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社交界で最も恐ろしいものは、権力でも金でもない。
――人の執着だ。
ヴィオレッタは合図を言うと踵を返し、夜会会場の奥へと歩き出した。アシュレイもまた、何も言わずにヴィオレッタの後に続く。静かな廊下に、コツコツと硬質な音が響いた。
道中、主催者である侯爵と出会った。
侯爵は二人が並んで歩いているのを見て少し目を丸くしたが、何も言わず、すぐに目を逸らし、側にいた執事長に静かに視線を送った。多分、全てを察して手配しておいてくれるのだろう。有難いことだ。
「それにしても、まさか貴方と夜会を抜け出す日が来るとは夢にも思いませんでしたわ」
「それは僕の台詞でもあるよ」
二人して優雅な笑みを浮かべながら軽口を交わしているうちに、目的地へ辿り着く。ヴィオレッタの向かった先は、来客用の小さな談話室だった。談話室の扉の前にいた使用人達は二人の姿を見るなり、慣れた様子で談話室の扉を開く。
ヴィオレッタは使用人達に軽く礼を述べ、そのまま談話室へ足を踏み入れた。すると、隣でいつも笑顔を崩さないアシュレイが珍しく目を丸くしていた。
「随分慣れているんだな」
「えぇ、何度か使わせて頂いておりますので」
ヴィオレッタは使用人達に人払いを頼み、二人とも中へ入ると扉を閉めた。本来、婚姻関係もない年頃の男女が使用人もおらずに密室にいることはタブーなのだが、そこはアシュレイが何とかしてくれるだろう。ヴィオレッタは心の中で全ての責任をアシュレイに押し付けることに決め、ソファーにゆっくりと座り、静かに息を吐いた。
「――それで、貴方は何を望まれるのですか?」
その瞬間、空気が変わった。
アシュレイは思わず息を呑んで固まってしまう。そのことにヴィオレッタは僅かに首を傾げる。
少しの間の後、アシュレイはゆっくりと話し出した。
「……最近、少々困った令嬢がいてね」
「あら、その笑顔の下で数多のご令嬢を泣かせてきた方の台詞とは思えませんね。それに、貴方程の方なら私の手を借りずとも何とか出来そうですけれど」
「痛いところを突くね……。やっぱり“社交界の調停屋”の名は伊達じゃないってことか。少々、君のことを甘く見ていたよ」
アシュレイの言葉にヴィオレッタは笑みを深くし、話の続きを促した。そして、アシュレイは先程よりも声を潜め、ゆっくりと続きを口にした。
「それで、その令嬢なんだけどね……。今までのどんな人よりも僕に依存していて、この前なんか“私の色以外を身につけたら許さない……。”とか言い出してね。出来る限り穏便に関わりを切ろうとしていたんだが、流石の僕もお手上げで。そんな中、“金さえ払えば何でもしてくれる”という君の噂を耳にしたものだからついつい頼ってしまったんだよ」
アシュレイはソファに深く倒れ込み、静かに目を伏せた。普段、噂に聞く華やかで常に余裕がある彼にしては珍しく参っているようだった。ヴィオレッタは少し目を丸くし、ゆっくりと瞬きをした。
「ふふ、これはまた珍しいことですね。ところで、そのご令嬢とは昨日の男爵令嬢の方ですか?それとも一昨日の歌姫でしょうか?いや、彼女達はそこまで嫉妬深くないですし、数年前の侯爵令嬢の方かしら?それとも……」
ヴィオレッタが静かに情報を吟味している中、アシュレイは恐怖を感じ、慌てて声を荒げた。
「ちょっと待ってくれ!君は一体なぜ知っているんだ?!」
アシュレイの言葉にヴィオレッタは扇子を優雅に口元に当て、淑女として完璧に微笑んだ。微笑む姿はその美貌も相まって、誰もが目を惹くくらい美しかったが、アシュレイは背筋が凍るような気分だった。そんなアシュレイを見つめながら、ヴィオレッタはゆっくりと口を開く。
「社交界で生きている以上、“知らない”は命取りですもの」
その言葉は先ほどまでと変わらぬ穏やかな声色だったのに、なぜか妙に冷たく響いた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
“社交界の調停屋”を少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
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