ハイカラ探偵団調査開始!
第六章 幽霊の館
幸炬と佐姫代を乗せた徳田の車は、横浜へと入った。
やがて車は、滝川園子の奉公先である、エドワード・ベネット家の商館の前で止まった。
徳田が先に車を降り、商館の入口へ向かう。その後を、幸炬と佐姫代が続いた。
エドワード・ベネットはイギリス人の貿易商で、主に東南アジアの香辛料や、日本の絹織物などを扱っていた。ドイツとの交易にも力を入れており、日本の絹織物をドイツへ輸出していた。
妻のクララ夫人はドイツ人で、両親はドイツ政府の要人だった。もともと日本の絹織物を好んでおり、夫の仕事を通じて日本との交易にも深い関心を持っていた。
夫妻には、以前から日本で暮らすことに不安があった。
とりわけ、妊娠中のクララ夫人は、日本の医療事情に強い不安を感じていた。
そこで、通訳を務めながら身の回りの世話をしてくれる、夫人と年齢の近い女性を探していたところ、知人を通じて園子を紹介されたのである。
あらかじめ事情を聞いていた夫妻は、三人を快く迎え入れた。
商館は、日本に来てまだ間もないこともあり、家具や調度品も必要最低限しか置かれていなかった。
けれど、飾り立てない空間には、どこかドイツらしい端正な気品が漂っていた。
「ソノコ……アナタノ、Frau Gōda」
クララ夫人は、まだたどたどしい日本語で園子を呼んだ
「郷田先生……」
園子は思わず声を詰まらせ、佐姫代を見つめた。
「園子さん……」
佐姫代もまた、園子の姿を見つめた。
「ソノコ、ユックリ、ハナシナサイ。ワタシタチ、ムコウデニイマス」
ベネットはそう言って、徳田と幸炬を別の部屋へ案内した。
佐姫代と園子は、応接間に残った。
しばらくすると、園子はぽつりぽつりと、ここでの暮らしを話し始めた。
夫妻は園子をとても頼りにしてくれていた。
日本語だけでなく、英語やドイツ語も話せることを喜ばれ、通訳としても、クララ夫人の身の回りの世話役としても、大切にしてもらっているという。
それを聞いて、佐姫代はようやく胸を撫で下ろした。
「そう……。それなら、先生も安心しました」
佐姫代は微笑んだ。
「学校のみんなも、あなたのことを心配しています。ここでの暮らしのことを、みんなに話してもいいかしら?」
「はい。もちろんです」
園子は素直に頷いた。
そして少し考えてから、静かに口を開いた。
「先生……学校のみんなに、伝えていただきたいことがあります」
「何でしょう?」
「私のように、恵まれた環境にいる子ばかりではありません。家の事情で学校へ通えなくなったり、望まない場所へ行かなくてはならない子もいます」
園子は一度、言葉を止めた。
「私は、そういう子たちを助けられる人になりたいと思っています。でも、今の私には、まだ何の力もありません」
そして、佐姫代をまっすぐに見つめた。
「だから……みんなには、勉強を続けてほしいと伝えてください。しっかり学んで、いつか、誰かを助けられる人になってほしいって」
佐姫代は、しばらく何も言えなかった。そして退学してしまったことを、もったいないと思っていた。
けれど、目の前にいる園子は、以前にも増してしっかりしているように見えた。
入学した時から同じ年頃の少女たちと比べても、物事を自分の頭で考え、自分の言葉で話す生徒だった。
「園子さん……」
佐姫代は、優しく微笑んだ。
「あなたは、もう立派に人のことを考えているのね」
「えっ?」
「先生は、少し安心しました。あなたなら、ここでの経験もきっと、これからの人生の力にできると思います」
園子は、少し恥ずかしそうに笑った。
佐姫代は思った。
学校を辞めてしまったことは、確かにもったいない。
けれど、この横浜での出会いが、滝川園子の未来への新しい足がかりになるのかもしれない。
そう信じた。
一方、その頃――。
別室では、幸炬たちがクララ夫人の話を聞いていた。
クララ夫人は、日本の医師に診てもらうことに、どうしても不安があるという。
それを聞いた幸炬が、静かに口を開いた。
「それでしたら、よろしければ芦沢先生に往診をお願いしてみましょうか?」
徳田も頷いた。
「そうだね。芦沢先生なら安心していただける。」
夫妻は顔を見合わせ、嬉しそうに頷いた。
こうして、クララ夫人の医師探しも、一つの糸口を見つけることができた。
園子に別れを告げ、三人は再び車へ乗り込んだ。
車がゆっくりと走り出す。
しばらく黙っていた幸炬が、ふと徳田を見た。
そして、いたずらっぽく微笑んだ。
「叔父様……例の商館にも、寄ってみませんこと?」
徳田は幸炬の顔を見ると、思わず苦笑した。
「やっぱり、そう来たか」
車内に、小さな笑い声が響いた。
「サチさん、この商館だよ」
「叔父様、降りてもよろしい?」
幸炬はそう言うと、車から降りた。
商館の窓から中を覗いてみると、徳田が話していたとおり、誰もいない。留守のようだった。
幸炬は建物の裏手へ回ってみた。
人の気配はない。
「……?」
幸炬は、何かに気がついた。
「叔父様。ここ、地下室への入口のようですが……この南京錠、以前から掛かっていました?」
「いや。この前来たときは、まったく気がつかなかったな」
幸炬は南京錠をじっと見つめた。
「この入口も、周りのブロックも、ずいぶん古くなっていますのに……この南京錠だけは綺麗で新しいですわ」
「そういえば、そうだね」
徳田も南京錠を覗き込んだ。
「叔父様、間違いなく、ここには誰かが出入りしていますわ」
幸炬は、にっこり笑った。
「もちろん、幽霊は南京錠なんて使いませんもの」
「そりゃそうだ」
徳田は思わず苦笑した。
「それに、ほら!」
幸炬は足元を指差した。
「この付近だけ、草が踏みつぶされていますわ。最近、誰かがここを通った跡です」
「サチさん、素晴らしいね。その観察力」
徳田は感心しながら、あたりを見回した。
「でも、一体誰が出入りしているんだろう。この家の持ち主は海の中だというのに……。いったい、どういうことなんだ?」
「そうですわね……」
幸炬もあたりを見渡した。
すると、少し離れたところにある喫茶店に目を留めた。
「あっ!」
「ん?」
「叔父様、あそこの喫茶店のマスターに聞いてみませんこと?」
「でも、この前も聞いたけど、あまり手がかりはなかったよ」
徳田は少し渋い顔をした。
すると幸炬は、
「それでは、私が行って参りますわ。叔父様は車でお待ちになって」
そう言うと、返事を待つこともなく、スタスタと喫茶店へ向かっていった。
「……元気だねえ」
徳田は苦笑しながら車へ戻った。
車では、佐姫代が不安そうな顔で待っていた。
しばらくすると、幸炬がニコニコしながら戻ってきた。
「叔父様!」
「何かわかったのかい?」
「ええ!」
幸炬は嬉しそうに車に乗った。
「この商館、最近、夜になると人魂がゆらゆらと現れるそうですわ」
「人魂?」
「ええ。亡くなった持ち主の魂が、夜になると館へ戻ってきているんじゃないかって、町では噂になっているそうですわ」
「サチさん……なんだか楽しそうだね」
「ええ、もちろんですわ!」
幸炬は目を輝かせた。
「人魂なんて、そうそう見られるものではありませんもの。改めて、夜に出直しましょう!」
「なんと……」徳田は絶句した。
娘のやんちゃぶりには、日頃から手を焼いている。
しかし――。
**それ以上のやんちゃ娘が、ここにいた。**
「これはこれは……」
徳田は呆れたように首を振った。
「だれと出直すつもりなんだい?」
そう言って、幸炬の顔を覗き込む。
幸炬は、いつものいたずらっ子のような目をして、にやりと笑った。
「だれって……」
「おいおい。君たちは大人とはいえ、女性だ。夜に4人だけで来るなんて、駄目だよ」
徳田は、先回りするように言った。
すると幸炬は、まったく動じる様子もなく、
「大丈夫ですわ。さすがに女性だけでは危険ですもの。こういうときこそ、頼りになりそうな幼馴染がおりますの」
そう言って、意味ありげに笑った。
「……なるほど」徳田はため息をついた。
このままここにいたら、幸炬は本当に夜まで待って、人魂を見に行きかねない。
徳田は、やんちゃ娘の勢いにすっかり呆れながらも、気を取り直した。
「さあ、まずは佐姫代さんを送り届けないと」
そう言って、運転手に車を出すよう伝えた。
佐姫代も、徳田も、もはや幸炬には呆れるばかりだった。
やがて車は佐姫代の自宅に到着した。
「ありがとうございました」
佐姫代が車を降りると、幸炬も続いて降りようとした。
「私もここで……」
「駄目だよ」
徳田はすかさず幸炬を車内へ押し戻した。
「君は自宅まで送る」
「まあ、叔父様ったら……」
幸炬は不満そうに頬を膨らませた。
しかし徳田は聞く耳を持たなかった。
幸炬がこのあと何をやらかすか、心配で仕方がなかったのだ。
結局、徳田は幸炬を自宅まで送り届けた。
門まで出てきた幸炬のばあやが、深々と頭を下げる。
「徳田様、わざわざお送りいただき、ありがとうございます」
「いえいえ」
徳田はそう答えると、ばあやの耳元にそっと顔を寄せ、
「……やんちゃ姫に、ご注意を」
とだけ囁いた。
「まあ……」
ばあやは幸炬を振り返った。
そこには、何か面白いことを思いついたような顔をしているお嬢様がいる。
ばあやは、またお嬢様がとんでもないことを考えているのだろうと察した。
そして、半ば諦めたような眼差しを幸炬に向けるのだった。
徳田が家に着くと、待ってましたとばかりに、もう一人のやんちゃ姫が飛び出してきた。
「お父様、横浜ではいかがでしたの?」
徳田は思わず苦笑した。
「おいおい……ここにもやんちゃ姫がいるじゃないか。君たちは、もう少しレディとしての身だしなみも身につけたほうがいいね」
「君たち?」瑞穂が首をかしげる。
「幸炬ね! なにか面白いことがあったのね。ああ……お母様たちとのチャリティーバザーなんて、断ってしまえばよかったわ!」
瑞穂は悔しそうに唇を尖らせた。
「おいおい。今日の横浜の目的は、佐姫代さんの生徒さんの様子を見に行くことだったんだよ」
徳田がたしなめる。
「そうでしたわね。ごめんなさい、お父様。私、少しはしゃぎすぎましたわ」
瑞穂は素直に頭を下げる。
「それで……いかがでしたの?」
「ああ。エドワードさんたちは、とても素晴らしいご夫婦だったよ。日本に来たばかりで、しかも夫人はご懐妊中だ。不安も多いらしくてね。病院へ行くときや外出の際の通訳、それに話し相手になってくれる、年の近い奉公人を探していたそうだ」
徳田はそこまで話すと、
「そこで紹介されたのが、佐姫代さんの生徒さんだったというわけだ。よくしていただいているようだったよ」
と、さらりと締めくくった。
「まあ……それはよろしかったですこと。佐姫代も安心したことでしょうね……」
そう言いながらも、瑞穂の目は明らかに物足りなそうだった。
「お父様……それだけですの?」
「ああ。それだけだ……よ」
徳田は瑞穂と目を合わせようともせず、そのまま自室へ向かった。
「……」
瑞穂は、その背中をじっと見送った。
そして――
「絶対、何かあるわ」
瑞穂の勘が、ぴんと働いた。
お父様があれだけ早く話を切り上げるときは、決まって何か隠している。
でも、ここで追及しても、お父様は絶対にしゃべらない。
瑞穂は腕を組んだ。
「となると……」
頭の中に、ひとりの顔が浮かんだ。
「幸炬ね」
しかし、そこで瑞穂は考え込む。
「でも……どうやって聞き出そうかしら?」
瑞穂の頭の中で、さっそく作戦会議が始まった。
――もう一人のやんちゃ姫は、にやりと笑った。




