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呪われし魔術師  作者: ツバキルイ
第五章 「闇の少女」
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第17話「リュネス捜索」

「ルロイー! 海だよ! やっと来れたね」


弾む声とともに、リアが振り返る。

青く長い髪が、陽光を受けてきらりと揺れた。

その笑顔は、あまりにも無邪気で――何もかも忘れてしまいそうになる。


「……そうだな」


俺は、ゆっくりと頷いた。

目の前に広がる海は、どこまでも澄み渡っていた。

青が、空と溶け合い、境界すら曖昧になるほどに。


波は穏やかで、風は優しい。

胸にこびりついていたものが、すべて洗い流されていくような――そんな錯覚を覚える。

呪われし力も。

戦いの日々も。

血と叫びに満ちた記憶も。

何もかもが、遠くなる。


「これからも、こうして一緒に穏やかに暮らしていきたいね」


リアは海を見つめたまま、ぽつりと呟いた。

その言葉に、わずかな違和感が走る。


俺とリアは、確かに孤児院では共に過ごした。

だが、エルブランシュに来てからは違う。

クラスも違い、生活も別々だった。

いつも一緒にいたわけじゃない。


なのに――。


「ルロイ……?」


リアが、こちらを振り返る。


「聞いてるの?」


「ああ……」


曖昧に、頷く。

だが、胸の奥に引っかかるものが消えない。

何かが、おかしい。


「ルロイ……聞いてるの?」


同じ言葉が、繰り返される。


「……聞いてるの?」


少しだけ、声が歪む。


「……聞いテるの?」


違和感が、形を持ち始める。


「……聞いテルノ?」


声が、崩れる。

音が、壊れる。

俺は思わず、リアの顔を見た。


――その瞬間。

そこにいたのは。

さっきまで笑っていたはずの少女ではなかった。

焼け焦げている。

どろりと溶け、皮膚は炭のように崩れ、

それでもなお、口だけが不自然に開いている。


「キイテルノ?」


歪んだ声が、耳元で響く。


「うあああっ!!」


悲鳴とともに、意識が弾けた。


――目が覚める。

荒い呼吸。

打ちつけるような鼓動。


……夢か。


ゆっくりと。

沈んでいた意識が、浮かび上がる。

最初に感じたのは――柔らかさだった。

背中を包み込む、布の感触。

砂ではない。冷たい地面でもない。


……ベッドだ。


ぼんやりとした思考の中で、そう理解する。

重たいまぶたを、わずかに持ち上げる。

視界に映ったのは――木の天井。

見慣れない。

だが、どこか落ち着いた色合いだった。


小さな窓から差し込む光。

簡素な家具。

静かな空気。

戦場とは、まるで別の世界だった。


「あらあら、随分うなされていたようだけど……ようやくお目覚めのようだね」


穏やかな声が、すぐ傍から聞こえた。

顔を向けると、そこには妙齢の女性が立っていた。


「……ここは?」


掠れた声で問いかける。


「マレヴェルの宿屋だよ。私はここの主人のマーラ。あんたは治療院からここに運ばれてきたんだ」


……また、意識を失っていたのか。

だが、不思議と体は軽い。

重苦しさはあるものの、あの絶望的な状態からは抜け出している。


……助かった、のか。

俺は、ゆっくりと息を吐いた。

状況を整理する。


海岸。

リュネス。

そして――ここ。

あの少女に運ばれ、街の入口で誰かに発見され、ここまで運ばれた……そんな流れだろう。

俺は、マーラへ視線を向ける。


「俺を運んだ少女は……どこにいますか?」


「少女? さてね。あんたを見つけた時は一人きりだったみたいだよ」


「……そうですか」


胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。

だが、それ以上は分からない。


「あんた、その身なり……エルブランシュの学生だろう? 戦争が起こったようだね」


「……はい」


短く答える。

それ以上は、口にしない。


「厄介事なら追い出すけどね。そうじゃないなら、ここにいていいよ」


「……ありがとうございます」


素直に頭を下げる。

俺は今、エルブランシュの“追われる側”だ。

本来なら、こんな場所に長居するべきではない。


それでも。

脳裏に浮かぶのは、あの少女の姿。


何も言わず。

何も求めず。

ただ俺を助けた、リュネス。

……このまま放ってはおけない。


「すみません。ペンと紙を、もらえませんか」


そう告げると、マーラはすぐに用意してくれた。

俺はペンを取り、紙の上に線を走らせる。

記憶を頼りに、リュネスの顔を描く。


「……こんな子です」


マーラに見せる。

だが、彼女は首を傾げた。


「悪いけどね、見覚えないねぇ」


……やはり、か。

俺は小さく息を吐いた。


ならば――自分で探すしかない。

あの海岸にいる可能性もある。

だがまずは、この街での手がかりを探るべきだ。


ゆっくりと体を起こす。

まだ万全ではない。

だが、手足は問題なく動く。

……あの状態から、よくここまで回復したものだ。


「世話になりました」


扉の前でそう告げると、背後からマーラの声が飛んできた。


「あら。あんた、もう出発するのかい。まだ体は本調子じゃないだろう?」


振り返る。

その視線には、呆れと、わずかな心配が混じっていた。


「……この子を、探さなくてはならないんです」


手にした紙を軽く掲げる。

そこに描かれた、拙い似顔絵。

マーラは小さく息をつき、肩をすくめた。


「そうかい。それじゃ、気を付けていってくるんだよ。ここはしばらく空けておくから、またいつでも戻っておいで」


「……ありがとうございます」


短く礼を述べ、俺は外へ出た。


――マレヴェルの街。


潮の香りを含んだ風が、頬を撫でる。

港町特有の、湿った空気。

行き交う人々のざわめき。

威勢のいい掛け声。

魚を運ぶ音、樽のぶつかる音。

すべてが混ざり合い、この街の“生”を形作っている。


活気に満ちた――生きている街。

俺はその中へ踏み込み、人の流れを縫うように歩き出した。


「……すみません」


通りすがりの男に声をかける。

紙を差し出す。


「この子を、見ませんでしたか」


相手は一瞬だけ絵に目を落とし、首を横に振る。


「いや、知らねぇな」


それだけ言って、足早に去っていく。


……次。


「この子を――」


何度も、何度も同じ言葉を繰り返す。

似顔絵を見せ、特徴を伝え、記憶を辿らせる。


だが――。


「見たことないねぇ」

「さあな」

「知らない子だ」


返ってくるのは、どれも同じ答えだった。

手応えが、ない。

人混みの中で、俺は立ち止まる。

紙を握る手に、わずかに力が入った。


……ひょっとして。

ここには、いないのか。

あの少女は――この街の住人ではない?


脳裏に浮かぶのは、あの海岸。

岩に囲まれた、閉ざされたような場所。

あそこに、ただ一人でいた姿。


「……」


違和感が、胸の奥で形を成す。

この街の喧騒と。

あの少女の静けさは――あまりにもかけ離れている。

まるで、別の世界に属しているかのように。

俺は、ゆっくりと顔を上げた。

潮風が、強く吹き抜ける。


……やはり。

もう一度、あの海岸へ行くべきか。

そう考えた、その時だった。


「ああ、あんた。こないだ街の入口に倒れていた兄ちゃんか」


背後から、声。

振り返ると、そこには一人の男が立っていた。

日に焼けた顔に、気さくな笑みを浮かべている。


「見たところ、無事回復したみたいだな。よかった」


……思い出す。

あの時、かすかに聞こえた声。

こいつも、あの中の一人か。


「その節はありがとうございました。おかげさまで、なんとか動けるようになりました」


頭を下げる。

男は「気にすんな」とでも言いたげに手を振った。

俺は、すぐに本題へ入る。


「……俺が倒れていた時、一緒にいた少女を見ませんでしたか」


「いや、あの時はお前さんしかいなかったよ」


やはり、か。

一瞬だけ視線を落とす。

だが、すぐに顔を上げた。


「……それでは。この顔に見覚えはありませんか?」


紙を差し出す。

男はそれを受け取り、目を細める。


「ん……?」


一瞬の沈黙。

そして――。


「ああ……この子は」


その言葉に、心臓が跳ねた。

だが、男の表情はどこか歯切れが悪い。

言い淀むような、後ろめたさを含んでいる。

逃したくない。

ここで逃せば、もう手掛かりはないかもしれない。


「……何か知っているなら、教えてください!」


思わず声が強くなる。

男は周囲をちらりと見回し、声を落とした。


「……その子はな。街はずれの崖沿いにある館の主――ポチェティーノさんの奴隷だよ」


「……奴隷?」


言葉が、重く落ちる。


「ああ。何度か見たことがある。ポチェティーノさんと一緒に街に来てな……首輪を付けられてた」


男の声が、少し低くなる。


「食事の時も外で待たされてたし、気に入らなけりゃ殴られてた……ひどい扱いだったよ」


……やはりか。


あの痩せ細った体。

擦り切れた服。

感情の薄い瞳。

すべてが、繋がる。


胸の奥で、静かに何かが燃え上がった。


「……そのポチェティーノは、奴隷商なんですか?」


「売りはしないらしい。買う専門だな。だからあの館は……通称“奴隷館”なんて呼ばれてる」


吐き捨てるような口調。


「ポチェティーノさんはな、エルブランシュでも相当な権力者らしい。貴族という噂もある。この街の長だって頭が上がらねぇ」


だから――。

誰も近づかない。

誰も、見て見ぬふりをする。


「……悪いことは言わねぇ。お前さんも、これ以上関わらないほうがいい」


真剣な目だった。

忠告ではなく、警告。


「それと……この話、誰にも言うなよ。あの人の耳に入ったら、ただじゃ済まねぇ」


「……わかりました」


短く答える。


「ありがとうございました」


頭を下げ、踵を返す。

向かう先は――決まっている。


まずは情報だ。

この街の地形。

館の位置。

周囲の状況。


すべてを把握する必要がある。

俺は足を速め、そのまま冒険者ギルドへと向かった。


……ポチェティーノ。

胸の奥で、その名を繰り返す。

貴族でありながら――あくどい男。

エルブランシュの学生として、見過ごすわけにはいかない。


……いや、違う。


俺はもう――

エルブランシュの学生ではない。


ならば。

これは、義務でも、正義でもない。

ただ――俺の意思だ。

あの少女を。

リュネスを――放っておけない。

それだけだ。

理由なんていらない。

ただ、助けたい。


その一心だった。

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