別です」


 アトラシート伯爵が即答する。


「王都、主要都市、王領鉱山、港湾、主要街道などの防衛に必要な兵力として、本国へ残します」


「分かった」


 その5,000人まで動かせば、アンティクイランドそのものが危険になる。


 エクィトゥム軍の戦況を見て焦る必要はない。


 必要なのは、前線と本国を同時に維持できる数字だ。


「そして、カヴィーレスターン・スルタン国です」


 外務卿が口を開いた。


「追加派兵の申し出がありました」


「何人です?」


「二万人です」


 俺は数字を聞いて、静かに計算した。


 13,600。


 そこへ20,000。


「さらに亡命政府軍が5,000人です」


 外務卿が続ける。


「アンティクイランド国内から約2,000人。エクィトゥム国内から約3,000人です」


 俺は地図を見つめた。


「なら、主要兵力だけで3万8,600人」


「はい」


 アトラシート伯爵が答える。


「そこへ士官候補生を加えます」


 俺は校長を見る。


 校長が静かに頷いた。


「王立士官学校には、もともと全学年合わせて900人弱の候補生がおりました。しかし、これまでの実地訓練で戦死者が出ています。現在、動員対象とできるのは850人弱です」


 室内が少し静かになる。


「彼らも南東部へ?」


「はい。ただし、通常の歩兵としてではありません」


 校長が答える。


「不足している指揮補佐要員、伝令、偵察、兵站管理などを中心に配置する予定です。実戦経験のある士官の下へ置き、単独での指揮はさせません」


「それなら合理的だ」


 俺は答えた。


 850人弱。


 兵士として見れば大きくない。


 だが、指揮系統の一部を補えるなら意味はある。


「合計すると?」


 父上が尋ねる。


「約三万九千四百五十人。概ね三万九千五百人規模です」


 ペクーニア伯爵が答えた。


 俺は地図を見る。


 アンティクイランド軍13,600。


 カヴィーレスターン軍20,000。


 亡命政府軍5,000。


 士官候補生850弱。


 約39,450。


 それでも、国内防衛軍5,000人はここに含まれない。


 戦うための軍と、国を守る軍。


 両方を残す必要がある。


「ところで、亡命政府軍について一つ確認したい」


 俺が言うと、部屋の視線が集まった。


「5,000人を派遣しても、彼らは他の地域に兵を残す」


「はい」


 外務卿が答える。


「アンティクイランドに約2,000人、エクィトゥムに約2,000人、アエテリア帝国内に約3,000人、カヴィーレスターンに約8,000人、セプテントリア連合公国に約1,000人です」


「つまり、まだ約16,000人が残る」


「その通りです」


 俺は少し考えた。


「なぜ、それだけ残せる?」


 外務卿が黙る。


 代わりにグラフィルが答えた。


「彼らの軍が、軍隊としてだけ存在していないからです」


 俺はグラフィルを見る。


「詳しく」


「アンティクイランド国内だけでも、亡命政府軍の一部は傭兵として隊商護衛、盗賊討伐、商会の護衛、倉庫警備、港湾警備などを請け負っています」


 ペクーニア伯爵が続けた。


「エクィトゥムでも同様の報告があります」


「つまり、彼らは兵士でありながら、普段は労働力として経済へ組み込まれている」


「はい」


 俺は資料を見つめた。


 普通の傭兵に見える。


 依頼を受ける。


 仕事をする。


 報酬を受け取る。


 その金で食料や武器を買う。


 宿を取り、馬を使う。


 商人と接する。


 領主と交渉する。


 必要なら盗賊を追う。


 それだけなら、どこから見ても普通の傭兵だ。


「エクィトゥム軍が単独傭兵の大部分を雇用した後、アンティクイランド国内では傭兵不足が起きている」


 内務卿が言った。


「本来なら、護衛費用は上昇するはずでした。しかし実際の上昇幅は予想ほど大きくありません」


 俺は少しだけ目を細めた。


「不足分が供給されているからか」


「そう考えています」


 グラフィルが答える。


「しかも、その供給者が合法的に仕事をしているため、表面上は何もおかしくありません」


 俺はようやく理解した。


 亡命政府は、自分たちの兵士を社会から隠しているのではない。


 社会から必要とされる形にしている。


 それなら、兵士を一ヶ所へ集めなくていい。


 戦争が始まれば必要な数だけ集めればいい。


 残りは傭兵として仕事を続ける。


 国家から見れば、合法的な経済活動。


 亡命政府から見れば、軍事組織を維持するための基盤。


「しかも、隊商護衛をしていれば街道の状況が分かります。港を警備していれば港の動きが分かる。商会と関われば商品の流れも見える」


 外務卿が言う。


「つまり情報まで自然に入ってくる」


「はい」


 俺は黙った。


 これは厄介だ。


 軍服を着た2万1,000人なら、見つければ警戒できる。


 しかし、商人に雇われた護衛団なら話が違う。


 見つけても、ただの傭兵に見える。


「では、5,000人を今回の戦線へ出すことについて、亡命政府自身はどう考えている?」


 父上が尋ねた。


「潜伏網を残した上での限定派遣です」


 外務卿が答える。


「彼らも、全軍を一ヶ所へ集める危険性は理解しています」


 俺は頷いた。


 むしろ、全員を出す方が不自然だった。


 それだけの軍を失えば、亡命政府そのものが危うくなる。


「最後に、費用を確認します」


 ペクーニア伯爵が資料を開いた。


「南東部方面へ展開する約三万九千五百人について、戦闘が大規模に発生しない場合でも、年間の基本維持費は約一千七百大金貨と見積もっています」


 数字が並ぶ。


 兵士の給与。


 食料。


 軍馬と荷役馬。


 武具の補充。


 輸送。


 医療。


 宿営。


 築城。


 伝令。


 予備費。


「戦闘が継続すれば、武器、防具、馬、医療、輸送の損耗が増えます」


 ペクーニア伯爵が続ける。


「その場合、年間約二千二百から二千五百大金貨程度を想定する必要があります」


 父上が尋ねる。


「国家財政への負担は?」


「現在の基礎的な年間黒字は、おおむね三千大金貨規模です」


 ペクーニア伯爵が答える。


「しかし、これは南東部方面軍だけの話ではありません。国内防衛軍の維持、戦争による交易収入の変動、戦後復旧、その他の国家支出まで考慮する必要があります」


 俺は数字を見つめる。


 三千。


 二千五百。


 数字だけなら払えるように見える。


 しかし、戦争は一つの軍隊だけで行うものではない。


 国家全体で金が動く。


「それに、エクィトゥム軍が南西部を制圧して南東部へ進んでくるまで、こちらにも時間がある」


 俺が言った。


「冬季に軍を作る。だが、最初から全戦力を戦場へ出す必要はない」


 アトラシート伯爵が頷く。


「段階的な集結ですね」


「そうだ」


 俺は地図を見る。


「南東部へ向かう約3万9,500人を、一度に同じ場所へ置く必要はない。前線、補給拠点、輸送路、国境守備に分ける」


 フェルディナン子爵が頷いた。


「それなら、戦線の変化にも対応できます」


 カシウス子爵も静かに続ける。


「そして国内防衛軍5,000人は動かさない。前線を優先しすぎて王国そのものを薄くしないようにする」


「その通りだ」


 父上が言った。


 会議はその後、具体的な冬季動員の日程へ移っていった。


 どの領地から何人集めるのか。


 復帰した負傷兵をどこへ配置するのか。


 士官候補生をどの部隊へ組み込むのか。


 カヴィーレスターン軍をどこから輸送するのか。


 亡命政府軍の5,000人をどのように受け入れるのか。


 エクィトゥム王国軍の南西部制圧がどの程度進んでいるのか。


 それぞれが一つずつ決められていく。


 俺はその間、何度も地図を見た。


 北西部は、すでにエクィトゥム軍の進軍によって大きく崩れている。


 南西部には、まだシルウァニア軍主力が残っている。


 そしてその先に、南東部と王都がある。


 俺たちは、その東側にいる。


 前回の南部戦線では、俺たちの軍は崩壊した。


 今度は違う。


 アンティクイランド軍は13,600人。


 亡命政府軍は5,000人。


 カヴィーレスターン軍は20,000人。


 士官候補生は850人弱。


 約39,500人。


 そして、本国には別に5,000人の国内防衛軍が残る。


 この数字なら、戦うことはできる。


 問題は、どう戦うかだ。


 俺は最後にもう一度、グラフィルへ尋ねた。


「エクィトゥム軍が南西部を制圧するまで、どれくらいかかる?」


「現時点では断定できません」


 グラフィルが答える。


「北西部が崩れたことでエクィトゥム軍は勢いを増していますが、南西部には依然としてシルウァニア軍主力が存在します」


「つまり、予定通りになるとは限らない」


「はい」


 俺は頷いた。


 それでいい。


 未来が予定通り進む必要はない。


 予定が外れた時に、こちらが対応できればいい。


 秋の国家戦略論で、教官が何度も言っていた。


 国家戦略は未来を当てることではない。


 外れた時に、国家が耐えられる形を作ることだ。


 俺は地図から目を離した。


「なら、準備だけは進める」


 父上が頷く。


「そうしろ」


 会議はそこで、次の議題へ移った。


 冬季動員。


 南東部方面軍の編成。


 エクィトゥム王国との連絡。


 カヴィーレスターン軍の輸送。


 そして、亡命政府軍5,000人の受け入れ。


 まだ戦闘は始まっていない。


 それでも、王宮ではすでに次の戦場を巡る準備が始まっていた。

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