↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/4

ハイカラ探偵団は永遠なり!

第七章 巻き込まれる鷺坂英二


幸炬は、朝早く目を覚ますと、屋敷を静かに抜け出した。

目的はひとつ。

――鷺坂英二を捕まえることだ。

英二の行動パターンは、すっかり読めている。

官庁へ向かう時間もわかっている。

幸炬は屋敷の門の近くに身を隠し、じっと待っていた。

しばらくすると、門が開いた。

英二が出てきた。

家の女中が深々と頭を下げて見送る。

女中が門を閉めた、その瞬間だった。

「英二さん!」

幸炬が飛び出した。

「なんだ!」

英二は驚き、脇に抱えていた新聞を落としてしまった。

「あら、ごめんなさい」

幸炬は新聞を拾い上げ、土を払って英二に手渡した。

「はい。英二さん、ごきげんよう」

「サチさんか」

英二は嫌な予感がした。

「僕はこれから仕事なんだ。面倒ごとはごめんだよ」

そう言って、その場を立ち去ろうとする。

「あら?」

幸炬が首をかしげた。

「善良な国民が困っているのを、見捨てるの?」

英二は足を止めた。

「善良な国民なら、こんな朝早くから善良な役人を捕まえて、脅したりしませんよ」

「まあ!」

幸炬は目を丸くした。

「英二さん、いい? 私が今まで、あなたをどれほど助けたか覚えていらっしゃる?」

「いえ。それを言うなら、どれほど僕が犠牲になったか……」

「あらまあ。いつの間に、そんな立派なことを言うようになってしまったのかしら」

幸炬はため息をついた。

「それで? 今度はいったい何です?」

幸炬は、待ってましたとばかりに身を乗り出した。

「実はね、昨日、横浜へ行ったでしょう?」

「うん」

「そこで、一年前に持ち主が亡くなって、そのまま空き家になっている商館が

ありましたの」

「……それが?」

「どうもね、その空き家に、持ち主の幽霊が出るらしいの」

「幽霊?」

「ええ。夜になると、火の玉が部屋の中をゆらゆらするんですって」

「……火の玉?」

「そう。それで、幽霊が出るみたいだから、なんとかしてほしいって頼まれましたの」

幸炬は、さも当然のことのように言った。

「…………」

英二は、しばらく黙って幸炬を見つめた。

そして、すました顔で言った。

「サチさん。それは内務省の管轄ではありません」

「あら、そうなの?」

幸炬は少しも動じない。

「だったら、山手の警察署へ相談しようかしら?」

「サチさん……」

英二はとうとう観念した。

「わかりました。本当のことを言ってください」

「あら……」

幸炬は、にっこり笑った。

「やっぱり英二さんは話が早いわ」

「最初から素直に言ってくれればいいんです」

「英二さん、あなたも最初から素直に聞いてくださればいいのよ」

「……君にはかなわないな」

幸炬は声を落とした。

「空き家のはずなのに、人が出入りしているようなの。地下室へ下りる入口にも、人が出入りした跡がありましたの」

「地下室……」

それまで半ば呆れ顔だった英二の表情が変わった。

「ええ。それに……私、たぶん明日、何か起こると思うの」

「何かって?」

「目撃情報をまとめてみたの。火の玉が現れるのは、どうも決まった周期らしいのよ。そして、その次が――明日なの」

幸炬の顔から、さっきまでのいたずらっぽい笑みが消えた。

「それだけじゃないわ」

「まだあるのですか?」

「佐姫代から聞いた話なの。最近、十歳から十二歳くらいの女の子が、突然いなくなる事件が増えているそうよ」

英二は黙った。

「特に地方の農家から、口減らしのために奉公へ出された子が多いらしいの。中には、字も読めない子もいる。奉公先を紹介されて家を出たきり、家族にも連絡がない……そんな子がいるそうなの」

「……それは、佐姫代さんから聞いたのか?」

「ええ。だから気になるのよ」

幸炬は英二をまっすぐ見た。

「空き家。地下室。夜になると現れる火の玉。そして、いなくなった女の子たち」

英二の顔から、完全に笑みが消えた。

「……なるほどな」

しばらく考えたあと、低い声で続けた。

「アメリカへ向かう船に、荷物に紛れて子どもを乗せ、海外へ連れていく話は聞いたことがある。向こうで過酷な労働をさせられるケースもな」

「やっぱり……」

「内務省でも、そうした人身売買の情報が入れば捜査はしている。ただ、連中は一か所に長く留まらない。拠点を見つけて捜査に入ろうとすると、すでに別の場所へ移っている。まさに、いたちごっこだ」

「じゃあ……」

幸炬が一歩、英二に詰め寄った。

「今回も、見つけたときには、もういなくなっているかもしれないってこと?」

「……可能性はある」

「だったら、なおさら明日なのよ!」

幸炬の声が大きくなった。

「明日、あの商館に誰かが集まる。もし、そこにあの子たちがいたら? 私たちが『証拠が足りません』なんて言っている間に、船に乗せられてしまったらどうするの?」

「待て、サチさん!」

英二も思わず声を荒らげた。

「証拠がない以上、内務省だって勝手には動けないんだ。空き家に人が出入りしている、それだけでは――」

「そんなこと、百も承知よ!」

幸炬が遮った。

「だから、正規の手続きを待っていられないから、あなたを頼っているんでしょう!」

「そうは言ってもな……」

英二は困ったように眉を寄せた。

「僕だって、何の根拠もなく警官を動かすわけにはいかない」

「じゃあ、調査をしている間に、子どもたちが連れていかれたら?」

幸炬の声が、今度は低くなった。

「そのとき、あなたはどうするの?」

英二は答えられなかった。

幸炬は続けた。

「それに、子どもの人身売買とは限らないわ。アヘンかもしれない。密入国に関係しているのかもしれない。外国へ運ぶものの隠し場所かもしれない」

そして、ふと思い出したように言った。

「でも、少なくとも、あの南京錠はおかしいわ」

「南京錠?」

「ええ。あの地下室の入口だけ、新しいの。しかも周りの草は踏まれていた。誰かが最近、何度も出入りしているのよ」

英二はしばらく黙っていた。

やがて、大きく息を吐いた。

「……わかった」

「本当?」

「僕がなんとかする」

「英二さん!」

「ただし!」

英二は幸炬を指さした。

「絶対に勝手なことをするな。いいかい? 僕が動く。サチさんは余計なことをしない」

幸炬はにっこり笑った。

「もちろんですわ」

その返事があまりにも軽かったので、英二は嫌な予感しかしなかった。

「……本当にわかっているの?」

「わかってますわ」

そして幸炬は、何かを思い出したように振り返った。

「あ、それから……」

「まだあるのかい?」

「腕っぷしのいい警官も、よろしくね」

「おいおい」

しかし、幸炬はもう歩き出していた。

「じゃあ、明日ね!」

「ちょっと、サチさん!」

呼び止める間もなく、幸炬はさっさと歩いていく。

英二はその後ろ姿を見送り、呆れたようにつぶやいた。

「本当にわかっているのかな、遊びじゃないこと・・・」

だが――

その表情には、もう笑いはなかった。

**明日、何かが起こる。**

そんな予感だけが、英二の胸に重く残っていた。

英二は、ふとこれまでのことを思い返した。

幸炬が、こうして朝っぱらから自分を捕まえに来るとき。

その先には、たいてい何かが起きている。

いや。

幸炬が事件を見つけているのか。

それとも――

事件のほうが、幸炬を呼び寄せているのか。

英二には、まだわからなかった。

「……明日は大変なことになりそうだな」

そうつぶやいてから、ふと思う。

「今日、休んじゃおうかな……」

しかし、そういうわけにもいかない。

英二は新聞を脇に抱え直すと、渋々、官庁へ向かって歩き出した。

その背中には、すでに明日の苦労が見えているようだった。


第八章 ハイカラさん出動!


幸炬は自転車にのって小乃葉の家に向かった。

明日のことを伝えるためだ、昨日の瑞穂の父親徳田の様子では、瑞穂に監視がついているに違いがない。だとしたら小乃葉を連絡係とするのが一番だ。


棚橋家の裏の塀のそとで、呼び鈴をならした。

これは、学生時代、小乃葉を呼び出すときに使った手だ。当時は竹笛だったが、今は自転車の呼び鈴だ、小乃葉は気が付き、ランプの合図をした。

幼稚な手だが意外に使えるのだ。


小乃葉はそうと家を抜け出し、やってきた。

「お早いのねどうなさったの?」と小乃葉

「瑞穂に伝えてほしいことがあるの」

「あら、直接お伝えできませんの?」

「瑞穂のお父様も絡んでいるから、瑞穂が事件に首を突っ込まないよう監視されていると思うの」

「まーなにがございましたの?」小乃葉の顔が急にイキイキとした。

簡単に事情をはなすと

「お父様から、徳田の叔父様のお話はお聞きしましたけど、随分と、お話の展開がかわりましたのね。たしかにこの話を瑞穂が聞きましたら、大変なことになりますわ、徳田の叔父様が警戒するのもわかります」と笑った。

「で私はなにを伝えたらよろしいの?」

幸炬は細かく小乃葉に指示をだした。

「わかったは、任せて」

「佐姫代は?」

「佐姫代は私の部屋で留守番よ」

「大丈夫?ばあやさんにみつからない?」

「明日はばあやは家にはいないの、用事でちょっと遠くまでいかせるの」

「まー、悪知恵さんね」

「なにかあったら佐姫代のお父様に助けていただくこともあるかもしれないので佐姫代のお父様にはこのことをお話しておくの」

「わかったわ、瑞穂のことは任せてくださいな」

小乃葉と幸炬はわかれた。

小乃葉は自分の部屋へ戻ると、懐中時計を取り出した。

しばらく時計を眺めると、それを美しい化粧箱にしまい、店の手代を呼んだ。

「これを瑞穂に届けてちょうだい」

そう言って、化粧箱を手代に渡す。

「これは?」

「懐中時計よ。以前、瑞穂の家へ伺ったとき、あまり調子がよくないから、おじい様に見ていただきたいって預かったの。おじい様に修理していただいて、もう直っているのだけれど……なかなか会う時間が取れなくて、渡すのが延び延びになってしまったのよ」

「はい、かしこまりました。では、瑞穂様に直接お渡しすればよろしいのですね?」

「ええ。お願いね」

「承知いたしました」

手代は恭しく頭を下げると、懐中時計の入った化粧箱を大切そうに抱え、急いで屋敷を出ていった。

――もちろん、これはただ懐中時計を返すためではない。

学生時代から四人だけで使っている、暗号だった。

時計の文字盤を、東京の地図に見立てる。

中心は小乃葉の家。

そこから針が指す方向によって、幸炬、佐姫代、瑞穂、それぞれの居場所を示す。

そして、長針と短針にも、それぞれ意味がある。

長針は「誰からの伝言なのか」。

短針は「誰に伝えたいのか」。

さらに、懐中時計を入れた美しい化粧箱にも仕掛けがあった。

蓋の裏側――そこには、四人だけが知っている小さな隠し場所がある。

小乃葉は、そこに短い伝言を書いた紙を忍ばせていた。

時計屋の娘だからこそ思いついた、四人だけの秘密の通信方法だった。


小乃葉は、何事もなかったような顔で懐中時計を手代に渡すと、そのまま離れにある祖父の部屋へ向かった。

「おじい様、小乃葉です。入ってもよろしいでしょうか?」

「おお、小乃葉か。入れ、入れ」

襖を開けると、部屋いっぱいに大小さまざまな時計が並んでいた。

柱時計、置時計、懐中時計。

どの時計も、チク、タク、チク、タクと、それぞれの時を刻んでいる。

小乃葉は、この音が好きだった。

棚橋家は室町の頃から続く小間物問屋だった。

だが、時代が変わり、維新を境に西洋の文化が一気に入ってくると、祖父は早くから商売の方向を変えた。

時計や宝飾品を扱う店へと商いを広げ、それが見事に当たった。

ところが祖父は、商売が軌道に乗ると、今度は商品のほうに興味を持ち始めた。

「どうして、この時計はこんなに正確なのか」

そんな疑問から時計の仕組みにのめり込み、とうとう自ら修理まで始めてしまった。

それがまた評判を呼び、いつしか祖父は、時計職人としても名を知られるようになった。

商人なのか、職人なのか。

本人に言わせれば、

「どちらも商売だ」

ということらしい。

そんな少し変わった祖父の気質は、小乃葉にもよく似ていた。

「小乃葉、今日は何をねだりに来た?」

祖父が眼鏡の奥から、小乃葉をいたずらっぽく見る。

「まあ。私、いつまでも子供ではございませんわ」

「ほう。では今日は何の相談だ?」

小乃葉は少しだけ姿勢を正した。

「実は、おじい様にお願いがございますの」

「ほら来た」

祖父は楽しそうに笑った。

「やっぱり何かねだる気だな」

「違いますわ」

小乃葉も笑う。

「ちょっと、おじい様にも私たちの仲間になっていただきたいだけですの」

「仲間?」

「ええ」

「これはこれは……」

祖父は大げさに驚いた顔をしてみせた。

「ハイカラさんたちの悪行の片棒を担げ、というわけか」

「まあ、悪行だなんて!」

小乃葉は思わず吹き出した。

「ただの世直しですわ」

「世直しときたか」

祖父は腕を組み、部屋中の時計を見渡した。

「なるほどな。時代が変われば、世直しのやり方も変わる」

「おじい様なら、おわかりになりますでしょう?」

「もちろんだ」

祖父はにやりと笑った。

「わしは時計屋だ。時代がどちらへ進んでいるかくらい、時計を見ればわかる」

「まあ、頼もしいこと」

「ただし――」

祖父は小乃葉を指さした。

「時計を壊すような世直しだけは、勘弁してくれよ」

「ご心配なく。壊すのは時計ではなく、古いしきたりのほうですわ」

「ほう!」

祖父は声を上げて笑った。

「それなら面白い。久しぶりに、若い者の仕事に首を突っ込んでみるとするか」

小乃葉もにっこり笑った。

「ありがとうございます、おじい様」


瑞穂は朝から、部屋の中をぐるぐる歩き回っていた。

幸炬と連絡を取りたい。

けれど今日は、兄も父親も珍しく家にいる。そのうえ、母親や女中まで、やたらと部屋へ顔を出す。

――明らかに、お父様の策略だわ。

「もう、お父様ったら……私を信用していませんのね」

瑞穂は頬をふくらませた。

瑞穂はこれまで自分がしてきたことはすっかり棚の上に置いている・・・

そのとき、女中が部屋へ入ってきた。

「お嬢様、星光堂から手代の方がお越しです。瑞穂様からお預かりしていた懐中時計を、お返しに参りましたとのことです」

「懐中時計……?」

瑞穂は一瞬考え、すぐに思い出したような顔をした。

「ああ、あれね! ええ、先日お願いしたものだわ。ようやく直ったのね」

わざと少し大きな声で答えると、玄関横の応接間へ向かった。

そこには、星光堂の手代が立っていた。

「こちら、瑞穂様よりお預かりしておりました懐中時計でございます」

「まあ、ありがとう。小乃葉からかしら?」

「はい。小乃葉様より、直接お渡しするよう申し付かっております」

「そう。では、確かに受け取りましたと、小乃葉に伝えてちょうだい」

瑞穂は懐中時計の入った美しい箱を受け取ると、にっこり微笑んだ。

そして懐から小さな包みを取り出した。

「それから、こちらを。修理のお手間を取らせましたもの。手間賃ですわ」

美しい和紙に包まれた心付けを、手代に差し出す。

「これは……ありがとうございます」

「どういたしまして。これからも星光堂には、贔屓にしていただかなくては困りますもの」

「ありがたく頂戴いたします。これからもご贔屓にお願い申し上げます」

手代は深々と頭を下げ、徳田家をあとにした。

瑞穂は、その後ろ姿を見送ると、何食わぬ顔で懐中時計の入った箱を抱え、自分の部屋へ戻っていった。

――もちろん、ただ懐中時計を受け取ったわけではない。

実は、手代に渡したあの和紙にも、仕掛けがあった。

特注の和紙には、**桔梗の意匠**が施されている。

その和紙は、瑞穂だけが持っている特別なもの。

つまり――

「瑞穂が確かに受け取った」

その証だった。

小乃葉から送られた懐中時計。

そして瑞穂から返された桔梗の和紙。

二人だけにしか分からない、小さなやり取りだった。


瑞穂は自分の部屋に入ると、すぐに化粧箱を開けた。

中から懐中時計を取り出し、文字盤をじっと見る。

そして、針の指す方向を確認すると、小さく頷いた。

「幸炬からだわ」

瑞穂は時計を箱に戻すと、今度は化粧箱の蓋の裏を丁寧に開いた。

そこには、小乃葉が書いた小さなメモが隠されていた。

――昨日、幸炬は瑞穂の父親と横浜の商館へいった

商館には住人はいない。

けれど、誰かが出入りしている形跡がある。

しかも、その商館では決まって水曜日の夜になると、火の玉がゆらゆらと現れるらしい。

ちょっとした幽霊騒ぎになっているという。

幸炬の見立ては、幽霊ではない。

誰かが、今も商館に出入りしている。

そして、明日の夜が水曜日。

幸炬は明日、幼馴染の鷺坂と警官を連れて、商館へ乗り込むつもりらしい。

最近小さな子供たちが行方不明になっているのでたぶんそれに関係している

と思う。

だから――

なにかあった時のため、すぐ動けるように瑞穂には口実を作って小乃葉の家でで待っていてほしい。

口実は小乃葉からの作戦だった。

この手の作戦は商人娘の小乃葉は天下一品だった。

そこまで読み終えると、瑞穂はメモを折りたたみクラッチバッグに入れた。


父親の書斎へいくと、瑞穂はニコニコとして、父親へ声をかけた

「お父様、よろしいかしら」

「どうした、急に・・・」と徳田が怪しんだ。

「先ほど、星光堂から懐中時計が戻ってまいりましたの。かなり修理が難しかったようで、なんとおじい様自ら修理してくださったそうですの」

「ほう……」

「ですから、ぜひ直接お礼を申し上げに伺いたいのですが……」

父は瑞穂をじっと見た。

「何も、今日でなくてもいいのではないか?」

疑うような目だった。

瑞穂はにっこり笑った。

「そうですわね、でもお父様。星光堂のおじい様自らのお手で修理してくださったと伺ったのですよ。でしたら、お父様も自ら出向いて、お礼を申し上げるのが筋ではございません?あの時計、私が女学校に入学したときの記念の時計ですもの、修理をしていただいて本当に感謝しておりますのよ」

「……たしかにな」

瑞穂の父は少し考えた。

「なるべく早い方がいいな」

瑞穂は内心で小さくガッツポーズをした。

父は秘書を呼び、明日以降の予定を確認させた。

ところが――

「明日のこの時間しか空いておりません」

秘書が告げたのは、明日の夜の時間だった。

瑞穂の父は少し考えると、

「では、星光堂に電話をしておいてくれ。明日の夜、懐中時計のお礼に伺いたいとな」

「かしこまりました」

秘書が電話をかける。

しばらくして、電話を切った。

「先方よりご連絡を頂けるとのことで棚橋様よりお電話があるそうです」

ほどなくして、電話が鳴った。

瑞穂の父が受話器を取る。

「はい、徳田です……ええ……」

少し話したあと、受話器を置いた。

「明日のよる食事をしながらでどうかとのことで、小乃葉さんもぜひ瑞穂も一緒に来てほしいそうだ。久しぶりだから、食事をしながら話をしたいとのことだ」

「まあ!素敵」

瑞穂の顔がぱっと明るくなった。

「久しぶりに小乃葉とお話しできますのね。うれしいわ!」

そして――

心の中で、もう一度小さく笑った。

この家から出てしまえば、こっちのものよ。

瑞穂がにんまりとしたことは、言うまでもなかった。


幸炬は仕事を終えると、その足で郷田家へ向かった。

佐姫代のお父様には、絶対に嘘をついてはいけない。

幸炬は、そう思っていた。

きっと話せば分かってくださる。

そう信じてもいた。

けれど――一筋縄ではいかないことも、わかっていた。

それでも、味方になってほしかった。

幸炬が郷田家へ着くころには、佐姫代も学校から急いで帰ってきていた。

二人は、父親の帰りを待った。

郷田家の父親が、毎日ほぼ決まった時刻に帰宅することを、佐姫代は知っている。その日、母親も三人の姉妹も、いつもとは少し様子が違っていた。

娘と、その友人が何か大きな相談をしようとしていることを、なんとなく察しているのだろう。

やがて父親が帰宅し、着替えを終えたところで、佐姫代は幸炬とともに父親の部屋へ向かった。

佐姫代が襖の前で立ち止まる。

一度深く息を吸った。

「お父様……よろしいでしょうか」

「入りなさい」

短い返事だった。

二人が部屋へ入る。

「今日は、お父様にご相談がございます。友人の幸炬と一緒に、お願いを聞いていただきたいのです」

「わかった」

佐姫代の父親は二人を見ると、静かに頷いた。

幸炬も頭を下げた。

「叔父様、ご無沙汰しております。幸炬です」

「サチさん、お久しぶりですね。元気でしたか」

「はい。おかげさまで」

「ばあやさんは、今でも?」

「はい。元気で、毎日叱られっぱなしです」

父親の口元が、ほんの少し緩んだ。

「そうですか……」

そして、少し間を置いて尋ねた。

「お父様が亡くなられて、今年で何年になりますか?」

「はい。今年で十年になります」

「そうですか……大変でしたね」

そう言うと、父親は煙草に火をつけた。

しばらく煙を見つめてから、二人に向き直った。

「それで……今日は二人そろって、どうしたのですか」

幸炬は姿勢を正した。

「はい。実は、どうしても叔父様にお願いしたいことがございます」

幸炬と佐姫代は、横浜の商館のこと、地下室の出入りの跡、夜ごと現れる火の玉、そして最近、地方から奉公に出された少女たちが行方不明になっていることを、順を追って説明した。

二人が話し終えると、父親はしばらく黙っていた。

やがて、静かに言った。

「……これは、あなたたちがやるべきことではありません」

きっぱりとした言葉だった。

佐姫代が俯く。

しかし幸炬は、逃げなかった。

「叔父様。私たちは、伊達や酔狂でこんなことに首を突っ込んでいるわけではございません」

父親は黙って幸炬を見る。

「一刻を争うような気がしてならないのです」

「気がする、ですか」

「はい」

幸炬は正直に答えた。

「それが単なる私の思い込みだと言われれば、それまでです。でも……今動かなければいけない。そんな気がしてならないのです」

一度、息を整える。

「佐姫代さんには、絶対に危険なことはさせません」

そして、さらに続けた。

「もし、本当にあの商館に子どもたちがいた場合――保護する場所が必要になります」

「……」

「その場所なら、私の家を使えます」

父親の眉がわずかに動いた。

「ですが、そこで子どもたちに寄り添い、しばらく面倒を見る人が必要です」

幸炬は隣の佐姫代を見た。

「私には、佐姫代さんしか思い浮かびません」

そして、父親へ向き直った。

「どうか、佐姫代さんの力を貸していただくことを、お許しいただけませんでしょうか」

部屋に沈黙が落ちた。

やがて父親は、娘を見た。

「……佐姫代。お前はどうなんだ」

佐姫代は少し俯いた。

そして、顔を上げた。

「はい」

声は震えていたが、はっきりしていた。

「私は、この話を幸炬から聞いたとき、お父様に嘘をついてでも力になろうと思いました」

幸炬が静かに佐姫代を見る。

「でも、幸炬が反対したのです」

父親の視線が幸炬へ向く。

「本当に事件になったとき、お父様に迷惑がかかる。家族にも迷惑をかける。だから、嘘だけはいけない。お父様にきちんと話して、理解していただいたうえで協力してもらおう、と」

「協力……か」

「はい」

佐姫代はまっすぐ父親を見た。

「もし、本当に子どもたちがいたら、一人や二人ではないかもしれません」

父親は何も言わない。

「無事に保護できたとしても、それで終わりではないと思います」

佐姫代の声が少し強くなった。

「家へ帰せば、それで解決する子ばかりではないはずです。家に戻れば、また口減らしのために奉公へ出されるかもしれない」

「……」

「だったら今度は、その子たちが安心して働ける場所を探し、自分の力で生きていけるようにすることまで考えなければ、本当に助けたことにはならないと思います」

佐姫代は一度息をついた。

「そのときには、お父様のようなお役の方のお力を借りなければなりません」

そして、静かに頭を下げた。

「私たちは無力です。でも、だからといって、何もしないでいることもできません」

父親は長い間、黙っていた。

煙草の煙だけが、静かに部屋の中を漂っている。

やがて父親は、低い声で言った。

「……わかった」

二人が顔を上げる。

しかし、父親は続けた。

「すぐに返事はできない」

幸炬も佐姫代も黙って聞いている。

「私なりに考える。今夜はもう遅い。返事は、それからだ」

そして父親は、娘を見た。

「今日は、ここまでにしなさい。夕食の時間だ。遅くなれば、お母さんたちにも心配をかける」

それだけ言うと、父親は二人に背を向けた。

「……はい」

佐姫代が頭を下げる。

幸炬も深く頭を下げた。

部屋を出ると、幸炬は小さく息を吐いた。

「……信じて待ちましょう」

佐姫代が頷いた。

「ええ」

二人が玄関へ向かう。

外は、もう薄暗くなっていた。

「サチ…暗くなってきたわ。気をつけて帰ってね」

「ありがとう。また明日、病院へ行く前に顔を出すわ」

「うん」

二人はそれだけ言葉を交わし、別れた。

幸炬は、空を見上げた。

父親は反対なら、きっとその場ではっきり言ったはずだ。

「考える」と言った。

それだけで、今は十分だった。

幸炬は、郷田家の明かりを振り返ることなく、静かに歩き出した。


その夜、ハイカラ探偵団の四人が、ほとんど眠れなかったことは言うまでもない。


そして――運命の朝を迎えた。

幸炬は朝早く、佐姫代の家の前で待っていた。

しかし、出てきた女中から意外な知らせを聞いた。

「旦那様は、もうご出勤なさいました」

「えっ……」

佐姫代も、力なく幸炬を見つめた。

「やはり……駄目だったのね」

そして、小さく息を吐いた。

「でも、私も力になりたいわ」

「ええ。佐姫代には、別の形で協力していただくわ」

幸炬はそう言うと、佐姫代の目をまっすぐ見た。

「今日はご自宅で待っていて。いい? 絶対にお父様の目を盗んで抜け出したりしては駄目よ」

「サチ・・・・」

「約束よ」

幸炬はそう言い残すと、病院へ向かった。

午前中の診療を終えると、そのまま電車に乗り、横浜へ向かった。

例の商館の近くにある喫茶店に入り、窓際の席から商館の様子をうかがう。

時間だけが過ぎていった。

一時間。二時間…

しかし、商館には誰ひとり姿を現さない。

「……やっぱり、私の先走りだったのかしら」すっかり日も傾いていた。

やがて喫茶店も閉店の時間を迎えた。

幸炬は店を出た。

「……なんだか、がっかりだわ」

あたりが暗くなり始めた、そのときだった。

一台の車が、商館の前に停まった。

幸炬は、とっさに物陰へ身を隠した。

車は商館の裏手へ回り、荷台を地下室の入り口近くにつけた。

すると、黒い服の男が二人、車から降りた。

荷台の覆いを開ける。

その瞬間――

幸炬の顔から血の気が引いた。

そこには、何人もの子どもたちがいた。

「静かにしろ!」

男の声が響く。

「声を出したら承知しないぞ。言うことを聞けば、アメリカへ行って、いい暮らしができるんだ」

子どもたちは怯えている。

「おい、そこの鍵を開けろ!」

男が叫んだ。

幸炬は息を呑んだ。

地下室の入り口が開く。

そして、子どもたちは次々と荷台から降ろされ、地下へ押し込まれていった。

「……やっぱり……」

幸炬は震える声で呟いた。

その車が去ると、ほどなくして別の車がやってきた。

また同じように子どもたちが降ろされる。

そして、地下室へ。

「やっぱり、思ったとおりだわ……!」

幸炬は拳を握った。

英二はまだ来ない。

「もう……英二さん!」

怒りが込み上げてくる。

「騙した? 協力するようなことを言っておいて……」

しかし、その一方で、自分ひとりでは何もできないことも分かっていた。

目の前で連れていかれる子どもたちを見ているだけ。

悔しくて、涙がこぼれそうになった。

やがて二台目の車も商館を離れた。

「今だわ!」

幸炬は立ち上がり、商館へ向かおうとした。

その瞬間――

「待て!」

突然、後ろから口を塞がれた。

「んぐっ……!」

幸炬は驚いて、必死にもがいた。

「サチさん! 僕です!」

耳元で、聞き慣れた声がした。

「英二です。声を出さないでください」

幸炬は目を見開いた。

驚きのあまり、本当に心臓が止まるかと思った。

幸炬は何度も首を縦に振った。

それを確認して、ようやく英二は手を離した。

「びっくりしたわ! 死ぬかと思ったじゃない!」

「へえ。サチさんでも怖いことがあるんだ」

「私だって人間よ! 息ができなきゃ死ぬわよ!」

幸炬は英二を睨みつけた。

しかし、英二は笑わなかった。

「さあ、サチさん。もう下がってください」

「え?」

「ここからは、僕たちの仕事です」

そう言うと、英二は周囲にいる警察官たちへ静かに合図を送った。

そのときだった。

先ほどの車が、再び商館の前に戻ってきた。

今度は子どもたちは乗っていない。

荷台から、今度は大人らしき男が二人降り、地下室へ入っていった。

しばらくすると――

商館の窓に、火の玉のような明かりがゆらゆらと揺れ始めた。

幸炬が呟く。

「……これね。火の玉の正体は」

英二が振り返った。

「サチさん。絶対にここから動かないでください。いいですね」

「分かったわ」

英二は時計を確認した。

「……九時。作戦開始!」

次の瞬間だった。

周囲に潜んでいた警察官たちが一斉に動いた。

商館を取り囲み、入口へ殺到する。

扉が開かれた。

「警察だ!」

一気に建物の中へ警察官がなだれ込んでいく。

地下室の入り口からも別の隊が突入する。

外では車も押さえられた。

すべてが、あっという間だった。

そして――

別の警察官たちが地下室から子どもたちを連れ出してきた。

「大丈夫だ」

「もう怖くないぞ」

子どもたちは皆、無事だった。

緊張が解けたのか、泣き出す子もいる。

その光景を見つめながら、幸炬は胸を押さえた。

「……よかった」

やがて商館から、次々と男たちが連れ出されてきた。

六名。

その場で逮捕された。

しかし、幸炬が驚いたのは、その後だった。

子どもたちは商館から少し離れた場所へ移され、そこでは役人たちが子どもたちを囲むようにして守っていた。

その中心で指示を出している人物を見て――

「あっ!」

幸炬は思わず声を上げた。

なんと、そこにいたのは佐姫代の父、郷田だった。

郷田は幸炬を見ると、一瞬だけ目を合わせた。

そして、ほんのわずかに目配せをした。

「……」

幸炬は何も言えなかった。

郷田はすぐに仕事へ戻った。

しばらくすると、棚橋家と徳田家の車が到着した。

「えっ……?」

幸炬は目を丸くした。

「どうして……?」

思わず物陰へ隠れようとする。

「まずいわ……。ばれたのかしら」

しかし、もちろん、そんなことで隠し通せるはずもなかった。

子どもたちは、棚橋家、徳田家、そして警保局の車に分乗し、安全な場所へ移されることになった。

そのすべての段取りを整えていたのは、郷田だった。

幸炬は、後になってそのことを知った。

自分たちが考えていたよりも、ずっと大きな動きになっていた。

避難先では、すでに食事が用意されていた。

おにぎり。味噌汁。着替え。温かい風呂まで。

そこには郷田家の奥方、棚橋家の奥方、徳田家の奥方が集まり、忙しく動き回っていた。

「ほら、熱いうちにお食べなさい」

「怖かったでしょう。でも、もう大丈夫ですよ」

その傍らでは、瑞穂、小乃葉、佐姫代も大忙しだった。

食事を配り、着替えを用意し、子どもたちを風呂へ連れていく。

まるで大騒ぎである。

実は、佐姫代の母が両家に声をかけたのだという。

そして、二人の娘たちが事情を知る前に、すでに準備を始めていた。


「どういうことなの?」

瑞穂と小乃葉は、顔を見合わせた。

すると、小乃葉の祖父が、何事もなかったように笑った。

「なに、ハイカラさんたちの世直しを手伝ってくれ、と助っ人から依頼があっただけじゃよ」

「助っ人?」

小乃葉が首を傾げる。

「郷田さんじゃよ」

祖父は、二人の驚いた顔を見て、さらに笑った。

どうやら、郷田は幸炬たちから話を聞いた時点で、すでに先のことまで考えていたらしい。

警察だけではなく、子どもたちを保護した後のことまで考え、長年親交のある小乃葉の祖父に相談を持ちかけたのだという。

もちろん、小乃葉から事前に今回の話を聞いていた祖父も、事の重大さは承知していた。

そこで、その日の食事会の席で、棚橋家と徳田家の父親たちに事情を話した。

「うちの孫たちが、また何やら世直しを始めたらしい」

そう言って笑いながらも、祖父は真剣だった。

「ならば、せめて大人は大人で、あの娘たちの後ろから援護射撃をしてやろうじゃないか」

その言葉に、二人の父親も黙って頷いた。

そして、郷田からの知らせが入った時には、すでに準備が整っていた。

食事も、着替えも、避難先も。

すべては、ハイカラさんたちが知らないところで、大人たちが動いてくれていたのだった。

「まあ……」

瑞穂が、呆れたように笑う。

「私たち、ずいぶん大勢の方に助けてもらっていたのね」

小乃葉も苦笑した。

「どうやら、私たちが思っていたより、ずっと先まで話が進んでいたようですわ」

祖父は二人を見て、ニヤリと笑った。

「若い者が前へ出るなら、大人は後ろから支えてやる。それが粋ってもんじゃよ」

小乃葉と瑞穂は、思わず顔を見合わせた。

「……おじい様、なかなか格好いいことをおっしゃいますわね」

「なに、年寄りの仕事は、若い者の邪魔をせず、必要なときに手を貸すことじゃ」

祖父はそう言って、楽しそうに笑った。

棚橋翁に頼まれてはみたものの両家の父親たちも、最初は半信半疑だった。

まさか、子どもの人身売買など――。

しかし、実際に商館へ行ってみれば、幸炬の危惧していたことは現実だった。


やがて英二と一緒に幸炬が避難先へやってきた。

ようやく四人が顔を合わせる。

しばらく、誰も何も言わなかった。

自分たちが考えていたシナリオとは、あまりにも違う結末だった。

小乃葉が、ぽつりと言った。

「まあ……私たちの実力は、この程度ということですわね」

瑞穂も苦笑する。

「そうね。私たち、思っていたより何もできなかったわね」

佐姫代は、少し俯いた。

「私たち……学生時代から、少しは成長できているのかしら」

幸炬も黙っていた。

そして、子どもたちの姿を見る。

泣き疲れて眠っている子。

温かい味噌汁を、黙々と飲んでいる子。

誰かの手を、ぎゅっと握って離さない子。

幸炬は、しばらくその姿を見つめていた。

「……分かったわ」

三人が幸炬を見る。

「何が?」

幸炬は小さく笑った。

「どうして周りの大人たちが、私たちを心配するのか」

「サチ……」

「私たちは、自分たちが正しいと思ったら、夢中になって突っ走るでしょう?」

三人は黙って頷いた。

「でも……私たちが見えているのは、ほんの一部分なのね」

幸炬は、眠っている子どもを見つめた。

「私たちが商館を見つけた。でも、子どもたちを安全な場所へ運ぶことはできなかった」

「警察を動かすこともできなかった」

「食事を用意することも、着替えを用意することもできなかった」

そして、少しだけ笑う。

「……だから、周りの力が必要なのね」

小乃葉が静かに答えた。

「でも、最初に気づいたのは私たちですわ」

瑞穂も続けた。

「そうよ。何もしなかったわけじゃない」

佐姫代が微笑む。

「私たちが声を上げたから、みんなが動いてくださったのよ」

幸炬は三人の顔を見る。

そして、いつものように――

少しだけ、いたずらっぽく笑った。

「じゃあ……私たち、結構すごいんじゃない?」

三人が一斉に笑った。

「それは違うでしょう!」

「そこだけは反省してないのね!」

「やっぱりサチですわ!」

笑い声が、避難所に響いた。

その声に気づいた子どもが、少しだけ顔を上げた。

幸炬は、その子に微笑みかけた。

「大丈夫よ」

「もう、ひとりじゃないから」

その言葉を聞いた佐姫代は、ふと両親の姿を思い出した。

普段、父と母が親しげに話すところなど、ほとんど見たことがない。

だから、自分の家は冷たいのだと思っていた。

けれど今日、父は娘たちを信じ、母は何も言わずに人を集めていた。

二人は、それぞれのやり方で家族を守っていたのだ。

佐姫代は、初めてそれに気づいた。

そして、胸の奥が少しだけ軽くなった。

「……お父様、お母様」

佐姫代は小さく呟いた。

大正という新しい時代の中で――

この四人の少女たちもまた、少しずつ歩き始めていた。


第九章 商館の怪人


「瑞穂、新聞をご覧になった?」

塾の近くにあるカフェで、小乃葉が新聞を広げながら尋ねた。

「もちろんよ」

瑞穂はコーヒーを一口飲んで、にっこり笑った。

「あの事件、まるで私たちが解決したみたいに書かれているじゃない。なんだか気持ちがいいわね」

「まあ、ずいぶん都合のいい解釈ですこと」

小乃葉が笑う。

そこへ、幸炬と佐姫代がやってきた。

「お待たせしましたわ」

席につくなり、佐姫代が新聞を覗き込む。

「私も読みましたわ。なんだか……私たち、とんでもないことをしたみたいですわね」

「でも思った以上に大掛かりな捕物になったものね」と幸炬がいうと

「本当にずるいわ!」

瑞穂が幸炬を指差した。

「幸炬だけは現場にいたんですもの。私たちなんて、避難所でおにぎりを握っていただけよ」

「何を言っているの。あれは大事な仕事でしょう」

幸炬が涼しい顔で答える。

「まーまー、しかしあの鷺坂家のお坊ちゃん。新聞を見る限り、まるで英雄ですわね」

小乃葉が記事を指差した。

すると幸炬が、胸を張る。

「それはそうよ。あの時、私が英二さんを脅しておかなかったら、すべて水の泡だったんですもの」

「脅したって……」

佐姫代が苦笑する。

「感謝してほしいくらいだわ」

幸炬は、しれっと言った。

三人は顔を見合わせて笑った。

「それにしても……」

幸炬は、ふと真顔になった。

「佐姫代のお父様が、あそこまで動いてくださるとは思わなかったわ」

佐姫代は少し照れたように笑った。

「実はね……あの朝、お父様は小乃葉のおじい様のところへお伺いしたそうなの」

「え?」

小乃葉が驚く。

「おじい様のところへ?」

「ええ。そこで、叱られたらしいの」

「おじい様が、お父様を?」

「そうなの」

佐姫代は、父親から聞いた話を思い出すように続けた。

「新しい時代を担おうとしている娘たちを、信じて応援するのが周りの大人の役目じゃろう。ただ頭ごなしに反対していては、せっかく芽を出したものまで摘んでしまう。若い者が道を切り開こうとしているなら、年寄りは横から口を出すより、転ばぬよう後ろから支えてやればいい。

それが大人の務めというものじゃ。

せっかく新しい時代が来ようとしているんだ。その芽を枯らすような真似だけは、したくないものじゃよ」とね

「まあ……!」

瑞穂が目を丸くした。

小乃葉も、少し誇らしそうに笑う。

幸炬は静かに頷いた。

「小乃葉のおじい様は……時とともに時代が変わることも、時が新しい時代をつくってきたことも、両方よくご存じなのね」

その言葉に、四人は一瞬、静かになった。


しばらくして――


「でもね」

瑞穂が突然、新聞の下のほうを指差した。

「それ以上に、私が驚いたのは、こっちよ」

「そうそう」と

三人が身を寄せる。

瑞穂は記事を読み上げた。

「事件の舞台となった商館を詳しく調べたところ、地下の埋められた壁の中から、白骨化した人体が発見された――」

三人の顔から笑みが消えた。

瑞穂は続けた。

「さらに、遺体の胸の上で重なり合うように置かれていた両手の下から、懐中時計が発見された……」

「その時計はパリ万博の折、ある皇族が購入したものとみられ、なぜこのような場所から発見されたのか、謎が残されている……」

四人は顔を見合わせた。

瑞穂が、ゆっくりと言った。

「しかもね……」

一拍置いて、

「この懐中時計、お父様があの商館の主から買うよう勧められた時計と、よく似ているんですって」

「えええ まさかですわ」と小乃葉が息をのむ

佐姫代も新聞を覗き込んだ。

「それで……お父様は?」

「記事を読んだ途端、顔が真っ青になって……」

瑞穂は肩をすくめた。

「倒れてしまったわ」

「まあ……」

幸炬は新聞を見つめた。

そこには、古びた懐中時計の小さな写真が載っていた。

その時計は、まるで長い眠りから目を覚ましたかのように、静かに時を刻んでいるように見えた。

「……不思議ね」

幸炬が呟いた。

「人が亡くなった場所から、時を刻むものが見つかるなんて」

小乃葉が、時計の写真をじっと見つめる。

「時計は、何も語りませんもの」

「でも――」

幸炬が微笑んだ。

「時は、何かを知っているのかもしれないわ」

四人は、もう一度、新聞に目を落とした。

そして――

懐中時計の針だけが、静かに時を刻んでいた。

時を刻む時計とともに、時代もまた動いていく。


新しい時代の風に乗って――

ハイカラさんたちは、今日も元気に飛んでいく。

さて、次はどんな事件が待っているのやら。

ごきげんよう。

そして――

また、どこかでお会いしましょう。












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。