第57話 国内派閥
シルウァニア王国との戦争が近づく中、王都でも少しずつ空気が変わり始めていた。
軍務省では冬季動員の準備が進められ、財務官たちは必要となる戦費の計算を続けている。各領地では動員可能な兵力や軍馬、食料の確認が行われ、外務卿のもとには周辺諸国との連絡が絶えず届いていた。
だが、戦争が近づけば近づくほど、国内の政治も静かに動き始める。
その夜、俺は王太子宮の一室にいた。
ここは公的な会議室ではない。
王太子としての正式な政務を行う場所とは別に、俺たちが気兼ねなく話すために使っている私室だった。扉の外には近衛兵が立っているものの、部屋の中にいるのは俺とティア、そしてグラフィルだけだ。
俺はソファへ座り、机の上に置かれた資料へ目を通していた。
国内の貴族情勢。
内乱後の各家の動向。
旧第一王子派を中心として形成された王太子派。
王太子派へ吸収された旧第二王子派系の貴族。
その中で現在も一定の受け皿となっているプラエシディウス伯爵家。
そして、第三王妃セレネと第三王子を中心に、再び独自の政治集団を作り始めている旧第三王子派の法衣貴族たち。
「最近、かなり動いてるね」
向かいに座っていたティアが言った。
「ああ」
俺は資料から目を上げない。
「内乱前とは状況そのものが違う」
以前は王族の誰が王位を継ぐのかによって、各派閥が明確に分かれていた。
第一王子派。
第二王子派。
第三王子派。
王弟派。
だが今は違う。
俺が王太子となり、旧第一王子派は王太子派へと変わった。そして、第二王子派はヴィクトリアの乱によって壊滅した。王弟派もカシウス公爵家の家督争いを契機に分裂し、さらに内乱によって力を失っている。
つまり、以前と同じ意味での「四大派閥」はもう存在しない。
「グラフィル」
「はい、殿下」
「改めて整理してくれ」
「承知しました」
グラフィルが立ち上がり、机の上に簡単な一覧を置いた。
「現在、最も大きな政治的枠組みは王太子派です」
「ただし、それを以前の第一王子派と同じ一枚岩の派閥と考えるのは適切ではありません」
俺は頷いた。
「続けて」
「旧第一王子派系の貴族が中心ですが、内乱後には旧第三王子派の多くもこちらへ統合されています。また、壊滅した旧第二王子派から生き残った貴族の一部も、現在は王太子政権の下へ入っています」
「つまり、王太子派という名前の中に、以前は別々だった家々が入っている」
「はい」
グラフィルは答えた。
「そのため、同じ王太子派でも政策に対する考え方には差があります」
「当然だな」
俺は資料をめくる。
「旧第二王子派系は?」
「独立した派閥を形成できるほどの力はありません。ただし、旧第二王子派の権益を維持しようとする家々は存在します」
「中心は?」
「プラエシディウス伯爵家です」
その名前を聞いて、俺は頷いた。
プラエシディウス伯爵家。
最後まで第二王子派だった。
しかし内乱には加担しなかった。
だから家そのものは生き残り、今では旧第二王子派系の家が相談する際の中心になっている。
「王太子派に入っている旧第二王子派系の家との関係は?」
「少々複雑です」
グラフィルが答えた。
「同じ王太子の臣下ではありますが、以前から第一王子派だった家との間には、家格や政治的人脈を巡る意識の差があります」
「ただ、今すぐ対立するほどではない」
「はい」
「旧王弟派は?」
「独立した派閥を形成できる力は残っていません。カシウス子爵家の家督問題と、その後の内乱によって勢力が分散しています」
「そして旧第三王子派」
「こちらは逆に、少しずつまとまり始めています」
俺は顔を上げた。
「セレネ様の政治的地位が上昇したこと。そして第三王子殿下を政治的な中心として、旧第三王子派の法衣貴族が独自の政策集団を形成し始めています」
俺はしばらく黙った。
旧第三王子派は、以前なら生き残るために第一王子派と統合する必要があった。
今は違う。
第二王子派が消えた。
第三王妃の立場も変わった。
そして第三王子という明確な政治的象徴がいる。
だから今度は、王太子政権の中で独自の立場を作ろうとしている。
「なるほど」
俺は資料を閉じた。
「つまり、王太子派そのものが一つの派閥ではなくなってきている」
「はい」
グラフィルが答える。
「王太子殿下を頂点とした政治秩序の中で、それぞれの家が新しい立場を作り始めている、と考えるべきかと」
俺はその言葉に頷いた。
それは、俺が望んでいた形でもある。
一つの派閥で全てを固めるのではない。
王太子という政治的な頂点を共通の前提とし、その下で各家が自分たちの利益や政策を追求する。
その方が、長期的には安定する。
問題は、その調整だった。
「でも」
ティアが突然、少し身を乗り出した。
「それなら、私に任せてよ!」
「……何を?」
俺が聞くと、ティアは元気よく答えた。
「派閥の折衝!」
グラフィルの表情が、ほんの一瞬だけ止まった。
俺はティアを見る。
「任せて、って言うけど、結構大変だぞ」
「分かってるよ」
ティアは即答した。
「でも、レノが全部やる必要はないでしょう?」
「……」
「レノは国家全体の制度とか、軍とか、財政とか、大きなことを考えないといけないんだよね」
「ああ」
「だったら、私は貴族同士の話をする。誰が何を考えてるのか聞いて、どこなら譲れるのか探す。それなら私にもできるよ」
俺は少し考えた。
ティアの言っていることは正しい。
彼女は人間関係を見るのが上手い。
相手の言葉をただ聞くだけではない。
何を言わなかったのか。
なぜその言葉を選んだのか。
誰を気にしているのか。
どこで態度が変わったのか。
そういう小さな情報を繋げて、その人間が何を求めているのかを見抜く。
それは俺が制度や数字を見るのとは違う能力だ。
「理由は?」
俺はあえて聞いた。
「私に任せたいと思う?」
ティアが少し得意そうに笑う。
「それとも、まだ信用してない?」
「能力の問題なら信用してる」
「じゃあ決まり!」
ティアが嬉しそうに言う。
「まだ決めてない」
「えー」
「正式に任せるなら、範囲を決める必要がある」
「うん」
「王太子名義で勝手に約束するのは禁止。財政、爵位、人事、法制度に関わることは、俺か父上の承認が必要だ」
「分かってる」
「ただし、貴族同士の会談や意見交換、利害調整については任せる」
「本当に?」
「ああ」
ティアの顔が明るくなる。
「任せて!」
その声が思ったより嬉しそうだったので、俺は思わず笑った。
「そんなに嬉しいか?」
「うん。だって、私も王太子妃なんだもん」
ティアは胸を張った。
「レノが国を動かすなら、私はその周りの人たちをまとめる。ちゃんと役割分担しようよ」
「なるほどな」
「でしょう?」
俺は少し考え、それから頷いた。
「なら、頼む」
「任せて!」
ティアが笑う。
その様子を少し離れた場所で見ていたグラフィルは、何とも言えない顔をしていた。
驚いているようにも見える。
呆れているようにも見える。
だが、口を挟むつもりはないらしい。
「……何だ、その顔は」
俺が聞く。
「いえ」
グラフィルは一度目を逸らし、それから真面目な顔に戻った。
「殿下とティア殿下が、非常に息が合っておられると思っただけです」
「そう?」
ティアが嬉しそうにグラフィルを見る。
「はい」
「じゃあ、ちゃんと任せてもらったことを頑張らないとね」
「……そのようですね」
グラフィルはそう答えたが、どこか複雑そうだった。
.......若いってイイネ。
俺はそんなグラフィルの心情には全くきずかず言葉を続ける
「心配するな。ティアなら大丈夫だ」
「承知しております」
グラフィルが答える。
だが、その顔にはまだ何とも言えないものが残っていた。
しばらくして、ティアが俺の隣へ移動してきた。
「じゃあ、これから私、いろんな貴族と話してくるね」
「ああ」
「旧第三王子派の人たちとも話す」
「頼む」
「プラエシディウス伯爵家とも?」
「そこも頼む。ただし、対立させる必要はない」
「分かってる」
ティアが頷く。
「旧第二王子派だからって警戒するんじゃなくて、今の王太子政権の中でどういう立場なら安心できるのかを探す」
俺はティアを見る。
「それができるなら、かなり助かる」
「任せてよ」
ティアは笑った。
「レノが作った新しい政治秩序なら、私がちゃんと人を入れていくから」
その言葉に、俺は少しだけ黙った。
確かにそうだ。
制度だけでは政治秩序は完成しない。
そこへ人間が入り、それぞれの利益や感情を抱えたまま動き始めて、初めて一つの社会になる。
俺が作るのは枠組み。
ティアがまとめるのは、その中で生きる人間たち。
その役割分担は、思っていた以上に合理的なのかもしれない。
「じゃあ、これから忙しくなるな」
「レノもね」
「ああ」
俺たちは顔を見合わせる。
そして、ティアが小さく笑った。
「でも、一緒にやればいいでしょう?」
「そうだな」
俺も答えた。
王太子宮の静かな一室。
外では王都の政治が動いている。
旧第二王子派系の貴族たちが、自分たちの居場所を探している。
旧第三王子派の法衣貴族たちが、第三王子を中心とした新しい立場を作ろうとしている。
旧王弟派系の家々は、それぞれ別の道を歩き始めている。
そして、その全てを包む大きな枠として、王太子を中心とした新しい貴族社会が形になりつつある。
俺はその枠組みを整える。
ティアは、その中にいる人間たちを繋ぐ。




