第56話 国家戦略論(学力考査)
秋季課程が終わった。
王立士官学校では、季節ごとの課程が終わるたびに学力考査が行われる。春、夏、秋、冬のそれぞれに一度ずつ実施されるため、秋季課程が終わったということは、そのまま秋の学力考査が始まるということでもあった。この学校には中間考査という制度はない。普段の授業や演習で積み重ねてきた学習内容を、課程の最後に一度まとめて評価する。それが王立士官学校の学力考査だった。
そして今回、俺たち2年生が受ける科目の一つが、秋季課程で集中的に扱ってきた国家戦略論だった。
試験当日の朝、教室には普段とは違う緊張が漂っていた。1学年300人の候補生たちが、それぞれ指定された席についている。試験前だからなのか、いつもなら聞こえてくる雑談も少ない。机の上には筆記具だけが置かれ、教室の前方では試験監督を務める教官たちが最後の確認を行っていた。
俺の近くにはティア、リア、ルリウス、コリウス、ホリウス、ボリウス、ポリウスがいる。校長の配慮で普段から同じ討論班になっているが、試験では当然それぞれ別の答案を書く。相談もできない。
ティアがこちらを見た。
「緊張してる?」
「少しだけ」
「本当に?」
「試験前にまったく緊張しない方がおかしいだろ」
俺がそう答えると、ティアが小さく笑った。
「よかった。レノでも緊張するんだね」
「するさ」
ただ、それを表に出していないだけだ。
俺は試験前にもう一度だけ、秋季課程で学んだことを頭の中で整理した。
国家収支。
国家貯蓄。
戦費。
国家資源。
食料。
輸送。
外交。
交易。
軍事。
そして、それらを個別の問題としてではなく、一つの国家の中で繋げて考える。
国家戦略論では、それが何度も繰り返された。
教官は毎回、答えを先に教えなかった。
条件を提示して、考えさせる。
答えを出したら、その答えによって新しく発生する問題を聞く。
そして、最初の答えそのものをもう一度考えさせる。
試験でも、おそらく同じだろう。
「起立!」
試験監督の号令が響いた。
教室中の候補生が一斉に立つ。
「礼!」
「着席」
全員が席へ戻る。
試験監督が教壇の前へ立った。
「これより、2年次秋季課程・国家戦略論の学力考査を開始する」
候補生たちの表情が引き締まる。
「試験時間は120分。問題は4問」
教官が続けた。
「第1問は基礎確認、第2問は計算、第3問は資料分析、第4問は総合記述とする」
「なお、第4問には複数の解答が成立する可能性がある。結論だけを書くのではなく、その判断に至った理由、採用しなかった選択肢、そこから発生する可能性のある問題まで記述せよ」
少し間があった。
「教官が説明した知識をそのまま書けば終わる問題ではない。与えられた条件を正確に読み、自分で考えろ」
「では、問題を配る」
試験監督から問題用紙が配られていく。
この世界では植物紙はまだ十分に普及していない。だからこそ、試験問題も答案も、必要最小限の紙しか使わない。問題用紙は両面印刷で、答案用紙も枚数を絞っている。長文を好きなだけ書けるわけではないため、限られた紙面の中で要点をまとめることも試験の一部だった。
「裏返して待て」
最後の紙が配られた。
「では、始め」
一斉に問題用紙が裏返される。
俺は第1問を読む。
第1問。
国家収入、大金貨11,000枚。
通常支出、大金貨8,000枚。
戦争準備費、大金貨1,500枚。
この年の通常収支と、戦争準備費を含めた実質的な収支をそれぞれ答えよ。また、両者を区別する理由を記せ。
俺は計算する。
通常収支は3,000枚。
戦争準備費を含めれば1,500枚。
問題そのものは難しくない。
ただし、この数字だけで「1,500枚の黒字だから余裕がある」と書けば減点されるだろう。戦争準備費が国家貯蓄から支出される特別支出なら、通常の黒字とは意味が違う。
俺は必要な説明を書き込んだ。
紙が限られている以上、余計なことは書かない。
次は食料だった。
第2問。
総人口120万人。
年間穀物需要480,000トン。
国内生産144,000トン。
輸入336,000トン。
①食料自給率を求めよ。
②主要輸入先が3ヶ国ある場合の利点を説明せよ。
③その3ヶ国からの輸入が別々の国を経由していても、最終的に一つの港へ集中している場合、どのような危険があるか説明せよ。
①は30%。
②は輸入先の分散。
③は港湾という共通の脆弱点。
俺は答案を書く。
ここでも、ただ「港が止まります」では足りない。
ガルディシアのような港が停止すれば、食料だけではなく交易、関税、物資流通まで影響する。
その連鎖まで書く。
俺はそこで、一瞬だけティアの顔を思い出した。
授業で、彼女も同じところへ気づいていた。
だが、試験中にそれ以上考える意味はない。
自分の答えを書くだけだ。
教室の別の場所では、候補生たちがそれぞれ問題と向き合っていた。
ホリウスは計算問題より、理由を説明する問題で手が止まっている。
普段から身体を動かす方が得意な彼にとって、国家戦略論の長い記述は負担が大きいのだろう。それでも、何度も問題を読み直しながら答案を書いている。
ボリウスは食料輸送の設問を見て考えていた。
自分の専門である兵科運用から見れば、軍を動かすためにどれだけの食料が必要なのかは理解している。しかし、それを国家規模の数字へ変換して説明するのは、実戦とは違う難しさがある。
ポリウスは資料分析の問題でほとんど顔を上げない。
情報を扱う者らしく、設問の一つ一つから「わざと隠されている条件」を探しているようだった。
リアは答案を書く速度が速い。
しかし、早く終わらせようとしているわけではない。書いた後に何度も読み返し、自分の結論に対する反論を考えている。
ルリウスは文章をまとめる前に一度必ず考える。
必要な条件を整理し、抜けている部分がないかを確認してから書き込んでいる。
コリウスは計算式を書く量が多い。
数字の関係を崩さないように、一つずつ確認しながら進めている。
そしてティアは、ときどき少しだけ笑っていた。
問題そのものが面白いのだろう。
国家戦略論では、正解そのものよりも「どうしてそう判断したのか」を考えることが好きなのかもしれない。
俺は第3問を読む。
仮想国家の資料だ。
だが、前回の授業で使ったものとは違う。
山岳国家でもなければ、海峡国家でもない。大河の流域に広い農地を持ち、主要都市の一つが鉱山地帯に近く、南部には交易港がある。隣国の一つとは友好関係にあるが、もう一つとは国境問題を抱えている。
問題は、
「この国家の国家戦略上の脆弱性を3つ挙げ、その相互関係を説明せよ」
だった。
俺は資料を読み込む。
農地。
鉱山。
河川。
港。
国境。
ここで重要なのは、3つを別々に挙げることじゃない。
例えば国境紛争が激化すれば軍を増やす必要がある。
軍を増やせば食料消費が増える。
その食料を運ぶ河川が敵の攻撃を受ければ、港へ送る輸出品も減る。
鉱山からの武具生産まで影響が出れば、長期戦の能力が落ちる。
俺は答案へ書き進める。
秋の授業で学んだことが、そのまま使える。
そして第4問。
俺は問題文を読み、少しだけ息を吐いた。
やはり来たか。
総合記述。
ある国が隣国と戦争状態に入っている。
戦争準備費として大金貨5,000枚をすでに支出。
国家貯蓄は8,000枚。
年間通常黒字は2,000枚。
国内食料自給率は35%。
残り65%を3ヶ国から輸入。
ただし最大の輸入先は敵対国へ変化する可能性がある。
主要港は一つ。
北部には軍馬生産地。
中央部には主要鉱山。
王都には人口の15%が集中。
そして敵軍は、直接首都へ進むよりも、輸送路と港湾を狙っている。
最後の問い。
「この国家が今後3年間戦争を継続する場合、最初の半年間に優先すべき政策を3つ挙げよ。また、残りの政策を優先しない理由について説明せよ」
俺は問題を読み終えた。
ここまで来ると、答えは一つではない。
外交。
備蓄。
港。
輸送路。
軍馬。
鉱山。
軍備。
自給率。
どれも重要だ。
だからこそ、3つに絞らなければならない。
俺はしばらく考えた。
まず、最も大きな脆弱性は港だ。
しかし港だけ守っても、その先の輸送路が止まれば意味がない。
なら輸送。
ただし輸送するもの自体が不足すれば意味がない。
次に外交。
最大輸入先との関係を維持できれば、食料不足を大幅に軽減できる。
そして備蓄。
外交交渉が失敗した場合の時間を買う。
軍備増強は必要だが、食料と輸送能力を無視して増やせば、戦争継続能力をさらに削る可能性がある。
国内生産の大規模転換も、半年では効果が出にくい。
俺は結論を書き始めた。
3つの政策。
そして、それを選んだ理由。
さらに選ばなかった政策の理由。
紙面は限られている。
だから、説明も必要なところだけ残す。
しばらくして、答案を書き終えた。
俺は全体を読み返した。
結論は変わらない。
その理由も一貫している。
「残り10分」
教官の声が響く。
教室中で最後の確認が始まる。
ティアも。
リアも。
ルリウスも。
コリウスも。
ホリウスも。
ボリウスも。
ポリウスも。
誰も顔を上げない。
「終了」
その言葉で、教室中の筆記具が止まった。
「答案を伏せろ」
候補生たちが一斉に手を止める。
「回収する」
答案が前へ集められていく。
俺は椅子へ背を預けた。
思ったより疲れている。
「終わったね」
試験後、廊下へ出たところでティアが言った。
「ああ」
「最後、どうだった?」
「難しかった」
「私も」
リアが加わる。
「第4問、答えがいくつもありそうでした」
「そこが試験なんでしょうね」
ルリウスが静かに言った。
「条件によっては別の政策を選ぶ余地がありますから」
「私は最後、時間が足りなくなりそうでした」
コリウスが言う。
「数字を確認していたら、思ったより時間を使いました」
「俺は記述がきつかった」
ホリウスが苦笑する。
「まあ、次はもっと勉強するしかないな」
「そうですね」
ルリウスが頷いた。
ボリウスとポリウスも、それぞれ自分の解答について話し始める。
俺たちの周囲には、他の候補生たちもいる。
教室から出てきた候補生たちが、あちらこちらで試験の話をしていた。
「第2問、30%だよな?」
「そう書いた」
「第4問、どうした?」
「まだ聞くな。怖い」
そんな声が廊下に広がっている。
ティアが俺の隣へ並んだ。
「結果、いつ出るかな?」
「数日後じゃないか」
「早く知りたいね」
「ああ」
俺たちはそのまま廊下を歩いていった。
数日後。
国家戦略論の学力考査の成績が出た。
この学校では紙を大量に使えないため、全候補生へ詳細な採点表を配ることはない。総合評価と必要な場合の個別講評が、班長を通じて伝えられる。
俺たち8人は、放課後に教官から結果を聞いた。
「全体として、今年の2年生はよく考えていた」
教官が言う。
「単純な知識問題の正答率は高かった。だが、総合記述になると候補生ごとの差が大きかった」
俺は静かに聞いている。
「結論そのものより、そこへ至る過程に問題がある者が多かった。特に、ある資源を増やすことで別の資源が減るという視点が弱い」
それは秋の授業で何度も聞いた話だった。
「諸君らの班は、討論を重ねてきただけあって、その点は比較的よくできていた」
ティアが少し笑う。
「ありがとうございます、教官」
教官は頷いた。
「ただし、次年度からはさらに高度になる。国家全体を見るだけでなく、複数の国家と同時に関係を持つ場合の判断まで求める」
「承知しました、教官」
ルリウスが代表して答える。
教官はそこで話を終えた。
「秋季課程の学力考査については以上だ。各自、結果を今後の学習へ活かすように」
「ありがとうございました、教官!」
8人が一斉に礼をする。
教官が去った後、ティアが俺を見る。
「レノ、結果どうだった?」
「上位だった」
「やっぱり」
リアも結果を聞いて笑う。
「私も悪くありませんでした」
コリウス、ルリウスたちも、それぞれ結果を確認する。
全員が同じ成績ではない。
得意分野も違う。
それでも、秋の間ずっと一緒に議論してきたことで、試験問題を見る時の考え方そのものは少しずつ変わっていた。
俺もそうだった。
国家戦略論を学ぶ前なら、戦争の勝敗を軍隊の数だけで考えていたかもしれない。
今は違う。
兵士。
食料。
馬。
武具。
金。
輸送。
外交。
その全てを繋げて考える。
それができなければ、一つの政策を選ぶことさえ危うい。
ティアが隣で言った。
「じゃあ、秋は本当に終わったんだね」
「ああ」
「次は冬だね」
「そうだな」
校舎の窓から外を見る。
季節は少しずつ冬へ向かっていた。
秋の国家戦略論と、その学力考査は終わった。
俺たちはそれぞれの成績を手にして、次の課程へ進んでいく。
今度は、どんな授業になるのだろう。
そんな話をしながら、俺たちは他の候補生たちと一緒に校舎を出ていった。




