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呪われし魔術師  作者: ツバキルイ
第五章 「闇の少女」
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第18話「海岸の約束」

マレヴェルの冒険者ギルドは、想像以上に活気に満ちていた。

扉をくぐった瞬間、ざわめきが耳に飛び込んでくる。

笑い声、怒鳴り声、金属のぶつかる音。


冒険者たちが絶え間なく出入りし、受付は慌ただしく動き続けていた。

壁一面には、無数の依頼書。


魔獣討伐。

採集任務。

護衛依頼。


紙の一枚一枚が、この街の“生業”を物語っている。

……俺は、しばらくその光景を眺めていた。

今の俺は――一文無しだ。

宿代も、治療院の費用も、まだ払っていない。

いずれ、ここで世話になることになるだろう。


だが。

今は違う。

優先すべきは――情報だ。

俺は視線を移し、ギルド中央に掲げられた大きな地図へと歩み寄った。

人の流れの隙間に入り込み、じっとそれを見つめる。

マレヴェル全域の詳細図。


街の構造。

周辺の地形。

主要施設。

そして――。


「……」


指先で、なぞる。

南東。

海岸沿い。

……あった。

小さく書き込まれた文字。

――ポチェティーノの館。


位置は特定できた。

胸の奥で、鼓動がわずかに強くなる。

次は――周囲の状況。


館の規模。

出入り口。

逃走経路。

そして何より――警備。


あくどい男のことだ。

私兵や用心棒を抱えていてもおかしくない。

無策で踏み込めば、終わる。


「……」


視線を地図から外す。

考えるべきことは多い。


だが――。

足は、すでに動いていた。

ギルドを後にし、外へ出る。

潮風が、再び頬を打つ。

進む方向は決まっている。


南東。

海岸沿い――ポチェティーノの館。

俺は、歩き出した。


やがて、崖沿いにそびえ立つ館が視界に入る。

夕陽に照らされ、その輪郭が不気味に浮かび上がっていた。


……あれか。


足を止め、距離を取る。

もう夕方だ。

完全に日が落ちる前に、できるだけ情報を集めておく必要がある。


俺は近くの木に登り、枝に身を潜めた。

そして、冒険者ギルドから“こっそり借りた”双眼鏡を構える。


視界が、引き寄せられる。

門前――衛兵が二人。

敷地内――さらに三人。


巡回している。

配置は雑だが、油断はしていない。

……この立地で、この警備。

普通じゃない。


「……」


いわくつき、か。

ポチェティーノという男の噂。

そして、奴隷館と呼ばれる理由。

すべてが、ここに集約されている気がした。


衛兵の動きを観察する。

……実力は、おそらく並。

万全の状態なら、問題にはならない。

だが――今の俺は違う。

どこまで動けるか、実戦で確かめるしかない。


それに。

館の中には――もっと厄介な連中がいるはずだ。

用心棒。

あるいは、魔術師。

油断すれば、確実に死ぬ。


「……」


双眼鏡を下ろす。

空は、すでに赤から藍へと変わり始めていた。

今日はここまでだ。


一度、街に戻るべき――。

そう考え、木から降りたその時。

ふと、足が止まる。


……海岸。

あの場所。

あいつが、いるかもしれない。

確証はない。

だが――行く理由は、それで十分だった。

俺は進路を変え、海岸へと向かった。


波の音が、近づく。

やがて視界が開け、あの場所へと辿り着いた。


そして――。

いた。

小さな背中。

リュネス。


夕焼けの残光に照らされながら、ただ水平線を見つめている。


「……」


言葉が、出なかった。

何と声をかければいいのか、わからない。

俺は、ただその隣に座った。


砂の感触。

波の音。

リュネスは、俺の存在など気にも留めない。

ただ、静かに海を見つめ続けている。


しばらくの沈黙。

やがて、俺は口を開いた。


「……お前に助けてもらった。今度は、俺の番だ」


反応は、ない。

それでも、続ける。


「お前を――解放してやる」


波が、打ち寄せる。

一拍の間。

そして、ようやく。


「……わたしは、ポチェティーノの奴隷」


小さな声。


「そんなこと、できるはずない」


そう言って、リュネスは胸元を掴んだ。

布を引き寄せ――見せる。


右胸。

そこに刻まれた、紋章。

奴隷の証。

それがある限り。

逃げることも、逆らうこともできない。

主の命令は絶対。

どれだけ望もうと、自由はない。


「……」


胸の奥で、何かが軋む。

あの闇の力も。

きっと――利用されてきた。

ただの道具として。


「……明日」


俺は、静かに言った。


「ポチェティーノを殺す」


言葉は、迷いなく落ちた。

貴族の抹殺。

重罪だ。

だが――関係ない。

俺はもう、追われる身だ。

今さら、罪が一つ増えたところで変わらない。


それに。

この少女を、助けたい。

それだけだ。


「……無理」


リュネスが、首を横に振る。


「あそこには、強い用心棒がいる」


やはりな。

想定通りだ。


「俺が倒す」


短く、言い切る。

そして。


「お前を自由にする」


視線を、海へ向けたまま続ける。


「あの水平線の先にも――行けるようにしてやる」


その言葉に。

リュネスの目が、わずかに見開かれた。


「……なんで……?」


かすれた声。


「誰も……そんなこと、言ってくれなかった」


握られる手。

震えている。


「みんな無視した。大人も……街の人も……みんな!みんな!」


感情が、滲む。

初めてだった。

ここまで、はっきりと。


「……俺は死なない。約束だ」


俺は、自分の小指を差し出した。

リュネスは、それを見つめる。


戸惑い。

迷い。


そして――。

そっと、小指を絡めた。

弱く。

だが、確かに。


「……死にかけてたくせに」


ぽつりと、呟く。

思わず、笑みが漏れた。


「……確かにな」


小さく笑う。


「だが、死ななかった」


そして。


「お前のおかげだ」


リュネスは、ゆっくりと手を離す。

うつむき、視線を落とす。

そして――。


「……死なないで」


かすかな声。

波に紛れそうなほど、小さく。

それでも。

確かに――届いた。


リュネスと別れ、俺は宿へと戻った。

扉を開けた瞬間、カウンターの向こうから声が飛んでくる。


「あらー、本当に戻ってきたの?」


振り返ると、マーラが腕を組み、呆れたように――いや、どこか楽しげに笑っていた。

その口調は少しばかり小馬鹿にしているようでいて、目元には確かな温かさが宿っている。


「すみません、もう一泊泊めてください」


俺がそう言うと、マーラは肩をすくめた。


「いいよいいよ。何日でも泊まっていきな」


あっさりとした返答。

……甘えているのはわかっている。

だが、それでも俺は言葉を重ねた。


「ご飯も……いただけないでしょうか」


もはや、質の悪い厄介な客だ。


「お金は、後で払います。必ず」


一瞬の沈黙。

そして――


「あー、あー、わかったよ」


面倒くさそうに手をひらひらと振る。


「あとで部屋に持っていくから」


まるで「さっさと行きな」とでも言いたげに、ぶっきらぼうに俺を追い払う。

……本当に、優しい人だ。


「ありがとうございます」


短く礼を言い、俺は部屋へと戻った。


運ばれてきた食事を平らげ、ベッドへと身を沈める。

天井を見上げながら、思考を巡らせる。


――明日。


ポチェティーノを殺す。

やるべきことは、明確だ。

まずは外の衛兵を迅速に制圧。

騒ぎになる前に、館内へ侵入。


そして――用心棒。

あの男が雇っている以上、ただの腕利きではないはずだ。

魔術師か、あるいは戦闘の専門家か。


不意を突ければ理想。

だが、それに賭けるほど甘くはない。

正面衝突も、視野に入れる。

最悪の状況を想定しろ。


逃走経路は?

館内の構造は?

用心棒の位置は?


考えろ。

詰めろ。

一つでも穴があれば――死ぬ。


「……」


目を閉じる。

浮かぶのは、あの小さな背中。


――死なないで。


「……ああ」


小さく、呟いた。

約束は――守る。

そのまま、意識がゆっくりと沈んでいった。


翌日。


冷たい空気が、肺に入る。

俺は昨日と同じ木に登り、枝の上で身を潜めた。

双眼鏡を構え、館を覗く。


……変わらない。

門前に二人。

敷地内に三人。

配置も、巡回も、昨日と同じだ。


そして――門の脇。

馬車。


「……いるな」


ポチェティーノは、館の中だ。

確証が、形になる。

双眼鏡を下ろす。


ゆっくりと、息を吸い込む。

肺の奥まで、満たす。

そして――吐く。


目を閉じる。

神経を、研ぎ澄ませる。

心臓の鼓動。

血の流れ。

筋肉の動き。

すべてを、自分の内側に引き寄せる。


――絶対に。

――確実に。

ポチェティーノの首を、取る。

その意思だけを、残す。


目を開いた。

迷いは、ない。

俺は枝を蹴った。

重力に身を任せ、地面へと落ちる。

着地と同時に、駆ける。

一直線に――館へ。


そして――俺は、ポチェティーノの館へと飛び込んだ。

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