第19話「奴隷館の戦い」
最初の標的は、門前に立つ二人の衛兵。
迅速に、静かに。
他の連中に気付かれる前に、確実に仕留める。
俺は門の陰、石壁に背を押し当てるようにして身を潜めた。
呼吸を整え、魔力を一点へと収束させる。
――《サンダーボルト》。
詠唱を開始する。
同時に、二人の頭上へ魔法陣を展開した。
「ん……?」
片方の衛兵が違和感に気づき、顔を上げる。
だが、遅い。
詠唱が完成する。
次の瞬間――雷鳴。
圧縮された雷が、真上から叩き落とされる。
二人の頭部へ、寸分違わず直撃した。
バリバリと空気を裂く音。
断末魔すら許さず、二人はその場に崩れ落ちた。
……まず二人。
俺は短く息を吐く。
魔力は――問題ない。
思った以上に回復している。
すぐさま門の影へ移動する。
異変を感じたのか、敷地内の衛兵の一人がこちらへ歩み寄ってくる。
俺は息を殺し、気配を消す。
足音が近づく。
視界の端に、鎧の影。
――来た。
衛兵は倒れた仲間の前で膝をつき、様子を確かめようとする。
その瞬間。
俺は飛び出した。
躊躇は、ない。
刀を振り下ろす。
刃が、首を断ち切る。
血が噴き出すよりも早く、体が崩れた。
……三人目。
静寂が戻る。
――いつからだろう。
こんなにも簡単に、躊躇いなく人を殺めるようになったのは。
自嘲が、胸の奥で微かに揺れる。
だが、今は立ち止まるわけにはいかない。
残りは――二人。
俺はひそかに敷地内に《伏雷》をしかけていた。
一人でも罠にかかれば…。
そう思った刹那、少し離れた場所で雷が爆ぜる音がした。
――かかった。
俺は即座に駆け出す。
現場に辿り着くと、衛兵の一人が膝をつき、痺れた体を押さえていた。
視界が揺れているのだろう、こちらに気付く様子もない。
迷わず、斬る。
刃が走る。
首が落ちる。
……四人目。
残るは、あと一人。
一対一ならばもう隠れる必要はない。
俺は堂々と歩みを進めた。
最後の衛兵も異変に気付いたのか、周囲を見回している。
俺は背後へ回り込む。
一歩。
また一歩。
気配を消し、距離を詰める。
そして――。
首筋へ、刃を滑らせた。
音もなく。
確実に。
その体は、力なく崩れ落ちた。
……五人目。
これで、外の衛兵は全て排除した。
静まり返る敷地。
風の音だけが、わずかに木々を揺らしている。
俺はゆっくりと視線を上げた。
――ポチェティーノの館。
薄暗く、重苦しい空気を纏った建物。
まるで、生き物のようにこちらを見返してくる。
ここからが本番だ。
俺は近くの窓へと移動する。
音を殺し、刃でガラスを最小限に割る。
静かに侵入。
館の内部は、外以上に異様だった。
光が少ない。
空気が重い。
どこか、湿った気配がまとわりつく。
――気味が悪い。
床板を踏む音を殺しながら、慎重に進む。
ポチェティーノがいるとすれば――最上階。
一番奥の部屋だろう。
俺は身を潜めながら、慎重に足を進めた。
床板が軋む音すら、やけに大きく感じる。
もし手練れの用心棒がいるのだとしたら――
すでに俺の侵入に気付いているはずだ。
それでも、妙に静かだった。
不気味なほどに。
慎重に館を散策していると――
ひとつ、明らかに異質な扉が目に入った。
重厚な造り。
他の扉とは違う、装飾のない無機質な鉄扉。
……上階へ続くものではない。
だが――。
胸の奥で、何かが警鐘を鳴らしていた。
この先に、“何かがある”。
俺は、無視できなかった。
静かに、扉へ手をかける。
ゆっくりと、押し開く。
――軋む音。
その先にあったのは、地下へと続く石の階段だった。
ひんやりとした空気が、足元から這い上がってくる。
嫌な予感しかしない。
だが、足は止まらなかった。
一段、また一段と降りていく。
暗闇が、じわじわと視界を侵食する。
やがて――
地下室へと辿り着いた。
その瞬間。
「……っ」
鼻を突く、異様な臭い。
腐敗。
血。
そして――。
「……これは……死臭か?」
思わず、声が漏れる。
視線を巡らせた、その時だった。
部屋の奥。
並べられた、棺のような箱。
その中に――子供たちが、収められていた。
一人や二人ではない。
何人も。
小さな体。
動かない。
息をしていない。
中には――
すでに腐敗が進み、原型を留めていないものすらあった。
「……っ」
喉が詰まる。
視界が、揺れた。
俺は思わず顔を背けた。
……なんだ、これは。
何が行われていた。
ここで――何をしていた。
胸の奥で、怒りとも嫌悪ともつかない感情が渦巻く。
その時、ふと目に入った。
部屋の片隅。
机の上に置かれた、一冊の手記。
俺はゆっくりと、それに近づく。
手が、わずかに震えていた。
恐る恐る、手に取る。
そして――ページをめくった。
「試験体42番……失敗」
「試験体43番……失敗」
「試験体44番……適正あり、しかし数日で暴走。失敗」
「試験体45番……失敗」
「試験体46番……適正あり、奴隷として監視中」
……試験体。
その言葉が、頭の中で反響する。
「……何だ、これは……」
生き物を扱う記述ではない。
まるで道具か何かのように、淡々と切り捨てられている。
実験のために。
使い捨てられた。
……そして。
「適正あり……奴隷として監視中……」
俺は、最後の一文をなぞるように読み上げる。
――試験体46番。
その言葉が、頭の中で反響する。
奴隷。
適正あり。
……リュネス。
脳裏に、あの少女の姿が浮かんだ。
波打ち際で、ただ静かに座っていた背中。
感情の薄い、あの瞳。
そして――あの闇。
「……そういうことか」
ぽつりと、言葉が零れる。
あいつは。
リュネスは――
この実験の“成功例”の一つ。
だからこそ、生かされている。
だからこそ、あの館に縛られている。
「ふざけるな……」
声が、低く沈む。
手にしていた手記を、無意識に強く握り潰していた。
紙が軋む音が、やけに大きく響く。
胸の奥で、何かが決壊した。
あの静かな海岸。
何も言わず、ただ食料を差し出してきた少女。
あの小さな体で。
何も求めず。
ただ――生きていた。
その裏で。
こんな地獄が、あったのか。
胸の奥で、何かが軋む。
怒りが、静かに――だが確実に膨れ上がっていく。
その時だった。
気配。
背後から、ゆっくりとこちらへ近づいてくる“何か”。
反射的に身を隠そうとする――が、遅い。
もう、目の前まで来ていた。
「……随分好き勝手に暴れまわっているようですねぇ」
聞き覚えのある声。
俺は顔を上げ、その人物を睨みつける。
「ルロイ・ハーヴェス君」
――カティ・リーリック。
エルブランシュ魔術師団、副隊長。
長い黒髪を後ろで束ね、細身の体躯。
眼鏡の奥には、冷静で鋭い理知の光が宿っている。
飄々とした空気。
だがその裏には――底知れない実力。
武器は刀。
扱う魔法は、主に雷。
――俺と、同じ。
そうだ。
俺はこの男に、戦い方を叩き込まれた。
刀の握り方。
魔力の練り方。
そして――戦場で、生き残る術。
師匠。
そう呼んでも、差し支えない存在だった。
「……何故、あなたがここに。副隊長」
問いかける。
声は抑えているはずなのに、わずかに震えていた。
「ふふ……分かっているでしょう?」
カティは肩をすくめ、薄く笑う。
その仕草は、昔と何も変わらない。
「私こそが、ここの用心棒というわけですよ」
――やはり。
胸の奥で、確信が沈む。
これほどの人間を配置する。
それだけで、この場所の“価値”が分かる。
「あなたは長期遠征中と聞いていた」
「今のエルブランシュの状況を、分かっているのか?」
問い詰める。
「ええ……すべて」
あまりにも、あっさりと。
カティは答えた。
「私はギア様の指示で動いていますからね」
静かに。
迷いなく。
その言葉を、口にする。
……ギア。
やはり、そこに繋がるのか。
胸の奥に、冷たいものが沈んでいく。
「この館は……何を研究している?」
問うた瞬間。
脳裏に、あの光景が蘇る。
並べられた棺。
動かない、小さな身体。
腐敗している肉体。
「あなたは、そこの手記を読んだんでしょう?」
カティの声が、現実へ引き戻す。
「ならば、もう解っているはずです」
一歩。
静かに、近づいてくる。
「ここが――闇の魔術師を、人工的に作っている場所だということを」
やはり、そうか。
闇の魔術師。
今や、絶滅危惧種とすら呼ばれる存在。
それを人為的に生み出す。
もしそれが成功すれば――
国家の均衡すら、容易く崩せる力。
「こんな非人道的な事をして……何も思わないのか」
低く、吐き出す。
怒りが、滲む。
だが。
カティは――揺るがない。
微動だにせず。
眼鏡の奥の瞳は、ただ静かにこちらを見据えている。
迷いも。
後悔も。
一切、ない。
「これも、この世界を救うためです。ルロイ君」
あまりにも淡々とした声。
そこには、狂気すら感じられない。
ただ“正しい”と信じきった者の、揺るぎない響きだけがあった。
――話にならない。
百歩譲って。
仮に、こいつの言う“救い”が本物だったとしても。
それでも。
罪もない子供たちが、犠牲になっていい理由にはならない。
認められるはずがない。
ゆっくりと、刀に手をかける。
柄を握る指に、力がこもる。
震えはない。
迷いも――もう、なかった。
「……それなら」
低く、言い放つ。
「俺はあなたを倒さなければならない――副隊長」
静寂が、二人の間に落ちた。
カティは、わずかに口角を上げた。
「やれるものなら……やってみなさい」
――パチン。
カティが指を鳴らした。
乾いた音が、地下に響く。
その瞬間。
空間に、魔法陣が展開した。
次の刹那――雷。
一直線に、俺へと奔る。
速い――!
反応が、わずかに遅れる。
詠唱の“間”がない。
思考する前に、すでに撃たれている。
その精度、その速度。
中級魔法に匹敵する威力。
「――っ!」
身体を捻り、ギリギリで回避する。
頬を掠めた雷が、壁を焼き裂いた。
「まだですよ」
カティの声。
視線を上げた瞬間――両手が交差するのが見えた。
――パチン、パチン。
二重の音。
正面と、真上。
同時に浮かび上がる、二つの魔法陣。
縦と横。
逃げ場を潰す、波状攻撃。
「――くっ!」
即座に《雷障壁》を展開。
後方へ飛び退く。
だが、間に合わない。
衝撃が、全身を打ち抜いた。
「がっ……!」
内側から焼かれるような痛み。
視界が揺れる。
足に力が入らない。
そのまま――膝をついた。
「おやおや。もっとやれると思ってましたが、そんなものですか」
カティが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
余裕の表情。
眼鏡の奥で、冷たい光が一瞬だけ鋭く閃いた。
――隙がない。
この男の実力は、嫌というほど知っている。
誰よりも近くで、その強さを見てきた。
まともに戦っては到底かなわない。
それでも……やるしかない。
柄を握る。
力を込める。
その重みが、現実を突きつけてくる。
その様子を見て、カティもまた静かに刀へ手を添えた。
構えに無駄はない。
まるで最初から、この展開を予測していたかのように。
「良いでしょう」
わずかに口元が歪む。
「刀でも――力の差を見せてあげましょう」
空気が、張り詰めた。
――その瞬間。
《雷瞬》を発動。
一気に間合いを詰める。
だが。
カティの目の前で――雷が弾けた。
「……っ!」
閃光。
衝撃。
視界が歪む。
足元に仕込まれていたのは――《伏雷》。
俺が得意としていた戦術。
「ふふ…迂闊ですねぇ。ルロイ君」
頭上から、落ちてくるような声。
「準備は周到に、と教えたはずですが」
膝が折れる。
力が、入らない。
動けない。
「さあ――終わりです」
カティの刀が、静かに振り上げられる。
――死ぬ。
そう理解した、その瞬間。
俺は、持っていた刀を投げつけた。
一直線に、カティの顔面へ。
「……!」
カティは、わずかに首を傾けた。
刃が届く直前。
最小限の動きで――それを躱す。
刀は、そのまま軌道を変えず、一直線に飛ぶ。
背後の壁へ突き刺さった。
「――《天雷遷移》!」
詠唱と同時に、雷が奔る。
刀へと、稲妻が絡みつく。
次の瞬間。
俺の身体が――弾けた。
視界が裂ける。
音が消える。
空間が歪む。
そして。
一瞬で。
刀の元へと、引き寄せられる。
雷を纏いながら、超高速で移動する。
それが――雷魔法《天雷遷移》。
得物に雷の印を刻み、
その地点へと自らを跳躍させる、上級移動魔法。
カティの背後を取る。
間合いは、完全に支配した。
迷いはない。
俺は、そのまま刀を振り下ろした。
刃が走る。
肉を裂く感触。
――捉えた。
そう、確信した――その瞬間。
「甘い!」
視界から、カティが消える。
《雷瞬》。
一瞬で、さらにその背後へと回り込まれていた。
気づいた時には、もう遅い。
カティは静かに腰を落とし――構える。
抜刀の姿勢。
雷が、刀に宿る。
空気が震えた。
「――《牙狼》!」
刀から閃光が走る。
視界が、白に塗り潰される。
そして――
何かが、宙を舞った。
スローモーションのように。
ゆっくりと、回転しながら。
一拍遅れて。
現実が、叩きつけられる。
「……?」
理解が追いつかないまま、視線を落とす。
そこにあったのは――
俺の、左腕。
肩から下が、きれいに断たれている。
切断されたそれが、無造作に床を転がっていた。
血が、遅れて噴き出す。
「ぐっ……!!!ああああああああああ!!」
呼吸が乱れる。
意識が揺らぐ。
そのまま、俺は地面に崩れ落ちた。
――強い。
あまりにも。
刀も。
魔法も。
戦いの“間”すらも。
すべてが、俺の上を行っている。
戦闘の練度が、違いすぎる。
このままでは――確実に殺される。
だが。
それでも。
俺の目は、まだ死んでいなかった。
血に濡れたまま、顔を上げる。
視界の先。
カティが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
処刑を確信した者の――静かな足取りで。
「あなたは――何の為に戦っているのですか?」
静かな問い。
処刑の直前だというのに、カティの声には一切の揺らぎがない。
俺は、流血する左手を抑えながら答える。
「……お前が護衛している悪党を、殺すためだ」
それだけだ。
リュネスを救うため。
理由なんて、それで十分だった。
大きく、息を吸い込む。
肺が軋む。
全身が悲鳴を上げる。
だが――止まれない。
こいつを倒すには。
もう、この力に頼るしかない。
「……来いゼウス」
喉の奥から、絞り出す。
「俺に力を!」
その刹那。
空間が、歪んだ。
空気が震え、雷鳴が微かに響く。
雷が、形を持つ。
「こ……これは……!」
カティの表情が、初めて崩れた。
その目が、確かに見開かれている。
意識が――削られていく。
身体はまだ万全ではない。
さらに、左腕は失われている。
この状態で、召喚の力を解放すれば――確実に飲まれる。
可能な限り力を最小限に抑える。
暴走しない、ギリギリまで。
「……くっ……!」
歯を食いしばる。
流れ込んでくる雷を、無理やり押し留める。
そして。
その力を一点に絞る。
右手。
握りしめた刀へと。
雷が収束する。
刃が、軋むように鳴る。
空気が震える。
制御された――異質な雷。
右手に集束した雷が、唸る。
刃が、悲鳴を上げるように震えていた。
抑え込んでいるはずの力が、今にも暴れ出そうとする。
――だが、構うものか。
「……喰らえっ!」
踏み込む。
残された力を、すべて振り絞る。
そして――振り抜いた。
刃から、雷が解き放たれる。
圧縮された高密度の雷撃。
A級魔法にも匹敵する、異質な一撃。
一直線に――カティへと叩きつけられる。
轟音。
空気が裂け、空間が震える。
「……っ!」
さすがのカティも――
ゼウスの雷撃に回避も、防御も間に合わない。
雷が――直撃した。
「ぐっ……かはっ……!」
衝撃と共に、カティの身体が弾かれる。
床に叩きつけられ、そのまま膝を折った。
静寂。
焼けた空気の中で、カティがゆっくりと顔を上げる。
その口元に――かすかな笑み。
「……そうですか」
血を吐きながら、呟く。
「あなたが……やはり“呪われし者”でしたか」
その瞳には、恐怖はない。
むしろ――興味と歓喜。
「ふふ……その力を、まさか従えているとは」
やがて、カティは小さく息を吐いた。
「ここまでにしましょう」
戦いを、終える宣言。
「あなたは……もしかすると」
わずかに視線を細める。
「この世界の“救世主”かもしれない」
――何を言っている。
問い返す間もなく。
「また、会いましょう」
その言葉を残し。
次の瞬間、カティの姿は――雷と共に掻き消えた。




