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氷の奇公子 ~変人王子の生存術~  作者: 佐藤湊
第5章 シルウァニア戦争
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第44話 労い

 御前会議が終わった夜。


 王城の夜は静かだった。昼間には大勢の貴族や官僚が行き交っていた廊下も、今では人影がほとんどなく、窓の外には王都の灯りが点々と浮かんでいる。遠くから聞こえてくるのは、夜間警備を行う兵士たちの足音と、城内を巡回する使用人の気配くらいだった。


 俺は寝室へ戻ると、ベッドの端へ腰を下ろした。


 ようやく、一日が終わった。


 そう思った瞬間、身体から力が抜けた。


「……疲れた」


 思わず口から漏れる。


 南部戦線から戻ってから、まともに休めていない。


 戦場での撤退。


 負傷者の確認。


 セルシール・モンタヌスを討ち取ったことを利用した王都での報告。


 そして今日の御前会議。


 軍制改革についての議論では、ただ自分が意見を述べればいいというわけではなかった。貴族たちの反応を見て、どこまで踏み込めるのかを考え、反発を招かない言葉を選びながら話し続けなければならない。


 戦場とは違う疲労だった。


「やっぱり、相当疲れてるね」


 声が聞こえた。


 ティアがこちらへ近づいてくる。


「ああ。今日はさすがにきつかった」


「顔を見れば分かるよ」


 ティアはそう言って、俺の向かいに座った。


「会議中もずっと難しい顔してた」


「そんなに?」


「うん。ずっと考えてる顔だった」


 俺は苦笑した。


「仕方ないだろ。決めなきゃならないことが多いんだから」


「でも、レノ」


 ティアの声が少しだけ真剣になる。


「全部、一人で考えなくてもいいんじゃない?」


 俺は黙った。


「戦争から帰ってきたばかりなんだよ。兵士たちのことも、国のことも、これからの戦争のことも、全部考え続けてたら、いつか本当に倒れちゃうよ」


「……分かってる」


「分かってない顔してる」


「そうか?」


「そう」


 ティアは即答した。


 俺は小さく息を吐いた。


「正直に言うと、少し怖いんだ」


「怖い?」


「今回の戦争で多くの兵士が死んだ。俺が指揮を執った戦場でだ」


 口にすると、胸の奥に残っていた重さが少しだけはっきりした。


「王都では勝利という形になった。敵の王太子兼総大将を討ち取った功績もある。でも、戦場にいた俺は知ってる。あれがどれほど危険な状況だったのかを」


 ティアは何も言わずに聞いている。


「だから、次は失敗したくない」


「うん」


「軍のことも変えなきゃいけない。兵士も補充しなきゃいけない。傭兵の再教育も必要だ。今回の戦争で問題になった指揮系統も直さないといけない」


 そこまで言って、俺は苦笑した。


「……こうやって話してるだけでも、疲れるな」


「ほら」


 ティアが少し笑う。


「だから今日は休もう」


「でも――」


「明日になってから考えればいい」


 その言葉に、俺は少し驚いた。


「明日になれば、また考えられる。今日のレノが全部決めなくてもいいんだよ」


 静かな言葉だった。


 けれど、不思議と胸に残った。


 俺はしばらく黙ってから、ベッドへ横になった。


「……じゃあ、今日は休む」


「うん。それがいい」


 ティアもベッドの近くに座ったまま、安心したように笑う。


「今日は私が見張ってるから」


「またそれか」


「だって、レノすぐ仕事始めるでしょ」


「否定できないな」


「だから今日は駄目」


 ティアが少しだけ得意そうな顔をする。


「書類を開くのも禁止。戦争のことを考えるのも禁止」


「それは無理だろ」


「じゃあ、せめて考える時間を短くする」


「どうやって?」


「私が話す」


「なるほど」


 俺は少し笑った。


 ティアは今日のことではなく、学院にいた頃のちょっとした出来事や、夏季休暇に入ってから見た王都の様子など、取り留めのない話を始めた。


 戦争とは関係のない話。


 政治とも関係のない話。


 ただのくだらない話。


 それが、今の俺にはありがたかった。


「……なんか、久しぶりだな」


「何が?」


「何も考えずにこういう話をするの」


「そう?」


「ああ」


 俺は目を閉じる。


 さっきまで頭の中に渦巻いていた、軍制改革や戦争のことが少しずつ遠ざかっていく。


 眠気がゆっくりと広がってくる。


「レノ?」


「ん?」


「眠くなってきた?」


「ああ」


「じゃあ、そのまま寝ていいよ」


「……ティア」


「何?」


「ありがとう」


 ティアは少しだけ笑った。


「どういたしまして」


そう言って労ってくれたティアを俺は抱き寄せ、抱き枕にする。


 ティアは抵抗せずに俺に身を寄せた。


 俺は目を閉じた。


 明日になれば、またやることがある。


 負傷兵の扱い。


 軍の再編。


 傭兵の再教育。


 そして、始まったばかりの王国の軍制改革。


 考えなければならないことは、いくらでもある。


 それでも今夜だけは違った。


 何も決めなくていい。


 何も考えなくていい。


 ただ休めばいい。


 戦場から戻って以来、初めてそう思うことができた。


「おやすみ、レノ」


 ティアの声が静かな寝室に響く。


「……おやすみ」


 その言葉を最後に、俺は深い眠りへ落ちていった。

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