最終話(全36話) 皇帝アルチュールの死
初代皇帝アルチュール陛下は、この女神さまの首飾諸国に、ついに本物の平和をもたらしてくれました。かつては戦乱の途絶えることのなかったこの地が、今では穏やかな日々を送っています。
国々が統一されたおかげで、人々は自由の往来し、かつて魔王の城がそびえていた帝都ウナルベクサは活気に満ちた大都市へと変貌しました。帝都の市場には、遠い地域の商人が持ち込んだ珍しい品々が並んでいます。
軍隊は大幅に縮小され、いくつかの部隊は解散されました。解散のとき、ちょっとした騒動が起きましたが、それはジェラール将軍がうまく処理してくれました。軍隊の人的資源は帝国各地の治水事業、都市建設、交通網の整備にまわされました。そのおかげでお金が循環し、経済が活性化したと宰相カミーユは言っています。
皇帝陛下は、統一戦争後、精力的に政務をとっています。特に力を入れちるのは、海の向こうの異邦との交易です。大規模な商隊を幾度となく派遣し、帝都にやってきた異邦人を引見し、目を輝かせながら質問攻めにするのです。「なんでも見てやろう」という、はじめて冒険に出たころの気持ちをいまだに持ち続けているようです。
東皇后ジュヌヴィエーブ陛下、でも陛下はそう呼ばれるのがお嫌いで、私やマエル、ジェロームたちは親しみをこめて、ジジ伯母さまって呼んでいます。
エルフである伯母さまは、まるで時が止まったかのように若く、そしてお美しいままです。マエルの初恋の相手はきっと伯母さまです。
伯母さまは今でも、ときどき宮殿を抜け出しては、そのたびに女官長のイヴェットに叱られらています。皇帝陛下はそれを見て見ぬふりをしておられます。
なにが楽しいんだか、早朝宮殿の庭を走り回っています。私も誘われましたが断りました。
「こんなに気持ちいいのに」
と伯母さまは心底楽しそうに笑って、そう言いました。
皇帝付侍従のバスチアンは、
「ジジさまは昔から変わらないな」
と、半ば呆れながらも、その目尻にしわを寄せ、微笑んでいます。
西皇后ヴィルジニー陛下は、今もなお近衛ケンタウロス連隊長を兼任しています。近衛と言ったって陛下のケンタウロス部隊は、統一戦争では皇帝陛下の戦術予備として、戦闘のもっとも激しい地点に投入されてきました。平和が訪れてからも陛下の部隊は宮殿の守衛を任されています。そしてなにより、皇后として、皇帝陛下を精神的に支えています。
初代帝国宰相のカミーユは、皇帝陛下の右腕として辣腕を振るっています。陛下が本拠地を離れるときは、彼を信頼して留守を預け、彼もまたその信頼に応えてきました。彼は帝国の交通網を再編成し、文字通り帝国の繁栄の礎を築いた人物です。また秘密警察を組織し、カミーユがその長官に任命したモルガンは、皇帝暗殺の陰謀を防いだことも一再ならずあります。
そうそう、家庭生活も円満みたいです。
伯母さまがカミーユを、チの国に亡命していた幼い頃の婚約者、ルイーズと再会させたことがきっかけで、二人は結婚しました。彼も彼女もそのことで伯母さまに深く恩義を感じているようです。伯母さまのカミーユに対する友情が、こんな幸せな縁を結んだなんて、本当に素敵だと思いませんか?
伯母さまは二人の間の子どもの名付け親にもなり、長男はアルチュール、長女はジュヌヴィエーブと名付けられました。
レティシアは、帝国の総大司教になりました。でもすぐに辞任し、帝都郊外に修道院を建て、そこで暮らしています。けど、その生活は隠遁とは程遠いものです。彼女は帝国各地の農村を巡って農業指導をしたり、治水事業に携わったりしています。なんでも帝都近くの大河川の流路を変えるという壮大な計画を進めているんですって。
「私の時代では無理だろうな。私の子や孫が引き継いで完成させてくれるだろう」
この間会ったときには、そう言って朗らかに笑っていました。
彼女は神さまの前で純潔を誓ったから、結婚もせず、子どもを産むこともありませんでした。それでも彼女にはたくさんの子どもたちがいます。
彼女の修道院には、戦争や様々な理由で親を亡くした子どもたちがたくさんいます。彼女が帝国を旅するたびに子どもが増えていきます。子どもたちにとってレティシアは優しいお母さんであるとともに厳しい先生でもあるようです。彼女の育てた子どもたちの中には、帝国の役所で働くものもいるし、聖職者になったものもいますし、彼女の農村巡回に同行し、その手助けしてるものもいます。
皇帝陛下はそんなレティシアの活動に援助を惜しみません。伯母さまは、暇ができると馬を駆って、子どもたちと遊ぶためにレティシアの修道院へ行きます。私も伯母さまのお供することがありますが、子どもたちの屈託のない笑顔に囲まれて、子どものいない伯母さまが心から癒されているのがよくわかります。
ワの国オロール女王は、生き生きと帝都の華やかなサロンを取り仕切っています。帝国の外交的な安定は、ひとえに彼女の功績と言っても過言ではありません。諸王国の王家を含め、帝国の要人たちは彼女の管理下にある、とさえささやかれています。外交の表も裏も彼女に任されて、カミーユが内政、女王が外交と良いコンビを組んでいます。結婚はしていないけど、オリビエ卿が公私にわたって女王を献身的に支えています。
ジェラール将軍は、早々に軍権を手放しました。統一戦争で多大な功績をあげた将軍だけど、一切の未練もなく引退したのです。
「反乱を企んでいると、事実ではない罪を着せられて処刑されるのは嫌だからね」
と伯母さまに言っていたのを、私も聞きました。今は帝都の立派なお屋敷で優雅な生活を楽しんでいます。戦場に出られない退屈さを紛らわすためか、艶聞にも事欠きません。伯母さまは、
「あの人は退屈が苦手なのよ」
と笑っていました。
トクルプトル大公グレゴワールは、ダック自治領の代表の座を後進に譲って、前トクルプトル大公となり、今はウナルベクサで皇帝の顧問官となっています。シンジケートの一員としてギョームの料理に手をつけることもあるけど、彼の好みはもっと新鮮なものなんだとか。彼は帝国全土のダックの代表の仕事をしています。
ギョームは、相変わらず美味しい料理を作ってくれています。以前に比べて保守的になったと、伯母さまの秘書官のブリュノがこぼしていましたが、私は昔はよかった的な言いがかりのような気がします。伯母さま伯母さまで、いまだにトマトとジャガイモを食べさせてもらえないと不満そうにボヤいています。伯母さまはエルフだからか、私のようなトールマンとは少々味覚が違っているようです。あんなものを食べたいだなんて……。とにかく私はギョームはその美味しい料理でみんなを甘やかしすぎているのだと思います。
彼は多くの弟子を育て、その料理法は帝国各地へ広まっています。また、その弟子から出身地の郷土料理を学び、研究に余念がありません。料理と錬金術の研究が、昔から変わることのない彼の関心事です。
マエル王は、再興したウの国を統治しています。儀式のたびに顔を合わせ、一緒に食事をするけど、もう伯母さまの昔話に出てくる、オディール卿に甘やかされていた男の子ではありません。国を治める君主としての威厳と責任感を兼ね備えています。オディール卿もマエルをよく支えています。彼女の今の悩み事は、マエルの結婚相手探しだそうです。むこうの王家の縁談も大変そうです。
ジェロ―ムは、ケの国の王さまをやっています。カミーユの宰相府から、次期帝国宰相と目されているセブラン卿が送りこまれて、二人で協力してケの国の貴族たちと相談してうまくやっているみたい。ケの国は遠いから、なかなか会う機会はありませんが、この間数年ぶりに会ったら、その成長ぶりに驚かされました。すっかり立派な王の風格を身につけてました。
えっ? ベルナールはどうしたかって?
彼は帝都近郊に塔を建て、そこに魔王の遺産を運び込んで研究を続けています。
彼は昔の恋人のことをずっと引きずっていましたが、彼女に教えてもらった魔法を再現するのに成功すると、なんか吹っ切れたみたいです。
「イレーヌのTTYF」という名付けられたそれは、魔力をそのまま衝撃波にして相手にぶつける魔法なんだそうです。「TTYF」ってどういう意味って聞いたら、
「とても可憐で美しい言葉なんだ」
って、彼女を思い出したかのように、遠くを見つめる瞳になったから、それ以上は聞きませんでした。
でも、この魔法、ベルナールの弟子のシルヴァンが教えている学校の生徒たちは、「一般攻撃魔法」なんて即物的な名前で呼んでいて、そのことをベルナールは嘆いています。
そして、そのベルナールですが……、いろいろあって、今は私、キルキヌス大公国王女セシルのだんなさまになっているのです。
「奇妙な夢を見たよ、ジジ。僕が魔王になったりするんだ」
アルチュールがゆっくりと目を開け、あたしを見てかすかに微笑みながら、そう言ってせき込んだ。あたしは彼の手を握った。その手は冷たく細い。
首飾り諸国統一後、帝国は平穏な日々が続いている。だがその平和をもたらした皇帝アルチュールは、今、死の淵をさまよっている。
金箔を捺した革が壁に貼られた豪華な寝室。アルチュールは荒い毛布があれば十分なんだけど、今の立場じゃそんなことは許してくれない。この部屋にいるのはアルチュールとベルナールとあたしだけ。アルチュールはさっきまで穏やかな寝息を立てていたというのに、もう息をするのも辛そうだ。死期が近いのは誰もがわかっている。
「これで良かったのかな」
アルチュールがベルナールにか細い声で尋ねた。ベルナールはいつものように感情のこもらない声で答える。
「私の推計では、陛下が魔王になって勇者に倒されたり、王国宰相となって反乱を起こしたり、場末で野垂れ死んだりするより、はるかに平穏な世界となりました」
ベルナールの言葉を聞いて、アルチュールは少し笑ったようだった。
「相変わらずベルナールは面白いことを言うな」
そう言って、彼はゆっくりと顔をあたしの方に向けた。あたしの手を握る力が、ほんの少し強くなった気がした。
「ジジ、君に出会えて、本当に幸せだったよ」
それがアルチュールの最後の言葉だった。
ベルナールが静かに、懐から手鏡を取りだし、アルチュールの鼻先に近づける。鏡は曇らない。
「崩御だ」
ベルナールがつぶやくように言う。
「今回はまずまずの結末だな」
そう言ってあたしを見る。
「皇后陛下、最後のくちづけは?」
あたしは温かさが消えつつあるアルチュールの手を握りながら、ベルナールに答えた。
「よそう、また夢になってはいけない」
柔らかい光の差し込む居間で、母親が娘に物語を読んで聞かせている。娘は五歳ぐらいだろうか、行儀よく母の読む話を聞いている。母親はときおり優しい眼差しで娘を見つめながら、文字を追う。その穏やかな声が、部屋いっぱいに響きわたる。すぐ近くでは、夫がスマホの画面を眺めている。
「こうして、心優しきジジは、勇者さまと手を取り合って、数々の冒険を乗り越えました。恐ろしい魔王を打ち倒し、荒れ果てた大地に新しい国を築き上げたのです。そして、その勇者さまが皇帝となると、ジジは皇后として迎えられ、共に帝国を治め、民を深く愛しました」
母親の声が、部屋に優しく溶けていく。
「やがて皇帝さまが安らかに眠りにつかれた後も、ジジは女帝として、幼い養子のアルチュール二世が立派な大人になるまで、帝国の皆をあたたかく見守り、幸せに導いたのでした」
読み終え、母親が本を閉じようとすると、娘があそこをまた読んで、とねだる。お気に入りの箇所があるのだ。母親くすりと笑い、娘にせがまれるがまま、ページを戻して娘の求めるその一節を読み始めた。
「そして、愛する皇帝が深い眠りにつかれた時、年老いた魔法使いのベルナールが静かに進み出て、悲しみにくれるジジに言いました。
「陛下、どうか最後のキスを……」
しかし、ジジはそっと首を横に振りました。その瞳には、かつての思い出がきらめき、そして消えていくようでした。
「よそう、また夢になってはいけない」
ジジはそう答えると、今は亡き皇帝の手に、そっと自分の手を重ねたのでした」
読み終えると、娘は母親の真似をして、幼い唇でつぶやいた。
「よそう。また夢になってはいけない」
娘はうっとりした表情で、遠目をして言った。
「あたしもジジみたいになりたいの。あたしも冒険して、魔王を倒して、国を作って、皇后さまになるの」
母親は苦笑する。なんてクリシェな夢なんだろうと。
「そうね。でもヴィルジニー皇后のように、自分の足で大地を駆けるのも素敵よ」
母親はそう答えながらも別のことを考えていた。
男の子と女の子が一緒に冒険して、魔王を倒して、結婚して、国を治めて、その後末永く平和で幸せに暮らしました、なんて話は、誰もが一度は憧れる、クリシェな話。この子も大人になったら、きっと忘れてしまうんだろうな、と思いながら、絵本を胸に抱えている我が子を見つめる。
何度もせがまれて読んでいるから、大体の内容はもう頭の中に入っているのに、この子は何度でも聞きたがる。子どもは、いつの時代もこういうクリシェな話を好む時期があるのだろうか。そう言えば私も小さい時は、そんな話が好きだったような気がする。いつまでだったろうか、こういうクリシェな物語が好きだったのは。
側で聞いていた夫はスマホから目を離し、口を開いた。
「あれはさ、魔王というのは農民反乱のことで、皇帝は国が鎮圧のために派遣した将軍なんだ。その将軍が反乱勢力を吸収して帝国を作ったって話なんだよ」
どこで仕入れた知識だろうか。そういう理屈っぽいところも彼らしいな、と母親は微笑んだ。そんな難しいこと、小さな女の子に言っても仕方がないのに、と心の中で思いながら。
さて、晩御飯の支度をしないと……、
「あっ、いけない。トマト缶、切らしてたんだった」
「俺が自転車で行ってこようか?」
「私が行ってくるわ。トールマンの自転車より、ケンタウロスの私の方が速いから。買い物の間、ヴィルジニーのこと、お願いね」
「了解」
近くのスーパーまで駆けていく間、ジジのクリシェな冒険が、この綺麗な夕焼けの空の下で家族と過ごすかけがえのない日常につながっているのだと、ふと思った。もしもそれがなかったら、今の私たち家族の穏やかな生活は存在しなかったかもしれないと。子ども向けの歴史物語を読んだせいか、ほんの少しだけ歴史の重みに思いをはせた。




