第44話 労い
御前会議が終わった夜。
王城の夜は静かだった。昼間には大勢の貴族や官僚が行き交っていた廊下も、今では人影がほとんどなく、窓の外には王都の灯りが点々と浮かんでいる。遠くから聞こえてくるのは、夜間警備を行う兵士たちの足音と、城内を巡回する使用人の気配くらいだった。
俺は寝室へ戻ると、ベッドの端へ腰を下ろした。
ようやく、一日が終わった。
そう思った瞬間、身体から力が抜けた。
「……疲れた」
思わず口から漏れる。
南部戦線から戻ってから、まともに休めていない。
戦場での撤退。
負傷者の確認。
セルシール・モンタヌスを討ち取ったことを利用した王都での報告。
そして今日の御前会議。
軍制改革についての議論では、ただ自分が意見を述べればいいというわけではなかった。貴族たちの反応を見て、どこまで踏み込めるのかを考え、反発を招かない言葉を選びながら話し続けなければならない。
戦場とは違う疲労だった。
「やっぱり、相当疲れてるね」
声が聞こえた。
ティアがこちらへ近づいてくる。
「ああ。今日はさすがにきつかった」
「顔を見れば分かるよ」
ティアはそう言って、俺の向かいに座った。
「会議中もずっと難しい顔してた」
「そんなに?」
「うん。ずっと考えてる顔だった」
俺は苦笑した。
「仕方ないだろ。決めなきゃならないことが多いんだから」
「でも、レノ」
ティアの声が少しだけ真剣になる。
「全部、一人で考えなくてもいいんじゃない?」
俺は黙った。
「戦争から帰ってきたばかりなんだよ。兵士たちのことも、国のことも、これからの戦争のことも、全部考え続けてたら、いつか本当に倒れちゃうよ」
「……分かってる」
「分かってない顔してる」
「そうか?」
「そう」
ティアは即答した。
俺は小さく息を吐いた。
「正直に言うと、少し怖いんだ」
「怖い?」
「今回の戦争で多くの兵士が死んだ。俺が指揮を執った戦場でだ」
口にすると、胸の奥に残っていた重さが少しだけはっきりした。
「王都では勝利という形になった。敵の王太子兼総大将を討ち取った功績もある。でも、戦場にいた俺は知ってる。あれがどれほど危険な状況だったのかを」
ティアは何も言わずに聞いている。
「だから、次は失敗したくない」
「うん」
「軍のことも変えなきゃいけない。兵士も補充しなきゃいけない。傭兵の再教育も必要だ。今回の戦争で問題になった指揮系統も直さないといけない」
そこまで言って、俺は苦笑した。
「……こうやって話してるだけでも、疲れるな」
「ほら」
ティアが少し笑う。
「だから今日は休もう」
「でも――」
「明日になってから考えればいい」
その言葉に、俺は少し驚いた。
「明日になれば、また考えられる。今日のレノが全部決めなくてもいいんだよ」
静かな言葉だった。
けれど、不思議と胸に残った。
俺はしばらく黙ってから、ベッドへ横になった。
「……じゃあ、今日は休む」
「うん。それがいい」
ティアもベッドの近くに座ったまま、安心したように笑う。
「今日は私が見張ってるから」
「またそれか」
「だって、レノすぐ仕事始めるでしょ」
「否定できないな」
「だから今日は駄目」
ティアが少しだけ得意そうな顔をする。
「書類を開くのも禁止。戦争のことを考えるのも禁止」
「それは無理だろ」
「じゃあ、せめて考える時間を短くする」
「どうやって?」
「私が話す」
「なるほど」
俺は少し笑った。
ティアは今日のことではなく、学院にいた頃のちょっとした出来事や、夏季休暇に入ってから見た王都の様子など、取り留めのない話を始めた。
戦争とは関係のない話。
政治とも関係のない話。
ただのくだらない話。
それが、今の俺にはありがたかった。
「……なんか、久しぶりだな」
「何が?」
「何も考えずにこういう話をするの」
「そう?」
「ああ」
俺は目を閉じる。
さっきまで頭の中に渦巻いていた、軍制改革や戦争のことが少しずつ遠ざかっていく。
眠気がゆっくりと広がってくる。
「レノ?」
「ん?」
「眠くなってきた?」
「ああ」
「じゃあ、そのまま寝ていいよ」
「……ティア」
「何?」
「ありがとう」
ティアは少しだけ笑った。
「どういたしまして」
そう言って労ってくれたティアを俺は抱き寄せ、抱き枕にする。
ティアは抵抗せずに俺に身を寄せた。
俺は目を閉じた。
明日になれば、またやることがある。
負傷兵の扱い。
軍の再編。
傭兵の再教育。
そして、始まったばかりの王国の軍制改革。
考えなければならないことは、いくらでもある。
それでも今夜だけは違った。
何も決めなくていい。
何も考えなくていい。
ただ休めばいい。
戦場から戻って以来、初めてそう思うことができた。
「おやすみ、レノ」
ティアの声が静かな寝室に響く。
「……おやすみ」
その言葉を最後に、俺は深い眠りへ落ちていった。




