第52話 レノとティアの生存術
翌朝。
目を覚ましてから、俺はしばらく天井を見ていた。
昨夜、ティアと話したことを思い返している。
王族が14人から6人へ減ったこと。王家の血統維持が問題になっていること。そして、その解決策の一つとして王太子第二妃の案が出ていること。
感情だけで考えるなら、答えはすでに決まっている。
受け入れない。
ティア以外の女性を妃として迎えるつもりはない。
ただし、俺は自分の感情だけを理由に国家の政策を決めるつもりもなかった。
王家の人数が減っている以上、次の世代を確保する必要はある。俺が国王になるなら、それは俺自身の責任でもある。第二妃という案が出てくること自体は理解できるし、王宮の人間がそれを検討することも間違いではない。
問題は、その手段が本当に必要なのかということだ。
俺は感情を切り離すのではなく、一度その感情を横へ置いて考える。
第二妃を迎えた場合、王家の血統維持については確かに選択肢が増える。しかし同時に、エクィトゥム王国との関係、王太子妃であるティアの立場、王宮内の派閥、将来生まれる子供たちの継承順位、さらに宮廷内の新たな対立まで発生する可能性がある。
利益だけではない。
新たに発生する問題も多い。
ならば、まだ他の方法を検討する余地がある。
そう判断したところで、俺はベッドから起き上がった。
今日は、その判断を父上とマスドリート子爵へ伝えることになるだろう。
寝室を出ると、ティアが廊下の先で待っていた。
「おはよう、レノ」
「おはよう」
昨日までは、王宮の中では自然と一定の距離を取っていた。
だが今日は違った。
ティアがこちらへ歩いてきて、何でもないことのように手を差し出した。
「行こう」
俺はその手を取った。
「うん」
そのまま2人で歩く。
廊下には侍女がいる。
近衛兵もいる。
途中で法衣貴族とすれ違うこともある。
それでも俺たちは手を離さなかった。
別に、周囲へ何かを示したかったわけではない。
ただ、今の俺たちにとっては、それが自然だった。
ティアが小声で言う。
「見られてるね」
「そうだな」
「どうする?」
「別に」
「ふふ」
ティアが笑う。
俺も僅かに口元を緩めた。
王族である以上、誰かの視線から逃れることはできない。
ならば、見られて困らないことまで隠す必要はない。
父上の執務室へ入ると、昨日と同じようにマスドリート子爵が待っていた。
宮内卿兼教務卿。
王宮の内情と教育行政の双方を預かる法衣貴族であり、王族の事情にも詳しい。
「おはようございます、殿下」
「おはようございます、マスドリート子爵」
父上がこちらを見る。
「昨日の件だ」
「はい」
俺は席についた。
マスドリート子爵が資料を開く。
「昨日申し上げた通り、王太子第二妃については、現時点ではあくまで検討案です。正式な命令でも、決定事項でもありません」
「それは理解しています」
俺は答えた。
「では、殿下のお考えを伺っても?」
「反対します」
子爵が静かに俺を見る。
「理由は?」
「王家の血統維持そのものには賛成です。ですが、第二妃という方法が最適だとは考えていません」
父上の目が少し細くなる。
「具体的には?」
「まず、王家が6人になった原因は、単純な出生率の問題ではありません。内乱によって王弟家が大きく失われ、王族そのものが減った。ならば、同じ規模の危機が今後も起きる前提で制度を考えるべきです」
俺は続けた。
「第二妃を迎えたとしても、王家の政治的安定が崩れれば、別の問題が起こる。むしろ、王太子家に新たな勢力を作ることで、王家内部の対立を増やす可能性もあります」
マスドリート子爵は黙って聞いている。
「さらに、ティアはエクィトゥム王国第三王女です。この婚姻には両国の同盟という意味がある。ここへ第二妃を加えることで、エクィトゥム側との調整が必要になる」
「なるほど」
「つまり、第二妃を迎えることで得られるのは、王家の血統維持についての選択肢が増えること。それに対して、新しく生じる政治的な問題も多い」
俺は一度言葉を切った。
「現時点で、そこまでのコストを払ってまで選択する必要性は認められません」
室内が静かになる。
父上が口を開いた。
「では、どうする?」
「別の手段を探します」
「それが見つからなければ?」
俺は少し考える。
「その時に改めて考えます」
父上が僅かに笑った。
「つまり、今は決めないということか」
「はい」
マスドリート子爵が資料を閉じた。
「非常に王太子殿下らしい回答ですね」
「そうですか?」
「はい。感情的に拒絶するのではなく、必要性そのものを認めた上で、手段としての合理性を否定しておられる」
俺は何も言わなかった。
だが、その通りだった。
俺はティアとの関係を守りたい。
それは事実だ。
だからこそ、王家の将来を考える必要がある。
感情を捨てればいいわけではない。
感情を持ったまま、どうすれば両方を守れるのかを考える。
それが俺のやり方だった。
執務室を出ると、ティアがこちらを見る。
「どうだった?」
「今のところ、第二妃案を進めるつもりはないらしい」
「そう」
ティアの表情が僅かに緩む。
「それだけ?」
「何が?」
「もっと安心した顔してるかと思った」
「してるだろ」
「分かりにくい」
ティアは笑った。
俺たちは歩き始める。
しばらくして、ティアが言った。
「ねえ、レノ」
「何だ?」
「私、昨日から少し考えてたの」
「何を?」
「第二妃の話を、ただ嫌だって言うだけじゃ駄目だなって」
俺はティアを見る。
「ティアらしいな」
「私だって王太子妃だから」
ティアは少し考えながら続ける。
「王家の問題をなくすには、王家の中だけで考えなきゃいけないわけじゃないと思う」
「……どういう意味だ?」
「王族が6人しかいない。それなら、王族の数だけを増やす方法以外にも、王家を安定させる方法はあるでしょう?」
俺は足を止めずに考える。
「例えば?」
「まだ分からない」
ティアは即答した。
「でも、第二妃を迎える以外の方法を最初から諦める必要はないでしょう?」
「その通りだ」
俺は頷いた。
ティアはそこで少しだけ笑った。
「だから、私も考える」
「何を?」
「王家を守りながら、私たちの都合も守れる方法」
その言葉に、俺は小さく息を吐いた。
やはりティアは強い。
ただ感情的に「嫌だ」と言うのではない。
問題そのものを受け入れた上で、その中から自分たちに都合のいい答えを探している。
それは、俺の考え方とは少し違う。
俺は制度や数字、政治的な影響を整理して最適解を探す。
ティアは、その制度の中で動く人間を見て、どうすれば流れそのものを変えられるかを考える。
だから、俺たちは違う。
けれど、その違いが悪いわけではない。
むしろ――。
「ティア」
「何?」
「これからも、その考えは俺に話してくれ」
「うん」
「俺も話す」
「分かった」
2人は手をつないだまま、王宮の廊下を歩いていく。
その日の午後。
王宮では、すでに別の動きが始まっていた。
第二妃案を急いで進めるのではなく、王家の血統維持を別の角度から検討するための調査が始まっている。
誰をどのような形で王族として扱うのか。
将来の婚姻政策をどうするのか。
王家の分家を形成する可能性はあるのか。
現在の制度で見落とされている手段はないのか。
それらを調べるため、宮内卿であるマスドリート子爵が複数の担当者へ指示を出していた。
ティアはそれを遠くから聞きながら、静かに考えていた。
自分たちが望まない未来を拒否するだけでは、何も変わらない。
ならば、自分たちが受け入れられる未来を、少しずつ作っていけばいい。
必要なのは、誰かを正面から打ち負かすことではない。
王宮には、いろいろな人間がいる。
それぞれに事情がある。
それぞれに望みがある。
その望みの中へ、自分たちの望みを少しずつ混ぜていけばいい。
すぐに結果が変わらなくても構わない。
最後に同じ結果へ辿り着いたとしても、その結果へ至る意味が変わっていればいい。
ティアはそんなことを考えながら、隣を歩くレノを見る。
レノは何も言わない。
ただ、これから必要になる制度や外交について考えているのだろう。
この人は、感情を捨てることができるわけではない。
感情を制御して、前へ進むために使っている。
だからこそ、私は隣にいられる。
ティアは小さく笑った。
王太子夫妻として、これからも問題は増えていくだろう。
王家の血統。
亡命政府。
外交。
軍制改革。
そして、戦争。
それでも今は、まだ自分たちで選べる余地がある。
その余地を少しずつ広げていけばいい。
2人は手をつないだまま、王宮の奥へと進んでいった。




