第30話
空は高く晴れ渡り、心地よい秋の朝。
私はいつものようにお父様とお母様、そしてウィルフレド兄様の家族たちと共に朝食の席を囲んでいる。
ひとつだけ違うのは、いつもお父様が座っていらした席にルフィーノ様が座っていること。
それ以外は今までと全く同じよ。
知らず知らずのうちに話題の中心になるのは、ウィルフレド兄様の2人目の子グラシアちゃん。2歳になったグラシアちゃんは、ようやくスプーンでスープを掬えるようになってきたところなの。一口運ぶ度にお父様やお母様が大袈裟に褒めるものだから、グラシアちゃんは得意げに何度も飲んでみせる。可愛いわ。私にもすっかり懐いてくれているのよ。ルフィーノ様も目を細めてグラシアちゃんを見つめていらっしゃる。
食事が終ろうとするタイミングでルフィーノ様が、一度お父様に視線を送り、私に話しかける。
「アンナベッラ、今日は遠出しないか。ルナトゥリーナの別荘まで馬を走らせよう」
そこは私たちだけの想い出の場所。2人が初めて出会った湖。
「ええ、喜んで」
あの場所にはあれ以来私も行ったことがないの。12年ぶりになるのね。まさか2人でもう一度行ける日が来るだなんて思ってもいなかったわ。
すると慌てだしたのはお父様。
「殿下、至急別荘へ使いを送ります。お2人はゆっくり馬車でお向かい下さいませ」
お父様の後ろに控えていた家令が部屋を出ていこうとするのを確認して、ルフィーノ様はそれを静かに制した。
「特別な出迎えは不要だ。俺たちは湖を見に行きたいだけだからな。夕方には戻る」
私の同意を求めるように首を向けられたので、私も笑顔で頷く。
「ええ、お腹が空いたら別荘にお邪魔するかもしれないわ。けれど私も湖が見れたら満足なの。だからルフィーノ様とご一緒させていただきたいわ」
それ以上お父様は続けなかった。
「馬を2頭用意させます。今日1日ルナトゥリーナをお楽しみくださいませ」
馬車で行けば半日はかかるでしょうけれど、馬を走らせれば陽が暮れる前に帰ってこれる距離。私がルフィーノ様を独り占めできるのもあと僅か。だって、明日か明後日にはシエルラッド軍が到着するのですもの。
◇◇◇
湖のほとりで馬を降り、2人で砂浜を歩く。ルフィーノ様は当たり前のように手を繋いでくれて、足元の小さな小石ひとつ私が踏まないようにと、さり気なく手を引いてくれる。
「ここだな」
「ええ、ここですね」
湖の遠くに楢の木が1本見える。12年前と同じ景色がそこにあった。
私たちは、どちらからともなくその場に腰を下ろした。あの時もこうして座って話をしたわね。
「変わってないな。 変わらないでいてくれた」
湖を見ていたはずのルフィーノ様の視線は、気がつけば私に向いていた。
「さて、今日こそベルの疑問に答えなくてはな」
そうなの。私の1番知りたいことがまだお聞きできていなかったのよ。どんな話題も驚きがいっぱいで、会話そのものが新鮮で、尋ねるタイミングがなかったの。やっと教えていただけるのね。
温かい眼差しと目が合う。ルフィーノ様は小さく頷くと続きをお話しくださった。
「髪、俺の髪は元々この色ではなかった。幼い頃はベルが見たままの色だったんだ」
ああ、私の記憶違いではなかったのね。やっぱり12年前、この場所で出会ったルドは麦の穂のような金色の髪だった。では今はなぜ?
「ベルは歴代の肖像画を見たか?」
ルフィーノ様は、まだ答えを教えてはくださらない。歴代の肖像画、ええ拝見いたしました。スペルティ先生が案内して下さった広間で、初代国王から現陛下までの肖像画が飾られていたわ。大変重厚な広間で、私は長い時間をかけて1枚1枚の肖像画と向き合ったことを憶えている。
「ええ、拝見させていただきました」
「何か気がついたことはあったか?」
あの日スペルティ先生からは一切解説がなかったの。「じっくりとご覧下さい」としか言われなかったのよ。後からテストされるのかしらと、私は真剣に観察したわ。その時に気がついたことは
「ルフィーノ様や陛下と同じ、赤い髪をお持ちの方が多いとお見受けいたしました」
ルフィーノ様は満足げにゆっくりと頷いた。これは合格、かしら。
「赤い髪は名君の証と言われてな、赤い髪を持つ男子は例外なく王の座に就いてきた。中には嫡男ではなかった王もいる」
その後続けられた説明によると、生まれながらに赤い髪を持っていた王がいたのかは、ルフィーノ様もご存知ないのですって。陛下もルフィーノ様も、赤髪は後天的に発現したのだそうよ。ルフィーノ様はこうおっしゃったの。
「ある日気がついたら赤く燃え上がっていた」
まあ!なんて神秘的なのかしら。その場に居合わせることができなかったことが残念でたまらないわ。陛下も王妃殿下も、モニカ様やダミアン様もさぞかしお喜びになったことでしょうね。シエルラッドが2代続けて名君に恵まれるということですもの。
「それから、もうひとつあるな」
ええ、そちらの方が気になるわ。髪の色だけでしたら、カツラを被って偽装することは容易ですものね。
「瞳の色も変わったのですか?」
「ああ。金の瞳は殊更珍しいらしい」
いいえ、珍しいなどという言葉では軽すぎるわ。私は17年も生きてきたのに金色の瞳を持つ方はルフィーノ様お1人しか出会ったことがないのですもの。そうね、肖像画ではお見かけした気がするわ。それでも2人いたかしら、そのくらい少なかったはずなの。
私は言葉を発せずにいたはずなのに、ルフィーノ様は今回も「合格」とでも言うように優しく頭を撫でてくださった。
「この瞳はな、ありきたりな言葉で言うと[神のご加護を賜った]証らしい」
「まあ!」
思わず感嘆の声が漏れてしまった。勝利の女神はルフィーノ様ご自身に宿っていたのね。なぜ次期国王であられる王太子殿下が戦場へ向かったのか、それが不思議で不安だった。けれどなんの心配もなかったのね。
知らなかったわ。私の暮らすシエルラッド王国に、こんなに素敵な神秘が隠されていただなんて。ルフィーノ様は2つものご加護を受けていらっしゃるのね。誇らしいわ。すごく誇らしいの。
きっと私の顔が納得と幸福でいっぱいになっていたのでしょう。ルフィーノ様もさらに表情が柔らかくなって。私は頭を撫でてもらえて、喉の奥がゴロゴロと鳴りそうなくらい嬉しくなった。
そっと肩を引き寄せられ、ルフィーノ様はというと湖に視線を向けている。
「ベル、王都に帰れば忙しくなる」
そうね、戦後の処理はこれからですし、長いこと王都を留守にしていらしたのですもの。どれだけご多忙な日々が待ち受けているのか想像しきれないわ。せめて金曜日だけでもお会いできればいいけれど。
ルフィーノ様を補佐する従者も不在なのだわ。私的なお世話をする方はいらっしゃるはずだけれど、膨大な政務を抱えるルフィーノ様に、その従者1人では心もとないわね。
「差し出がましいことを申し上げますが、従者を新たにお迎えする予定はございませんの?」
柔らかく笑んだルフィーノ様が小さく頷く。
「ああ、俺の従者は存外優秀でな。当面はそいつに任せようと思っている」
「でも文字も読めないと――」
一拍の間の後、ルフィーノ様は声をあげて笑い出したわ。
「ああ、そうか。確かにそうとも取れるな」
ひとしきり笑ったルフィーノ様は顔を戻すと、私に問うたの。
「ベル、王宮作法の教師は憶えているか?」
突然話が変わってしまったけれど、もちろん憶えているわ。つい今しがたも思い出したところですもの。
「ええ、スペリティ先生から教えていただきました」
スペリティ公爵家の三男でいらっしゃるセニム=スペリティ先生よ。
「俺の従者だ。もう10年以上の付き合いになる」
なんですって?だって例のカレスティア卿は文字も読めない平民出身だと――
「カレスティア卿だった方から聞いていたのとは別の方なのかしら」
ルフィーノ様は少年のように笑いながら種明かしをしてくれたわ。
「なあ、ベルはセニムの文字を見たことがあるか?」
「いいえ。作法の講義でしたので、文字で説明を受けたことはありません」
ルフィーノ様が言うには、スペルティ先生は大層な悪筆なのですって。「他は有能なのだが、文字だけは芸銃的に酷い」なんて言うの。
きっとそれも、「字が(汚くて)読めん」というのをかの従者が勝手に解釈した結果だったのね。スペルティ先生は公爵家のご出身ですもの。作法に関する本を流れるように読んでいただいたこともあったわ。
「俺の話はともかく、忙しくなるのはベルの方だ。ドレスも用意しなくてはならないからな」
頬が熱くなっていくのがわかる。そうね、婚約して5年が過ぎたのですもの。私も成人して既に1年が経ったわ。だってルフィーノ様は迎えに来てくれたのですもの。
それならば、今お伝えしなくちゃ。
私は何度もルフィーノ様の瞳を見つめて、口を開こうとするけれど、なかなか一言目が出てこなかった。急に恥ずかしくなってしまって。悪女の頃の私だったらすらすらと言えたでしょうに。
それでもルフィーノ様は辛抱強く私が話し出すのを待って下さる。言うわ。聞いて下さいね。私は視線を外し、湖を見ながら一息で伝えることにした。
「白い衣装を用意致しました。ルナトゥリーナで1番の仕立屋ですの。王家の恥にはならない仕上がりだと信じております」
「そうか」
たった一言だったけれど、よくやった!と褒められた気がしたの。見上げたお顔がとても満足そうなのですもの。
そうだったわ。私ね、王都でももう悪女は辞めようと思うのよ。王都で見知った方々は、悪女を辞めた私に驚くでしょうね。私とは気がつかないのではないかしら。それはそれで愉快ではなくて?
9.悪女は引き際が肝心
だってもう悪女でい続ける必要がなくなったでしょう?悪女は無駄なことはしないの。これが悪女としての最後の決断よ。
1度目の王都での生活を振り返ってみて、私の悪女ぶりはどの程度だったかしら。自分で言うのもなんだけれど、そこそこ上手くできていたと思うの。控えめに言っても80点くらいには達していたのではなくて?
評価が厳しいかしら。でも上位の悪女がすぐ近くにいたのですもの。やっぱり本物には及ばなかったと自覚しているのよ。己の限界を知ると言うのも悪くはないわね。そうね、冷静な判断ができるようになったという意味では充分優秀な悪女だったとも言えるわね。
けれどね、これからは悪女を捨てて私らしくルフィーノ様と歩いていこうと思うの。
この先の道はルフィーノ様と歩く道。「金輪際私と離れない」と仰ったのは他でもないルフィーノ様よ。だからこの情報は間違いなく有益と言えるわね。
お読みいただきありがとうございました。
次回作にて再びお会いできましたら幸いです。




