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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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307/321

第48話 国家戦略論

漢数字の使用が多かったのですが、今回はアラビア数字の使用となっております。


今後、本作の投稿は朝に1~3話くらい、夜に1~3話くらいの投稿を行っていこうと思います。

一日最低3話の投稿を行います!

 夏季休暇が終わり、王立士官学校の2年次秋課程が始まった。


 秋からの授業では、これまで別々に扱われていた国家戦略、外交、戦時財政の3分野を統合した「国家戦略論」が始まる。


 この授業では、単純に戦争の勝ち方を学ぶわけではない。


 軍隊を動かすには金が必要になる。


 金を得るには国家の経済が必要になる。


 経済を維持するには外交や交易が必要になり、外交を失敗すれば戦争そのものを招く。


 そして、一度戦争が始まれば、勝つために使った金だけでなく、戦後の復旧にも金が必要になる。


 つまり、軍事、財政、外交を別々に考えていては国家戦略にはならない。


「起立!」


 教官の声が響く。


 候補生たちが一斉に立ち上がった。


「礼!」


 全員が揃って頭を下げる。


「着席」


 候補生たちが席へ戻る。


 教官は黒板へ向かい、まず大きく文字を書いた。


 国家戦略論


「今日から2年次秋課程を始める」


 教官が振り返る。


「この授業では、国家戦略、外交、財政を一つのものとして扱う」


 黒板へ新しく3つの文字が並ぶ。


 軍事


 財政


 外交


「諸君らはこれまで、部隊の動かし方を学んできた。だが、将来諸君らが率いることになる軍隊は、何もないところから生まれるわけではない」


「兵士には食料が必要だ。武器が必要だ。防具が必要だ。軍馬が必要だ。輸送手段が必要だ。そして何より、それを維持する金が必要になる」


 教官が黒板へ新しい式を書く。


 軍隊=人員+装備+食料+輸送+財源


「したがって、指揮官が国家財政を理解していなければ、国家規模の作戦を立てることはできない」


 俺はノートを開いた。


 その言葉には、実感があった。


 実際に戦場へ出れば、兵士の数だけでは何も決まらない。


 どれだけ大軍がいても、補給が届かなければ前進できない。


 前進しすぎれば補給線が伸びる。


 戦闘が長引けば負傷者が増える。


 武器は壊れる。


 馬も消耗する。


 そして、それら全てに金がかかる。


「まず、国家財政を理解するための基礎を確認する」


 教官が別の黒板へ移った。


「現在、我が国で使用されている貨幣は次の通りだ」


 黒板に書かれていく。


 大金貨1枚=1億円相当


 金貨1枚=1万円


 銀貨1枚=1,000円


 銅貨1枚=100円


 鉄貨1枚=10円


 小鉄貨1枚=1円


「もちろん、これは前世の日本円と完全に同じ価値という意味ではない。授業で比較しやすくするための、おおよその換算だ」


 何人かの候補生が頷く。


「では次に、11年前の国家収支を見る」


 教官が古い資料を配っていく。


「当時の国家収入総額は、大金貨8,653枚と金貨4,000枚」


 候補生たちが数字を書き写していく。


「最大の収入源は税収。市場税、人頭税などを合わせ、大金貨4,200枚」


「次にフレトゥム海峡関税。海峡全体の関税総額は大金貨7,480枚」


 教官はそこで手を止めた。


「ここは重要だ。7,480枚を、そのままアンティクイランド王国の収入と考えてはいけない」


 黒板に計算式が書かれる。


 7,480÷2=3,740


「フレトゥム貿易協定によって、カヴィーレスターン・スルタン国とアンティクイランド王国が折半する」


 さらに、


 3,740÷2=1,870


「そして11年前は、アンティクイランド王国側の3,740枚を、王家とガルディシア伯爵家で折半していた。したがって、当時の王国財政に直接入っていたのは大金貨1,870枚だ」


 俺は資料へ目を落とした。


 ガルディシア伯爵家。


 今はもう存在しない。


 先の内乱で取り潰され、旧領は王領へ編入された。


「その他の収入が続く」


「王家事業、大金貨1,750枚」


「上納等、大金貨795枚」


「利息収入、大金貨38枚と金貨4,000枚」


「合計すると、国家収入は大金貨8,653枚と金貨4,000枚になる」


 教官は次に支出の欄を示した。


「通常支出、大金貨7,742枚」


 黒板に内訳が並んでいく。


 法衣貴族俸禄2,100枚


 外交費1,870枚


 インフラ維持費1,500枚


 軍事費1,200枚


 治安維持費500枚


 宮廷費297枚


 教育費250枚


 民生費25枚


「さらに当時は、アエテリア帝国内戦への警戒に伴う臨時軍事費200枚が計上された」


「したがって総支出は大金貨7,942枚」


 教官は黒板へ最後の数字を書く。


 8,653.4-7,942=711.4


「年間黒字は、大金貨711枚と金貨4,000枚。大金貨換算で711.4枚だ」


 俺は数字を見つめた。


「ここで最初の問題だ」


 教官が候補生たちを見渡す。


「この711.4枚は、国家が毎年自由に使える金か?」


「違います」


 すぐに答えが出る。


「正解」


 教官は黒板へ書き足した。


 年間黒字≠国家貯蓄


「年間黒字とは、その年度に新しく生まれた余剰だ。対して国家貯蓄とは、過去に蓄積された資金だ」


 さらに、


 国家収支=その年の収入-その年の支出


 国家貯蓄=過去から蓄積された資金


「この違いを理解しないまま戦争を始めれば、国家財政を簡単に破壊する」


 教官は続ける。


「11年前の国家貯蓄は、大金貨20,168枚と金貨9,000枚だった」


 教室から小さなどよめきが起きた。


「その後、王国では政治と戦争によって財政の状況が変わった」


 黒板に年数が書かれる。


 3年


 1年


 7年


「内乱前の3年間の通常黒字、そして内乱後の1年間の通常黒字。この4年分は国庫に蓄積された」


 711.4×4=2,845.6枚


「一方、残り7年分の通常黒字は、エクィトゥム・アイティクイ戦争によって消費された」


 711.4×7=4,979.8枚


「つまり、11年前の国庫から見れば、その後の戦争によって数年分の黒字が消え、逆に平時の4年分は国庫に残った」


 俺は頷いた。


 エクィトゥム・アイティクイ戦争。


 それは、数字の上だけの話ではない。


 実際に大量の兵士が動き、大量の物資が失われた戦争だ。


「さて、ここで現在の王国財政へ移る」


 教官が資料を差し替えた。


「先の内乱によってガルディシア伯爵家は取り潰され、旧領は王領へ編入された」


 今度は、ガルディシアの収入構造が示される。


「11年前、フレトゥム海峡から王国財政へ入っていたのは大金貨1,870枚だった」


「しかし、ガルディシア伯爵家が存在しなくなった現在、その取り分も王国へ入る」


 黒板に書かれる。


 1,870+1,870=3,740枚


「つまり現在、フレトゥム海峡からアンティクイランド王国へ入る関税収入は、大金貨3,740枚」


 候補生たちがざわめく。


「海峡関税だけで、以前の2倍です」


「そうだ」


 教官は頷く。


「ただし、王領になった以上、領地を維持する責任も王国に移る」


 さらに新しい数字。


 ガルディシア地方税:約520枚


 王領維持費:約300枚


「市場税、人頭税などから年間約520枚の収入が見込まれる。その一方で、港湾、街道、治安、行政などに年間約300枚必要になる」


 黒板へ計算式。


 1,870+520-300=2,090


「したがって、ガルディシアの王領化による年間の財政改善は約2,090枚と考えられる」


 俺は数字を見ながら考えた。


 領地を王領にすれば、収入だけが増えるわけではない。


 維持費も王国が背負う。


 それでも、最終的には大きな増収になる。


「これによって、現在の王国の基礎的な年間収支は、11年前より大きく改善している」


 教官は続けた。


「現在の収入を、過去の収支を基準とした比較モデルで計算すると、年間収入は約大金貨11,043.4枚」


 続いて支出。


「通常支出は約8,042枚」


 そして、


 11,043.4-8,042=3,001.4枚


「戦争関連の特別支出を考えなければ、現在の王国は年間約3,001.4枚の黒字を生み出せる」


 教室がざわつく。


「11年前の711.4枚から、かなり増えている」


「そうだ」


 教官が頷く。


「しかし、だからといって国家が豊かになったから何でもできるわけではない」


 教官が黒板に新たな言葉を書く。


 戦争関連支出


「今回のシルウァニア戦争に備えて、王国は特別な戦争予算を設定した」


 大きく数字が書かれる。


 大金貨10,000枚


「注意しろ。この10,000枚は、開戦後に使う戦費だけではない」


 教官が強調する。


「昨年度から行われた戦争準備費。そして開戦後の実戦に必要となった戦費。その両方を合わせた総額だ」


 候補生たちが資料へ目を落とす。


「武器、防具、弓、弩矢、軍馬、輸送、軍需物資、艦隊整備、動員準備。戦争を始める前にも金は消費される」


「さらに開戦すれば、兵士の給与、補給、輸送、治療、武器の補充、前線基地の維持などが必要になる」


「したがって、戦争関連支出は」


 教官は式を書く。


 戦争準備費+開戦後戦費≦10,000枚


「この枠を超えないよう管理される」


 俺は資料へ目を落とした。


 これは重要だ。


 昨年度の戦争準備費が多ければ、その分だけ開戦後に使える金は減る。


 逆に、準備を惜しめば開戦後に余計な支出が発生する可能性がある。


 どちらにしても、金は消える。


「では、ここからが国家戦略だ」


 教官が候補生たちを見渡す。


「年間通常黒字が3,001.4枚ある」


 黒板に数字を書く。


 +3,001.4


「しかし、戦争関連支出として年間4,000枚必要になった場合は?」


「年間999枚の赤字です」


 候補生が答える。


「そうだ」


「この赤字をどうする?」


 候補生たちが考える。


「国家貯蓄を使う」


「増税する」


「戦争を縮小する」


「外交で和平を試みる」


 教官が頷いた。


「全て正解になり得る」


「国家戦略に唯一の正解はない。重要なのは、それぞれの選択によって何を失うのかを理解することだ」


 そして黒板へ、


 増税 → 国内負担


 軍縮 → 軍事力低下


 国庫取り崩し → 将来の財政余力低下


 外交妥協 → 政治的・領土的譲歩


 と書いた。


「戦争をするかどうかを決める時、敵軍の数だけを見る指揮官は危険だ」


「戦争が何年続けば国庫が耐えられなくなるのか。戦費をどれだけ投入すれば勝利できる可能性が高まるのか。さらに、勝った後にどれだけの復旧費が必要なのか」


 教官の声が少し低くなる。


「そこまで考えて初めて、戦争を国家戦略として扱ったことになる」


 俺は黙って聞いていた。


 今回の戦争では、それを実際に経験した。


 戦場で勝っても、兵士を大量に失えば再編が必要になる。


 領土を奪っても、そこへ守備兵を置かなければならない。


 港を奪っても、港を維持しなければならない。


 戦争とは、勝利の瞬間だけでは終わらない。


「そして最後に外交だ」


 教官が「外交」の文字を指す。


「我が国の年間財政において、外交費は1,870枚」


「なぜ軍事費1,200枚より多い?」


 今度は少し時間があった。


 候補生たちが考える。


「戦争を避けるため?」


 1人が答える。


「その通り」


「我が国は緩衝国家だ。周辺諸国との関係を維持することそのものが安全保障になる」


「さらにフレトゥム海峡の関税収入を考えろ」


 教官が海峡の数字へ戻る。


「海峡が平穏だからこそ交易が行われ、国家収入が得られる。戦争になって海峡交易が止まれば、その収入そのものが減る」


 つまり、


 外交は軍事費を使わない安全保障でもある。


 そして交易は、単なる商業ではない。


 国家財政を支える安全保障上の基盤でもある。


 教官は黒板の3つの言葉を指した。


 軍事


 財政


 外交


 そして、その下にもう一つ書く。


 国家戦略


「これがこの授業の基本だ」


「軍事力だけで国家を考えるな」


「財政だけで国家を考えるな」


「外交だけで国家を考えるな」


「3つを組み合わせて、国家にとって最も有利な選択を考えろ」


 その時、教室の後ろから候補生の1人が質問した。


「教官」


「何だ?」


「では、軍事的に勝てる戦争でも、財政的に負担が大きければ戦わない方がいいのでしょうか?」


 教官は少しだけ考えた。


「それも場合による」


 そして、静かに答えた。


「負ければ国家そのものが滅びる戦争なら、財政負担が大きくても戦う必要がある」


「逆に、勝っても得られる利益が小さく、国家の財政と軍事力だけが大きく削られるなら、戦わないという判断もある」


「つまり重要なのは、『戦えるか』ではなく、『その戦争をする価値があるか』ですか?」


「その通りだ」


 俺はその言葉を聞いて、少しだけ背筋を伸ばした。


 これは、これまで学んできた戦術とは違う。


 敵を倒す方法ではない。


 国家が何のために戦うのか。


 どこまで戦うのか。


 そして、いつ戦争を止めるのか。


 その判断を学ぶ授業だった。


 教官は最後に、現在の国家財政を簡単に整理した。


「現在の王国は、ガルディシア王領化によって平時の財政基盤が強化されている」


「一方で、シルウァニア戦争によって国家貯蓄は大きく減少している」


「戦争関連支出として大金貨10,000枚という大きな枠も設けられている」


「つまり、我が国は貧しいわけではない。しかし、無限に戦争を続けられるほど豊かでもない」


 教官が候補生たちを見渡す。


「この程度の国家財政を前提に、諸君らは将来、軍隊を率いることになる」


 俺はノートを閉じた。


 そしてふと、教室の後方へ目を向ける。


 ホリウス。


 ポリウス。


 ボリウス。


 3人とも静かに授業を聞いている。


 俺は一瞬だけ、リアから以前受けた警告を思い出した。


 優秀な帝国人。


 工作員ではないかという、あの遠回しな警告。


 そして今では、3人の父親たちがリウス傭兵団の中枢にいることも知っている。


 そのリウス傭兵団の実態が、亡命政府軍の一部であることも。


 ただし、3人自身が何を知っているのかは分からない。


 だから今は、何も決めつけない。


 俺は視線を黒板へ戻した。


 国家戦略論。


 軍事、財政、外交。


 そして、その全ての背後にある国家そのもの。


 今日の授業は、その入口に過ぎなかった。


 だが、これから先。


 俺たちはこの授業を通じて、戦場だけでは見ることのできなかった「国家」というものを学んでいくことになる。

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