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呪われし魔術師  作者: ツバキルイ
第四章「戦争」
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第11話「ルロイの涙」

俺は走り続けた。

呼吸は乱れ、肺が焼けるように苦しい。

息を吸うたびに胸が軋んだ。

それでも――止まれない。

ただ、がむしゃらに。

ひたすら前へ。


リアを背中におぶりながら、俺は走り続けた。

何十分も、ただ必死に足を動かし続ける。

その途中だった。

背中から、かすかな声が漏れた。


「……お兄ちゃん……」


思わず足がわずかに止まりかける。

お兄ちゃん……?

リアに兄なんていただろうか。

俺たちは孤児院で、ほぼ同じ時期に育った。

お互い血縁の者はいない――そう思っていた。


意識のない独り言。

それでも、声が出たということは――リアはまだ生きている。

その事実に安堵しながらも、胸の奥に小さな疑問が残った。


やがて、ルミナス渓谷を抜ける。

アルティアの入口に辿り着くまで、小一時間。

何度も足を取られ、転びそうになりながらも、俺は走り続けた。


休むことはなかった。

喉は焼けるように乾き、意識は朦朧としている。

それでも足だけは止まらなかった。

ふらつく足取りで、リアを背負ったままアルティアの街へ入る。


目指すのは――治療院。

そこに辿り着けば、きっとリアは助かる。

そう信じて、俺は住民に道を尋ねながら進んだ。


「おい……あんた達、大丈夫かい……?」


道端の住民が、心配そうに声をかけてくる。

俺の姿は、きっと酷いものだったのだろう。

だが、構っている余裕はない。

布に包まれたリアは――俺よりも遥かに深刻な状態だ。


やがて。

ようやく、治療院が見えた。

俺は扉を押し開けると、残された最後の力を振り絞って叫んだ。


「誰か!! お願いだ!!」


声が掠れる。

それでも叫び続ける。


「この子を――リアを助けてくれ!!」


何度も。

何度も。

俺は叫び続けた。

治療院の中が、一瞬で騒然とする。


無理もない。

意識の朦朧とした怪しい男が、

丸焦げになった少女を抱えて、必死に叫んでいるのだから。


「誰か……! 誰か……!!」


叫び続けながら、俺は気づいた。

自分の意識が――ゆっくりと遠のいていくことに。

視界が揺れ、世界がぼやけていく。

やがて、周囲の光が暗く沈み始めた。


その時だった。

奥の方から、声が聞こえた。


「これはまずいね。すぐ緊急治療室に運びな」


落ち着いた、女性の声だった。

院長だろうか。


誰かが慌ただしく動き出す気配がする。

だが、その光景をはっきりと見ることはできなかった。

視界はすでに闇に覆われ始めていた。

その声を最後に――

俺の意識は、深い闇へと沈んでいった。


やがて――

俺は意識を取り戻した。

重たい頭を無理やり叩き起こすようにして、ゆっくりと目を開ける。

霞んだ視界のまま、辺りを見回した。

そこは治療院の病室だった。


俺はベッドの上に寝かされている。

窓の外は、驚くほど静かだった。

小鳥のさえずりさえ聞こえてくる。

ついさっきまで戦場にいたとは、とても思えないほどの静けさだった。


ぼんやりとしていた頭が、少しずつ状況を理解していく。

俺は……気を失っていたのか。

そして、次の瞬間思い出す。


リアは――?


胸が強く締め付けられる。

俺は慌ててベッドから起き上がり、外へ出ようとした。

その時だった。


「まだ横になってな。お前さんにも治癒術を施したが、完全には回復していないだろう」


後ろから女性の声が届いた。

振り返る。

そこにいたのは、初老の女性だった。

背はやや曲がり、杖をついている。

だが、その佇まいには確かな威厳があった。

長年回復魔法に携わってきた者特有の、落ち着いた気配がある。

俺は恐る恐る尋ねた。


「……リアは……俺が運んだ女性は、無事なんですか」


女性はちらりと俺を見て答えた。


「ああ。もう少し施術が遅れていたら危なかったけどね」


胸の奥に溜まっていたものが、一気にほどけた。

一拍置いて続ける。


「少なくとも、命の心配はない」


「少なくとも……?」


思わず聞き返してしまう。

女性は静かに言った。


「あれほどの重傷だ。このまま寝たきりになる可能性もある」

「火傷の後遺症も残るだろう」


そして淡々と続けた。


「意識を取り戻すかどうかは……彼女次第だね」


俺は言葉を失った。

女性は杖をつきながら名乗る。


「私はドーラ・ハーパー。この治療院の院長さ」

「エルブランシュの回復術師の顧問もしている」


ハーパー――?

俺は思わず聞き返した。


「もしかして……エルブランシュ学院長の血縁ですか?」


「ああ、それは弟だよ」


変なところで繋がりがあるものだ。

……いや。

そんなことより。


「……とにかく、リアが無事でよかった」


心の底からそう思った。

意識が戻るかどうかは分からない。

だが、命がある限り希望はある。

その時、ドーラが言った。


「お前さん、ルミナス渓谷へ調査に向かった学院の生徒だろう?」

「手紙が届いてるよ」


そう言って、俺に一通の封書を差し出した。

差出人は――エルブランシュ魔法学院。

こんな時に何だ。

軽く苛立ちを覚えながら、俺は封を切った。


そして――。

書かれていた内容を見た瞬間、言葉を失った。


王都エルブランシュがロアノアールに侵攻を許した。

エルブランシュの教官、兵士及び生徒は至急帰還し、ロアノアールの制圧に向かわれたし。


これは戦争だ。

繰り返す。

これは――戦争だ。


手紙を握る手が震えた。

なぜそんな事態になっている。


S級魔術師――ギアが帰還したはずだ。

ロアノアールの精鋭がどれほど優れていようと、

彼を制圧するのはほぼ不可能なはずだ。


それとも……。

ロアノアールには、彼を凌ぐ存在がいるのか。

そんな存在は――。

呪われし者だけで十分だろう。


「……くそっ」


思わず吐き捨てた。

俺は戻らなければならないのか。

リアが病床に倒れているというのに。


……。


俺はドーラに尋ねた。


「リアに……会えますか」


「顔を見るくらいならね」


俺はリアの病室へ向かった。

部屋に入ると、一人の術師が回復魔法を施していた。

ドーラが後ろから言う。


「この子も治癒術師だろう。それもかなりの使い手だ」

「意識が戻れば、自分で回復術も使えるんだがね」


俺はリアの顔を見つめた。

全身を包帯に覆われ、大火傷の跡が残っている。

長かった髪も、ほとんど焼け落ちていた。


それでも――。

彼女は静かに眠っていた。

その姿を見た瞬間。

涙が溢れた。

生きていてくれて、ありがとう。


そして――。

こんな俺を、助けてくれて。

しばらくの間、俺は泣き続けた。

やがて涙が止まった頃。


俺は考えた。

この状況で。

リアなら、何と言うだろう。

彼女が愛したエルブランシュが危機に陥っている。

それなのに俺が何もせず、ここで立ち止まっていたら――。

彼女は、どう思うだろうか。


……。


答えは、決まっていた。


「……行くしかないか」


俺は決意した。

エルブランシュの秘密兵器とも言える――この呪われし力を振るい。

侵攻しているロアノアールの部隊を撃退する。

俺は――エルブランシュへ帰還する。


「ドーラさん」


俺は振り返った。


「リアと俺の治療、ありがとうございました。費用は後ほど必ず支払います」

「俺は――エルブランシュへ戻ります」


ドーラは面倒くさそうに手を振った。


「……早く行きな」

「エルブランシュの危機なんだろう?」

「馬は外で待たせてあるよ」


どうやら、俺の考えは最初から見透かされていたらしい。

さすが学院長の姉だ。

俺は深く頭を下げた。


「リアを……頼みます」


そう言って、俺は治療院を出た。

外には一頭の馬が待機していた。

毛並みは艶やかで、筋肉が盛り上がった体躯は見るからに強靭だ。

この脚なら――一日もあればエルブランシュへ戻れるかもしれない。


俺は急いで食料と水だけを準備し、鞍に跨った。

そして、そのままアルティアを後にする。

街を離れ、風を切って走りながら、ふと呟いた。


「……そういえば、リアと海を見る約束をしていたな」


青い海を見に行こう。

そんな、他愛もない約束だった。


「次に会うときは、きっと……」


俺は胸の奥で誓った。

必ず生きて帰る。

そして――リアともう一度会う。


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