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呪われし魔術師  作者: ツバキルイ
第五章 「闇の少女」
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第20話「家族」

地下室に、静寂が落ちる。

残されたのは、焼け焦げた空気と――

血に濡れた、俺だけだった。


なんとか――退けたか。

荒い呼吸の中で、そう思う。

だが、安堵している暇はない。


視線を落とす。

左腕。

そこから、血が溢れ出している。

止まらない。

このままでは――出血で死ぬ。


「……っ」


歯を食いしばる。

まだ終われない。

こんなところで、倒れるわけにはいかない。

近くに転がっていた布を掴む。


乱暴に、だが確実に。

止血をする為、布を巻きつけ締め上げる。

骨が軋むような痛みが走る。

だが――それでも足りない。


「……焼くしか、ないか」


震える右手に、雷を宿す。

微細な放電。

それを――傷口へ叩き込んだ。


「――ああああああああああ!!」


悲鳴が地下室に響き渡る。

肉が焼ける臭い。

神経を引き裂くような激痛。

意識が、白く飛びかける。


倒れるな。

ここで、意識を失えば――終わりだ。

出血は止まった。


「……っ、ぐ……!」


歯を砕くほどに食いしばる。

視界が揺れる。

膝が崩れそうになる。


それでも。

踏みとどまる。

まだ、やることがある。


ポチェティーノ。

あの男を――殺す。

そして。

リュネスを――救う。

それだけが、今の俺を繋ぎ止めていた。


「……行くぞ」


誰に言うでもなく、呟く。

ふらつく身体を無理やり動かす。

一歩。

また一歩。

血を滴らせながら、階段へと向かう。


重い足取り。

それでも、止まらない。

館の奥――最上階へ。

ポチェティーノが待つ場所へと。


……あの男は、まだ気づいていないはずだ。

カティが敗れたなどと。

あの男にとって、カティは“絶対”の守り。

その牙城が崩れたなど、想像すらしていないだろう。

逃げる――そんな発想すら、ないはずだ。


ならば。

終わらせる。

――ここで。


最上階へと辿り着く。

廊下は、妙に静かだった。

足音だけが、やけに響く。


……近衛兵の姿はない。

どうやら館内部の警備は、カティ一人に任せていたらしい。

絶対の守り。

それが、崩れたとも知らずに。


息を整え、奥へと進む。

やがて。

ひときわ異様な扉が現れた。


豪奢。

だが、趣味が悪い。

見せつけるような装飾。

権力と欲望をそのまま形にしたような扉。


――いる。

この先に。


俺は、躊躇なく――蹴り飛ばした。

扉が、轟音と共に吹き飛ぶ。

中にいたのは。

肥え太った中年の男。

いかにも傲慢さを体現したような、貴族の姿。


――ポチェティーノ。

そして。

その隣に――リュネス。


「……」


ほんの一瞬、目が合う。

その瞳に、わずかな驚きが浮かんでいた。

ここにいたのか。


「だ、誰だ!貴様!!」


ポチェティーノは突然の外敵の侵入に狼狽する。


「カティ!カティはどうした!!」


俺は、一歩踏み出す。

床に血が落ちる。


「……カティと、その他の護衛は――俺が始末した」


その言葉に。

ポチェティーノの顔色が、一瞬で変わった。


「な、何だと!貴様……!!」


震える声。

だが、すぐに怒鳴り散らす。


「エルブランシュの学生だろう!私を誰だかわかっているのか!!貴族だぞ!!」


――だから、何だ。

そんなものに、何の価値がある。


「それがどうした」


低く、言い放つ。


「俺は――貴様を殺しに来た」


視線を、突き刺す。

殺意を、隠さずに。


「ひ、ひぃぃっ……!」


ポチェティーノは、椅子から転げ落ちた。

無様に。

情けなく。


……こんな男に。

リュネスが。

あの地下の子供たちが。

犠牲にされてきたのか。

胸の奥で、怒りが膨れ上がる。

許せない。


「46番!こいつを始末しろ!!」


ポチェティーノの叫び。


――46番。


脳裏に、地下で見た手記が蘇る。

唯一の“成功例”。

……やはり。

リュネスのことだったのか。


「はい……」


短く、感情のない返答。

その声と同時に――

リュネスの足元に、闇の魔法陣が浮かび上がる。


黒く。

深く。

底の見えない闇。

詠唱が、始まる。


「…リュネス!やめろ!俺が分からないのか!!」


叫ぶ。

だが――届かない。


「ふふふ……無駄だぁ」


ポチェティーノが、歪んだ笑みを浮かべる。


「奴隷は主の命令に絶対逆らえない」


誇らしげに。

吐き捨てるように。


「……っ!」


ならば――先に殺す。

俺は即座に《雷瞬》を発動。

視界が弾け、ポチェティーノへと飛び込む――


だが。

一瞬、遅かった。


「――《ダーク・グラビティ》」


リュネスの声。

静かで。

感情のない――詠唱。


その瞬間。

頭上に、黒い“球”が現れる。

歪む空間。

重さそのものが具現化したような、闇。

逃げ場はない。

領域に――入った。


「……!」


次の瞬間。

全身に、圧がのしかかる。

押し潰される。

骨が軋む。

内臓が圧縮される。

血液すら、流れを止められたかのように重い。


「……っ、ぐ……!」


立っていられない。

膝をつく。

いや――それでも足りない。

地面に、叩きつけられるように。

ひれ伏す。

全身が、ばらばらに引き裂かれそうな圧力。


「がっ……ぁ……!」


呼吸すら、まともにできない。

肺が潰れる。

空気が入らない。

視界が、ぐにゃりと歪む。

意識が――遠のく。


このまま、沈むのか。

その瞬間。

脳裏に、いくつもの光景がよぎった。


波の音。

砂浜。

差し出された、水とパン。

無言のまま、それを置いていく小さな背中。

エルブランシュの兵士を、迷いなく沈めた闇。

そして――あの細い腕で、俺を引きずり続けた少女。


「……リュ……ネス……!」


掠れた声が、喉から漏れる。

終われない。

ここで、終わるわけにはいかない。


「リュネス……!!」


圧に押し潰されながら、それでも叫ぶ。


「リュネス……俺を……俺を見ろ!!」


その声が――届いたのか。

ほんの僅か。

リュネスの視線が、こちらを向いた。

虚ろだった瞳が、わずかに揺れる。


「だめ……もうやめて」


かすかな声。

消え入りそうなほど、小さい。

だが確かに――そこに“意思”があった。


抗っている。

命令に。

縛られたはずの意志が、必死に抵抗している。

その証のように――

頭上の闇が、わずかに揺らぐ。

圧が、ほんの少しだけ緩む。


「……っ!」


その一瞬を、逃さない。

俺は歯を食いしばり――

刀を、地面へと突き立てた。


ギギ、と音を立てる。

それを支えに、身体を引き上げる。

震える。

腕が。

脚が。

全身が、限界を訴えている。

それでも――倒れるわけにはいかない。


「……まだ……終わってない……!」


立つ。

無理やり、立ち上がる。

重力に押し潰されながら。


一歩。

足を、前へ出す。

地面が砕ける。

骨が悲鳴を上げる。


それでも。

また、一歩。

ゆっくりと。

確実に。

ポチェティーノのもとへ。


「な、なにをしている46番!早くそこの死にぞこないを始末しないか!」


裏返った声が、部屋に響く。

ポチェティーノは焦りに顔を歪め、リュネスへと怒鳴りつけた。


だが――

リュネスはそれ以上、魔力を強めることはなかった。

闇は、ただそこに在るだけ。

圧は、わずかに揺らいだまま。


――抗っている。

その事実だけで、十分だった。

俺は、足を止めない。

潰れかけた身体を引きずりながら、なお前へ。


「……っく。この、失敗作が!」


ポチェティーノが吐き捨てる。

その言葉が、リュネスに向けられたものだと理解した瞬間――

胸の奥で、何かが静かに切れた。


そして。

ようやく――

その男の目の前へと辿り着く。


「ひぃいいい!!」


情けない悲鳴。

肥えた身体を震わせながら、ポチェティーノは短刀を構えた。

手は震え、腰は引けている。

それでも必死に、刃をこちらへ向けていた。


俺は――それを、見下ろす。

ただ静かに。

冷えきった視線で。


「このクズが」


声は、低く。

怒りすら通り越した、底のない冷たさを帯びていた。


「地獄に堕ちろ」


次の瞬間。

―閃。

一切の迷いもなく、刀を振り抜く。

空気を裂く音すら、遅れて聞こえた。


そして――

ポチェティーノの首が、宙を舞った。

時間が、一瞬だけ止まったかのように。

そのまま、鈍い音を立てて床へと転がる。

遅れて、胴体が崩れ落ちた。

血が、広がる。

部屋の空気が、静まり返る。


その瞬間だった。

張り詰めていた何かが、ぷつりと切れる。

全身から力が抜ける。

支えていた意志すら、崩れ落ちる。


――ようやく。終わった。

そう思った途端、俺の身体は糸の切れた人形のように、その場に倒れ込んだ。

意識が、暗闇へと沈んでいく。

閉じていく視界の端で――

リュネスが、こちらへ駆け寄ってくるのが見えた気がした。


次に目を覚ました時。

それは、どこか既視感のある光景だった。

目に映るのは――木の天井。


……マレヴェルの宿屋だ。


ぼんやりとした意識の中、聞き覚えのある声が響く。


「ようやくお目覚めかい。このまま寝たきりかと思ったよ」


マーラだった。

前と同じようで――だが、ひとつだけ違う。

俺は、ゆっくりと視線を落とす。

そこには。

リュネスがいた。

俺の腕を、ぎゅっと掴んだまま、傍で眠っている。


「よかったね。お嬢ちゃん」


マーラはそれだけ言うと、静かに部屋を後にした。

扉が閉まる音が、やけに優しく響く。


……まただ。

また、この子に救われた。

全身の痛みに顔を歪めながら、俺はゆっくりと上体を起こす。


そして。

そっと、声をかけた。


「リュネス……リュネス…」


肩を軽く揺する。


「ん……」


小さく、声が漏れる。

やがて、ゆっくりと瞼が開いた。

そして――

俺の顔を見た瞬間。


「よかった……生きてる」


その一言と同時に。

リュネスは、俺の首元に抱きついてきた。


「ああ……生きてる。お前のおかげだ」


そう言うと、リュネスは小さく首を振る。


「違う……助けてもらったのは、わたし」


少しだけ、間を置いて。

震える声で、問いかけてくる。


「なんで?……なんでそこまでしてくれたの?」


――答えに詰まる。

リュネスは俺の命の恩人だ。

だが、リュネスが納得する答えは見つからない気がした。

言葉にできないまま、俺は話題を変えるように口を開いた。


「リュネス。奴隷の刻印は消えたか?」


「うん……」


リュネスは胸元に手をやり、静かに頷いた。

そこにあったはずの刻印は、もうない。

――自由だ。


「よかったな。これでお前は、どこへでも行ける」


そう言うと。

リュネスの表情が、わずかに曇った。


「でも……わたし、行くところなんてどこにもない」


「家族は?」


小さく首を横に振る。


「……そうか」


一瞬、言葉を探す。


「お前、苗字は?」


「わからない」


その答えに、胸が締め付けられる。

……なら。


「そういえば、まだ名乗ってなかったな」


俺は、ゆっくりと言った。


「俺は、ルロイ。ルロイ・ハーヴェスだ」


そして。

まっすぐに、リュネスを見る。


「お前がよければ――これからは、ハーヴェスを名乗れ」

「リュネス・ハーヴェスだ」


静かな部屋の中で、その言葉ははっきりと響いた。


「俺と一緒に来ないか?」


リュネスは、俯いた。

小さな肩が、かすかに震えている。


「ハーヴェス……?わたしが……?どういうこと?」


俺は、迷わず答えた。


「俺の家族になれ」


その言葉に。

リュネスの瞳が、大きく揺れる。


「わたし……家族ができるの?」


震える声。

信じられない、というような響き。


「ああ……俺は、お前の兄ってところだな」


その瞬間。

ぽろり、と。

大粒の涙がこぼれ落ちた。


「わたし……こんな子が家族で、いいの?」


深く刻み込まれた負い目。

それが、言葉の端々から伝わってくる。

俺は何も言わず。

ただ、そっとリュネスを抱きしめた。

包み込むように。

逃がさないように。


「これからは――家族として一緒に生きていこう」


その一言で。

堰が切れた。


「うああああああああん!!」


リュネスは、子供のように泣き叫んだ。

これまで押し込めてきたものが、すべて溢れ出すように。

涙が止まらない。

声が枯れるほどに。

俺は、ただ静かにその頭を撫でる。


「今まで……よく頑張ったな」


その言葉に、さらに強く抱きついてくる。


「ルロイ……ルロイ……!」


何度も。

何度も。


途切れそうになりながらも、必死に紡がれる声。

俺の名を呼ぶたびに、指先に込められる力が強くなる。

離すまいとするように。

失うまいとするように。


その小さな身体は、止まらず震えていた。

涙に濡れた頬を押しつけながら、リュネスは子供のように泣き続ける。

いや――子供なのだ、本来は。


俺は何も言わず、ただその背を撫で続けた。

ここにいると、伝えるように。

もう大丈夫だと、伝えるように。


窓の外では、穏やかな波の音が響いている。

あの海と、同じ音。

けれど――もう違う。

そこにあるのは、孤独ではない。

寄り添う温もり。

確かに触れられる、誰かの存在。


泣くことすら許されず、

ただ奴隷として生きることだけを強いられてきた少女。

奪われ続けてきた時間。

閉ざされていた心。


そのすべてが、今――

ようやくほどけていく。


闇に染められてきたリュネスにとって。

ようやく掴んだそれは、

壊れてしまいそうなほどに儚くて。

それでも、確かにそこにある。


消えることのない――光だった。

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