5
「……その時、何か口にしました?」
静かな談話室にヴィオレッタの声が落ちた。アシュレイは眉間に皺を寄せ、記憶を辿るように視線を下に落とした。
「……あの日、口にしたのは会場で配られていたワインだけだよ。それに、ワインを飲んだのは彼女が来るよりもずっと前で、記憶を失うほど飲んだ覚えはない。」
「その日の会場はどこだったのですか?」
「グレイフォード侯爵家だよ。その日はたしか、仮面舞踏会だったんだ。」
グレイフォード侯爵家。
公爵家ほどの権勢は持たないが、侯爵家の中では最も古い歴史を持つ名門だ。代々、宮廷薬剤師を輩出しており、特に薬草学においては右に出る者がいないとも言われている。最近では、ワインや香水造りにも力を入れていたはずだ。
――つまり、ワインの中に何か混ぜることなど、彼らにとっては難しい話ではありませんね。ですが……
グレイフォード侯爵家とレイヴン公爵家は表立った関わりは一切なかったはずだ。むしろ、両家の関係は良好とは言い難い。どちらの家のご令嬢も王太子殿下の婚約者候補になっているからだ。だから、オフィーリア公爵令嬢を失脚させるためだとも考えられるが……。それだと、アシュレイ様に薬を盛る必要があるとは思えない。それに、会場で配られているワインなど誰の手に渡るかもわからないものだし、時間を置いて記憶を曖昧にするような薬など、少なくとも私は聞いたことがない。
それに、会場は仮面舞踏会。普段なら決して交わらないような貴族同士が仮面1つで素顔を隠して距離を縮め、時には秘密の取引すら行われる。社交界において最も華やかで、同時に最も危険な催しの一つだ。だからこそ、“誰が誰に近づいたのか”を正確に把握することが難しい。
――となると、記憶が曖昧な要因はまた別にあるのかもしれませんね……。
ヴィオレッタは無意識に指先へ力を込めた。この先のことを考えると、背筋に冷たいものが這い上がる。
――なんだか、嫌な予感がしますね。それも、誰か1人の失脚程度では済まされないような酷く不穏な予感が……。
社交界では、1つの醜聞だけで家が傾くことは大して珍しくないが、今回は王家に次ぐ権力がある公爵家が2つ絡んでいる。それに、侯爵家の中で最も名高い侯爵家もだ。もしこのことの全貌が社交界に広まったら、被害は当人達だけでは済まされない。
今回の結果次第では、社交界が揺らぐことになるだろう。




