第43話 軍制改革
御前会議は、その後もしばらく続いた。
先ほどまで軍制の概要を説明していたアトラシート伯爵は、資料を机へ置いたまま、周囲の貴族たちを見渡している。今回の議題は単なる軍の運用方法の変更ではない。諸侯が代々握ってきた軍事権へ、王家が初めて明確に手を伸ばすことになるのだ。
「戦時における統一指揮権については、私も必要だと考えます」
最初に口を開いたのは、一人の伯爵だった。
「今回の南部戦線では、諸侯軍、中央軍、傭兵が別々の判断で動いた結果、連絡が寸断され、各個に攻撃を受けました。あのような状況を繰り返せば、どれほど兵を増やしても勝てないでしょう」
「しかし」
別の貴族がすぐに言葉を挟む。
「王国軍総司令官へ指揮権を移すというのは、領主が自らの軍を指揮する権限を失うということではないのですか?」
「平時には失いません」
アトラシート伯爵が即座に答えた。
「諸侯軍はこれまで通り各領主の管理下にあります。常備兵の維持も、領地防衛も各領主の責任です。王国が指揮権を取得するのは、あくまで国王陛下が正式に戦時動員を宣言した後、そして動員された部隊が王国軍として作戦に参加している間だけです」
「戦争が終われば?」
「原則として、各部隊は元の指揮系統へ戻ります」
その答えに、何人かの貴族が顔を見合わせた。
完全に自分たちの軍を奪われるわけではない。
少なくとも、今回の改革案だけを見る限り、そう受け取ることもできる。
「では、王国軍総司令官は誰が務めるのです?」
別の貴族が尋ねた。
その質問に、俺は思わずアトラシート伯爵を見る。
伯爵は一度、父上へ視線を向けた。
「それについては、国王陛下の任命とします」
父上が頷く。
「戦争の規模や状況に応じて、最も適した人物を任命する。常に同じ人物が務めるとは限らない」
なるほど。
王家が特定の人物へ恒久的な軍事権力を与えるわけではない。
その方が貴族たちも受け入れやすいだろう。
「では、王国軍総司令官に任命された者が、諸侯軍へ直接命令を出すのですか?」
「そうなります」
アトラシート伯爵が答える。
「ただし、大規模な命令については総司令部を通し、各軍団・各部隊へ段階的に伝達する制度を整えます。個々の諸侯が独自の判断で作戦地域を離れたり、他部隊へ命令を出したりすることは認めません」
その言葉に、幾人かの貴族が眉をひそめた。
「つまり、戦場では我々が自分の兵を自由に動かせないということですね」
伯爵は少し間を置いてから答えた。
「戦争とは、王国全体が意思を持って戦うものです。一つの戦場で複数の領主がそれぞれ別の判断をすれば、今回の南部戦線と同じ結果になります」
静かな言葉だった。
しかし、それだけに重かった。
反論できる者はいなかった。
「分かりました」
先ほどの伯爵が頷く。
「では、戦時動員中の指揮権については認めましょう。ただし、各領主が自領の防衛上必要と判断した場合まで、中央政府が口を出すことはないと約束していただきたい」
「それについては例外規定を設けます」
アトラシート伯爵が答える。
「敵軍が自領へ侵入した場合など、緊急の領地防衛については各領主が現場判断で部隊を動かせるようにする。ただし、その場合も王国軍総司令部への報告を義務づけます」
「それならば納得できます」
少しずつだった。
王家が一気に権利を奪うのではなく、戦場で必要な部分だけを中央へ集める。
それが、今回の改革の基本方針になっていた。
「次に、兵力報告制度について説明します」
アトラシート伯爵が別の資料を開いた。
「これまでは各諸侯によって報告形式が異なっていました。今後は王国政府が統一様式を定め、年に一度、兵力と装備の状況を報告してもらいます」
「毎年ですか?」
「はい」
「内容はどこまで?」
「常備兵数、騎士数、予備役騎士数、戦時召集可能な兵力、保有する馬、弓、弩、盾、鎧などの主要装備。そして、戦時動員時には最新の実数を改めて提出してもらいます」
貴族たちがざわつく。
「そこまで細かく?」
「正確な兵力を知らずに戦争を始めることが、どれほど危険かは今回の戦争で明らかになりました」
アトラシート伯爵は冷静だった。
「王都が把握していると思っていた兵力と、実際に戦場へ送り出せる兵力が違えば、作戦計画そのものが崩れます」
確かにそうだ。
軍隊は数字で動く。
五百人いると思っていた部隊が、実際には三百人しかいない。
一千人を出せると思っていた領地が、実際には八百人しか出せない。
そうした小さな誤差が、大戦争では致命的になる。
「ただし、報告した兵力以上の軍を保有することを禁ずるという話ではありません」
伯爵が続けた。
「現行の兵力制度は維持します。まずは王国政府が正確に把握すること。それが目的です」
俺はそこで、今回の改革が慎重に進められている理由を理解した。
軍を奪わない。
諸侯の常備兵力も変えない。
徴募できる人数も変えない。
それでも、王国はその全てを把握する。
そして戦時には、一つの指揮系統へまとめる。
これだけでも、以前とは大きく違う。
「もう一つ確認したい」
年配の侯爵が口を開いた。
「今回の制度は、今後さらに王家が諸侯軍を中央へ取り込んでいく第一歩なのではありませんか?」
空気が変わった。
それまで静かに聞いていた貴族たちが、一斉に父上とアトラシート伯爵を見る。
俺も黙った。
これは、今回の改革の先にあるものを問う質問だった。
アトラシート伯爵はすぐには答えなかった。
そして、ゆっくりと口を開く。
「将来の改革について、今ここで何かを決定するつもりはありません」
「では、可能性は否定しないと?」
「国家の制度は、その時代に応じて変化します」
伯爵は淡々と答えた。
「しかし、今回決めるのは第一段階だけです。諸侯軍の兵力を削ることも、中央軍へ編入することも、今回は議題としておりません」
その言葉で、少なくとも今すぐに軍を失うわけではないと分かり、貴族たちの緊張が僅かに緩んだ。
父上がそこで口を開いた。
「今回の戦争で、我々は多くを学んだ」
全員が国王へ視線を向ける。
「敵は我々が思っていた以上に強かった。そして我々自身も、一つの軍として十分に機能していなかった」
父上の声は静かだった。
「だが、だからといって今日一日で王国の制度を全て変えるつもりはない。まずは戦時の指揮を統一する。兵力を正確に把握する。それだけだ」
父上は玉座から立ち上がった。
「これを第一段階とする」
誰も反対しなかった。
「アトラシート伯爵」
「はっ」
「軍務卿として、実施案をまとめよ」
「承知いたしました」
「各諸侯への周知と調整には時間をかける。反発があることも承知している。だが、王国が戦争を続ける以上、必要な改革だ」
アトラシート伯爵が深く頭を下げる。
「必ず実行に移します」
こうして、御前会議では第一段階の軍制改革が正式に決定された。
諸侯軍は残る。
諸侯の軍事力も、当面は維持される。
しかし、戦時には王国軍総司令官の指揮下へ入り、王国政府へ兵力と装備の状況を定期的に報告する。
それだけの変化だった。
だが、それはアンティクイランド王国が長年維持してきた軍制に初めて明確な亀裂を入れるものでもあった。
俺は会議を終えていく貴族たちを眺めながら、静かに息を吐いた。
今日決まったことは、決して大きくない。
諸侯から軍を奪ったわけでもない。
王家が全ての軍を直接支配するようになったわけでもない。
それでも――。
戦争になれば、王国中の兵士が一つの命令に従う。
そして王都は、その兵士たちがどこにいて、どれだけ存在するのかを把握する。
今まで当たり前ではなかったことが、これからは当たり前になっていく。
俺には、それがこの国にとって小さくない変化に思えた。




