第47話 亡命政府との交渉
数日後。
アエテリア帝国亡命政府から派遣された正式な使節団が、アンティクイランド王宮を訪れた。
王宮の謁見室には、アウレリウス王を中心として、軍務卿アトラシート伯爵、外交を担当する重臣たち、そして俺とティアが並んでいる。対する亡命政府側には、首班であるヴェリュグ・レクス・ウェトゥスを中心に、旧元老院派の元老院議員、旧ウェトゥス派の貴族、そして帝国軍の関係者が姿を見せていた。
その中でも、俺が特に目を引かれた人物が二人いた。
一人は、初めて対面する旧ウェトゥス王国第三王子ヴェリュグ。
そしてもう一人は、旧元老院書記ルージュイブ・デイ・ドーグレイア。
帝国元老院で実際に議事や法令を扱ってきた人物であり、亡命政府においても政治と行政の実務を担っているらしい。
さらに、少し離れたところには旧帝国軍の軍装を身につけた者たちが並んでいる。
彼らの中心にいるのが、亡命政府軍総司令官ハリウス・デイ・アリポリスだと聞かされていた。
ただし今日は、軍事的な交渉というより政治交渉が中心になるため、ハリウス本人は表立って前へ出ず、軍事顧問として控えている。
「本日は、このような機会を設けていただき、ありがとうございます」
ヴェリュグが一礼した。
「我々アエテリア帝国亡命政府は、アンティクイランド王国との正式な外交関係を築くことを望んでおります」
父上が頷く。
「こちらも、そちらの事情について詳しく知りたいと思っている。まずは、亡命政府が何を求めているのか聞かせてもらおう」
「承知しました」
ヴェリュグが一歩下がる。
すると、隣に立っていた元老院議員の一人が前へ出た。
「まず、我々の戦争への参加についてです」
男は落ち着いた声で話し始めた。
「我々は、シルウァニア王国との戦争に対して軍事力を提供する用意があります」
「二万一千人の軍をすべてか?」
アトラシート伯爵が尋ねる。
「いいえ」
元老院議員は即答した。
「我々の軍は帝国内外に分散しております。全軍を一度に移動させることはできません。また、亡命政府そのものの存続を考えれば、全てを一つの戦場へ投入することも適切ではありません」
なるほど。
最初から全戦力を差し出すつもりはない。
「当面、戦場へ投入可能なのは二千から三千人程度と考えております」
アトラシート伯爵が資料へ目を落とす。
「レクィエリアにいる中核部隊の一部ですね」
「はい」
元老院議員が答える。
「ただし、戦況が変化し、追加派遣が必要となれば、他地域の部隊についても移動を検討します」
「では、我々が求める見返りについて改めて確認しよう」
父上が言う。
「はい」
元老院議員は少しだけ微笑んだ。
「第一に、戦後のシルウァニア王国占領地の一部について、我々との譲渡交渉を行うこと」
「具体的な場所の指定はないのか?」
「現時点ではありません」
その答えに、俺は少し意外に思った。
「戦争がどう進むのか分からない段階で、具体的な領土を指定するのは現実的ではありません。ですから、我々が戦争へ参加した場合、その戦果と貢献に応じて戦後に領土配分を協議する権利を認めていただきたい」
父上はしばらく黙っていた。
「そして第二に、大陸西部三国同盟への加盟だな」
「はい」
今度はヴェリュグ自身が答えた。
「我々は、将来的に大陸西部三国同盟の正式な構成国となることを望んでおります」
「正式加盟を、今ここで約束しろということか?」
「いいえ」
ヴェリュグは首を横に振った。
「まずは加盟交渉を開始する権利をいただきたいのです」
また一歩引いた。
だが、それは本当の意味での譲歩ではないのだろう。
最初から「加盟を認めろ」と言えば拒絶される可能性が高い。
しかし「加盟交渉を始める権利」ならば、拒む理由が少なくなる。
俺は元老院議員たちを見た。
やはり、この人たちは厄介だ。
「なるほど」
アウレリウス王が答える。
「では、我々からも確認したい。そちらは、自分たちをアエテリア帝国の正統政府だと考えているのだな?」
「はい」
ヴェリュグが答えた。
「現在のホスティス皇帝による政権は、我々にとって正統な帝国政府ではありません」
その時、初めてルージュイブ・デイ・ドーグレイアが口を開いた。
「より正確に申し上げます、陛下」
静かな声だった。
しかし、その言葉には元老院書記としての重みがあった。
「我々が主張しているのは、単純な政権交代ではありません」
ルージュイブは一歩前へ出る。
「ホスティス皇帝の政権は、帝国の既存制度を大規模に変更しております。構成国の軍事権、外交権、財政権、そして元老院の政治的権限を中央へ集中させた」
「それは知っている」
父上が答える。
「しかし、五百年以上も続いた帝国の制度そのものを変更したからといって、それだけで皇帝が非合法になるわけではないだろう」
「その通りです」
ルージュイブはあっさりと認めた。
「したがって、我々は『改革したから非合法だ』と主張しているのではありません」
「では?」
「問題は、その改革に至る過程です」
ルージュイブは淡々と続けた。
「元老院派と旧ウェトゥス派の主要人物を拘束し、構成国の政治指導者を排除し、帝国軍によって各地を制圧した。その後、政治制度を変更した」
彼は一度、言葉を区切った。
「つまり、従来の帝国制度に基づいて行われた皇帝選出と、その後の政治秩序を、軍事力によって実質的に破壊したのです」
室内が静かになる。
「だから、我々は現在の帝国を正統な帝国政府とは認めない」
ルージュイブはそう言った。
「そして、旧制度の代表者が残っている我々こそが、帝国の正統性を継承していると主張しています」
俺は思わず息を吐いた。
これは単なる感情論ではない。
帝国の法と制度を知る人間が、「なぜ自分たちに正統性があるのか」を法的な理屈として組み立てている。
「なるほど……」
ティアも静かに呟いた。
その時、アトラシート伯爵が別の資料を開いた。
「では、その主張を裏付けるものはありますか?」
「あります」
即答したのはルージュイブだった。
「帝国元老院の議事記録、歴代の皇帝選出記録、構成国間の協定書、皇帝と元老院の権限を定めた法令の写しなどです。私自身が元老院書記でしたので、かなりの記録を持ち出すことができました」
そう言って、持参した書類の一部を机へ置く。
アトラシート伯爵が確認する。
俺も横から覗き込んだ。
古い記録。
元老院の署名。
構成国の承認印。
皇帝選出に関する文書。
それらが、いくつも並んでいる。
「帝国の歴史そのものですね」
俺が呟く。
「はい」
ルージュイブは静かに頷いた。
「だからこそ、我々は亡命政府を単なる反乱勢力としてではなく、帝国の正統な政治的継承者として扱っていただきたいのです」
俺はその言葉を聞きながら、先ほどの二万一千人という数字を思い出した。
軍だけではない。
彼らには政治がある。
法がある。
記録がある。
そして、それを運用できる人間がいる。
旧ウェトゥス派と旧元老院派は、本来ならば対立していた。
しかし今は、一つの政府として交渉している。
「ただし」
父上が口を開いた。
「我々がそちらを正式にアエテリア帝国の正統政府として承認するかどうかは、別問題だ」
「当然です」
ヴェリュグが頷く。
「本日の目的は、まず我々が交渉相手として認められることです」
「そして、シルウァニア戦争への軍事協力を通して、その関係を深めたい、と」
「はい」
その答えは明快だった。
父上は少し考えた後、ゆっくり口を開いた。
「ならば、第一段階として、亡命政府との正式な交渉を継続することを認めよう」
亡命政府側の数人が僅かに表情を緩める。
「戦争への参加については、まず二千から三千人規模の部隊を受け入れる。その運用については、我々と共同で協議する」
「承知しました」
「戦後の占領地については、貢献度を踏まえた協議の場を設ける。ただし、今の段階で領土の譲渡を確約することはできない」
「異存ありません」
「大陸西部三国同盟については、戦争への参加状況と今後の情勢を見た上で、加盟交渉を行うかどうかを検討する」
そこまで聞いて、ヴェリュグは深く頭を下げた。
「十分です」
その言葉を聞いた瞬間、俺は少し違和感を覚えた。
十分?
亡命政府は、こちらから見ればかなり大きな要求をしている。
それなのに、ヴェリュグはあっさりと受け入れた。
そして、隣の元老院議員たちも反対しない。
むしろ、最初からここまで進むことを想定していたようだった。
俺は思った。
やはり――。
元老院議員たちは、戦う相手として見るなら相当に厄介だ。
彼らは要求を押しつけるのではなく、相手が受け入れられる形にまで細かく分解している。
そしてルージュイブは、その交渉を支えるだけの帝国法と記録を持っている。
軍を持つハリウス。
政治的正統性を持つヴェリュグ。
権力闘争の達人である元老院議員たち。
そして帝国の法と行政記録を知り尽くしたルージュイブ。
アエテリア帝国亡命政府は、単なる敗残兵の集団ではなかった。
それは、帝国から切り離されたもう一つの国家だった。
「レノ」
ティアが小さな声で呼んだ。
「何だ?」
「何か考えてる?」
「ああ」
俺は亡命政府側を見る。
「これから大変なことになりそうだと思ってる」
ティアは小さく頷いた。
目の前にいる者たちは、ただ祖国を取り戻したいだけの人間ではない。
政治も軍事も知っている。
そして何より、自分たちが生き残るための方法を知っている。
そんな組織と、これから俺たちは付き合っていくことになる。
その日の交渉は、ひとまず終わった。
しかし、アエテリア帝国亡命政府との関係は、ここから始まったばかりだった。




