第2話「ロックゴーレム討伐」
下町の住民から魔獣出現の報告があったとはいえ、
エルブランシュ近郊のこの洞窟は、弱い魔獣しか出ないことで知られている。
Aクラスの魔法使いを同行するほどの案件とは、到底思えなかった。
他のクラスメイトたちも同じ考えだったのだろう。
警戒する様子もなく、次々と洞窟の奥へ進んでいく。
俺とヴァンもそれに続いた。
シュプリムは最後尾にいる…はずだった。
洞窟に入って間もなく、魔獣が姿を現した。
スライム、スケルトン、ゴブリン――いずれもD級。
D級魔物は、学院で言えばDクラスでも討伐可能な相手だ。
Cクラスの俺たちにとっては、正直物足りない。
予想通り、魔物は順調に討伐されていく。
その様子を横目に、俺は後方で待機していた。
「はぁ…やっぱり来るんじゃなかったな…」
思わずこぼした俺の独り言に、ヴァンは剣を強く握りしめて叫ぶ。
「そんなこと言ってるから、いつまで経ってもBクラスに上がれないんだよ!」
そう吐き捨てるなり、魔物の群れへ突っ込んでいった。
得意の炎魔法を駆使し、次々と敵をなぎ倒していく。
どうやら、戦果を上げれば昇級できると本気で信じているらしい。
こんなD級程度の任務でいくら戦果をあげようが無駄だろうに。
…相変わらず、お気楽なやつだ。
―そのときだった。
洞窟の奥から、ズシン、ズシンと地鳴りが響く。
異様な威圧感を放ちながら姿を現したのは――
ロックゴーレム――
人間の五倍以上の巨体を誇る、岩塊の魔獣だ。
全身は幾重にも重なった頑丈な岩で覆われており、生半可な攻撃では傷一つつかない。
その圧倒的な質量と怪力に加え、防御力の高さから、
討伐難度はA級相当とされている。
こんな洞窟に現れるはずのない魔獣だ。
辺りを見回すと、Cクラスの生徒たちは目を見開き完全に硬直していた。
自分たちでは太刀打ちできないと、本能的に理解しているのだろう。
―そして
唯一ロックゴーレムを討伐できる能力を持つシュプリムの姿は、どこにもなかった。
一体どういう事だ…?
短い沈黙を破ったのは、ヴァンだった。
「こ、こいつを倒せば…きっとBクラスに上がれるぞ!」
剣に力を込め、飛び出そうとするヴァンを止めようとしたが、時すでに遅かった。
ロックゴーレムは威嚇の咆哮を上げ、巨大な拳を振るった。
その一撃で、場の空気が凍りつく。
突っ込んだヴァンは、拳の直撃を受け、壁へと叩きつけられた。
それだけで、この敵がCクラスの生徒には手に負えない存在だと嫌でも分かる。
俺はヴァンのもとへ駆け寄り、安否を確認する。
命に別状はない。だが、力の差を突きつけられ、立ち上がることすらできない状態だった。
「大丈夫か?」
そう声をかけると、かすれた声が返ってくる。
「に、逃げろ…」
いかにもヴァンらしい言葉だった。
自分が倒れ、立ち上がることすらできない状況でも、真っ先に他人の身を案じる。
無鉄砲で、お調子者で、考えなしなところも多いが、間違いなく情に厚い男だ。
周囲に目を向けると、他の生徒たちは完全に固まっていた。
恐怖に呑まれ、呼吸すら忘れたかのように立ち尽くしている。
武器を握る手は震え、魔法を詠唱する声は、誰の喉からも上がらなかった。
状況は最悪―
洞窟の出口へ歩みを進めるロックゴーレムに対し俺にできることは一つしかない。
―こいつを、足止めする。
ズシン、スシンと歩を進めるロックゴーレムに対し
俺は唯一使役できる魔法、雷魔法を解き放った。
初級雷魔法《雷撃》。
掌から小範囲に放出される、ごく基本的な魔法だ。
側面へ回り込み、詠唱を省いて放つ。
バリバリと乾いた音を立て、雷はロックゴーレムの胴体へ直撃した。
――だが。
巨体は、揺れもしない。
ひび一つ入らず、動きが止まることすらなかった。
ノーダメージ。
それも、当然の結果だった。
岩属性に対して雷属性は相性が悪い。
魔法理論の基礎で、嫌というほど叩き込まれてきた知識だ。
魔法が通じないなら、次は武器。
俺は迷わず愛刀を鞘から引き抜き、間合いに踏み込んだ。
刃が岩肌に叩きつけられ、火花が散る。
手応えは、ある。だが――
削れていない。
装甲はびくともせず、刃は弾かれるだけだった。
切れ味の問題じゃない。
単純に、ロックゴーレムの装甲が硬すぎるのだ。
雷魔法も、刀も。
俺の持つ攻撃手段は、どれも決定打にならない。
「…っち。これは、まずいな」
独り言が口をついた、その瞬間だった。
ロックゴーレムが動きを止め、ゆっくりと首を巡らせる。
無機質な視線が、正確に俺を捉えた。
次の瞬間、攻撃態勢。
巨大な腕が唸りを上げ、容赦なく振り下ろされる。
――まともに受ければ、即死だ。
「――《雷瞬》!」
足裏に雷を発生させ、その反動で地を蹴る。
爆ぜる雷鳴を引きずるように、俺の身体は一気に間合いの外へと跳んだ。
轟音とともに、さっきまで俺が立っていた地面が砕け散る。
間一髪。紙一重だった。
その光景を見て、後方からヴァンの声が飛んでくる。
「うおっ!? お前、そんなことができたのかよ!?」
感嘆の混じった叫び。
だが、俺は振り返らずにため息をついた。
関心している場合じゃないだろ。
…くそ、なんでこんなことになってる。
ああ、面倒くさい。
本当に、心の底から。
ロックゴーレムは意に介さず、連続で拳を振り回す。
暴れ狂う岩の巨人。
俺は《雷瞬》でそれらをかわし、次の一手に移った。
愛刀を鞘に収める。
「……牙狼!」
《雷瞬》で一気に間合いを詰める。
同時に刀身へ雷を纏わせ、魔力を強制的に流し込む。
《雷瞬》と雷のエンチャントの抜刀を組み合わせた、俺の必殺剣。
抜刀雷鳴剣《牙狼》。
刃が振り抜かれた瞬間、雷鳴が洞窟を揺らす。
轟音と火花を散らしながら、斬撃はロックゴーレムの右肩へと直撃した。
―手応えは、あった。
だが。
砕けたのは、岩肌の表層だけ。
内部構造には、まるで届いていない。
「……くそっ」
爆ぜる反動に弾き飛ばされ、宙を舞いながら距離を取る。
着地と同時に視線を戻すと、ロックゴーレムは佇んでいた。
致命傷には、程遠い。
必殺の一撃でさえ、この程度。
「C級の落ちこぼれが、あんな動きを…」
ヴァンの驚愕の声が、遠くで聞こえた。
次の瞬間、ロックゴーレムの拳が炸裂した。
「――《雷障壁》!」
反射的に雷の防御魔法を展開する。
薄く張られた雷の膜が衝撃を受け止め――きれなかった。
凄まじい圧力が全身を貫き、俺の身体は壁へと叩きつけられる。
背中から鈍い衝撃が走り、肺の空気が一気に吐き出された。
「……っ」
雷の防御魔法は、ほとんど意味を成していない。
一撃ならまだ耐えられる。
だが、これを何度も受ければ――確実にお陀仏だ。
視界の端で、仲間たちの姿が見えた。
俺が足止めしている隙に、ほとんどの生徒が洞窟の外へと逃げ出している。
…当然だ。正しい判断だろう。
せめて、B級以上の魔術師を呼んでくれれば…
この怪物を相手に、Cクラスだけでどうこうできるはずがない。
だが、まだその場に留まっている影があった。
ヴァン・トニー。
逃げられなかったのか。それとも、逃げなかったのか。
俺とロックゴーレムの相性は、最悪だ。
雷は通らず、剣も弾かれる。
ここは逃げるが勝ち。いつもならそうしていただろう。
「そうだ!」
ヴァンが、何かを思いついたように叫んだ。
「こいつ、胸の中心にコアがあるはずだ! それを壊せば倒せる!」
コア――?
思わず視線を走らせる。
ロックゴーレムの巨体。その胸部。
岩が重なり合う中心に、わずかな違和感があった。
目を凝らすと、確かにそこにある。
赤い菱形の結晶。
岩の奥に埋め込まれるように、淡く、しかし確実に光を放っている。
「あれか…」
ゴーレムの核。魔力の心臓。
あれを破壊できれば、この怪物は止まる。
奴を倒せる理屈は分かった。
だが、どうやって、あそこまで届く?
岩の装甲は分厚く、正面から斬り込めば返り討ちだ。
雷魔法も通らない。
近づけば、次の一撃で蹂躙されるかもしれない…
あれを破壊するには、奴の分厚い岩装甲を貫かなければならない。
生半可な攻撃では届かない。
正面から挑んで勝てる相手じゃないことは、嫌というほど分かっている。
それでも。
俺は、大きく息を吐いた。
なぜ、この洞窟にロックゴーレムがいるのか。
なぜ、俺たちCクラスが、この討伐任務に選ばれたのか。
なぜ、本来指揮を執るはずの教官が姿を消したのか。
疑問はいくらでも浮かぶ。
だが――今、それを考えている余裕はない。
ヴァンは、まだここにいる。
逃げ遅れた生徒も、完全には退避できていない。
本来なら、俺は真っ先に逃げる側の人間だ。
勝ち目が薄いと分かれば、深追いはしない。
生き延びることを、最優先にしてきた。
それなのに。
「…しかたない」
誰に言うでもなく、そう呟く。
俺は、決めた。
雷も効かない。
剣も通らない。
相性最悪、俺が一番苦手とするタイプの敵。
―だが、関係ない。
岩ごと、装甲ごと、核ごと。
すべてまとめて、打ち抜いてやる。
視線の先で、赤い菱形のコアが淡く脈動している。
まるで、こちらを試すように。
俺は、ゆっくりと右手を突き出した。
掌を天へ向け、指先をわずかに開く。
左手で、右手首を強く押さえる。
暴れ出そうとする魔力を、無理やり固定するためだ。
次の瞬間――
バリバリ、と空気を裂く音が鳴り響いた。
掌の上で、雷が生まれる。
細い火花が絡み合い、渦を巻き、次第に密度を増していく。
洞窟内の空気が軋み、肌が焼けるように痺れた。
雷の中級魔法――
《サンダーボルト》。
本来は、十分な詠唱と集中を要する術式だ。
だが俺は、型だけをなぞるようにして、力でねじ伏せる。
掌の上で、雷光が白く輝き、
まるで小さな雷雲が生まれたかのようだった。
俺は《雷瞬》を発動し、一気にロックゴーレムとの距離を詰めた。
幸い、この魔物は、少々愚鈍だ。
俺が《サンダーボルト》の射程へ踏み込んだ、その時になってようやく、
巨大な右腕が唸りを上げて振り下ろされる。
「…遅い!」
自身を鼓舞するように呟き、
落ちてくる拳の軌道を見切って身を躱す。
そして、そのまま振り抜かれた右腕に足を掛け、
岩の表面を蹴り上げるようにして一気に駆け上がった。
視界が、急激に上昇する。
次の瞬間、俺はロックゴーレムの顔面の高さにいた。
「サンダーボルト!!」
叫ぶと同時に、
右手に蓄え続けていた雷を、限界まで解き放つ。
バリバリ、と空気を引き裂く轟音。
白光が炸裂し、雷撃がゴーレムの顔面へと直撃した。
――だが。
岩の巨体は、ほとんど揺らがない。
致命傷には、ほど遠い。
爆ぜる雷光と火花が、視界を覆い尽くす。
ロックゴーレムの動きが、一瞬だけ止まった。
想定通りだ。
ダメージは与えられない。
だが、視界を奪えれば次の攻撃に移行できる。
俺はサンダーボルトを放出したタイミングと同時に空中に雷の足場を作っていた。
今度はそれを辿り、ロックゴーレムの遥か頭上に浮上する。
俺は、ロックゴーレムの頭部から跳躍しながら、
両手を左右へと大きく突き出した。
掌を外へ向け、空間そのものを掴むように構える。
次の瞬間、呼吸を整え、はっきりと詠唱を始めた。
「――雷よ」
洞窟内の空気が、震えた。
「我が示す座標へと集束せよ。
その威をもって――」
雷鳴が、遠くで応えた気がした。
天も地もない洞窟の中で、あり得ないはずの“雷の気配”が生まれていく。
背後から、ヴァンの声が漏れた。
驚愕に引き攣った声。
「う、嘘だろ…あの詠唱は……」
ヴァンは、言葉を失っていた。
中級魔法の詠唱じゃない。
ましてや、Cクラスの落ちこぼれが使うような代物でもない。
「敵を、穿て――」
その瞬間。
突き出していた両手を組み、俺はゆっくりと握りしめた。
掌の内側で、何かが悲鳴を上げる。
圧縮された雷が、逃げ場を失い、軋むような音を立てた。
そして――
その指を、わずかずつ開いていく。
バチ、バチ、と。
白い火花が指の隙間から漏れ出し、
圧縮されていた雷が、姿を現した。
俺の目前で、雷光が灯る。
小さな光の塊。だが、その内包する力は、これまでとは次元が違う。
両手を自分の両肩の位置まで、ゆっくりと広げる。
雷は、その動きに引き裂かれることなく、
まるで意志を持つかのように、空間に留まり続けていた。
そして。
再び、両手を閉じる。
雷が、完全に形を成した。これで、詠唱儀式は完了だ。
俺は、力を込めた両手を腰へと引き絞る。
全身の魔力が一点に収束し、空気が悲鳴を上げた。
そして、再び両手を突き出し、その反動で抑え込んでいた雷をすべて解放した。
「――《ライトニングボルト》!!」
雷光が、世界を白に塗り潰す。
轟音。
衝撃波。
空間そのものが、穿たれたかのような一閃。
一点を裁くために降り注ぐ、支配の雷。
雷の上級魔法。
Aクラス以上の魔術師でなければ、
詠唱すら許されない領域の雷の上級魔法だ。
少なくとも、万年Cクラスが扱える代物ではない。
激しい轟音とともに、雷がロックゴーレムの頭上へ直撃した。
積み重なった岩の装甲が悲鳴を上げ、砕け、剥がれ落ちていく。
ついに――
胸部の中心。
赤い菱形のコアが、剥き出しになった。
「――ここだ!」
俺は、迷わなかった。
鞘に納めていた刀に雷を流し込み、刀が唸りを上げる。
「《牙狼》!!」
抜刀雷鳴剣。
雷を纏った一閃が、再び放たれる。
刀は、岩を貫いた。
硬質な感触が一瞬遅れて砕け、
刃はその奥――コアへと到達する。
赤い菱形の核が、確かな手応えとともに穿たれた。
次の瞬間。
コアに無数のひびが走り、
内側から眩い光が溢れ出す。
脈打つような発光。
限界を超えた魔力が暴走し、空気が震えた。
――終わる。
俺は直感で理解し、即座に後退する。
刹那、
コアは臨界を迎えた。
白光が弾け、
ロックゴーレムの巨体は内側から崩壊していく。
そして――
ロックゴーレムの膝が、重く地に落ちる。
眩い光が爆ぜ、
巨体は内側から砕け散った。
岩の雨が降り注ぎ、
やがて、すべてが静止する。
少しの静寂の後…。
「うぉーっ!! やったぜ!!」
洞窟に、ヴァンの叫びが反響する。
瓦礫の向こうから、彼は駆け寄ってきた。
「本当に…死ぬかと思った…!!」
肩で息をしながら、信じられないものを見るように俺を見つめる。
「お前……そんな力、持ってたんだな……」
俺は答えなかった。
雷魔法の乱発で、体の奥が焼けつくように重い。
指先は痺れ、今にも膝が折れそうだった。
それでも――
ヴァンの屈託のない笑顔を見て、
胸の奥に溜まっていた緊張が、すっとほどけていく。
「…はぁ…なんとかなったな」
そう呟くと、俺は深く息を吐いた。
荒れ狂っていた雷の残滓が消え、洞窟に静寂が戻る。
瓦礫の間を抜ける風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
――そのときだ。
何気なく辺りを見回した俺の視界の端に、
不自然な“影”が映った。
洞窟の奥。
崩れた岩陰に、誰かが立っている。
「……?」
目を凝らす。
細身の体躯。風に揺れる緑がかった金髪。
見間違えるはずがない。
喉が、ひくりと鳴った。
「……シュプリムか……?」
シュプリムの姿は、瞬きをする間もなく掻き消えていた。
まるで最初から、そこに存在していなかったかのように。
洞窟の奥には、崩れた岩と砕け散ったロックゴーレムの残骸だけが残されている。
「……見間違い、か?」
そう自分に言い聞かせるように呟き、俺は視線を落とした。
胸の奥に、釈然としない違和感がわずかに残る。
だが今は、それを深く考える余裕はなかった。
少なくとも――
この洞窟に巣食っていた魔獣は、すべて討伐できただろう。
周囲を見渡しても、新たな気配はない。
張り詰めていた緊張が、ようやく少しだけ緩む。
「……一先ず、戻るか」
俺はそう呟き、洞窟の出口へと視線を向けた。
足元には、砕けた岩と魔獣の残骸が無秩序に散らばっている。
そのひとつひとつを踏み越えながら、俺はヴァンの肩を支えた。
「悪いな……」
「いい。喋るな、転ぶ」
軽口を叩く余裕もないほど、互いに消耗している。
それでも、こうして歩けているだけで十分だった。
洞窟の外から差し込む光が、次第に近づいてくる。
重苦しかった空気が薄れ、冷たい風が肌を撫でた。
―生きて、戻れた。
その事実を噛みしめながら、俺たちは洞窟を後にした。
崩れた岩を踏み越え、薄暗い通路を進むたび、先ほどの戦闘が脳裏に蘇る。
負傷したヴァンに肩を貸しながら、俺たちは洞窟を後にした。
向かう先は、魔法学院エルブランシュ第一演習場。
魔獣討伐の報告は避けて通れない。
それに――何より、あの時見えた影が本当にシュプリムだったのか、確かめる必要があった。
偶然で片付けるには、胸の奥に引っかかるものが多すぎる。
教官の不在。
洞窟に現れた、本来いるはずのないロックゴーレム。
そして、ほんの一瞬だけ感じた、こちらを窺うような視線。
色んな考えを巡らせている内に――
気がつけば、俺たちは学院の結界が見える場所まで戻ってきていた。
「……ありがとう、ルロイ。ここからは一人で大丈夫だ」
そう言って、ヴァンは俺の肩からそっと手を離した。
どう見ても大丈夫な足取りじゃない。
ふらつきながらも前に進もうとする、その背中は――彼なりの強がりだった。
俺は何も言わず、少し距離を保ったまま後をついていく。
転びそうになれば、すぐに手を伸ばせる位置で。
やがて視界が開け、白亜の地面と広大な空間が現れた。
魔法学院エルブランシュ第一演習場。
結界に守られたその場所は、つい先ほどまで命を懸けていた洞窟とはあまりにも対照的で、
まるで別の世界に戻ってきたかのような錯覚を覚える。
第一演習場に戻ってきて、俺がまず胸をなで下ろしたのは―
魔物討伐に向かった生徒十名、全員が無事に揃っていたことだった。
誰一人欠けていない。
それだけで、張り詰めていたものが、少しだけほどける。
そして――
その輪の中に、見覚えのある背の高い影を見つけた瞬間、俺の足が止まった。
いた。
間違いなく、彼だった。
シュプリム・ローディ。
討伐の途中で忽然と姿を消し、洞窟内では一切姿を見せなかったはずの教官。
何事もなかったかのように、生徒たちの前に立ち、
負傷者の有無を確認しながら、淡々と状況を聞き取っている。
その様子は、あまりにも自然で―
あまりにも、当然のようで。
胸の奥で、冷たいものが静かに広がった。
―やはり、あの時見えた影は、見間違いじゃなかった。




