第14話「ルシファー対ゼウス」
……何が、起きた。
俺はゆっくりと視線を上げる。
足元に転がる王の首。
その現実を、無理やり意識の外へ押しやり――。
傍らに立つ学院長を一瞥する。
そして、その先にいる男へと視線を向けた。
「……これは、一体どういう事だ」
喉の奥から、かすれた声が漏れる。
「ギア・ファントム……」
ギアは、ほんの一瞬だけ俺を見た。
感情の読めない、冷えきった視線。
それだけで、何も語らない。
そして、足元に転がっていた杖を拾い上げた。
次の瞬間――。
その杖を、自らの胸へ突き立てるように掲げる。
「その杖は……」
思わず、言葉が漏れた。
ギアは、静かに答える。
「これは封魔の杖。魔力を封じる器だ」
淡々とした声。
「……そして、私の力を封印していたものだ」
一拍。
わずかな間。
「――今、返してもらう」
その言葉と同時に。
光が――爆ぜた。
視界が、白に塗り潰される。
圧倒的な光量。
熱すら伴うような輝きが、空間そのものを支配する。
目を開けていられない。
やがて――。
荒れ狂っていた光が、ゆっくりと収束していく。
暴威のようだった輝きは、次第に静まり。
空間には、淡い残光だけが漂った。
その中心に――。
ギアは、立っていた。
否。
浮かんでいた。
地を離れ、静かに宙へと佇むその姿。
背中から、光の羽根が広がる。
――十二枚。
一枚一枚が純白の輝きを放ち、粒子となって舞い散る。
幻想的な光景。
だが、その美しさは――明らかに異質だった。
触れれば焼き尽くされると、本能が告げている。
神聖であるはずの光が、どこか侵してはならない領域を思わせる。
その姿は――まるで天使。
神聖。
荘厳。
畏敬すら覚える光景。
だが――。
その瞳に宿るものは。
慈悲ではない。
救済でもない。
ただ、底冷えするような――怒り。
深く沈んだ、凍てついた感情。
静かであるがゆえに、なお恐ろしい。
触れれば砕け散る氷のように、冷たく、鋭い。
その視線に射抜かれた瞬間――理解した。
――これは、人ではない。
エルブランシュの救世主などでは、決してない。
人の理から外れた、異質な存在。
そして。
その背後に揺らめく光の奥。
確かに感じ取る。
あの時――炎の魔術師が纏っていたものと同じ気配。
空間が歪む。
存在の輪郭が揺らぐ。
現実そのものが、書き換えられていくような圧。
“召喚”。
禁じられた領域。
本来、人が触れてはならないはずの力。
その力が――今。
ギアの内に、確かに宿っていた。
「……やはり」
ギアが、静かに口を開いた。
「ここに辿り着いたのは――貴様だったか」
その視線が、まっすぐに俺を貫く。
逃げ場は、どこにもない。
「ルロイ・ハーヴェス」
名を呼ばれた瞬間。
背筋に、冷たいものが走る。
すべてを見透かされているような感覚。
「さあ――」
ギアは、ゆっくりと封魔の杖を構える。
宝玉に、淡い光が集束していく。
「貴様の力を、この中へ封じてやろう」
封印――。
その言葉に、思考が止まる。
俺の魔力を、封じる。
それは――。
この呪われた力を、失うということか。
それとも。
もっと、取り返しのつかない“何か”を奪われるのか。
「……っ」
胸の奥が、ざわつく。
理解が、追いつかない。
だが――。
それでも。
俺は、口を開いた。
震えそうな声を、押し殺して。
「お前は王を殺した。それは紛れもない大逆罪だ」
言葉を、吐き出す。
「見過ごすわけにはいかない」
――本当に、そうか?
心の奥で、何かが問いかける。
ギアの行いは、本当に“悪”なのか。
ベクトリアの言葉。
この国の歪み。
すべてが、頭の中で交錯する。
あの王は。
この国は。
守るに値する存在だったのか。
答えは――出ない。
それでも。
俺は、剣を握る。
迷いを抱えたままでも。
進むしかない。
脳裏に浮かぶのは――リアの笑顔。
あいつが守ろうとしたもの。
ヴァンに託されたもの。
それだけは――裏切れない。
「……お前は、エルブランシュの敵だ」
自分に言い聞かせるように、呟く。
その瞬間。
俺は、刀に手をかけた。
柄を強く握り込む。
全身の魔力が、内側から弾ける。
「――《雷瞬》!!」
視界が歪む。
世界が、一瞬で置き去りになる。
地を蹴った感触すら消え――次の瞬間には、ギアの目前。
そして――抜刀。
「牙狼・連撃!!」
雷を纏った斬撃が、嵐のように叩き込まれる。
一閃。
二閃。
三閃――。
間断なく、畳みかける。
確実に、当たっている。
肉を断つ軌道。
急所を狙った一撃。
だが――。
手応えが、ない。
斬っているはずなのに。
届いているはずなのに。
刃が触れた感覚だけが、虚しく腕に残る。
まるで――。
空を斬っているような感覚。
ギアは、微動だにしない。
ただ静かに、俺を見下ろしている。
その瞳に、揺らぎは一切なかった。
「……っ」
俺は、刀を振るうのをやめた。
このままでは――通じない。
このままでは、何も届かない。
ならば――。
出し惜しみをしている余裕はない。
俺は、深く息を吸い込む。
肺が軋むほどに空気を取り込み、同時に魔力を練り上げる。
全身を巡る雷が、唸りを上げた。
血流と同化するように、魔力が駆け巡る。
筋肉が震え、神経が焼けるように軋む。
詠唱を、開始する。
「我が示す座標へと集束せよ――その威をもって、敵を穿て」
言葉とともに、雷が収束する。
両手に圧縮され、凝縮され、逃げ場を失った雷が、暴れ狂う。
そして――。
《雷瞬》。
視界が、弾けた。
空間が歪み、世界が一瞬遅れる。
次の瞬間には――ギアの懐。
逃げ場など、与えない距離。
俺は腰を落とし、全身に溜め込んだ魔力を一気に解き放つように――
両手を、突き出した。
「――《ライトニングボルト》!!」
轟音。
圧縮された雷が、爆ぜる。
至近距離から解き放たれた雷光は、逃げ場なくギアを呑み込み――
空間ごと、焼き裂いた。
――だが。
ギアは、微動だにしない。
俺の全力の雷を、その身に受けながら――ただ、そこに立っている。
まるで、微風でも受けたかのように。
何事もなかったかのように。
「くそ……っ」
喉の奥から、絞り出すような声が漏れる。
負傷した箇所から、血が溢れる。
熱を帯びたそれが、肌を伝い落ちていく。
視界が、滲む。
歯を、強く食いしばる。
意識を――繋ぎ止める。
崩れるな。
ここで倒れれば、終わる。
しかし、胸の奥で何かが軋んだ。
――俺は、一体何と戦っている?
その疑問が、何度も反響する。
あの炎の魔術師ですら、ここまでではなかった。
比較にならない。
圧倒的な差。
炎、水、氷、土、風、雷――六属性。
その上位に位置する、属性。
――光。
そして。
禁じられたはずの力。
呪われし魔術“召喚”。
……俺ごときが、勝てるはずがない。
その現実が、じわじわと心を侵食していく。
足が、すくみそうになる。
逃げ出したい衝動が、喉元までせり上がる。
それでも。
俺は、その場に立っていた。
指が震える。
しかし、刀を手放さない。
ギアが、ゆっくりと翼を閉じた。
静かに。
確実に。
こちらへと歩み寄ってくる。
逃げ場を、塞ぐように。
その一歩ごとに、空気が沈む。
重く。
深く。
押し潰されるような圧が、全身を包み込む。
「抵抗するな、ハーヴェス」
静かな声。
感情のない、淡々とした響き。
「今、楽にしてやる」
その手に――封魔の杖が掲げられる。
宝玉が、淡く輝いた。
その瞬間。
全身の魔力が――悲鳴を上げた。
「……っ!?」
体の奥が、軋む。
内側から何かを引き剥がされるような感覚。
魔力が暴れ、抗い、そして――奪われていく。
耐えがたい不快感と痛みが、全身を駆け巡った。
視界が、歪む。
景色が崩れ、光が砕ける。
次の瞬間――。
俺は、別の場所にいた。
見知らぬ空間。
足場はない。
重力もない。
上下すら曖昧な空間で、ただ俺は――浮かんでいた。
静寂。
音も、気配もない。
ただ、存在だけがそこにある。
「……このままでは、貴様は取り込まれる」
不意に、声が響いた。
どこからともなく。
頭の内側に直接流れ込んでくるような声。
聞き覚えは――ない。
「貴様は、それでいいのか?」
「……誰だ」
俺は問いかける。
だが、姿は見えない。
あるのは、声だけだ。
「選べ」
短く、冷たい言葉。
「ルシファーに喰われるか――それとも、抗うか」
ルシファー……?
脳裏に、あの光がよぎる。
ギアの背後にあった、あの異質な存在。
光の召喚魔法の名前か。
「……そうか」
理解した。
「お前か」
あの日。
リアが攫われたあの日。
俺に力を与えた、“何か”。
「何故、俺にこんな力を与えた」
問いかける。
この忌まわしい力。
呪われし魔術。
すると、声はわずかに――柔らいだ。
「…決まっている」
淡々とした響き。
だが、その奥には確かな意志がある。
「お前に、守りたい者がいたからだ」
――リア。
その名を思い浮かべた瞬間。
胸の奥が、強く脈打った。
「その者もまた、選ばれし存在」
「我は、それを守るために――お前を選んだ」
……よく、わからない。
選ばれた?
守るため?
言葉の意味は、理解できる。
だが、その本質は――掴めない。
それに。
この力を解放すれば。
あの炎の魔術師のように――。
理性を失い、暴走するかもしれない。
ルロイ・ハーヴェスとしての“俺”が、消えるかもしれない。
そんな不安が、心に絡みつく。
だが――。
それでも。
このままでいいはずがない。
このまま、奪われるだけで終わるなど。
そんな結末は――認められない。
俺は、拳を握る。
強く。
震えるほどに。
「呪われし力よ――」
声を張り上げる。
この空間に、叩きつけるように。
「最後まで、俺に付き合え!」
迷いを、振り切る。
「その力を寄越せ!!」
一瞬の沈黙。
空間が、静まり返る。
そして――。
「……やはりな」
どこか、愉しげな声。
予想していた、と言わんばかりの響き。
「我が名はゼウス。さあ――今こそ解放しろ」
低く、重い言葉。
「呪われし力を!」
その瞬間。
空間が――弾けた。
「がああああああああああああ!!」
喉が裂けるような咆哮が迸る。
魔力が、暴走する。
抑えきれない。
背中から、何かが噴き上がる。
雷だ。
濃密な雷が、意思を持つかのようにうねり、形を成していく。
空が割れる。
雷鳴が轟く。
そして――現れた。
雷の召喚魔法。
圧倒的な威圧感を放つ存在が、俺の背後に降臨する。
全身に雷が流れ込む。
力が溢れる。
――だが。
意識が削られる。
それでも。
「……まだだ……」
歯を食いしばる。
飲まれるな。
ここで失えば、終わる。
「あああああああああ!!」
暴れ狂う力を、無理やり抑え込む。
「こ……これは……」
アダムス・ハーパーが、愕然と呟く。
「まさか……召喚魔法ゼウスか……」
その時。
「……ならば、排除するのみ」
ギアは冷たくそう告げると、再び翼を広げた。
静寂を切り裂くように、光が脈打つ。
次の瞬間――その体が空へ跳ね上がった。
浮遊ではない。
跳躍でもない。
“支配”。
空を踏みしめるかのように、絶対的な存在としてそこに立つ。
そして――
放たれる。
光。
圧縮された魔力が、奔流となって俺へ叩きつけられた。
「――っ!!」
俺は取り込まれそうになる意識をかろうじて繋ぎ止める。
そして、反射的に体が動く。
雷が応じ腕を振り抜き、迎撃にでる。
激突。
雷と光が衝突し、空間が悲鳴を上げた。
轟音。
爆ぜる衝撃。
空気が裂け、余波が地面を抉る。
俺はさらに魔力を引き絞る。
ゼウスの雷が、俺の意思に呼応する。
これまでの魔力とは桁が違う。
呪われし力――だが今は、なんとか制御できている。
その力が牙を剥く。
「があああああああ!!」
雷撃を叩きこむ。
空間ごと裂くような一撃。
だが、ギアは無表情のまま手をかざした。
光が応じる。
無数の光条が編まれ、一つの巨大な奔流となる。
再び激突。
雷と光が絡み合い、押し合い、削り合う。
空が歪む。
地が震える。
衝撃波が幾重にも重なり、周囲のすべてを拒絶する。
――誰も、近づけない。
この場は、もはや二人だけの戦場だった。
一進一退。
拮抗。
だが――
「……っ!」
ほんの僅かに均衡が、崩れはじめる。
光が、じわじわと雷を侵食してくる。
上位属性――光。
その絶対的な格が、力の差として顕現する。
押される。
削られる。
雷が、削がれていく。
「まだだ……っ!」
なんとか踏みとどまる。
崩れかけた体勢を、意地だけで繋ぎ止める。
だが――。
一歩、後退。
また一歩。
気づけば――背後は絶壁だった。
逃げ場は、どこにもない。
終わりへと追い詰められたことを、遅れて理解する。
ギアが、高度を上げる。
十二枚の光の羽が、大きく広がる。
一枚一枚が刃のように鋭く、世界を切り裂く輝きを放っていた。
神聖さなど、そこにはない。
あるのはただ――絶対的な“死”の気配。
そして。
ギアの口が、静かに開かれた。
「――《ルシファー・レクイエム》」
その瞬間。
世界が、止まった。
音が消える。
風が止む。
色すらも、奪われていく。
すべてが、白に塗り潰される。
――終わる。
本能が、そう告げた。
そして。
解き放たれる。
光。
それは“閃光”などという生易しいものではない。
存在そのものを否定する、絶対の奔流。
回避など――不可能。
直撃。
「――っ!!」
衝撃が、内側から炸裂した。
骨が軋む。
肉が裂ける。
意識が弾け飛ぶ。
体が――浮いた。
いや、吹き飛ばされた。
重力が消え、視界が裏返る。
空と地面が、何度も入れ替わる。
そのまま――。
屋上の縁を越えた。
落下。
風が、咆哮する。
空気が、刃のように肌を裂く。
掴めるものは、何もない。
ただ――落ちる。無力に。
抗えずに。
そして――
水面。
叩きつけられる。
衝撃。
肺の空気が一瞬で奪われる。
冷たい水が、全身を包み込んだ。
沈む。
深く。
どこまでも。
光が遠ざかる。
音が消える。
思考が、ほどけていく。
……負けた。
その事実だけが、やけに鮮明だった。
雷のすべてをぶつけても。
呪われし力を解放しても。
あの光には――届かなかった。
指先から、力が抜ける。
闇が、視界を覆う。
すべてが消えていく。
「……逃がしたか」
冷たい声音。
ギアの声。
「アダムス。奴の行方を追え」
「はっ」
遠くで交わされる、そのやり取り。
やがてそれも、闇に溶けていく。
そして――
俺の意識は、完全に沈んだ。




