第29話
あくる日も私たちは湖を見ながら1日中語り合ったの。何せルフィーノ様は、何頭もの馬を乗り換えて単騎で駆けてこられたのですもの。本隊が到着するまではあと何日かかかるだろう、ですって。
「まさかカレスティア卿がエリシヴィンのスパイだったなんて」
ルフィーノ様は淡々とお話しになったけれど、私の頭はとても追いつけなかったの。
ええ予想だにしていなかったですもの。常に穏やかで気遣いのある方だと信じ込んでいたわ。
なぜ最初にそのことを話して下さらなかったの?教えてくださっていたなら、あんなに長いことルフィーノ様のことを誤解することもなかったでしょうに。そう抗議してみたのだけれど――
「ベルはとても素直だろう?ベルのような清らかな心の持ち主が、人をだまし続けることなんて出来ないと思ったんだ」
そんな言葉を平気に言ってのけるルフィーノ様に、私はただ赤面するしかなかったわ。私、ちっとも清らかでなどなくってよ。ずっと悪女としてあなたを偽っていたのですもの。
「ベルが俺の弱みになり得ないと思わせなくてはならなかったからな」
そうね。カレスティア卿――ではないけれど、かの従者は、私がルフィーノ様に好意を寄せていないことは充分気がついてたでしょうね。そう見えないように振舞ってはいたものの、王都で過ごしていた頃、私は1度もルフィーノ様をお慕いしていると言葉にはしなかったから。
当然よね、当時は石像なんて大嫌いって思っていたもの。
そしてルフィーノ様の演技もそれは完璧だったわ。本人である私がすっかり騙されていたのですものね。
「不安だったよ。ベルが約束を憶えている保証もなかったしな」
と、口では仰るけれど、目には充分に自信が溢れているのがわかるの。
「忘れたことはなかったわ。あの頃はルドだけが心の支えだったのですもの」
満足そうにニヤッと笑ったルフィーノ様が、さらに続けたの。
「でもさ、王都での俺を見続けて幻滅したって言うかもしれなかっただろ」
それは――
石像が演技ではなくて、ルフィーノ様の真の姿だったとしたら、そうね、かつてのルドはもうどこにもいないのだと失望したでしょうね。
「けれど演技だったのですもの」
そう答える私を見つめる瞳はどこまでも温かい。石のように無機質だったあの頃をすっかり忘れてしまいそうよ。ええ憶えている必要などないもの。
カレスティア卿が偽物だったことはわかったわ。ならば本物のカレスティア卿は?
お聞きしていいものか少し躊躇いはあったものの、どうしても気になってしまって聞いてしまったの。
「カレスティア辺境伯の弟、シモン様はどうなったのでしょう?今でも行方不明なのかしら」
いや。
と一度言葉を止めたルフィーノ様の表情が変わらず穏やかだったから、私は安心して続く言葉を待ったわ。
「生きていたよ。よく生きていてくれた」
7年前、ルフィーノ第一王子の従者を拝命したカレスティア卿は、王都へ向かう道中に襲われたのですって。
御者も彼の従者も、もちろん本人も馬車から引きずり降ろされ、斬り捨てられたのだそうよ。
きっとその賊が、私たちがカレスティア卿と信じていた人の一味だったのね。
彼らは王都へ急いでいたのだろうとルフィーノ様は仰るの。そうね、大幅に遅れては不審に思われてしまうもの。それで確実に命を落としたのかの確認を怠ったことが幸いしたのね。
瀕死の重傷を負ったものの、カレスティア卿と御者は一命をとりとめたそうよ。カレスティア卿の従者の方はとても残念だったと思うわ。
どれほどの深手を負い、どのくらいの間療養をしていたのかはわからない。でも本物のカレスティア卿はとても芯の強い方だったようなの。
戦争のさなか、シエルラッドの陣まで歩いて向かってきたのですって。お1人でよ!たった1人で歩いてきたとは言え背後からですもの。充分すぎるほどに不審だったから、直ちに捕らえられてルフィーノ様の下まで引きずられてきたと言うのだから、余程肝が据わっているか勇敢な方なのね。
「到着が大変遅くなりました。シモン=カレスティア、従者にお取立ていただきありがとうございます」
ルフィーノ様は、その方がかつて面識のあったカレスティア卿本人であると確信したのですって。
今はお兄様である辺境伯の側で、領地の復興の手助けをしていると聞いたわ。ルフィーノ様のご指示だそうよ。
私には想像も及ばないけれど、きっとカレスティア辺境伯領はとても荒れ果ててしまったことでしょう。領地の立て直しにどのくらいの時間がかかるかもわからないわ。恐らくは王都からも応援があるのでしょうけれど、領地のことを知り尽くしているご兄弟の存在は大変心強いに違いないわ。
カレスティア卿のことは、これで納得したわ。けれど、それよりももっともっとずっと大切なこと。それをお聞きしたいのに、なかなか切り出すタイミングがなくて。
けれどそれも含めて、この時間が嬉しいの。ルフィーノ様と尽きることのない会話を楽しむ日が来たと言うことですもの。
それでも、次に飛び出した言葉にはさすがに驚いて声も出なかったわ。悪女だった頃なら上手く応えられたかもしれないけれど、悪女をお休みしている私には咄嗟には何も浮かばなかったの。
「言うのを忘れてたな。エリシヴィン王国は無くなったよ。完全に滅亡した」
一国を滅ぼしたと言うことをルフィーノ様は、朝食を食べ忘れたくらいの軽さで言ってのけたの。まさかそれほどの戦いだったとは想像もしていなかったから、とても驚いてしまって。
余程動揺して見えたのかしら。ルフィーノ様は表情をさらに和らげて、私の左手をそっと握った。
「金輪際ベルと離れたくないからさ、2度と攻めてこれないよう叩き潰す必要があったんだ」
もちろんそんな理由ではないのでしょうけれど、その言葉が嬉しくて私は黙って笑顔だけを返したわ。
「エリシヴィンがシエルラッド王国の一部になったのは5日前だよ、ベル」
5日前、それは私の誕生日。それは偶然?
きっと私の目がそう訴えていたのね。ルフィーノ様は繋いだ手に少し力を込めてから、湖の方を向いたの。
「どうしてもその日に勝利したかったんだ。――」
続きの言葉を奪ってしまったのは、私が抱きついたから。
ルフィーノ様はしっかりと抱きとめてくださったわ。
「遅れてごめんな、成人そして17歳の誕生日おめでとうベル。ひとまずこの勝利をベルに捧げるよ」




