第1話「任務」
魔法に才ある者が集う魔法学院――エルブランシュ。
王都の中心にそびえるその学び舎は、選ばれし者だけが足を踏み入れることを許された特別な場所だ。
白亜の外壁は陽光を浴びて眩く輝き、
幾重にも連なる塔と回廊は、遠目には王城そのものと見紛うほどの威容を誇っていた。
事実、この建造物は単なる学院ではない。
王族の居城として築かれ、後に魔法学院としても改修された。
城と学院を兼ね備えた、王都の中枢である。
分厚い城壁には、幾重にも防護結界が張り巡らされている。
空には常時、索敵と結界維持を兼ねた魔法陣が淡く浮かび、静かに脈動していた。
侵入を試みる無謀な者がいれば、門に辿り着くより早く、その存在は排除されるだろう。
その学院の片隅。
誰の目にも留まらない、屋根裏のような空間がある。
梁がむき出しになった狭いその場所には、埃を含んだ古木の匂いが、いつも静かに漂っていた。
生徒が立ち入ることなど、到底想定されていない。
ここは学院の中にありながら、長い時間の中で忘れ去られてきた空間だった。
そこに一人の少年が、今日もまた腰を下ろしていた。
外壁に寄りかかり、開け放した小窓から王都下町を見下ろす。
白い石畳を行き交う人々。遠くまで連なる街並み。
少年は視線を外すことなく、ただ静かにそれを眺めている。
羨望でもなく、未練でもない。
どこか一線を引いたような、淡々とした眼差しだった。
少年の名は、ルロイ・ハーヴェス。
髪は黒く、わずかにウェーヴのかかったミディアムヘア。
整える気など微塵もないと言わんばかりに、無造作に伸びたままだ。
しかしその乱れた髪型さえ、彼の持つ静かな雰囲気と不思議と調和していた。
だが不思議と不潔さはなく、どこか彼の気だるい性格をそのまま写し取ったようだった。
体つきは細身だが、刀を振るって鍛え上げられた筋肉は芯の強さを感じさせる。
同年代の中では比較的長身で、人混みに紛れても頭一つ分だけ視線が抜ける。
顔立ちは端正といっていい。
整った輪郭に、わずかに鋭さを帯びた目元。
笑えば人当たりの良さそうな印象を与えるのだろうが、その表情が浮かぶことは滅多にない。
彼の表情は常に静かで、感情の起伏を表に出さない。
まるで一線を引くような距離感があり、その静けさは、彼という存在そのものにまとわりついていた。
ここは彼にとって、この学院で唯一、心を落ち着けられる場所だった。
つまり――
俺はお気に入りのサボり場で、
今日もいつもの通り、何事もなかったかのようにサボっていた。
「Cクラス3組の生徒は、第一演習場に集合してください」
院内放送の声が、遠く水の底から響くようにルロイの耳へ届く。
ぼんやりとしていた意識が、わずかに現実へと引き戻された。Cクラス3組。
それは、紛れもなく俺の所属するクラスだ。
「…面倒だな」
呟きながら、ルロイは上体を起こす。
行かないという選択肢はあるが…行かなければ、後がさらに厄介になることを彼は知っていた。
ここ魔法学院エルブランシュには、DからSまで五段階のクラスが存在する。
Dクラスは新入生、あるいは魔法の素養が乏しい者たち。
Cクラスは中級魔法を扱える者が集められ、実地任務にも駆り出される。
Bクラスは複数属性を操り、昇級試験を突破した精鋭。
Aクラスは上級魔法と複合魔法を自在に操る、学院のエリート。
そして最上位―Sクラス。
その存在は半ば伝説で、国家すら動かす力を持つと言われている。
俺は十八歳で万年Cクラス。昇級の気配すらない落ちこぼれだ。
Cクラスは時折、魔獣討伐や学院外の調査任務に動員される。
今回の呼び出しも、おそらくはそんなところだろう。
「あー!やっぱりここにいた」
聞き慣れた声が、思考を遮った。
振り返ると、そこには淡い光を纏ったような少女が立っていた。
彼女の名は、リア・レーヌ。
長く艶やかな青髪を後ろで丁寧にまとめ、前髪は柔らかく額に垂らしている。
その佇まいは一見して活発そうだが、その内側には驚くほど繊細で、誰よりも優しい心を秘めていた。
明るい笑顔と整った容姿は、学院の中でもひときわ目を引く。
放っておいても人気者になれる――そんな資質を、彼女は生まれながらに持っている。
そして、エルブランシュ学院Aクラス所属の優等生。
水の上級魔法を自在に操る、紛れもない天才魔術師だ。
長い青髪が揺れ、彼女はルロイを見つけると安堵したように微笑んだ。
リアとは、エルブランシュのスラム街にある孤児院で、共に育った幼馴染だ。
十三歳で揃って魔法学院エルブランシュへの入学を許されたが、そこから先の差は、誰の目にも明らかだった。
リアは、水、氷、土――複数の属性を自在に操る魔法の申し子。
詠唱の正確さ、魔力制御、応用力。そのすべてが、規格外だった。
一方の俺は、雷属性を少し扱えるだけ。
学院の基準を、どうにか踏み越えている程度の実力しかない。
ここにいられる理由も、分かっている。
入学試験の場で、リアの評価に引きずられる形で、俺の名もかろうじて名簿に残った。
サボっていても学院に留まれるのもリアのおかげだろう。
実力も、評価も、立ち位置も。
同じ孤児院で育ったはずなのに、今では彼女は遠く、俺はその影に立っている。
それでも、リアは変わらない。
昔と同じ調子で、俺を名前で呼び、心配そうに微笑む。
「Cクラス3組、呼ばれてるよ。ルロイのクラスでしょ?」
「今から行くよ。どうせ大した用じゃない」
重い腰を上げ、壁際に立てかけてあった刀を手に取る。
俺の愛刀だ。見た目は素朴だが、握り心地が良く切れ味も申し分ない。
もしかしたらどこかの業物なのかもしれないが、名前は知らない。
俺は魔法は嫌いだが、刀の扱いなら多少は自信がある。
雷魔法が通じない相手なら、刀で斬る。
刀でもどうにもならないなら――逃げる。
こんな落ちこぼれのどうしようもない俺が、魔法学院エルブランシュに在籍している。
不思議な話だった。
「でも、第一演習場集合ってことは、緊急任務かも。気をつけてね」
幼馴染とはいえ、こうしてわざわざ心配して呼びに来てくれる。
俺にはもったいないほど、まっすぐな善意だ。
「ああ」
無愛想に返すと、リアはそれでも気にした様子もなく微笑んだ。
俺は感情を表に出すのが苦手だ。
ここエルブランシュで名を上げたいとも思ってはいない。
この学院で、波風立てずに生きていければそれでいいのだ。
―なのに。
時折、得体の知れない焦燥感が胸をよぎる。
誰かに見られているような、このままでいることを許されないような感覚。
そんな感覚を振り払うように俺は言葉を発する。
「じゃ、行ってくる」
第一演習場へ向かう俺の背中に、リアはいつもの優しい笑顔で手を振った。
演習場に集まったのは十名。
Cクラス3組、全員が揃っている。
「おっ、来た来た。お前が集合に応じるなんて珍しいじゃないか」
気さくに声をかけてきたのは、ヴァン・トニー。
炎と風、二属性を操る魔法使いだ。
俺とは正反対の性格で、人懐っこく距離を詰めてくる。
その裏に、一属性しか扱えない俺を見下している意識があることも、薄々感じている。
「遅刻しなかっただけ褒めてくれ」
そう言って、ルロイはわずかに肩をすくめた。
そのとき――
演習場の扉が、重々しい音を立てて開いた。
現れたのは、Aクラス教官のシュプリム・ローディ。
風魔法の使い手で、得物は槍。
やや緑がかった金の長髪を気取った仕草でかき上げる、細身で長身の男。
整った体躯に上等な制服を纏い、ただ立っているだけで
自分がこの場の中心だと言わんばかりの空気を作り出している。
その佇まいには露骨なまでの自信が漂っていた。
注目を浴びることを当然とし、周囲が自分を見上げている状況を疑いもしない。
余裕というよりは、選ばれた側であると信じて疑わぬ傲慢さが、隠そうともせず滲み出ていた。
口元には、わずかに皮肉めいた笑み。
――いかにもAクラス、いやAクラス様といった男だ。
彼は集まったCクラスの生徒たちの前へズカズカと歩み出ると、面倒そうな口調で告げた。
「魔法学院下町付近の洞窟に魔獣が出現した。お前たちには、それを討伐してもらう」
そう言って、シュプリムは生徒たちを一人ひとり凝視し――
そして、俺を見て露骨に顔をしかめた。
「…お前もきたのか、ハーヴェス」
吐き捨てるように言い残し、踵を返す。
その背中は、まるで「ついてこい」と語っているようだった。
相変わらず、露骨に嫌われている。
まあ…この学院じゃ、もう慣れた扱いだ。
そんな俺に、ヴァンが声をかけてきた。
「…まぁ、気にするなよ。簡単な任務ってことだろ?」
気のいい、いつもの調子。
だが、俺の胸には嫌な予感が引っかかっていた。
ほどなくして、くだんの洞窟に到着する。
教官のシュプリムを含め、計十一名。
ここから任務が始まった。




