第45話 アエテリア帝国亡命政府
シルウァニア王国との戦争が続く中、アンティクイランド王宮に一通の書状が届けられた。
差出人として記されていたのは、これまで王国が正式な国家や政府として認めてこなかった勢力――アエテリア帝国亡命政府だった。
その名を見た父上はすぐに俺たちを呼び、王宮内の会議室で対応を協議することになった。室内には父上――アウレリウス王、軍務卿アトラシート伯爵、外交を担当する重臣、そして俺とティアがいる。
「亡命政府から正式な接触ですか?」
俺が尋ねると、父上が頷いた。
「ああ。これまでも帝国から逃れた旧ウェトゥス派や旧元老院派の残党が各地に潜伏しているという情報はあった。しかし、今回のように自分たちを一つの政府として名乗り、正式な交渉を申し入れてきたのは初めてだ」
アトラシート伯爵が書状を開く。
「差出人は、アエテリア帝国亡命政府首班ヴェリュグ・レクス・ウェトゥス。旧ウェトゥス王国第三王子です」
俺はその名前を聞きながら、資料へ目を落とした。
アエテリア帝国は、かつて皇帝を頂点としながらも、多数の王国、公国、諸侯国が広範な自治権を持つ巨大な連合体だった。
しかしルイーナエ大戦で敗北した後、皇帝モルトゥウスが戦死し、その後を継いだホスティス・インペラトル・ポテンス・アエテリアは、帝国軍、外交、財政、官僚機構を次々と中央へ集めていった。
元老院の権限も縮小され、かつて皇帝を選出していた元老院は、やがて皇帝の政策を追認する機関へと変わっていった。
それに反発したのが、旧ウェトゥス派と旧元老院派だった。
本来ならば互いに対立する二つの勢力。
しかし、ホスティス皇帝という共通の敵を前にして、彼らは手を組んだ。
そして、帝国による粛清を逃れた者たちによって、亡命政府が形成された。
「亡命政府側は、シルウァニア王国との戦争に参加する用意がある、としています」
アトラシート伯爵が続けた。
「その見返りは?」
父上が尋ねる。
「二つあります」
伯爵は書状を読み上げた。
「第一に、戦後、シルウァニア王国の占領地の一部を亡命政府へ譲渡すること」
「なるほど」
「第二に、大陸西部三国同盟への加盟を認めること」
俺は少し考えた。
これは単純な援軍要請ではない。
亡命政府は自分たちの軍を戦争へ投入し、その代わりに占領地と国際的な政治的地位を得ようとしている。
「彼らは、自分たちを一つの国家として認めてほしいわけですね」
「その可能性が高いでしょう」
アトラシート伯爵が頷く。
「問題は、その政治組織がどれほどの実態を持っているかです」
「軍事力か」
「はい」
伯爵が別の資料を取り出した。
「ここから先は、今回の接触を受けて我々が行った確認作業によって判明した情報です」
父上が顔を上げる。
「説明せよ」
「まず、我々は以前から王都のリウス傭兵団について調査を続けていました」
俺はその名を聞いて、わずかに反応した。
リウス傭兵団。
俺の知っている名前だ。
「表向きには三百人規模の傭兵団です。王都の商会や貴族から護衛依頼などを受けて活動しているとされています」
「表向きには、か」
「はい」
伯爵は資料をめくった。
「亡命政府から接触があった後、我々はレノヴァーティオ商会とリウス傭兵団との関係を改めて調査しました。商取引、人員の出入り、護衛任務、資金の流れなどを調べた結果、三百人という数字が不自然であることが判明しました」
俺は黙って聞いていた。
王国側も、最初からすべてを知っていたわけではない。
以前から疑念はあった。
今回の亡命政府からの接触をきっかけに、その疑念が具体的な調査へ変わったのだ。
「その後、亡命政府側と接触した際、我々は身元確認と戦力確認を求めました」
アトラシート伯爵が続ける。
「その過程で、亡命政府側は交渉材料として、自らの組織と戦力の概要を提示しました」
「なるほど」
父上が頷く。
「つまり、我々が全てを暴いたわけではない」
「その通りです。独自調査で得た情報と、亡命政府側が提示した情報を照合した結果、かなりの部分で一致しました」
俺は少し感心した。
隠すだけではなく、必要な時には見せる。
相手に自分たちの価値を理解させるために、戦力そのものを交渉材料として使っている。
「それで、実際のリウス傭兵団は?」
「約一千八百人です」
「一千八百……」
思わず声が出た。
「百五十人規模の部隊が四個。百人規模の部隊が六個。五十人規模の部隊が十二個。合計一千八百人」
俺は資料を見つめた。
三百人と聞かされていた傭兵団が、実際にはその六倍。
明らかな偽装だった。
「なぜ三百人に偽装する?」
「亡命政府軍だと知られれば、帝国側の諜報網に警戒されます。また、王都で一千八百人規模の軍事組織を維持しているとなれば、我々も当然警戒する。三百人程度の傭兵団なら、王都に存在していても不自然ではありません」
「なるほど……」
俺は静かに頷いた。
そして、その瞬間。
俺の中で、以前から知っていた情報が一つにつながり始めた。
ホリウス。
ポリウス。
ボリウス。
俺は以前から知っていた。
ホリウスの父がリウス傭兵団の団長であること。
そしてポリウスとボリウスの父も、同じ傭兵団の幹部であること。
しかし、その時までは、あくまで「傭兵団長の父」として認識していた。
「では、リウス傭兵団の団長は……?」
俺が尋ねる。
アトラシート伯爵が資料を見る。
「ハリウス・デイ・アリポリスです」
「……!」
俺は思わず顔を上げた。
「旧ウェトゥス王国軍第一師団師団長を務めていた人物であり、現在はアエテリア帝国亡命政府軍総司令官です」
頭の中で、全てがつながった。
ハリウス。
リウス傭兵団の団長。
そしてホリウスの父。
さらに、亡命政府軍二万一千人の最高指揮官。
「そういうことだったのか……」
思わず呟く。
ティアが俺を見る。
「レノ?」
「いや……リウス傭兵団のことを思い出した」
俺は資料へ視線を戻した。
まさか、あの傭兵団がこんな巨大な組織の中核だったとは。
「そして、ハリウスだけではありません」
アトラシート伯爵が続ける。
「亡命政府軍には、旧ウェトゥス派の構成国から出た司令官経験者が約五十名、旧元老院派の構成国から約八十名。合計約百三十名の高級指揮官が確認されています」
さらに資料がめくられる。
「政治部門には、旧ウェトゥス派の貴族が約二十名、旧元老院派の貴族が約三十名」
「元老院議員は?」
父上が尋ねる。
「旧元老院派への粛清時、帝都を離れていた者が十名おります。また、元老院書記ルージュイブ・デイ・ドーグレイアも参加しています」
俺は息を吐いた。
軍だけではない。
旧帝国政治を知る者まで揃っている。
「では、亡命政府軍の総数は?」
「現在、我々が確認できた範囲では約二万一千人です」
伯爵が地図を広げた。
「レクィエリアを本拠地とする中核部隊が約四千人。アエテリア帝国内に約三千人。カヴィーレスターンに約八千人。セプテントリア連合公国に約一千人。そして、エクィトゥム王国内に約五千人」
俺はそれぞれの数字を追った。
「かなり分散しているな」
「はい。大部分は表向きには傭兵、隊商護衛、商人の護衛などとして活動しています。帝国内の三千人に至っては、ほぼ完全な潜伏状態です」
「それほどの軍を維持していながら、帝国に見つかっていないのか」
「全てを隠せているとは限りません。しかし、少なくとも大規模な一個軍として存在しているわけではないため、帝国側からすれば全体像を掴むのは難しいでしょう」
俺はレクィエリアの欄を見る。
約四千人。
その中核に、リウス傭兵団一千八百人。
そして本部は――。
「本部はレノヴァーティオ商会です」
その言葉に、俺は再び目を見開いた。
王都の新興中規模商会。
以前から名前を聞いていた商会だった。
そこが亡命政府の本部。
そして、その下に約四千人の中核部隊。
俺は思わず息を吐いた。
「王都の中に、そんなものがあったのか……」
「正確には、王都の中に存在していたものを、我々は長らく商会と傭兵団として見ていたわけです」
伯爵が答える。
「今回、亡命政府側が正式に接触してきたことで、点在していた情報が線になったのです」
なるほど。
アンティクイランド王国が突然二万一千人の軍を見つけたわけではない。
これまでに集めていた断片的な情報。
王都での傭兵団の活動。
商会の人員。
帝国外から流れてきた旧帝国人。
それらを亡命政府自身が提示した情報と照合し、初めて全体像が見えた。
「それで、亡命政府の首班はヴェリュグ・レクス・ウェトゥス」
「はい」
「軍の総司令官はハリウス・デイ・アリポリス」
「その通りです」
父上はしばらく黙っていた。
そして、静かに口を開く。
「つまり、彼らは本気で国を取り戻すつもりなのだな」
「そのために戦力を維持しているのでしょう」
アトラシート伯爵が答える。
「そして、今の彼らは我々に協力を申し出ている」
俺は書状へ目を向けた。
シルウァニアとの戦争。
亡命政府軍二万一千人。
占領地の譲渡。
大陸西部三国同盟への加盟。
全てが一つにつながっている。
亡命政府は、今回の戦争を自分たちの再出発の機会にしようとしている。
「受け入れるべきだと思いますか?」
ティアが尋ねた。
俺は少し考えた。
「戦力だけを見れば、利用価値は大きい」
だが、それだけではない。
彼らを受け入れるということは、アエテリア帝国の内戦に間接的に関与することでもある。
そして、亡命政府が勝利すれば、その後には新しいアエテリア帝国が生まれるかもしれない。
「まずは交渉だ」
父上が決断する。
「彼らの使節を正式に迎える。その要求を聞き、我々が何を得られるのかを確認する」
「承知しました」
アトラシート伯爵が頭を下げた。
会議はそこで一度区切られた。
だが、俺の頭の中では一つの名前だけが残っていた。
ハリウス・デイ・アリポリス。
リウス傭兵団団長。
ホリウスの父。
そして、二万一千人もの亡命政府軍を率いる総司令官。
俺はこれまで、身近な人間の家族について知っているつもりだった。
しかし実際には、その背後にアエテリア帝国そのものの歴史が隠されていたのだ。
そして今、その亡命政府は俺たちアンティクイランド王国へ、自らの存在を明かした。
シルウァニア戦争は、これからさらに大きなものへ変わろうとしていた。




